閑話:人業と人形㊤

 ■


 イスカから北に暫く行くと、アズラという小さな村がある。

 その村を魔族の尖兵たちが取り囲んでいた。


 全身に不気味な眼を宿す気色の悪い犬。


 深緑色の肌、勇壮な体躯、殺意に濁らせた真っ赤な眼を光らせた大鬼の戦士。


 陰惨な気配を総身から放射する細身の美男、美女。

 ただしその肌は浅黒く、耳は尖っている。


 小鬼族と思しき者達も多く見られた。

 彼等は野蛮で凶暴な魔物とされているがしかし、この場に集う小鬼たちは不気味な程に静まり返っている。


 空には真っ黒い翼の鳥が多数飛び交っていた。

 しかし、ただの鳥ではない事は頭部をみれば明らかだった。血の色の様な眼が四つある鳥などはイム大陸ではこれまで確認されていない。


 この魔の軍勢を率いるのは魔族の将だろうか?

 いや、違う。

 率いるのは"人間"だ。


 年の頃は50に差し掛かった頃だろうか。

 長く伸ばした灰色の髪を肩に流している。

 薄汚れたローブもまた灰色だが、元は白い色だったのだろう。

 ローブの各所に散っている赤黒い染みは血液だろうか。

 ぎょろりとした眼から発される視線は、まるで皮膚を貫通して肉を、骨を見透かすようでもあった。


 元魔導協会2級術師、"艶め肌"(なまめはだ) のギシャール。


 元がつく事から分かるように、彼はかつて魔導協会に所属していたが、今はしていない。追放されたからだ。

 魔導協会から追放され、レグナム西域帝国からは追われている。


 この男には、少なくともこの西域ではどこにも居場所がない。


 そんな男の目の前に立つのは一人の老人と…少女の様なナニカであった。村人たちは老人の後方にかたまるように集まっており、皆が一様に怯えている。

 ただ老人だけが平然としていた。


「見逃してもらう訳にはいかんのか?儂はただ孫娘と旅をしているだけじゃ。のう、イリス?」


 イリスと呼ばれた少女の様なナニカは、鈴を転がす様な美しい声で答えた。


「うん、ジャハムお爺ちゃん!私たちは悪い事なんて何もしてないよ!なのに何で怖い人達が睨んでくるの?」


 さてのう、とジャハムはぐるりと周囲を見渡す。

 周囲を取り囲む魔軍は凍り付く様な殺気を放っている。

 しかし殺気のヴェールの裏に、拭い難い怯えの様なものが混じっていた。


 それは老人と、彼の横に立つイリスという少女に向けられている。

 殺意と敵意、そして害意の権化の様な魔軍が老人と少女を警戒しているのだ。


 イリスと呼ばれた少女はジャハムの正面に立ち、そのまま彼の腰に抱き着いて腹に顔を埋めた。


「ああ、イリスや、怖いのか?大丈夫じゃ、大丈夫、大丈夫…爺ちゃんが守ってやるからな…」


 ジャハムはイリスの金色の髪を優しく撫でる。


 その時、一人の大鬼の戦士が前へ進み出た。

 ジャハム達の様子を見て、自身が抱いた畏怖の様な感情は錯覚だと断じたらしい。


 ごりり、と硬い物同士が擦れる音がした。

 イリスの首が横に180°回転し、大鬼の方へと向けられる。


 そして目。

 イリスの目もまた異常な挙動であった。

 ぐりぐりとそれぞれが野放図に動き回っている。



 ■


 時は先代皇帝、ソウイチロウの時代まで遡る。


 追放される以前、彼…ギシャールには一つの趣味があった。

 それは剥製作りである。

 彼の剥製作りは達人といっても良い出来で、帝都には一時期、彼の作品を飾る貴族が多くいた程だ。


 とはいえ、彼は元から剥製作りを趣味としていた訳ではない。

 彼の父は腕の良い猟師で、母は父が獲った獲物を極稀に剥製として売りに出し金を稼いでいたのだが、剥製作りはその母が彼に仕込んだ余技であった。


 しかし彼はいつしか生と死の間を行き来するその芸術に病的な興奮を覚える様になる。命を奪い、そして自分の手で新たな生を吹き込む…それが齎す支配感の快感たるや、性的快楽などは及ぶべくもない程だった。


 しかしこの時点では、彼が道を踏み外す事はなかった。

 彼の様子に危機感を覚えた母親が、まだ後戻りが出来る段階で彼を引き戻したからである。

 そして長じていくに従って、彼の歪な情動は鳴りを潜める様になり、やがて極々普通の手先が器用な青年として育つ。


 契機が訪れたのは、とある年の夏の事だった。

 帝国の首都ベルンに本拠を置く魔導協会の職員が村を訪れたのだ。


 もっともこれは珍しい事ではない。

 魔導協会はイム大陸最大規模の魔術結社であり、その気風は非常にオープンなものだ。故に市井からも魔術の才を持つ者を定期的に拾い上げている。アズラの様な小さな村に魔導協会の職員が訪れるというのも、これが初めての事ではなかった。とはいえ、せいぜいが10年に1度といった頻度ではあったが。


 この時、才を見出された者こそがギシャールであった。

 魔術の才にもっとも必要なものは知識や小器用さではなく、精神の在り様である。職員は練達の魔術師で、特に"視る"事に長けた者が選ばれるのだが、その彼がギシャールを視た時、背筋を氷の舌が舐めたような感覚を覚えた。


 背中が泡立ち、悪寒が脇腹辺りを震源地として全身に伝播していく。肉体は精神より正直だとは誰が言った事だろうか?

 職員はそんな事を思いながら、ギシャールの両親を説得し、そしてこの才ある若者を魔導協会に勧誘した。


 職員の私見としては、ギシャールが抱えるモノは決して良いものではない。だが、歪で邪悪なモノを抱える魔術師などは協会にだっていくらでもいるのだ。大切なのはそれらを御す精神力である。


 しかし、この職員はこの時の判断を後悔する事となる。


 ■


 ギシャールは職員と共に村を離れ、帝都で新たな生活を始めた。しかし、魔術の基礎すら理解することができない彼の日々は困難に満ちていた。魔導協会からの援助を受け、日夜勉強に励んでいたが、想像以上に難解な魔術の世界に彼は挫折を感じ始めていた。


 数年が過ぎても状況は変わらなかった。

 火種さえ生み出せないギシャールに、魔導協会は援助の打ち切りを決定する。


 生活が窮しいギシャールは故郷への帰郷を考えるものの、彼が母郷に送った手紙の内容は現状とは真逆のものだった。村へ戻れば、彼の両親はきっと彼を受け入れてくれるだろう。しかし、若きギシャールは自分のプライドを捨ててその一歩を踏み出すことができなかったのだ。


 人生には自身の愚かなプライドの為に、重大な選択を誤るという事が往々にしてある。


 やがて金が尽き、窮地に立たされたある日。

 ギシャールは剥製作りで生計を立てることができないかと思い至った。幸いにも帝都の近くには森が広がっており、また彼の手は昔の狩猟の腕前を忘れてはいなかった。そして、その日からギシャールの運命は再び大きく動き出すのだった。


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 ・

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 久しぶりに触れる剥製作りは、ギシャールにかつての病的な興奮を思い起こさせた。彼は以後、剥製を作ることで得られる快感のためにその作業に没頭し、剥製を売ることで生活のための資金を手に入れるようになった。


 そして、それからギシャールの魔術の技術は急速に伸び始める。

 それはまるで、砂漠に倒れ伏す旅人に水を与えたかの如き様子であった。ここに来て彼の才が花開いたのだ。


 剥製を作るごとに彼の能力は飛躍的に向上していった。協会からの援助も再開される。しかし、それでもギシャールが剥製作りを止めることはなかった。


 これで終わるならばどれ程良いか。

 ギシャールの欲求はどんどん深まっていった。


 つまり、作りたくなったのだ、剥製を。

 動物の剥製は作りつくした。では、次は?


 夜半、明かりを落とした私室で、ギシャールは俯いて何事かを呟いている。それはまるで自身の内に潜む闇と会話しているかの様だった。


 その夜、帝都からギシャールの姿が消えた。


 ■


 翌朝、当時帝都ベルンの治安維持を管轄する帝都鑑護局の局長、ドムドドン・アッパーヘイルは膨れ上がった胴体の上にちょこんと乗っかったまん丸い頭部を真っ赤に染めた。

 腰に挿している2本の鉄鞭を引き抜きそうな勢いだ。


「さ、さ、殺人事件だとォッ!?」


 帝国騎士ドムドドンは皇帝ソウイチロウに対しての忠誠心は薄かったが、レグナム西域帝国という母国への忠誠心には厚かった。特に深い理由があったわけではないが、自分が生まれ、育った国が好きだったのだ。その首都である帝都ベルンの治安を担う役目を任じられた時、彼は喜びの余りに飛び上がって床板を破壊してしまった程だった。


 そんな彼は肉体の管理には失敗していたが、帝都の治安の管理には成功していた。少なくともこれまでは。


 しかし、今朝方持ち込まれた報告は彼のこれまで築き上げてきた実績と信頼に泥を塗りたくるようなものであった。


 夜半聞こえた悲鳴。

 近くにいた衛兵達が向かうと、そこには心臓を一突きにされた若い女性の遺体が残されていた。

 遺留品は無し、ただし死体がまだ温かかったとの事。

 衛兵達は周辺を捜索するが既に犯人は逃げ延びた後の様で、行方は杳として知れない。


 ドムドドンはすぐさま捜査チームを組織し、事件の解決に取り組むことを決定する。だが犯人も馬鹿ではないようで、警備が厳重とみるや更なる犯行を重ねる事は無かった。


 これで話が終わるなら良いが、勿論そうは行かない。


 警備を厚くすればするほど経費というものがかかってくる。

 だが問題はそこではない、あまりに厳重な警備体制は帝国臣民を怯えさせてしまう恐れがあり、帝都の混乱に繋がる。

 そうなれば皇帝ソウイチロウの鉈が振り下ろされるだろう。

 恐らくはドムドドンに対して。


 いや、自分だけならばまだいいと彼は思う。

 問題は部下たちであった。

 自身の道連れにするわけには行かない、とドムドドンは思う。

 二件目の殺人事件を起こさせるわけにはいかない。


 しかし意外な事に、それ以降殺人事件が続く事はなかった。

 ただ…


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「なに?行方不明者?」


 ドムドドンはぴくりぴくりと眼輪筋を痙攣させながら尋ねた。

 激昂大爆発をかろうじて踏みとどまっている。


 はい、と調査員の女性が頷く。

 感情的なドムドドンに対して真逆のイメージを受けるその女性は、帝都鑑護局きっての才女であり、ドムドドンに対して物怖じせずに報告が出来る数少ない貴重な人材である。


「ここ最近、急に姿を消す帝国臣民が増えております。勿論増えているといっても帝都が混乱に陥る程あからさまな数ではありませんが。帝都は人の出入りも多い為、目立たないのですが、少なくとも今月に入ってから8名の帝国臣民が姿を消しています。その中には帝国騎士も2名含まれております。帝国騎士ゲンツ、同じく帝国騎士オーシア。彼等は騎士としての心構えのみならず、その業も優れている者達です」


 ふうん、とドムドドンは思案に耽る。


「そして、一つ有力とみられる情報があるのです。局長は魔導協会所属、2等術師ギシャールをご存じですか?」


 ああ、とドムドドンは頷いた。


「あの変人だろう?剥製作りが趣味だったか。地方出身で、ベルンへ来たのは協会に勧誘されたからだ。人付き合いは余り得意じゃないんだろうな、少なくとも親しく交流をしている相手はいない」


 調査員の女性…メッシィ・シュミットは頷く。


「なんだ?彼が怪しいとでも?しかし、根拠はあるのかね」


 ドムドドンの質問に、メッシィは首を横に振った。


「ありません。むしろ、彼が犯人である可能性は低いと言えるでしょう。殺害された被害者、そして姿を消した人々。そのいずれとも彼は関わりはありません。交流一つ存在しません。彼は素行が不良という事もなく、酒は呑まずに、女も買いません。博打をすることもない。友人は居ませんし、知人はと言えば魔導協会本部の職員達と僅かに交流を持っているだけです。帝都広しといえども、彼ほど犯人ではない可能性が高い者は中々いないでしょう」


