東へ
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それまで座ったままで何も言わなかったクロウが、突然その場から立ち上がった。黙って東の方角を見つめるクロウの両眼に何かが宿っている。燃えている。
東から何かがやってくる気配がするのだろうか?
何か危険なモノ…例えば魔物などが?
そう思ったカッスルやカプラなどが意識をそちらへ向けるが、何も感じ取ることが出来ない。
彼等二人はその在り方の関係で、気配の察知を得手とする。
その彼等が何も感じないというのなら、クロウの勘違いなのだろうか。
いや、とカプラは否定した。
──彼は死を穢し、そればかりか意のままに操る邪悪な存在…。アリクス王国の高位貴族程の力ある存在でも、彼の前に屈服せざるを得なかった。その彼が何かを感じ取っているというのならば…
あるのだ、東には。
或いは居るのだ。
何かが。
滞留する緊張感はまるで地雷原の様だった。
誰もが声をあげない。
しかしタイランが静かに声をかける。
「クロウ、どうしたの?何か見えるの?」
クロウは無言のままで立ったまま、東を見つめ続ける。
数秒後、彼はようやく口を開いた。
「頭の中に声が響くんです。コーリングじゃありません。その声は僕が前の僕だった頃からずっと聞こえていたものです。その声は僕にある事をしろと言ってくるんです」
突然始まったクロウの独白に、タイランは困惑の色を隠せない。
ある事?と尋ねると、クロウは頷いた。
「でも僕はその声の言う事を聞かなかった。だって余りにも惨めじゃありませんか。僕一人が逃げるようにいなくなった所で、きっと誰も何とも思わないんでしょう。僕には父親もいなければ母親もいません。多分僕は誰かの記憶に残りたかったのです」
誰もクロウの言っている事が分からなかったが、クロウが自分自身にとって重大な事を言っているというのは何となく理解できた。
「魔王は東にいます。なぜなら、東に行けば死ぬ気がするからです」
一瞬、広間の中にはただ息つくことさえも忘れられそうな静寂が訪れた。次に口を開いたのはヨハンだった。彼の声は冷静でありながら、クロウに向けられた言葉には深い興味が含まれていた。
「勇者クロウ、君は死にたいのだね。ただの死じゃない。人々から惜しまれ、称賛され、敬意を向けられるような死を求めているわけか。魔王を討とうとするのも自分の為に過ぎないという事だ。君はこの世界の人々の為に戦うわけではない。君にとっては我々や世界の人々など、君自身が満足するための舞台装置に過ぎない」
ヨハンがそういうと、ラグランジュやランサックなどはやや顔をしかめた。クロウはヨハンに何も答えない。しかしその沈黙が雄弁にヨハンの言葉を肯定している。
「俺もそうだ、正直に言えば一部の者達を除き、生きようが死のうがどうでもいいと思っている。魔族の手で何万何十万の人間が殺されようと、些かの痛痒も覚えない。他人だからだ。だが、俺には分かるし、視える。ここで魔王を討たねば、もはや世界の何処にも安寧の地は見つからなくなると。それでは困る。俺の"家族"や、妻、やがて産まれてくる子供のためにも掃除をしておかねば。俺は俺の幸せの為に戦うのだ」
ヨハンが言葉を切ると、ザザが声をあげた。
「俺は女を水揚げする為だ。リリスは高級娼婦だからな。死ぬほど金がかかる。魔王討伐の報酬の金が欲しくて参加したんだ。こっちのランサックは飼い主に命令されたから参加した。ルイゼだよ。奴から命令されればランサックは何でもするだろう。奴隷犬だからな」
「ていこく、俺、そだててくれたから…おん返し、する」
これはゴッラ。
「僕は…こんな事を言っては良くないかもしれないけれど、魔王の身体が欲しいんだ。検体というやつさ!魔族の王はただの魔族と違ってどう違うのか、バラして確認してみたいんだよ!それに死体っていうのは使い道も豊富だからね!」
満面の笑顔でケロッパが言う。
そして、他の者達もろくでもない理由を次々にあげていく。
ファビオラがクロウの子供を産んでお家の隆盛を極めたいなどと言った時は、精神がやや狂い気味のクロウでさえ微妙な表情を浮かべた。なお、一番まともなのはゴッラとタイランだ。
ちなみにカプラは見えない。
