幻視②~追憶荒野、起こり得た未来~
■
む、とヨハンは顔を顰めた。ケロッパもだ。
二人の練達の魔術師はじとりとした目線を一人の青年、つまり勇者クロウへと向けた。
「これは、これはねえ。これは酷いよ。ずずんと心が沈んでくる。生きる気力、活力が萎えてくる。魔力には個性が出るけれどね、クロウ君の魔力は、こう、なんというか…もうちょっとあるだろう、希望ってものがさァ!」
ケロッパはゴッラに肩車をしてもらいながらキェーッと叫ぶ。
といってもクロウはずんずんと一行の先頭を進んでいる為、ケロッパの奇声は聞こえてはいないだろうが。
辺り一帯にはクロウの魔力が拡散している。
その総量も驚嘆すべきものなのだが、それはそれとして問題は別にあった。酷いのだ。
まるで毒か呪いのように、心が沈みこんでしまうような魔力に皆は辟易していた。勿論この場の者達を害するほど強力な "匂い" というわけではないが、一般人ならどうなってしまうか分からない。
「ま、希望なんてものは人それぞれ違うのでしょうが…。それにこれくらいアクが強い方が…ぬっ」
ヨハンが珍しく微妙な様子でケロッパに応じると、急に眼球が抉られたかのような激痛に襲われる。
ただの痛みではない。
精神強者である所のヨハンをして蹲らせる激痛である。
ヨハンという男は旧法神教の異端審問にかけられ、あまつさえ拷問まで受けた身だが弱音一つ吐かなかった。十爪の全てに針を通され、爪に朱を塗ったような有様にされた時も…
『 昨今、レグナム西域帝国の首都ベルンでは男も爪に朱を塗る事があるという。男はどうだとか女はどうだとか、そういった意識が変革されつつあるらしい。俺は爪に朱を塗る趣味はないが…なるほど、一つ知見を得た気がするな。ところで俺の拘束を解くなよ。僅かにでも緩めば、俺はすぐにお前らを皆殺しにしてしまうからな。俺もそれなりの代償を払う事になるが知ったことか 』
などと言う冷静沈着な事を言っていたものだった。
冷静、そして沈着とはヨハンの代名詞である。
舐められた真似をしても軽々に激発しない。
まずは脅迫をするのだ。冷静でなければ出来ない事だった。
そんなヨハンが蹲るというのは、これはよくよくの事だ。
「ヨハン!?」
ヨルシカがヨハンの肩に手をかけ、心配そうに顔をのぞき込む。
「なッ…」
ヨハンの左目がまるで爬虫類の様に縦に割れていた。
§
ここは、とケロッパが周囲を見渡した。
仲間達は誰もいない。
よくよく観察してみれば、自身がいるのは山だった。
それも故郷の近くにある山だ。
『ケム・ラ』という名で、人間にとってはそこまでの高さでもないだろうが、小人族にとってはまるで天を衝くような高さに感じられる。
若かりし頃のケロッパはよくこの山に昇っていた。
フィールドワークの一環である。
それに、山頂から見る星空が余りにも美しかったからだ。
ケロッパが満天の星空を見上げた。
そして過日を思い出す。
あの星々の一つ一つが異なる世界であると聞いたときの、胸を打つような感動が蘇ってきていた。
星々の果てにはまた別の世界があるのだ、と。
そんな事を物の本で読んだ彼は、自身の術を使えば或いはその世界へ行けるかもしれないと常々考えていた。
未熟であった若かりし頃ならばともかく、現在はどうだろうか?
術理に精通した今であるならば、星天の果ての果てへ行く事はできないだろうか?
今の自分ならいける、やれるとケロッパは思った。
囁く様に術を行使する。
「Hulva zintari, morglus vornath, prithal shorun」
(ハルヴァの理よ、モルグルスの呪縛よ、プリサルの解放よ)
ふわり、とケロッパの身体が浮いていく。
そして昇っていく。
どこまでも、どこまでも。
§
「う…も、もう大丈夫だ」
ヨハンは首を振って立ち上がった。
ヨルシカが心配そうにヨハンを見ている。
この時はすでにヨハンの目の異常はおさまっていた。
ヨハンは不安そうにしているヨルシカに、キスの一つでもと思うが…
──アレと一緒はごめんだな
ロイとマイアの事を思い出して取りやめる。
「平気かい?術師ヨハン。所で何か質問がある顔をしているけれど」
ケロッパの言にヨハンは頷く。
「術師ケロッパ、つかぬ事をお聞きしますが、先刻の霧の荒野。あそこで貴方は何を視ましたか?」
ヨハンが尋ねると、ケロッパはフンと鼻息を一つ。
そしてゆっくりと口を開く。
「故郷…の、まあ僕はね、天体観測が趣味なんだけれど。若い頃によく山を登って、山頂から星を見たりしていたんだ。その時の、なんだろうね、夢…なのかな。そんなものを視た」
「それで、どうしたのです?」
ヨハンが尋ねるとケロッパは目をキッとつりあげ、"どうしたもこうしたもないよ!" と憤慨した。
「いきなりブワワワ!って悍ましい魔力を感じてね、もう気分が悪くなっちゃって気付いたら元の場所へもどってて、みんなひっくり返ってたよ。なあ、術師ヨハン、クロウ君に恋人かなにか紹介できないのかい?彼女でもできれば少しは前向きになるんじゃないのかい?」
ケロッパにしては俗な事をいい、ヨハンは苦笑を返した。
「ま、本妻がいるみたいなのでね…」
ヨハンは目を細めて、前を歩くクロウの背を視る。
簡素な黒いドレスを着た女がクロウの隣を歩いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます