【短編】ドラム缶の旅立ち

キハンバシミナミ

ドラム缶の旅立ち

「はい、では納期は来月と言うことで、よろしくお願いします。では失礼します」


 僕はその事務所を出るところまでずっとペコペコし、笑みを浮かべていた、いわゆる営業スマイルというやつだ。


 相手はお得意様のドラム缶課長、樽のような丸い体に油が付いたようなテカテカした肌で、手持ちの石けんでゴシゴシ擦りたくなるような塗装だった。もしかしたら塗装が焼けないように日焼け止めでも塗っているのか。


 分かっているのは「ぜったい僕が試供した石けん使ってないな」と言うことだ。


 独り言が出るほどに僕は疲れ切っていた。中堅の石けん製造会社に勤めて十年になる。最初は若手のホープだともてはやされていたけれど、そもそもがドラム缶相手に石けんがどれ程売れるというのだ。


 先史時代のように生身の身体があった時代ならばともかく、今や筋肉はモーターとなり、やれマッハ筋肉だ、ハイパーダッシュ筋肉だと取り替えが利く時代である。身体だってドラム缶が当たり前だ。というかそれしかない。時代が違うのだ。


「会社……辞めようかな」


 アパートの畳に横になり、漏斗を口にしながら呟いた。呟きはサブスピーカーから出たから音声は濁らなかった。


 僕は漏斗にお気に入りのオイル『八缶山』を流し込み、意を決して起き上がった。


「まずは長期休暇を取ろう。そして誰もいない所に行って人生を見つめ直そう」


——


 次の日に僕は町を出た。荷物は多く入らない。そもそもがドラム缶なのだ、エネルギーは多少の食物と水があれば要らないし、汚れるのを気にしなければ石けんも要らない。そう、石けんなど要らないのだ。就職してこのかた石けんに囲まれて過ごしてきた僕にはこれは大きな出来事だった。思わず鼻歌が出てしまうほどだ。


「ふんふんふーん」なんの歌なのかなんてこの際どうてもいい。とにかくハッピーなのだ。それでいい。


 僕はローンで買った電気スクーターに跨った。相棒だ。


 そして意気揚々と町と荒野の境にあるエアカーテンをくぐり抜け外壁をつなぐトンネルを通り抜けた。そこは一面の荒野だった。


「外ってこんなんなの?」僕はこの時知らなかったが、町を維持するエネルギーを吸い上げていたため町の周辺は荒れ果てていたのだ。どこで聞いたかというと、荒野の道をしばらく行ったところで農地が広がり、ドラム缶が麦わら帽子をかぶってトラクターに乗っていた。そのドラム缶からだ。


「まぁ、搾りたての植物オイルでも飲んでけ」そのドラム缶はいい人だった。


「若者がこんなところで何してるだ」僕は説明した。


「そうか、そういう時間も必要だな。わしも昔はそうだった」


 そのドラム缶は一人暮らしだった。この僅かな緑地でオイルが採れる植物を育て、出荷する。またオイルを育てる。そんな暮らしを続けているそうだ。


「百年前に夫婦と子供二人、この土地を買って農業を始めただよ」ドラム缶は笑った。表情はない、ドラム缶だから。笑い声がするだけだ。


 子供ははるか前に独立し、奥さんはもういないそうだ。一人で寂しくないですかと聞くと、またドラム缶は笑った。ちなみに僕は子供の作り方を知らない。


「寂しくたって仕方ないよ。それにもう慣れた」そのドラム缶からは哀愁が漂っていた。


 その日はドラム缶の家に泊めてもらい、出発した。ドラム缶はいつでも来るといいと言ってくれた。


 そのドラム缶も寂しいのだろう。僕も寂しい。でも行かなくちゃ。


 電気スクーターに跨り走り出すと農地が途切れたところで道が終わっていた。電気スクーターは浮揚式だから道がなくても崖があっても関係はない。僕は道なき道を真っ直ぐに走った。とにかく真っ直ぐに。


 空には青空に雲が浮かんでいた。右を見ると遠くに森のようなものが見える。左には草原だ。いつの間にか荒野は無くなっていた。


 電気スクーターのパネルが赤くなっていた。なんだろう。よく見ると空気に異常があると出ていた。でも僕はドラム缶だから関係ない。空気はいらないのだ。むしろドラム缶しか乗らないスクーターになんでこんな機能を付けたのだろう。僕は疑問に思ったが、作っていない僕にわかるわけがなかった。


 道はどこまでも続いていく。


 どうやら真っ直ぐ進むのもここまでのようだ。目の前には水が遮っていた。確か海というものだ。授業で習った覚えがある。ドラム缶が通うドラム缶によるドラム缶のための学校でだ。


 電気スクーターは浮揚式だから進める。でも陸地がないと僕は降りられない。休憩もオイル補給もできない。それは困る。進むのは終わりだ。


「さてどうしようかな。とりあえず歩いてこの辺りを探索してみようかな」


 僕は近くにあった棒を立てて倒れた方に進むことにした。棒は右に倒れた。僕はそっちに歩いて行った。何かあるだろうか。


——


 そこには洞窟があった。


 棒を倒しただけどこんな凄い所に辿り着けるなんて僕は天才だろうか。それは自惚れが過ぎるだろうか。


 でも洞窟を見つけたのに入らないなんて選択は僕になかった。中に入ってすぐに日の光が届かなくなった。ドラム缶だから暗闇でも見える。問題ない。でも暗いのは怖い。僕は奥まで行く勇気がなくて引き返した。でもいいことを思いついた。


