2.白いお使い狐

 光り輝く白狐。それだけでも十分、非現実的かつ神秘的な存在に見える。明らかにこの神社に関係する存在だろう。そうでないはずがない。そうでないと思えないほど、この狐は異様だった。何故なら、その身体が半透明だったからだ。

 賽銭箱の前に座ると、白狐はじっと卯月を見つめた。

 その横ではタマが頭を下げている。それに気づいて卯月もまた頭を下げようとしたが、その前に白狐が顔をあげた。

「いいのよ。あなたは頭を下げないで」

 疑いようのない女言葉だ。しかし、たった一言発しただけで、卯月は気づいた。

 この狐、恐らく肉体の性別は牡である。

「初めまして、卯月ちゃんだったわね。思っていたよりもだいぶ若い子で、アタシ、ビックリしちゃった。それよりも、タマちゃんの質問攻めにもめげずに答えてくれてありがとうね。お陰でここまで出てこられたわ。久々だけど、やっぱりお外は快適ね」

 そう言って、白狐は背伸びをした。

 だが、途中は目を丸くして、姿勢を正した。

「あらやだ。ごめんなさい。つい羽目を外してしまって。人間とお話するのが久しぶりだからつい嬉しくて。そろそろ本題に移りましょうね」

 おほほほほ、と笑いながら白狐は顔を上げた。そしてその身体を光らせると、ぐにゃりと輪郭を歪めて姿を変えてしまった。

 現れたのは、人間だった。タマと同じようにお面で鼻から上を隠してしまっているが、その口元や体形、そして全体的な印象は、白狐の姿の時と同じく卯月にとって美しいと思えるものだった。

 銀色の長髪を揺らし、お面越しに彼は卯月に微笑みかける。

「アタシはヤコ。八つの子と書いて八子やこというの。こう見えてもアタシ、この神社のお使い狐でもあるのよ。どうぞよろしくね」

 上品な女性らしい振る舞いで、八子は頭を下げてくる。

 卯月は彼を前に妙な緊張を覚えながら同じようにお辞儀をした。

「タマちゃんの言う通り、素直ないい子ね。ご縁が出来たのがそういう子で本当によかった。ねえ、タマちゃん。あなたもそう思うでしょう?」

「もう、八子様! そんな話はいいから、さっさと説明しちゃいましょう。もたもたしていると日が暮れちまいますよ」

 頭を下げつつ、しかし、明らかに行儀の悪い口調でタマがそう言うと、八子はお面の下で目を丸くした。

「んまあ、タマちゃん。お客様の前でそんな言葉使いは駄目って、アタシ、前にも言ったでしょう? ごめんなさいね、卯月ちゃん。タマちゃんはちょっとせっかちさんなの」

 おほほほほ、と、今度は手で口元を隠しながら八子は上品に笑ってみせる。

 そして、一頻り笑ってからコンと咳払いをした。

「では、卯月ちゃん、ここへ呼んだ理由を説明したいところだけれど……その前に、卯月ちゃんもアタシに何か言いたいそうね?」

 問いかけられて、卯月は息を飲みつつ頷いた。

「は、はい」

 そして、心を落ち着けてから八子に向かって深々と頭を下げた。

「昨晩は助けていただき、本当にありがとうございました」

 しばし頭を下げていると、八子はそっと声をかけてきた。

「顔を上げてちょうだい」

 言われるままに卯月が見上げた先で、八子は微笑みを浮かべた。

「タマちゃんの言う通り、とてもいい子なのね。けれど、少し周囲に気を配りすぎるところもあるみたい。細かいところに気が付くのはとっても良い事だけれど、たまには自分のことを労わってあげなさいね」

 そう言ってから、八子はぱちんと手を叩いた。

「んでは、感謝の言葉もいただけたところで、さっそくお招きした理由について語らせていただきましょう。卯月ちゃん、少しばかり長い話になるけれど良いかしら?」

「──はい。大丈夫です」

 おずおずと答えると、八子は口元に笑みを浮かべたまま頷いた。

「よかった。それじゃあ、遠慮なく話しましょう。結論から述べさせていただくと、アタシたち、あなたにお願いしたいことがあるの。もちろん、ただとは言わないわ。お願いごとの対価として、アタシたちの力であなたを助けてあげたいの」

「助ける……?」

「ええ、助けてあげたい。あなた、今とてもお悩みでしょう? あまりに困って、病院に通い始めたのよね」

 何故それを、と言いそうになり、卯月は口籠った。

 相手は明らかに尋常でない存在なわけだ。今更としか言えないだろう。

 恐る恐る卯月が頷くと八子もまた頷いた。

「勿論、それは間違ってはいないことよ。病院で治療してもらって助かる方も当然いるわ。でもね、あなたの場合、それは遠回りになってしまいかねない。それに、アタシたちとしては、あなたのような素質のある子には、その力を活かしてもらいたいの。根本的な解決にはならないかもしれないけれど、活かせるということは救いにはなるはずよ」

「活かす……」

 戸惑いつつ俯く卯月に、タマがそっと横から囁いた。

「つまり、お前さんのそれは幻覚なんかではないということだ。お前さん自身が信じるかどうか次第ではあるけれどね」

「すぐに理解するのは難しいでしょうね」

 八子は微笑みながら言った。

「けれど、常識ではあり得ない光景が全て幻覚とは限らないと、昨夜は思い知ったのではなくて? あれもまた幻覚ではないわ。アタシがタマちゃんにお願いして、駆けつけて貰わなかったら、きっとあなた、八人目の犠牲者になっていたでしょうね」

 ──八人目。

 卯月は寒気を覚えた。

 ではやはり、噂は本当だったのだ。これまでの七人の事故死もすべて、あの黒猫を抱いた女性のせいということか。

 ただの怪談だったなら、どんなに良かったか。

 心の中で恐怖を覚えていると、八子は腕を組みながら言った。

「あの化け猫さんがあなたを襲った理由にも、実は心当たりはあるの。ひょっとしたらだけれど、トキサメ様と手を繋いでいたものだから、気配が残っていたのでしょうね。それで引き寄せられてきたのかも」

「トキサメ様?」

 卯月が問い返すと、八子はお面の下で目を細めた。

「ここの神社のお名前覚えていらっしゃる?」

時雨ときさめ神社……。じゃあ、トキサメ様っていうのは、ここの神様?」

「そう言う事。古来よりこの場所は時雨童女ときさめどうじょと呼ばれるお方が住まわれる土地。トキサメ様と呼ばれたり、童女様と呼ばれたりしてきたの」

 にこりと返事をする八子を前に、卯月は自分の手をそっと見つめた。

 ──時雨童女。

 トキサメ様と手を繋いだ。思い当たることは一つしかない。

「その、トキサメ様ってどんな姿をしているのですか?」

「あらまあ、卯月ちゃん。直接、お会いしたのでしょう? 何なら、トキサメ様があなたを見つけて連れてきてくださったのだもの」

「じゃあ、やっぱりあの子が……」

 気の迷いで飛び降りそうになった時に助けてくれたあの小さな女の子。命の恩人でもあるあの子は確かに不思議な幼児だった。幻などではなく、近所の子というわけでもなかったのだ。でも、神様だったなんて。

 茫然と手を見つめていた卯月は、ハッと我に返って八子に訊ねた。

「その……どうしてトキサメ様の気配があれを引き寄せたんですか?」

 すると八子は笑みをすっと引っ込めてしまった。

「それが……それこそがね、アタシ達があなたにお願いしたい事にも繋がるのよ」

 切実な声で八子は言う。

 隣にいるタマもまた、どこか苦しげな表情を浮かべていた。

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