流血砂漠

 ■


 ──素晴らしい


 ヨハンはケロッパの業を内心で賞賛した。

 しかし危ういとも思う。


「術師ケロッパ、貴方は大分無理をしたように思えますが」


 ヨハンが言うと、一同の注目がケロッパに集中した。

 ケロッパの顔色に僅かな蒼が滲んでいる。

 頬もややこけ、憔悴しているのが明らかだった。


「…そうだね、まあ大きい魔術を使わなければすぐに回復するさ。適材適所だよ君。僕はああいうのを捌くのが得意だ。なに、僕は確かに少し無理をしたが、こんな場所だ、すぐに君たちもそれぞれ無理をしなければいけない場面が巡ってくるだろう。僕の霊感はそう囁いている」


 "それは光栄ですね"とヨハンは苦笑し、軽く一礼してヨルシカと共にクロウ、ファビオラの元へと歩いていった。


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「そちらも御無事で何よりです」


 ファビオラが生真面目に言うと、ヨルシカが手を挙げてそれに応えた。


「君たちも。いきなりの歓迎だったね、ケロッパさんが居てくれたから良かったけれど」


「ええ、協会の大魔術師というだけはありますわね。…ヨハンさんも魔術師でしたわね、同じ魔術師という視点からみて、ケロッパさんの魔術はやはり凄いものなのですか?」


 ファビオラがヨハンに尋ねると、ヨハンは頷いて言った。


「既存の如何なる魔術を以てしても、かの御仁と同じ現象を引き起こす事は難しいだろう。というより」


 ヨハンはそこで言葉を切り、少し考え込んだ。


「アレは魔術なのかどうか。我々魔術師は簡単に言えばこの世界に存在する様々な伝承、逸話から力を引き出す。しかし目的の力を引き出すには扉を開けねばならないし、その扉がどこにあるかを探り当てねばならない。扉を開ける為の鍵が魔力であり、どこにあるかを探り当てる為のカンが知識だ。だが、俺はそれなりに物を知っていると自負しているが、術師ケロッパの引き起こした事象が一体どこから"来た"のか俺には見当がつかないな…あのように、天地が逆になったかのような…」


 ヨハンがそこまで言うと、それまで黙っていたクロウが口を開いた。


「重力を…逆さにしたのかな、と思いました」


 重力?とヨハン達がクロウを見る。


 三人分の視線を受けたクロウは心拍数を急速に上昇させ、それが生命の危機と肉体が勘違いしたのか僅かにクロウの身体能力が向上するが、ここでは全く意味がない。


 ともかく、つたないながらも重力について三人に説明すると三者三様に一応の理解を示した。


「なるほど、そういう事か。それが正しいと仮定すれば、術師ケロッパの為した事は所謂“理法”だな」


 今度はクロウ達三人が"理法?"と疑問の表情を浮かべ、ヨハンは彼等に対して簡単に説明をした。


 §


 魔法は想像力、意志、願望などを魔力を媒介にして実現させる力である。この力は術者の心の奥底から湧き上がる願望を直接引き出し、現実の世界に顕現させる。しかしその本質は自身の魔力と想像力を利用して現実を変えるという純粋な願望の表現である。


 一方、魔術は魔法とは異なるアプローチを持つ。

 魔術は術者の力だけでなく、外的な要素、特に世界の伝承や神話から力を引き出す。術者は魔術を通じて世界の伝承に触れ、その中に秘められた力を引き出す。こうした力は古代の神々や英雄の物語、特定の地域や文化の伝承を通じて魔力と結びつき、術者の願望を現実に映し出す。


 そして、魔術の亜種とされる理法は、もっとも直接的かつ具体的な手段を通じて事象を操作する力である。理法は世界の摂理、即ち、自然の法則そのものを利用する。これらの法則は全ての物事が従う普遍的な規則であり、それらを理解し操作することで、術者は自身の意志を現実に映し出すことができる。例えば火の本質を理解し、その本質に従って行動することで、術者は火を操ることができる。これは自然科学の理解と魔力の使用を組み合わせた特殊な形態の魔術である。


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「…………雑に説明するとこのような分類だ。似ていると思うか?そうだ、似ている。だが非なるものだ。くれぐれも一緒くたにするんじゃないぞ。特に魔術師の前ではな。過激な魔術師ならばそれを宣戦布告と見做してもおかしくはない。これは脅しでもなんでもない。俺は身近にそういう奴がいる事を良く知っている。そう!ルイゼだ。君たちも良く知るルイゼ・シャルトル・フル・エボンは俺の師で偉大な魔術師だが……」


「………その時俺は言った。"師よ、それを知っていたからといって敵を殺せるのですか?"と。すると師ルイゼは言った。"ではそれを試してみましょう"と。次の瞬間、俺は全身の穴という穴から血を噴出し…」


「だから…」


「つまり……」


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 歩きながら延々と続くヨハンの話は留まる所を知らなかった。

 ヨルシカなどは慣れたものだが、ファビオラはその生真面目な気質が災いしたのか、大分精神的に参ってしまっていた。


 意外なのがクロウであった。

 彼はかつて、ヨハンなど足元にも及ばない長広舌の相手の話を聞いていた事がある。それは話というよりは一方的な説教で、しかも酷く理不尽なものだった。


 恐ろしい逸話がある。

 以前、クロウがシロウであった頃、そして自律神経をギリギリで失調していなかった頃の話だ。

 当時シロウは中小企業向けの広告代理店に勤務していたが、その企業は一言でいえば典型的なブラック企業と言ってもよく、企業として遵守しなければならないコンプライアンスやモラルは守られず、更には社員たちの人権もまた守られなかった。