 メッシィの発言の内容とは裏腹に、その声には多分に疑念が含まれている。メッシィはこう言っている。


 ギシャールが怪しい、と。


 ムウ~、とドムドドンは唸った。

 怪しくなさすぎるというのは、怪しいのだ。


 高位貴族にして帝国大学の心理学者でもあるオスカー・キュンメル伯爵は、完全に怪しい点がないことがかえってその人物が何かを隠している可能性を指し示す場合があると説明している。

 このような現象は「過剰反応」や「過剰適応」などと呼ばれ、メッシィがギシャールを怪しんだことも全く根拠がない事というわけではなかった。


 結局ドムドドンはギシャールに対して、張り込みと尾行をつける事にした。メッシィの勘を信じた形だ。

 ドムドドンは合理を是とするが、メッシィは直観を是とする。そして、メッシィの直観に助けられた事は1度や2度ではない。そのメッシィが怪しいというのならば、ドムドドンとしてはそれを信じる他はなかった。


 ──どうせ、他に手がかりもないしな


 ドムドドンはぶちぶちと鼻毛を抜き、床にぱらぱらとふりまく。

 これは彼なりに気合をいれているという事だ。

 そんな彼をメッシィは凄く嫌そうな目で睨んでいた。


 ■


「何も局長までついてくる必要は無いと思うのですが」


 メッシィが言う。


 結局、ギシャール宅の張り込み、そして尾行についてはドムドドンもついていく事になった。


 というのも、仮にギシャールが犯人であった場合、当然取り押さえる事になるわけだが、そこで問題になるのは彼我の実力差である。魔導協会は俗な組織ではあるが、高位の術師は張りぼてではない。少なくとも三等以上の術者は相応の実力を持っている。

 だが、それは必ずしも荒事が得意という事を意味しない。

 難度が高い魔術を扱えたとしても、それを戦闘に有効活用できるかどうかはまた別の話だ。


 帝国騎士メッシィは現場からの叩きあげで、男顔負けの剣を振るう。同僚の中で "斬鉄" が出来るのは彼女だけだ。仮にギシャールが凶悪犯だとして、更に多少動けるとしても、何もさせずに頭をカチ割るのは容易な事だと彼女は考えている。


「なァに、儂もいたほうが万全だろう?お前たちだけでは不安というわけではないが、ふん、術師という連中は侮れない者もいる」


 ふん、と鼻から息を吹き出し、鼻の横をぴくぴくと膨らませるドムドドンは控えめに言っても鬱陶しい。

 メッシィはハァとため息をつくが、ドムドドンがいたほうが心強い事は事実であった。


 余り大勢で行くわけにも行かないため、張り込みの人員はドムドドン、メッシィ、局員騎士ジャグ、局員騎士カザリンの四名だ。


 ジャグは成人男子の平均身長を一回りほど下回り、更に細身という身体的ハンデを背負っている赤毛の青年だが、24才という若年でありながらもその業は磨き上げられている。特に隠密からの奇襲暗殺という治安維持に欠かせない技術を持つ彼は、鑑護局の若きエースといっても過言ではない。


 もう一名、カザリンは名家のお嬢様だ。

 代々騎士を輩出している家系で生まれ育った彼女も当然の様に騎士となった。豊かで艶のある金髪を後ろで纏め、薄い桃色の唇は常に笑みを形づくっている。だが見た目に騙されてはいけない。彼女は恐るべき飛び道具の使い手であり、無音からの奇襲暗殺という治安維持に欠かせない技術を持つ彼女は、鑑護局の若きエースといっても過言ではない。