「ここを秘密基地にしよう」誰にも見つからない、僕だけの秘密だ。


 そうと決まったら秘密基地っぽくしなければ。近くで大きな葉っぱをちぎってきて入り口に飾った。綺麗な石を拾ってきて飾った。そうして中で僕は眠った。ドラム缶も眠るのだ。


「あう、よく寝た」僕は目覚めた。外に出ると葉っぱは無くなっていた。綺麗な石も無かった。誰か僕の秘密基地を荒らしたのだろうか。


 他にドラム缶がいるなら声をかけてくれれば良いのに。僕はそう思ったが見渡す範囲には誰もいない。


「そうだ、スクーターを置きっぱなしだった」僕はスクーターを置いたところに戻った。


 スクーターは埋もれていた。砂の中からハンドルだけが出ていた。しかもかなり傷んでいる。


「誰だこんなイタズラをしたのは」すぐに帰るつもりはなかったがいずれ帰るつもりだった。


 僕は怒りながらスクーターを掘り起こそうとしたがすぐに諦めた。ハンドルを引っ張ったら抜けてしまったのだ。


「壊してしまった」僕は困ったが、仕方ない。家に帰るのが遅くなるだけだ。時間がかかるが歩いて帰ろう。僕はドラム缶だ、飲まず食わずでも歩き続けることができる。


「すぐに帰らなくてもいいか。もう少し遊んでから帰ろう」洞窟に戻って秘密基地を作り直すことにした。他のドラム缶に盗られる前に僕のものだと印を付けておこう。


「なんだ、あれは」


 洞窟の前には段ボール箱がいくつも歩いていた。段ボール箱には何か書いてある。石けんを大量に納品するときのような大きな段ボール箱だ。しかも何か声が聞こえる。


 段ボール箱が歩くなんて、僕には信じられなかった。歩くのはドラム缶だけだ。喋るのもドラム缶だけだ。それが世間の常識だ。


 もしかしたら大発見かもしれない。ノーベル賞がもらえるかもしれない。僕は興奮した。話ができるだろうか、どこから来たのだろうか。もしかしたら攻撃的かもしれない。よく見ると手に段ボールでできたの剣のようなものを持っている段ボールがいる。長い棒のような段ボールを持っている段ボールがいる。


 危ない奴らだろうか。でも僕はドラム缶だしな。この体は……あれ。こんなに僕は剥げていただろうか。僕は自分を見て悲しくなった。僕はこう見えても綺麗好きだ。月に一度は再塗装をしている。いや今はそんなことはいい。大発見なのだ。この機会を逃してなるものか。


「やぁこんにちは。友達にならないか」僕は段ボールに話しかけた。それにしても段ボールに話しかけるなんて、僕はどうしてしまったのだろう。


「だっ」段ボールは一斉に襲いかかってきた。どういうことだろう。僕はどこにでもいるドラム缶だ。怪しい者じゃない。


 段ボール達は手に持った武器のようなものでポカポカ叩いてくるが、段ボールだ。ドラム缶の僕には痛くも痒くもない。ただ分かるのは僕のことを攻撃してるということだ。


 僕は段ボールに反撃した。段ボールはドラム缶の僕がぶつかるとすぐに諦めたようだ。何せ段ボールだ、僕には勝てないだろう。


 段ボール達は平伏した。


「だっだっだーっ」何を言っているのか分からない。分からないが敬っているのは分かる。僕は機嫌がよくなった。今まで部下なんて持ったことがなかった。


 僕が歩けば段ボールがついて来る。僕はドラム缶なのだ。何だか偉い気がしてくる。


 数日後に別の段ボール達が現れた。今度の段ボールはピストルのようなものを持っていた。もちろん段ボール製だ。ちょっとかっこよかった。


「だだだだだっ」段ボール達が何を言っているか分からないがピストルの音だろうか。もちろん僕は痛くもかゆくもない。しばらくすると。


 段ボール達は平伏した。


「だっだっだーっ」何を言っているのか分からない。分からないが敬っているのは分かる。僕はもっと機嫌がよくなった。


 一つ気になることができた。段ボール達の一人、もしかしたら一つと数えるのかもしれないが、ともかく段ボールに印刷された文字とイラストに見覚えがあった。あれは僕が働いている会社のマークと商品名だ。


 どういう事だろうか、考えてみた。分からなかった。


 日に日に段ボール達は増えていった。取引先の会社のマークが付いている段ボールもいた、有名ブランドのマークが付いている段ボールもいた。僕は考えるのを止めた。


 僕は段ボールの王国の真ん中に座っていた。どうやら僕が一番偉くてすごいということらしい。


 ある日、雨が降り出した。段ボール達は驚き、慌て、僕に助けを求めてきた。でも僕には助けることができなかった。


 僕はすっかりへにゃへにゃになった段ボール達に囲まれていた。段ボールは動かなくなった。


 そして月日が経ち僕はすっかり錆びてしまった。塗装がはげたままだったのだ。でも僕は待っている。またいつか段ボール達が現れないかと待っている。

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