居なくなっているのではなく、知覚が出来ない。
彼女の業にはその場の者達の認知を阻害するというものがあり、これは斥候連中の上級、その上澄みにしか為せない事だ。
彼女は皆の前で堂々話すのが恥ずかしいのだ。
「…まあ、魔王を斃すのは骨が折れそうだが、案外に君たちとならやってやれないことも無いのかもしれないな。場合によっては勇者という極上の魂を触媒に、魔王に特大の呪いを仕掛けてやる積りだったが止めた。勇者クロウ、そして他の者達も。あらためて力を合わせて戦おうじゃないか」
ヨハンがそういうと、ケロッパが首を傾げる。
「術師ヨハン、君はもしかして我々を"使う"つもりだったのかい?」
その声に負の感情は混ざっていない。
純粋な疑問の声色だ。
「ええ、勿論!魔王相手ですからね。烏合の衆では勝てないでしょう。だからいざとなれば旅の最中あなた達の身体に何かしら仕込んで、爆弾かなにかにするつもりでした。肉体を器に、魂を起爆剤に。文字通り全身全霊と引き換えに敵を討つ。法神教の者達のお家芸です。ええと、確か"信仰を示す" とか言ったかな。ですがもう辞めました。この一団の性根を知って、少し面白いと思ったのでね。むざむざ死なせてしまうよりは俺も少々命を懸けても悪くないと思ったのです。勿論、他の者に同じことをしろとはいいませんが。ああ、ビビった者は言ってくれ。俺が護ってやろう、命懸けでな」
そういいながらも視線はラグランジュとカッスル、カプラに向けられている。
ラグランジュとカッスルの眉に深い皺が刻まれ、次の瞬間ぎゃあぎゃあと文句の洪水が押し寄せてきた。
しかし不思議とその声色には険悪なものが含まれていない。
■
馬鹿な話をしつつ、ヨハンは内心でこれで良いと考えていた。
一行の間に芽生えた仄かな仲間意識、それが困難にまみえた時、苦境を乗り越える為のとっかかりとなってくれるかもしれないと思ったのだ。
赤の他人がよりあつまったはいいが、そんなものは絶死の状況を迎えれば容易く瓦解してしまうだろう。
なぜなら赤の他人だからだ。
人は他人の為に命を懸ける事は出来ない。
いざとなれば見捨てるだろう。
だが危機に際して、簡単に相手を見捨ててしまう様では困るのだ。
ヨハンの霊感は、誰一人死なせてはならないと囁く。
誰もが何かしらの役割を背負っており、その役割を皆が全うしなければ大業は成らないだろうとヨハンは考える。
しかし役割を全うするには、時には命を懸ける事も必要になってくるだろう。絆にまでは至らないまでも、仲間意識、連帯感は役割を果たさせる精神的な燃料となってくれる可能性がある。
だからヨハンは全員の心の内に入り込む事にした。
すぐに親友の様な存在になる事は無理でも、嫌悪感を誘発しない程度に過激な事を敢えて発言し、興味を引き…
──"こいつは口が悪いが、やる時はやる奴だ" とでも思わせて置きたい所だ
なぜなら誰もがそういう人物には好感か、それに似たモノを抱くからである。勿論不快感を抱く者がいるかもしれないが、嫌悪には至らないだろうというのがヨハンの見立てだ。
そして一端興味を持たせてしまえば、そのまま好感の沼へ引きずり込む自信がヨハンにはあった。
■
ひとたび自身の事を話し出したらどうも止められないというのは、特定の気質を持つ一部の者達にはよくある事である。
クロウは自分の発言が周囲の者達に奇異な印象を与えるだろうと予測はしていたが、それでも言葉を止める事は出来なかった。
そういった事で集団から孤立するというのは、クロウには慣れた事ではあったが、それでも何とも思わない程に麻痺しているわけでもない。
クロウとて拒絶、忌避されるというのは厭なのだ。
ではそうされないように振る舞えばいいという話ではあるが、それがクロウには出来ない。
しかし、魔術師ヨハンが悪辣な笑みを浮かべながら喋りだすと、一行の間に仄かに漂っていた忌避感のような畏怖のような、理解できないものを見ている時のような余り気持ちの良くない雰囲気は消えてなくなった。
そういえば、とクロウは思う。
──ヨハンさんは"連盟"っていう組織の人だと聞いたけれど。どういう組織なんだろう?
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