 そして帝国騎士、帝都鑑護局局長ドムドドン・アッパーヘイルはただの偉そうなデブではない。治安維持という役目を任されるに相応しい程度の実力を持っている。


 そしてこの時の彼の判断は正しかった。

 彼らはギシャールが帝都の市民を殺害し、その死体を持ち去る様子を目撃することとなる。


 ■


 余計な声をあげたりはしない。

 メッシィをはじめ、局員騎士達が沈黙のままに展開し、各々が獲物を抜いて死体に向けて屈みこんでいるギシャールへ躍り掛かった。


 速度に長ける局員騎士ジャグ・ハイアが風に乗ったような速さでギシャールに肉薄し、細い剣を差し出す様に突き込む。ただの突きではない。弾力性に富む彼の細剣は、僅かな力でもよくしなる。

 顎下に突きを放ち、直前で手首を返すことにより…切っ先は軌道を変える。結果として、彼と相対した者は上顎から脳の後方部を剣でぶち抜かれる羽目となる。ジャグは治安維持を担う騎士として、目標の捕縛ではなく殺害を提唱する過激派の騎士であった。


 ジャグが仕掛けたのを他の者達も黙ってみていたわけではない。


 局員騎士カザリン・ハナムラがいつの間にか両手に奇妙なものを持っている。彼女にとって剣などはお飾りであった。

 彼女の得物は薄い金属製の円盤だ。

 これは南域で戦輪と呼ばれている投擲武器である。


 両腕を後方まで逸らしたカザリンは、両の手から2つの戦輪を投げ放つ。戦輪は左、右と大きく弧を描いてギシャールの左右両側頭部に襲い掛かった。


 直撃すればプレートアーマーをも輪切りにしてしまう彼女の戦輪を、人間が受ければどうなるか。

 そんなものは想像するに容易い事だった。

 カザリン・ハナムラは治安維持を担う騎士として、目標の捕縛ではなく抹殺を提唱する過激派の騎士である。


 真正面からはジャグ、左右からはカザリン。

 人体の急所である頭部を三方から狙い撃つ殺戮連携で、彼等は他国からの間者などを数多く闇に葬ってきたのだ。


 ──殺った!


 メッシィは走り込みながら確信する。

 ジャグとカザリンの連携を凌いだ者は極僅かだ。

 そして、仮にギシャールがその極僅かの一部に入るとしても…


 メッシィは走りながら腰の剣の柄に手を掛ける。

 彼女の剣は鞘に収まっているが、この時点で既に加速が完了している。一たび抜き放たれれば魔術的な防御を行使されても、それごと叩き切ってしまうだろう。

 ましてジャグとカザリンの連携に体勢を崩しているならばなおさらだ。


 しかし、甲高い金属音が3つ。

 ギシャールの左右にいつの間にか何者かが立っていた。

 ジャグの放った脳天貫通突きは弾かれ、カザリンの戦輪もまた同様だった。


 ジャグに至っては右腕を深々と斬り裂かれている。

 ただちに命に別状はないといっても、出血量次第では危ないかもしれない。


 新手か、とメッシィが目を凝らし、絶句。


「なっ!」


 人影は彼女の、いや、彼女達の良く知る者達だった。

 帝国騎士ゲンツ、そして帝国騎士オーシア。


 だが尋常の様子ではない。

 二人とも両瞼と口を縫い合わされている。

 そして、その肌色はまるで死人かと思う程に蒼白であった。


 ジャグとカザリンも呆然としている。

 なぜならゲンツとオーシアは彼等にとってそれぞれ特別な騎士であったからだ。


 ジャグは"疾風"ゲンツに憧れて、そしてカザリンは"舞騎士"オーシアに憧れて騎士となった。

 死線に置いては即断即決を旨とする彼等でも、数瞬の隙を晒さずには居られない。


 当たり前だった。

 彼等は任務遂行のみを至上とする感情なき肉人形ではないのだ。

 しかしそこは彼等もさるもので、僅かな間に精神の均衡を取り戻す。


 だが、ゲンツの両手に握られた双剣が、そしてオーシアの周囲を舞う様に浮遊する4本の剣がそれぞれの獲物を見定めるまでには数瞬という時間は余りに長かった。


 迫る殺意!

 メッシィは引き延ばされた思考の中、ジャグにせよカザリンにせよ、どちらを救う為であっても距離が遠く叶わない事を知った。


 ギシャールが口角をあげて嗤っている。

 恐らくは罠だったのだ。

 どういう手管か、ギシャールは2人の帝国騎士を手駒としたのだろう。生きているのか死んでいるのか、どうあれゲンツとオーシアの業が"そのまま"であるなら、メッシィを含めた三人掛りでも勝利は困難だ。


 ──しかし


『何をしとるかァッ!』


 野太い怒声と共にゲンツとオーシアが吹き飛ばされた。

 何かに痛烈に撃ち据えられたのだ。


「局長!」


 メッシィが叫ぶ。


 地面に敷かれた石畳が砕け、粉となり散らばる。

 ドムドドンの両の手から放たれた鈍色の鉄蛇が地をうねり狂っていた。鞭だ。


 帝都鑑護局局長ドムドドン・アッパーヘイルは二刀流ならぬ双条鞭を操る。鞭といえば当たれば痛いというイメージが先行しており、生と死が舞う戦場においては珍しい武器に思えるかもしれない。


 しかしドムドドンの操る二本の鉄鞭の先端速度は音速を超える。

 革の鞭などでは珍しい事ではないが、鉄鞭でこれをやれば周囲に与える破壊深度は革の鞭の比ではない。

 当然当たれば痛いなどという話では済まない。

 筋肉量が少ない一般人女性がこれを受けた場合、肉体は引き千切られたちまち雑なミンチが出来上がるだろう。


 更に非常に迷惑な事に、ドムドドンは被害を抑える気など欠片もなかった。


 なぜならこれはもはや治安維持の為の戦闘行為ではない。

 誇りある帝国騎士を傀儡とするなど、それは帝国に対しての宣戦布告も同然だ。ドムドドンに皇帝ソウイチロウに対する忠誠心が余りなくとも、帝国そのものへの愛国心はある。

 ドムドドンの中で、ギシャールはもはや愛すべきレグナム西域帝国そのものの敵と化していた。

 国家の安寧を脅かす"敵"を前にした帝国騎士はどうするべきか?


 滅殺あるのみである。


「ジャグ、腕の一本など捨ててしまえい!援護してやる!いけ!メッシィ、ジャグの右を護りつつ攻めよ!カザリンちゃん!ギシャールを狙え!儂が先に仕掛け、崩す!」


 ドムドドンは野太い唸り声と共に両腕をそれぞれ互いに回転させるように動かした。鉄鞭が前方に向けて渦を巻きつつ触れるもの皆砕き散らしながら進行…いや、侵攻していく。


 この夜、ドムドドンの鉄鞭は彼の愛国心を乗せ、帝都の夜を引き裂いた。


 ■


 翌朝。


「結局…逃がしちゃいましたね…すみません、私が仕留めきれずに…」


 カザリンが俯いて謝罪する。

 あの夜、帝都鑑護局の面々はギシャールを取り逃してしまった。

 ゲンツとオーシアの抵抗が激しかった為だ。

 彼等は痛みを一切感じないのか、肉体が損傷しても構わず向かってきた。ただの屍人であるならともかく、業は生前と同じ様に冴えわたっているのだから堪らない。


 結局ギシャールは戦闘の隙を縫って逃げ出し、ゲンツとオーシアはドムドドンがもはや修復不能な程に破壊した。

 夜半の騒動であるので衛兵やら冒険者達やら、はたまた暇な貴族までもが出張ってきて、帝都鑑護局の面々は戦闘そのものよりも後始末に苦労した様だった。


「いいんだよぉカザリンちゃん、死したりとはいえ相手はゲンツとオーシアだったからねぇ。屍人操作(ネクロマンシー)なのかねえあれは…違う気がするが…いずれにしても由々しき事態だよ」


 ドムドドンの猫撫で声がメッシィの神経に障るが、しかしドムドドンがいなければ返り討ちにあっていた事はほぼ間違いないだろう。


 メッシィは、もし次があるならば決して不覚はとるまいと誓う。


 しかし、あの夜を境にギシャールは帝都から姿を消した。





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連盟名簿②ジャハム を参照してください。

多分最初の方にあるとおもうんですが…。

この閑話は〇〇侵攻みたいなのとは違い、㊤と㊦で構成されるのですぐ終わります。

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