 シロウは勤怠に関する事で叱責をされたのだが、これもまた理由は酷く、彼は残業をする前にタイムカードを打刻することを忘れてしまっていたのである。結果として膨大な残業時間が記録され、そのことでシロウの直属の上司は叱責を受ける事になった。


 朝礼の後。

 彼は上司であるタカハシから他の社員の前で指導という名の痛烈な面罵を浴びていた。

 精神に対する拷問といっても過言ではない面罵によりシロウは失神した。しかし、タカハシはシロウを医務室に連れていくでもなく救急車を呼ぶでもなく、失神した彼に対して延々と説教を続けていたのだ。

 シロウはそれなりに長い間その企業に勤めていたが、自殺をしなかったことは奇跡的といっていい。

 最終的には過労死したが、それはそれである。


 残業の請求は社員の権利であり、シロウは全く悪くない事は言うまでもない。そしてあんまりに酷い環境なら退職という選択肢もあったはずだ。だが人間は精神的に摩耗しきってしまうと他に選択肢があるという事を思い出せなくなるのだ。

 この辺りは日に18時間の勤務時間を連続27日ほど続ける事で理解が出来るだろう。


 ともあれ、そういうものに比べればヨハンはどんな些細な質問にも答えてくれるし、話自体もクロウの知的好奇心をそそるものであったため、クロウはむしろ積極的にヨハンと会話を重ねていった。


 ■


「ふう、助かりました…」


 ファビオラが疲弊した表情で言う。

 ヨルシカは苦笑しながら彼女を労った。


「あはは、まあヨハンの話は長いからね。本当に長いんだ。でも長いだけじゃなくて、彼は説教で悪魔を斃したこともあるんだよ」


 それは正確に言えば言葉に大容量の魔力を乗せ、悪魔サブルナックの根源を直撃するという謂わば魂魄破壊攻撃なのだが、ヨハンはそこまで詳しくはヨルシカへ説明をしていない。


 悪魔とは神に敵対する存在であり、たびたび魔族と混同されるが全くの別物である。彼等はしばしば地上に顕現し、散々勝手な振る舞いをして自己の欲を満たす。

 欲と一言でいっても、それらは悪魔の個体毎に異なる上、人間には全く理解出来ない範疇の欲を持つ悪魔も珍しくないため、彼等を人間の常識で理解することは困難だ。


 また、悪魔たちはかならずしも人間と敵対するわけでもない。

 時には人間と共に歩む事も往々にしてあるのだ。


 なお、悪魔が地上へ顕現した際は大抵が分体である。

 本体は人間が言う所の魔界にあり、仮に地上で悪魔を滅ぼした所で時間が経てば再び顕れるだろう。


 ただし、彼等の根源…すなわち、存在意義を断てば話は別だが…。


 ファビオラはアリクス王国の公爵令嬢であり、最上級貴族として様々な事を学んでいる。そこには当然悪魔に関するものもあり、彼女の常識では悪魔というのは一種の災害のようなもので、それを一個人が滅ぼすというのは火山をせき止めるような無謀な真似だという事を理解していた。


「またまた、ヨルシカ様…そのような事を…え?本当ですか?かの悪名高い連盟の魔術師といえども、あ…いえ、そう、連盟の事は存じ上げております。ええと、わたくし、一度連盟の方にお会いしたことがあるのです。といっても随分昔でしたけれど…ミーティス様というのですがヨルシカ様はご存じですか?」


 ヨルシカは曖昧に頷いた。

 いつだったか、寝物語に連盟術師 "正義の証明" ミーティス・モルティスの事をヨハンが話したのだ。

 その身に神を宿す少女という話だが、魔王討伐に同行してくれればいいのに、とヨルシカは今になって思う。


「それは駄目だ」


 だが、そんな思考をヨハンの声が断ち切った。


「ヨルシカ、君が何を考えているかわかるぞ。ミーティスが居れば良いとおもっているんだろう?だが駄目だ。なぜなら魔族に僅かでも情状酌量の余地があり、それに対してミーティスが同情してしまえば、彼女はたちまちただの小娘と化すだろう。彼女ならこんな辛気臭い島に閉じ込められている魔族を憐れんでしまうだろうな。フラガラッハ嬢は俺たち"連盟"を狂気的な殺人者集団か何かだと思っている様だが、連盟に属する術師は皆、その辺のチンピラよりも脆い何かを心に抱えている。その脆い部分を突かれればあっさり死んでしまうだろうよ。っと…みろ、渓谷を抜けるようだ」


 ヨハンが指さす方向をクロウ達三人が見た。

 渓谷の先にうっすら見えるもの。

 それは、血の様に真っ赤な砂礫が広がる砂漠地帯だった。


「…座標がずれたのかもしれないなァ」


 後方から追いついてきたカッスルがのんびりと言う。


「俺たちは転移してきただろ?本来出るべきじゃない場所にでちまったんじゃないかってことだよ。実際、迷宮ではよくあるんだ。転移罠っていうんだけどよ、踏むとどっかに飛ばされちまうんだ。飛ばされる場所は決まってるんだけどよ、たま~にズレるんだよ。例えば壁の中とかに」


 そうしたらどうなると思う?といやに嬉しそうなカッスルを黙殺して、ヨハンは腕を組んだ。


「どうあれ、抜けていくしかないのかもな。回り込むにも広すぎる」

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