2.協力者の証となるもの
呪いを断ち切る。
その言葉を心の中で反芻しながら、卯月は尚も戸惑っていた。
これがどういったものなのか。確かに自分が扱えるものなのか。あらゆる疑問が一気に噴き出し、しばし思考が停止した。
だが、戸惑う卯月の横からタマが助け舟を出すように口を開いた。
「八子様、まずはこれらの説明をしちゃいましょう」
その言葉に八子は頷き、お面と刀を抱えたまま卯月に向かって語り聞かせた。
「卯月ちゃんに決めて貰いたいのは、これらを受け取るか受け取らないか。その前に、ちゃんと説明をしちゃいましょう。まずは、このお面のことから」
そう言って、八子はお面を卯月に向けた。
八子やタマがつけているものと変わらないようでいて、少しだけ違う。八子がつけているものには赤い牡丹の模様が描かれており、タマのつけているものには同じ色の萩の模様が描かれている。それに対して八子が差し出してきたそのお面には何も描かれていないのだ。不自然なほど真っ白な獣のお面。何も描かれていないそのお面を卯月がじっと見つめていると、八子は微笑みながら口を開いた。
「真っ新でしょう? 理由はちゃんとある。これまでの協力者たちもこのお面を渡してきたのだけれど、渡した時も同じ状態だった。けれど、受け取ったら変わっちゃうの。持ち主の魂に合わせた色で模様が描かれる。模様は様々だけれど、人によって違う。何なら、造形も少し変わる不思議なお面なのよ」
「造形も……」
半信半疑で繰り返しつつ、卯月はふと我に返って八子に訊ねた。
「それで、このお面は何なんです?」
「これはね、制御のためのお面よ」
「制御?」
「力の制御だ」
割り込んできたのはタマである。
「今のお前さんは力が溢れすぎている。それが幻覚に悩む原因でもある。他人よりも感知能力は高いものの、見たくない情報を見ないということを判断する力がまだ弱い。だから、悩まされるのだ」
「それを制御できるってこと?」
卯月の問いに、八子もタマも頷いた。
「そういうことよ。このお面はあなたの力を抑えてくれる。抑えてもらえさえすれば、今は見る必要のないモノを見なくて済む。それに、このお面はね、普通の人には見えないの。ずっと付けていても誰にも分からない。昔は分かる人も多かったのだけれど、今は本当に一握りの人にしか分からないでしょうね。だから、付けたまま学校生活を送るといいわ。学校生活の間、あなたが願いさえすれば静かに過ごせることでしょう」
付けっぱなしでも問題のない制御のお面。
これがあれば、見たくないものを見ないことが出来る。
幻覚に悩まされずに済む。
それらを次々に噛み砕き、ようやく卯月は目の前が明るくなるのを感じた。
「じゃあ、このお面が今の私の悩みを解決してくれるってことですね?」
思わず声を弾ませる卯月に、八子は微笑んだ。
「ええ、その通り。ちなみに、このお面は協力者の証でもあるの。アタシのような神使と呼ばれるお使いなんたらと協力している身分証明書ってやつね。一応、今のところはその部分が役に立つってことはないと思うけれど、これを付けているだけであらゆる凶事があなたを避けるようになる」
「分かりやすく言えば、事故や事件等に遭いにくくなるということだな」
タマの言葉に卯月は納得した。霊験あらたかな御守だと思えばいいのだろうか。信じるか信じないかはともかくとして、卯月はそう理解した。
それよりも卯月の関心を惹き付けたのは、やはり、このお面自体の効果であった。
このお面さえあれば、授業に集中できる。このお面さえあれば、他人から不気味がられたりしない。このお面さえあれば、寝不足に悩むこともない。
と、そこで、卯月は我に返った。
「目に見える事だけですか?」
確認するように八子に訊ねると、八子は笑みを深めた。
「そう。視覚の問題だけじゃないのね。他に気になっていることは何? ひょっとして、お耳の問題かしら?」
「……不意に声が聞こえるんです。誰もいない場所から呼びかけられることが」
正直に告げる卯月に、八子は頷いた。
