死想剣

 ■


 一行は打って出る事に決めた。

 しかし一つ問題がある。

 魔竜シルマリアとの彼我の距離はやや遠間に過ぎるのだ。


 ケロッパが一同の前に進み出る。

 その表情には遊びはなく、真剣そのものだった。


「選択肢は幾つかある。一つ目は走る。これはお勧めしない。足を砂に取られて、もたついている間に先ほどの魔法がくれば僕らは終わりだ。二つ目は吹き飛ぶ。渓谷で僕が鳥にしたことを見ただろう?僕はまだ回復しきってはいないが、あれをもう一度やる。僕らに対して。吹き飛ぶ方向は真横だ。ただ、吹き飛ぶのはいいが止まる手段がない。あの竜に衝突するという形になる。三つ目は……」


 ケロッパの目がクロウに向けられる。


「何か、腹案がありそうだね?勇者殿」


 ケロッパは静かに佇むクロウから何らかの自信めいたものを感じとっていた。一同の視線がクロウに注がれると、なるほど、クロウの目は"俺なら出来る"という無言の意気込みが込められているようにも見えるではないか。


「おい、クロウよぉ、何かあるなら口に出さないとわからねえぜ?」


 ランサックがやれやれといった風情で首を振りながら言うと、ザザがクロウを擁護した。


「言うな。お前も知っているだろう。クロウは多人数の前だと口が重いんだ。話せたり話せなかったりする。特に今はだめだ。さっき奴の剣のせいでそこの魔術師がぶっとばされてしまっただろう。それを内心気に病んで、後ろめたくて言語能力が落ちている」


 ザザの言が本当に擁護かどうかは定かではないが、クロウという男は酷く面倒くさい性格をしているというのは、その場の全員が理解した。


「成程、奥手なのですね。して、腹案とは?」


 ファビオラはさっとクロウの傍へ寄り、彼の腕にそっと触れた。

 さり気無いスキンシップで自身は味方なのだと暗黙の内に伝えながらも、それはそれとして作戦を聞き出そうとする。

 何度も言うが、ファビオラの仕事はクロウの護衛、不治の剣で魔王に一撃いれる事、そして勇者クロウとの性交、最後に出産だ。

 フラガラッハ家千年の栄華の為に、彼女は色々と身体を張らねばならない。


 クロウは質問に答えず、というより言葉で説明する能力を欠くため行動で示す事にした。


 コーリングの刃に自身の腕を当て、軽く引き切る。

 血が流れ、クロウは自身の腕の流血に無残で凄惨な死を想起した。


「クロウ様、一体何を…は?」


 腕から零れる命。

 無意味な流血は無意味な死へと繋がり、無意味な死は誰一人救えない滑稽で愚かなで悲しい未来へと帰着する。

 勇者として期待されてきたにもかかわらず、最低最悪の終わり方。

 人々は嘆き、悲しみ、怒り、憎むだろう。

 役立たずの勇者クロウを。


 クロウの頭のおかしい被害妄想は、彼の心を絶望の淵へと追いやり、クロウの精神は現在進行形で急速に死につつあった。

 しかし肉体は違った。

 クロウの肉体は死に抗い、精神の惰弱さを叱咤し、その心身のアンバランスさが大魔力を生産するダイナモとなって轟音を立てながら唸る。


「この魔力!君は一体何をするつもりだ!」


 ケロッパが怒声を浴びせる。

 一人の才ある大魔術師が、生涯最期という覚悟を決めて、全身と全霊から絞りだす様な暴力的な大魔力が魔術師でもない者から放射されている。


 その時、その場にいた全員は不思議な幻視を得た。

 それは様々な種族の様々な者達の様々な一生だった。


 ──ロナリア伯、俺を導いてください


 クロウの瞳が黄金色に妖しく輝く。

 それはまるで満月の様だった。


 ■


 次の瞬間、一同は周囲を見まわした。

 特に何も変化はない。

 だが何かが違う。


「あら?あの竜は…」


 タイランが呆然とした様子で呟いた。

 木立の間から見えるのは見渡すかぎりの血砂漠だ。

 竜などどこにも居なかった。


「……私たちをどこへ連れてきた、勇者」


 その声はそれまで頑なに口を開かなかったカプラのものだ。

 鈴を思わせる透明で可憐な声は、カプラがまだ年若い少女だという事を示していた。


「さあ…。でもロナリア伯は似て非なる世界だと言っています。ここには僕と、そして術にかけられたあなたたちしかいない。とにかく行きましょう。竜の居た場所はあっちですね。移動されると面倒だから…急ぎましょう」


 クロウは淡々とカプラに答える。

 カプラは化け物でも見るような目でクロウを見つめていた。


 ──ロナリア伯だと?


 カプラはその役目柄知っている。

 ロナリア伯オドネイは既にこの世を去っている事を。

 魔族に肉体を簒奪され、狂い、勇者に殺された事を知っている。


 ──死者を、嬲っているのか


 なんという邪悪な、そして恐ろしい男だと戦慄するカプラ。

 だが同時に頼もしくも感じた。

 邪悪を以て邪悪を制す。

 魔王は恐ろしい存在だというが、中々どうしてこの勇者も邪悪さにかけては負けてはいないようだ、と。


 ふと気配を感じる。

 カプラははっと後ろを振り向くと、そこには…


「ロ、ロナリア伯…」


 年の頃は老境に足を踏み入れたあたりか。

 知性を感じる風貌の紳士が、どこか沈痛そうな表情で一行を見つめ…ふっと消えてしまった。


 §


 先だってクロウは王都でアリクス貴族、オドネイ・ロナリア伯爵を殺害した。※Memento-mori メンヘラと異形①参照


 それは故無き殺害ではなく、オドネイが魔族に成り代わられてしまったからであるが、コーリングにより殺害されたオドネイは魔剣に呪われてしまった。


 魔剣コーリングはクロウを愛している。

 それは男女のそれではなく、異形の愛ではあるが、愛は愛だ。


 クロウに災いを呼び込み、それが為にクロウが危地に陥ったならば歓喜してこれを排除しようとする。


 災いをひきつける癖に、いざ災いが寄ってきたならばそれを決して許さないのだ。

 だから排除するだけでは、殺すだけでは済まさない。


 魔剣の呪いは排除対象の魂に刻み込まれ、対象は魂、魔力の形状を魔剣に覚えられてしまう。


 覚えられてしまったならばどうなるのか。


 魔剣の権能が起動したとき、魔剣は必要に応じて自身が覚えた者達を現世に復元する。


 そして“喚ぶ”のだ。

 殺した者の魂を。


 喚ばれた者達は、魔剣の権能が働いている間は魔剣が復元した依り代に押し込められ、クロウを守護する為に働かなければならない。なお、これは強制であり強要であり、死者達にとっては苦痛でしかない。


 これこそが後世、勇者として恐怖されるクロウの恐るべき奥義、その名も『死想剣メメント・モリ』である。

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