魔竜死闘①
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ここはクロウが故ロナリア伯の魂を通じて顕現させた現実そっくりの心象世界だが、この世界に足を踏み入れる為には術者の瞳を見るという条件がある。
ただ、クロウに疲労感などは見られないというのは不思議な事だった。強力な術には大きな代償が伴うものだが、クロウは平然としている。これはどういう事なのかと言えば、クロウは術者であって術者ではないというのがその答えだ。
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斬殺した者を魂縛し使役するというのはクロウの能力や魔術ではなく、彼の愛剣"コーリング"の力。愛する主の敵対者を死してなお苦しめようという強い憎悪が死者の魂を縛り苛む。
ちなみに、クロウは愛剣の所業を知らない。
コーリングの前身は何の変哲もない長剣であり、その時の愛剣には特別な力も意思も何もなく、特殊な素材で作られたものですら無かった。値段相応の性能はあったが、値段以上の性能は無かった。
だがそれでも、クロウはその長剣を大切に扱ってきた。
物を大切に扱えば何が起こるのか?
それは、そのものを長持ちさせると同時に、持ち主がある種の愛着を物に抱く様になる。
クロウはいつしか長剣を相棒だとみなすようになり、その思いが長剣に自我の芽を埋め込む事になる。だが、このような事は思いを強くもてばそれが現実となるこの世界でさえ珍しい。
意思を持つ魔剣、聖剣の類は存在するものの、それらは特別な素材を特別な製法で、特別な思いを込めて作られたからであり、いくら大切に扱おうと何の変哲もないただのモノに魂が宿るといったような考え方がこの世界でも奇矯である。数打ちの長剣にも魂が宿るなどと人前で言った日には一笑に付されるだろう。
ただしクロウは、いや、シロウは別であった。
シロウの元の世界にはアニミズム的な思想が広く根深く存在しており、物に魂が宿るという"付喪神"と呼ばれる存在はその思想の代表的なものだ。
そういった背景、事情が奇跡的にもただの数打ちの長剣に自我の芽生えを与える事となるが、ここで話が終わるならば"喚び声の邪剣"コーリングなどというものが生まれてはいない。
度重なる死闘が長剣の耐久度を削りに削り、長剣はもう剣としての役目を果たす事ができなくなった事が全ての契機であった。
クロウは王都の鍛冶屋に愛剣を持ち込み、修理を頼み込んだが修理は断られた。というより、もう愛剣は剣としての寿命がほぼ残されていなかったのだ。
『……お前さんはよほどこの剣を愛したようじゃの。普通はここまで【声】を出さんわ。…じゃが…ふむ、まてよ…しかし…』
だが鍛冶屋の男は言った。
或いはどうにかなるかもしれない、と。
だがそれはマトモとは言えない手段だ。
元はと言えば魔剣の厄を祓おうとした古代の鍛冶師たちが編み出した技法であり、担い手に厄を齎そうという魔剣を、担い手を護ろうとする献身的な剣を利用して、加護と呪いを相克させるというものだった。
『それこそわしなんぞよりずっと前の鍛冶屋はな、剣としては優れて居ても強力な呪詛のせいでまともに扱えないような魔剣を扱えるようにするために、色々頭を捻ったもんじゃ。結局考え付いたのが、火に水をかけるような力業じゃった。要するに、魔剣に抗するものを一緒くたにして鍛造しなおしちまえばいいってな』
『普通はそんなもん駄目だとおもうじゃろ?わしも思う。呪いとか守護の力ってのはそういうモンじゃないとおもうんだが…案外これがうまくいってしまったのよ』
そのうまくいってしまった結果がコーリングである。
クロウは死してなお不死鳥のごとく蘇り、自身へ尽くそうとしてくれるコーリングに感謝とより強い愛着を注いでいるが、愛剣の暗黒面には全く気付いていない。
死者の魂を使役出来る事も、"自分は勇者なのだから、ピンチになれば色々な人が助けてくれる"くらいに考えている。
実際は安らかに眠っている所を無理やりたたき起こされて、仕事をさせられているといった感じなのだが。
これは死者に限った話ではないが、寝起きにいきなり頬をはたかれて、全力疾走で数キロ走ってこいと言われたら不機嫌にならない者がいるだろうか?
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一行は無言のままクロウの背を追った。
ただ、この場に魔術師ヨハンは居ない。
彼は意識を失っていた為、クロウの瞳を見る事が出来なかったのだ。だが安全面という意味でいうなら、ヨハンが創り出した森を力づくで破るというのは難しい為問題はない。
「…という事だよ、ヨルシカ君。君の恋人はなんだったら我々よりずっと安全さ!だからそんなに心配そうな顔をしないことだね!君が案じる事はあの森に残される彼の安全ではなく、君の、ひいては我々の敗死だ。あの竜は油断ならないぞ!我々が今一人も欠けていないのは、ヨハン君が…術師ヨハンが我々を護ってくれたからさ。分かりやすい様に例えるならば、先だってのあの一撃は、大都市を一撃で木っ端微塵にするほどに強力だった。あんな真似は彼の師であるルイゼでも難しいかもしれない…魔族でも可能かどうか…彼は、人なのかな?」
「人間かどうかという意味なら、彼は人間ですよ」
その問いがどういう意図で発されたものなのか、ヨルシカには見当がつかなかった。だがケロッパがヨハンについて詮索するような気配を察知した彼女は、自身の胸の内側を不快の爪が引っ掻くのを感じていた。一行は無言でクロウを先頭に歩を進めているが、皆が無言の空間の中に緊張感が流れつつある事に気付く。
「ちょっと!ケロッパ殿、どうにも不躾な気がしますね!私はそういうのは気に食わない!男全般に言える事ですが、自制心というものをもっと養ったほうがよろしいでしょう!男らしさというものは知識をひけらかす事でも、力を誇示することでもありません!男らしさとは耐える力の多寡を言うのです!」
ラグランジュが走りながらぎゃあぎゃあと喚き散らす。
ケロッパは苦笑しながら答えた。
「いやいや、他意はないさ。別にヨハン君が魔族なのかとか言うつもりはない。それに仮に魔族であってもどうでもいい話だ。ただ、あの時僕はヨハン君以外の存在を感じた。それは雄大で偉大な存在だった…人間の身でああいうものを抱え込むというのは余り例がない事なのでね。歴史を紐解けば、自身の器を越えた存在を宿してしまった者はそれなりに見かけるが、彼等は例外なく悲惨な末路を遂げている。老人からのおせっかいな忠告だが、もし知らずに抱き込んでしまったのならば、手放す事をお勧めするよ。やり方が知らないのなら専門の者を紹介してもいい。祓いの達人が知り合いにいるんだ」
種族による生物的格差というものはれっきとして存在しており、人間はどちらかと言えば弱者に位置する種族だ。
しかし、この生物的強度というものは個体数と反比例している。
つまり強大な力を持つ種族であればあるほどに子が出来づらい。
ヨルシカはケロッパの発言がヨハンを心配しての事だと理解をしたが、実際の所はとても口には出せなかった。
"他にも二体くらい居るみたいです"とは流石に言いづらい。
ヨルシカは軽く冷や汗を流し、ケロッパへ礼を言う。
「え、ええ。まあ色々あったみたいなんです。でもそのことは彼に伝えておきますね」
「誤解だったなら良いのですが。ところであの竜が居た場所はそろそろではないですか?」
ラグランジュがクロウの背を見つめながら言う。
表情は微妙で、まだ何となく納得していなさそうな様子だったが、済んだ話を掘り返す積りもないようだ。
「この後の事は何となく想像できるが、作戦なり立てなくていいのか?」
カッスルが言う。
恐らくは元の世界へ戻って、いきなり接近戦から始まるのだろうというのがカッスルの予想である。
しかし強大な竜種相手に無策で挑むというのはありえない話だ。
この場にいる者達は人類勢力においても有数の実力者達なのだろうが、それでも人は人で、竜は竜だ。
それをわきまえないのは無謀か、或いは低能というものだった。
「いや、作戦はケロッパ殿が考えるはずです」
「せ、せんせ。おねがいします」
「そうかい。頼むぜ、魔術師先生よ」
ラグランジュ、ゴッラが一瞬で全てをケロッパに投げ、カッスルも他の者達も特に異論なくそれを受け入れた。
「…構わないけれど、ちゃんと言う事を聞いてくれよ?」
作戦…作戦ねぇ、とケロッパの思考が雲のように空を彷徨い、形を変えてゆくが、結局単純なものが一番だろうなという事に落ち着いていく。元より急造の隊なのだ。余り複雑で繊細なものよりも、個々の力量に任せたダイナミックで直接的な作戦のほうが良い結果が出るかもしれない。詳細な作戦、綿密な連携…そういったものを事細かに相談し合うというのも一つの選択肢かもしれない。だが、とケロッパは首を振った。
ケロッパは簡潔に作戦を伝える。
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やがて一行は血砂が盛り上がって砂丘のような地形となっている場所へと辿り着いた。
「ここです。少し待っていてください」
クロウは短く言い、目を閉じてその場に立ち尽くす。
形の良い耳が僅かに動く。
その様子は、まるで彼にしか見えない誰かの言葉に耳を傾けている様だった。
「ケロッパ先生、準備をしてください」
クロウが呟くやいなや。
"空"がぱらぱらと崩れ落ちた。
無数の蒼い破片が宙空で溶け消えていく。
音も色も感触も、すべてが混ざり合い、融合し、再構成されていく。現実と虚構が交わるその瞬間に、その場に居た者達は生と死を同時に連想した。
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"澱み血の魔竜"シルマリアの自我は濁りに濁り切っており、かつての澄み切った知性などは見る影もない。だが彼女の絶対強者の竜種としての本能が、惑乱する心へと囁きかけるのだ。
侵入者を排除せよ、と。
だが、今の彼女はその侵入者達の気配を察知して先制攻撃を仕掛けたのはいいが、肝心の侵入者たちの気配が急に消えた事に酷く困惑している。
魔竜シルマリアは盲目だ。
かつて"星"が全ての元凶だと察した彼女は、"星"を砕こうと隕石が墜ちたと思しき場所へと出向いたが、結果として彼女は自身の両の眼を自身で潰す事を選んだ。
そうしなければ彼女は彼女で居られなくなってしまうと察したからだ。彼女が視たモノは"星"ではなかった。
爾来彼女は外界を眼ではなく聴覚で捉えている。
喉笛を掻き切られた娼婦の、か細い最期の断末魔のような声がシルマリアから発せられ、血の砂漠へと広がっていく。
これは例えていうならば超広域のアクティブソナーだ。
自ら発した音波が対象物から跳ね返ってくるのを解析して周辺状況を把握する。彼女の理性は爛れおちているが、しかし本能に刻み込まれた"狩り"のやり方を忘れる事はない。
だが反応は何もなく、獲物は恐らく逃げてしまったのだろうとシルマリアが考えた所で異変が起きた。
彼女は自身の身体の全てに、とてつもない重量の重りを括りつけられたかのような息苦しさを覚える。
息苦しさは次の瞬間和らぐが、しかしすぐに全身に何かが圧し掛かってくる。
それが何度も何度も繰り返されているのだ。
シルマリアのクリムゾンレッドの鱗に罅が入り、腐食性の血が周囲へ飛び散った。そしてこの時ようやく、シルマリアは攻撃を受けている事に気付く。
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「実は余力がないんだ。僕はヘトヘトで、暫く休まなければ命にも関わる。だから出来ればこれで潰れてくれるとありがたいなぁ」
シルマリアの前方の空間に何かが浮遊している。
それは小柄な人影だった。
両の手の人差し指と親指をそれぞれ接触させて、出来上がったのぞき窓の様な三角形内にシルマリアを収める様にして構えている。
"地賢"のケロッパの、渾身の超重力の力場が激浪のごとくシルマリアの巨体に押し寄せていた。寄せては返す超重力の圧が断続的にケロッパから放射され、シルマリアを苦しめている。
竜種と言えどもこの力場に捉えられれば肉は潰れ、骨は砕け大地の染みとなってもおかしくはない。
当然消耗も大きいが、ケロッパは魔術圏内を絞り、断続的な起動をすることで消耗をおさえている。
だが…
超重力下でもだえ苦しむシルマリアの口が、ゆっくりと開かれていく。
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