幻視①~魔竜死闘、起こり得た未来~

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 静かな森の中、ヨハンは一行が戻るの待ち続けていた。

 森は生命の息吹に満ちている。

 命の形が歪められ、死が蔓延する果ての大陸にあって、ヨハンが喚びだした森はまるで異世界であった。


 上空では鳥たちがさえずり、木々の間を風が静かに吹き抜けていた。遠くで鹿が枝を齧る音、近くで虫たちがささやく声。

 この空間を維持し続ける代償は決して小さくはない。

 小さくはないが、大きくもない。

 というのも、強大な存在とはただそこに在るだけで周辺の環境を自身に隷属させ、都合の良い様に作り変えてしまうものなのだ。


 この瞬間、ヨハンはヨハンという一人の人間ではあるが、同時に樹神の化身でもあり、能動的に何かをしようとしなくても周囲の環境、いや、空間はヨハン(樹神)の "存在しやすいような場" へと自身を作り変えてしまう。


 ヨハンは落ち葉の上に座り、頬杖をつきながら遠くを見つめていた。彼の瞳は遥か彼方に向けられており、同時に何か深いところに集中していたようでもあった。


 その様子に焦りはない。

 ヨルシカの無事が彼には感得できるからだ。

 肉体と精神で繋がった彼等は、多少距離があっても互いの無事を察知するくらいは造作もない。


 ただ好き合っているだけではこうは行かない。

 それこそどちらかの死が残された方の死をも意味するくらいの関係なければ精神の繋がりは得られない。


 まあきっかけ自体は非常に雑なものだ。

 気に入った旅の仲間の為なら、見ず知らずの神に挑むこともやぶさかではないというヨハンの大雑把さがヨルシカを錯覚させたのだろう。あるいは彼女の容姿などに一切目をくれずに、ただ実力のみを評価したビジネスライクな態度が誠実なものとして映ったのかもしれない。


 それは多分にヨルシカの錯覚でしかないのだが、それはそれとして、今や二人の絆というものは非常に強固なものとなっていた。


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 やがて一行が森の藪の中から出てきた。

 全員が強い疲労を浮かべており、控えめにいっても3割程度は死んでいるといった具合だが、そんな彼らを見たヨハンの視界は一瞬、歪んだ。


 絶叫!

 カッスルの目と耳から血が吹き出し、絶叫をあげながら血砂の上を転がっている。魔竜シルマリアの放った超音速の衝撃波がカッスルの全身を撃ち据え、体内の柔らかい部分を破裂させたのだ。


 他の者達も無傷ではない。

 多くの者は目と耳をやられている。

 勿論ヨハン自身も無傷ではない。

 巨大な魔竜はまるで水中を泳ぐかのように砂中に沈み、そして一行に近づいてくる


 ──飛び出した


 隙を見てラグランジュが魔剣を解き放つ。

 銀色の光が拡散したようにみえ、そして魔竜の全身を傷つける。

 だが魔竜の血が曲者であった。

 これは腐食性の極めて危険な性質を持つ血だったのだ。

 それが上空から降り注いでくる。


 大きな攻撃の後でラグランジュは躱せない。

 他の者達も大きなダメージをうけ、思う様に身体が動かせない。


 結局ラグランジュは血を全身にかぶり…甲高い絶叫があがった。

 ラグランジュの全身が痛々しく爛れ、いや、溶け落ちている。

 凄まじい速さで腐食が侵攻しているのだ。

 瞬く間に彼女は血と肉の塊のような何かへと変わってしまった…


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 はっ、とヨハンが目を見開く。


「どうしたの?まだ辛い?」


 ヨルシカが心配そうにヨハンを下からのぞき込んでいる。

 ヨハンは何が起こったかを、いや、何が "起こり得た" かを理解した。全員が全員、持てる力を惜しまず立ち向かわねばああなるということだ。


 ──俺が視たものはあり得た未来だ


 ──とはいえ、一つ目の未来は変わった


 ──だが、俺たちはこれからまだ死の未来を覆す必要がある


 ヨハンは軽く首を振り、ヨルシカをみやった。

 消耗が見られるがまだまだ元気な様子に安心し、今度はラグランジュの方をみた。


 彼女が一番憔悴していたからだ。

 そこかしこが火傷している。

 まるで雷にでも撃たれたかのような有様に、ヨハンは魔竜との死闘がどれほど厳しいものであったかと感得する。


「帝国の騎士も大したものだ。宰相ゲルラッハに噛みつくだけの事はあるな」


 ヨハンが言うと、鋭い視線が返ってくる。

 勇者に助けられたような、攻撃されたような…などと言っては正気を疑われるため、彼女には睨む事しかできないのであった。


 ■


 一行は小休止を取った。


 カッスルは小首を傾げる。

 この森の中にいるとどうにも活力が湧いてくる。

 それをザザやランサックにも尋ねてみたが、同じ答えがかえってきた。


「あの魔術師の仕業だな」


 ザザがヨハンを顎で指し示すと、ランサックは呆れたようにいった。


「仕業ってよ。言い方があるだろう。おかげ、とかよ。全く、学がない奴は困るぜ」


 ランサックが軽口を叩く。その声色は軽快だ。

 危機を乗り越えたという事が彼の心を軽くしているのかもしれない。


「勇者殿といい、随分なのが揃ったものだなぁ。俺が一番まともなんじゃないのか?」


 カッスルがそう言うと、ザザとランサックの視線はカッスルの腰にくくりつけている旋剣へと向けられる。


「アリクス王国ではそういう妙ちくりんな剣を使う奴は変態扱いされる」


 ランサックも頷きながら侮辱する。


「ケツの穴を掘る剣かと思ったぜ」


 ここまで侮辱されればもはや、とばかりにカッスルが拳をかためるが、次のザザの言葉で表情を変えた。


「剣で掘るよりコッチが良いと思うぞ。だが、何度か試したことがあるが…まああまり良いものではなかった」


 ザザが言い、意味ありげな表情でカッスルを見ると、当のカッスルは顔色をかえてその場を離れていく。

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