「そうでしょうね。それはあなたが見えるから、見えることに期待して呼びかけるの。話を聞いて欲しいのよ。あるいは揶揄っているのかしら。最初から見えないって分かっていれば、状況も変わるわ。言ったでしょう。そのお面は身分証明書。お使いキツネの協力者を揶揄おうっていう度胸のあるモノがどれだけいることか」
「じゃあ、これさえあれば予防できるってこと……?」
一人呟くように卯月が言うと、タマがそっと答えた。
「期待できる、というべきだろうな。神様も神様の使いも万能ではないのだ。お前さんの悩みの一つを確実に解決できるということに注目してもらいたい」
タマの言葉に頷きつつ、卯月は改めて考えた。
確かに、これだけを見れば悪い話ではない。お面をつけるだけで幻視がなくなるならば、そして、幻聴が抑えられるかもしれないのならば、もうそれだけで悩みは解決したようなものだ。ここずっと卯月を困らせ、日常生活を乱していたものが薬や治療以外のもので解決するのならばこの上ない。
だが、しかし、そのような美味しいだけの話があるものだろうか。
この際、本当に効果があるのかどうかは置いておこう。お面を貰うとして、そこに付随する“協力”というものに卯月は注目し始めていた。受け取る前にはっきりと確認すべきことは、お面と共に差し出されている物騒な刀の方である。
「その刀の事も教えてください。本物の刀なんですか?」
卯月がそう言うと、八子は頷いた。
そしてお面を賽銭箱の上に置くと、刀を鞘から抜いてその刃を晒した。光を受けてきらりと光るその刃は、どう見ても模造刀とは思えない。本物の刀で間違いないだろう。あまり目にしたことのない迫力のある武器を前に、卯月は息を飲みつつ訊ねた。
「これって、本物なんですよね?」
「本物よ」
八子はあっさりと答えた。
「本物だけれど、少し特別な刀。神刀と呼ぶ者もいれば、妖刀と呼ぶ者もいる。これはね、封印道具でもあるの。妖となり、人の世を乱した霊魂を封じた刀。その力を借りて、呪いを断ち切るための刀。トキサメ様を御守りするために、アタシがこれまでずっと管理し続けてきた貴重な武器よ」
そう説明されて、卯月は伸ばしかけた手を引っ込めてしまった。
代わりにその刀身と鞘だけを見つめる。真っ黒な鞘には萩の模様が描かれていた。よくよく見ればそれはタマの付けているお面に描かれているものと似ている。同じ花であるからだろうか。気になった卯月が見つめ続けていると、八子は、おほほほほほ、と笑いながら刀を鞘にしまった。そして、鞘がもっと良く見えるようにと言わんばかりに、卯月にぐいと差し出しながら、こう言った。
「お気づきになったかしら? この鞘に描かれた赤い萩の模様に。そうよ。タマちゃんの付けているお面の模様と一緒なの。その理由も語りましょう。ちょっと幻覚に悩まされているだけの普通の女子高生のあなたに、木刀や竹刀を使ったわけでもないあなたに、こんな物騒な武器が本当に扱えるのかどうか。そこについてもアタシの説明で事足りれば良いのだけれど」
そう言ってから八子は少しだけ首を傾げてから、刀を持ち直して賽銭箱のお面を拾い上げた。改めて卯月を振り返ると、八子はタマと目を合わせ、互いに何かを確かめ合うように頷き合ってから語り始めたのだった。
「まずはこの刀の名前をお教えしましょう。『猫ノ手』というのが、この刀のお名前よ。今より何百年前だったかしらね。協力者もいらなくて、アタシ自身がこの場所から自由に移動できた時代より、この刀はアタシが管理しているの。この妖刀に封じされているのは化け猫。今、卯月ちゃんのお隣で偉そうに腕を組んで立っているタマちゃんの事よ」
「え……?」
卯月は驚いてタマへと視線を向けた。
タマは腕を組み、堂々たる風貌で仁王立ちをしていた。だが、その表情をよく見れば何処か気恥ずかしそうにも見えた。
じろじろ見つめていた卯月に対し、八子は言った。
「さあ、見物はそのくらいにして。あなたがこれを持つかどうか決める前に、事前説明をちゃんとしておかなくちゃね。聞いてちょうだい。この時雨原で起こった昔話を。今起きている事件に近そうな、化け猫退治のお話を」
そして、八子は語り出した。
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