仰ぎ見るは魔幻の灯

 ■


 追憶の荒野に広がっていた妖霧はいつのまにか晴れていた。

 一同の顔色は余り良くはない。

 各々が各々の中の何かと向き合った結果だろう。

 出来れば蓋をしておきたいものに向き合った時、人はこのような顔色となる。


 ヨハンは果ての大陸をやや舐めていた事を自覚していた。

 一つボタンを掛け違えば、東西両域の勇士達があっさりと全滅してしまうような魔境であることを改めて自覚した。


 そして、自身の胸を締め付ける様なある種の想い。

 それは死にたくない、という生物としての本能的な願いであった。


 ──恐れているのか?


 ヨハンは自問するが、すぐに解を得る。


「へ、へんだな。おで、は怖い。こわいが、こわくない。おでのなかのおれは、こわいけどっ…!おれはこわくないんだ」


 たどたどしくゴッラが言った。

 その言葉にラグランジュが頷く。


「私もそうだ。死にたくない、恐ろしいと思っているが、どうにもそうじゃないような気がする。…おい!カッスル!貴様!キチガイを見るような目で私を見るんじゃない!」


 精神と肉体の乖離かな、とヨハンは思った。

 自身を含む、この場の多くの肉体が本能的に死を恐れているのだろう。だが精神がそれに抗っている。


 ──と、いうのも少し違う気がするが…


 ヨハンは歩きながら自分達がどういう状態にあるのかを探った。ビビっているのか?ビビっているとしたら何にビビっているのか。命の危機はいくつも経験してきた自分がビビり散らすとは、一体この先に何がいるのか。ビビり散らしている筈なのに、どうも違和感を覚えるのは何故なのか…


「なるほど、俺たちはビビっている。それは肉体の自然な反応だ。しかし精神が恐怖を超克している。それは俺たちの精神が強靭だからというよりは、無理やりにでもそういう状態を維持しなければならないからか。肉体は危地にあって、平時より遥かに強い力を引き出す事ができるという。精神もつまり、そういう事なのだろう」


 ヨハンはもやもやがスッキリしたようで、朗らかに一行に説明をした。


「えっと…なんで笑ってるの?ヨハン」


 ヨルシカがやや引いたような表情で尋ねると、ヨハンは言った。


「なぜって相手が油断してくれてるからだよ。俺が魔王ならビビらせるまでもなく、静かに、速やかに俺たち…つまり勇者一行をぶち殺してしまうだろう。その方がずっと楽だ。恐怖を与えるなんていうのは握手だよ。相手がそれを乗り越えてしまったらどうする?精神のトラウマを克服した者はとにかくしぶといぞ。わざわざこんなドロドロとした…得体の知れないというか、気味が悪い気配を飛ばして恐れさせる意味は全くない。魔王とやらはちゃんとした殺し合いをしたことがないのかな?まあ、良くないパターンもあるにはあるがそれは置いておくとしよう」


「いや、おいておかないでよ。よくないパターンって?」


 ヨルシカがヨハンの肩をたたいて言う。

 一行は二人の会話に聞き耳を立てていた。


「そりゃあ勿論、魔王以上にまずいモノが居るというようなパターンだ。そのまずいモノはただ存在するだけで邪悪な気配が湧出するような厄物だ。油断だとかそういう意図はなく、この世界に居てはいけない、存在してはならない禁忌。だから俺たちの肉体はその悍ましさを察知し、震えあがる。それは致命の恐怖だ。体を縮こまらせ、動きを鈍くする。そのままだと死ぬ。だから俺たちの精神はそれに抗おうとしている…。そんな感じじゃあないか?よくよく考えてみると、わざわざ転移の大魔法なんかで俺たちが住む大陸へ攻勢を仕掛ける理由がよくわからん。この果ての大陸に引きこもっていればいいではないか。まるで何かから逃げ出そうとでもしているようだ」


「何かっていうのは…」


 ヨルシカの顔色は良くない。

 他の者達もだ。

 平気の平左なのは勇者クロウと、彼につきまとっているファビオラのみである。


 そのクロウは左にファビオラを侍らせて、誰もいない筈の右側の誰かと会話をしていた。


「魔王よりやばいんだったら邪神かなにかじゃないのか。だがまぁ、何が待ってるにせよ…」


 ヨハンの視線が前方に注がれる。


 荒野の遥か彼方に見える巨大な何かの影。

 それは建築物の影だ。


 赤黒い瘴気に包まれ、まるで地の底から巨人が手を突き出し、助けを懇願しているようにみえる。


 掌上の左端で輝く赤黒い光は、断じて太陽などではないだろう。ヨハンの霊感は赤い光に根源的な忌まわしさを感得する。


 ──命を冒涜する光だ。あれが、魔王城か

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