3.お使い狐の化け猫退治

 それが、どのくらい昔の話なのか、八子にはもう分からないのだという。

 卯月が思うに、そこまで遠くはない昔の話。江戸時代の何処かではあるだろうけれど、人の世に疎い八子の話では正確な特定も出来そうにない。

 とにかく、その頃の時雨原は自然豊かな台地で、所々には今はすっかりなくなってしまった地蔵や神像、祠などがあちらこちらにあったという。麓の人々の信仰を集めたそれらは八子にとっての拠点となり、時雨童女がそうするように時雨原を自由に歩けたという。

 ゆえに、その頃の八子には協力者など必要なかった。

 ただただ時雨童女が危害を加えられぬように見張りをし、時雨童女のために直接麓の人々に声を届けることもあったという。

 台地に暮らす人、ごく少数の人もいた。彼らとも八子は度々交流し、時雨童女を御守りするよう協力を要請した。その時代の人々は信仰も篤く、見るからに神使と分かる八子の言葉に素直に従ったのだという。

「だからと言って、今より呪いが少なかったわけではないわ。人と人が集う場所には必ず呪いが現れる。時雨原が戦場になってもならなくても、何処かで生まれた呪いがトキサメ様を食べようと近づいて来る事も多かった。それに、その頃の時雨原は自然も豊かだったから、人間以外の鳥獣たちが化け物になって襲ってくることも多々あった。その度にアタシは一人で、時には勇猛果敢な若者や鳥獣の力を借りて討伐してきたの。けれど、その中でもひときわ呪いを貯め込んで、非常に厄介な力を持ってしまった化け猫がいた」

 その化け猫こそ、タマである。

 開き直るようにタマは腕を組み、堂々とした口調で卯月に語った。

「その頃、あたしは時雨原の麓の街に忍び込み、人々を騙しては食っていた。その際にあがった悲鳴、そして流れた血が時雨原を穢したのだ」

「タマさんが? どうしてそんな事を……?」

 真っすぐ問いかける卯月に見つめられ、タマはバツが悪そうに目を逸らした。

「過程はどうあれ、あたしは化け猫となったのだ。化け猫とはそういうものなのさ。それとも、お前さんは人食い熊がどうして人を襲うのか理由を訊ねたりするのかね?」

「……なるほど」

 タマの言葉に卯月はとりあえず納得して口を閉じた。

 化け猫にとって人というものはネズミのようなものなのかもしれない。

 卯月はそう理解した。

「タマちゃんはねぇ、とても厄介な化け猫ちゃんだったの」

 八子は再び語り始めた。

 いつからタマがその麓にいたのか、二人とも覚えていないという。ただ、思い出せるのはいつの頃から麓にあった小さな街にタマは住みついていた。そして、そこで旅人を狙って狩りをしていたのだ。

 タマのねぐらは時雨原の山中にあった。そこから街を行き来しては、旅人をかどわかして空き家に連れて行き、共に夜を過ごして油断した所を襲って食べていたという。化け猫の習性だとタマは言ったが、八子はそこに補足した。

「確かに化け物は人を襲うわね。けれど、タマちゃんが人間を襲っていたのはそれだけが理由じゃなかった。タマちゃんの心は深く傷ついて淀んでいたの。穢れてしまっていたともいえるわね。人間を敵とみなし強い恨みを持って捕食をしていたものだから、瞬く間に時雨原には穢れが溜まっていった」

 そして、それを癒そうとしたのが時雨童女だった。

 卯月を助けてくれたあの時のように、当時は開発されていなかった自然豊かな時雨原を歩き回り、タマに殺されてしまった旅人の霊魂を癒したり、騙されてしまいそうな旅人を導いて助けたりしはじめたという。

 しかし、その行為が当時のタマの恨みを買った。

「それだけじゃあない」

 タマは自ら赤裸々に述べた。

「その時のあたしにはトキサメ様が美味しそうに見えたのだ。いつも食っている旅人とは比べ物にならぬほどの甘美な果実に見えた。だから喰ってしまおうとしていたのだ」

 とはいえ、それは容易な事ではなかった。

 時雨童女は突然現れ、突然消えてしまう神である。時雨原の何処かで出会えるとはいえ、神ではなく化け物に過ぎないタマが、簡単に捕らえられるような存在ではなかった。

 だから、タマは──。

「あたしは、人を食い続けた。ただ食べるだけじゃない。わざと痛みと苦しみを伴うよう食い殺し、野山を血で染めた。トキサメ様の救えなかった旅人の霊魂は怨念となり、この地に染み込んで穢れとなる。それをトキサメ様は必死に癒そうと姿を現す。そこをあたしは狙ったのだ」

 それを阻止すべく奔走したのが、当時の八子であった。

 お使い狐の彼は面を被った旅人に扮し、時雨原の麓から台地の隅々までを渡り歩いては、野山を荒らしている犯人を突き止めようとしていた。

 だが、同じく人間に扮して暴れていたタマもその動きをいち早く察していた。八子の動きを先読みし、掻い潜っては時雨原を穢し続ける。穢れは時雨童女の神力をも濁していく。その結果、その使いである八子もまた悪影響を免れなかった。

 けれどこれも因果だろうか。

 いつまでも掻い潜る事は出来ず、とうとうタマの塒であった小屋が八子に見つかってしまったのだ。血と腐臭、そして死の臭いの満ちたその場所は、時雨童女すらすぐには癒せないほど穢れてしまっていたという。

「アタシですら入ることを躊躇うほどの場所だった。それほどまでに穢れは深刻で、それを生み出していた当時のタマちゃんも放ってはおけなかった」

 そして、八子はタマを追い詰めていった。

 戦いは三日三晩続き、呪いをためて知性と引き換えに強力な力を得ていったタマに、穢れの影響で力を弱めてしまっていた八子は苦戦したという。

 だが、最終的に天は八子に味方した。

 八子の携えた退魔の刀が呪いに満ちたタマの体を真っ二つに切り裂いたのだ。

「その時、あたしの身体は己の大罪と共に滅んでしまった。今、お前さんが見ているあたしの姿は、その時に残された霊魂の一部なのだ」

 タマは卯月にそう言った。

 心なしかお面の下に見える猫の目は穏やかなものに感じられた。

「あれ以降、タマちゃんの霊魂の大部分はこの刃に封じられているの」

 八子は言った。

「それはタマちゃんの肉体が滅ぶ時、アタシが提案した選択でもあった。これまでの罪を認め、恨みを忘れて罪滅ぼしをしたいならば、アタシと共にこの地を御守りしましょうと、そう言ったの。タマちゃんはそれを受け入れてくれた。それ以降、この刀は『猫ノ手』と呼ばれるようになったってわけ」

 それから、タマの封印された退魔の刀は八子に度々力を与えた。

 タマの霊魂の一部は今のように刀の外に出て、八子の教えを真面目に聞き、その後は改心して時雨原を穢し、時雨童女を狙う不届き者を成敗する側についた。

 そこにはもう、かつてのような恨みはなくなっていた。狂ったように人間を襲い、以下と悲しみをまき散らしながら時雨原を穢し続けた頃の感覚も、今のタマにはもうすっかりないという。

 だからだろう。「猫ノ手」に宿ったタマは、八子にとって強力な助っ人となった。

 時雨原と時雨童女の危機を何度も救い、やがて八子が自由に時雨原を動けなくなってしまった後も、協力者の相棒として活躍したのだという。

「とはいえ、誰だってタマちゃんと相性がいいわけじゃない」

 八子は言った。

「卯月ちゃん、あなたはアタシ達の姿が見える。そして、タマちゃんと相性がいい。タマちゃんがあなたの後を追って助けに行くことが出来たのはね、あなたの通った道をタマちゃんも通る事が出来たからなのよ」

「相性……?」

 卯月が問い返すと、タマは頭を掻きながら答えた。

「あたしの宿った刀をうまく扱える素質があるってことだ。別に、お前さんが若い娘っ子であるとか、剣術なんて知らないなんて関係ない。あたしが自由自在に動けるかどうかに関わる部分でもあるんだ」

 タマはそう言って、真っすぐ卯月を見つめた。

「この騒動。解決できるかどうかはあたしにかかっていると言ってもいい。化け猫には化け猫を。だから、どうしてもお前さんの協力が必要なんだ」

 化け猫には化け猫を。

 その言葉を反芻しながら卯月は引き続き八子の話に耳を傾けた。

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