空の墓場

 ■


 クロウは剣を抜くこともなく、降り注ぐ魔鳥を回避していた。

 クロウが躱した鳥は勢い余って地面に衝突し、ドス黒い血の花を大地に咲かせている。


 クロウは早々に諦めたのだ。

 空から襲い来るなにかの軌道を捉え、それを切裂くなどという頭のおかしい真似をすることを。

 それは正しい判断と言えた。

 そんな真似は、斬殺の意思を持った瞬間、殺傷圏内の対象全てを斬る“フラガラッハ”の術者であるファビオラだからできる事であって、クロウの様などちらかといえば才能に乏しい者が出来る業ではない。


 だからクロウは楽な方法を取った。

 つまり、行きたくなる方向をあえて避けるように身体を動かした。


 ──当たれば死ぬ


 ──多分、苦痛もなく死ぬ


 ──安楽死だ


 ──平和への責任を他の人に任して自分だけ楽に、というのは卑怯だろうな


 そんなことを思いながら、クロウは意思とは反する方向…つまり、死ぬ方向、死ぬ位置を避けていた。

 時折誘惑に負けそうになって死ににいきそうになるが、その時は不思議と安全な方へ引っ張られるようにクロウの身体が泳ぐ。まるで誰かが彼の手を掴んで、そこは危ないよ、と言っているかのように。


 ちなみにクロウとしては“楽にはなりたいが、少し我慢すれば後から豪華なステーキが食べられるというのに、なぜ短絡的にスーパーの細切れ肉なんかで腹を満たさないといけないのだ”というノリである。


 ■


「妙だな。鳥程度の大きさとはいえ、あれほどの勢いで衝突すれば、とてもではないが立っていられない程の衝撃波が発生する筈だ。なぜ彼らは平気なのだろうか。衝撃を発生させる以前に潰れているからか?死体からは魔力を感じない…死にたてであれば僅かにでも感じる筈なのに。収奪されている…?」


 クロウとファビオラの様子を眺めているヨハンが小首を傾げて言う。焦っている様子は微塵も見られない。


「ヨハン、君も少しのんびりしすぎだよ。ケロッパさんがいなければ私たちだってどうなっているか…」


 ヨルシカはヨハンに苦言を呈し、ケロッパに視線をやってやや疲れたように言った。


「まあでも、流石に大魔術師さんだけはあるね…」


 ケロッパはどこから取り出したか、自身の背丈ほどの茎付きの一枚葉を取り出し、頭上で振り回しながらそのやや甲高い声を響かせている。


「Hulva zintari, morglus vornath, prithal shorun!」(ハルヴァの理よ、モルグルスの呪縛よ、プリサルの解放よ!)


 Hulvaというのは、小人族の言葉で、これは簡単に言うと一般常識全般を意味する。


 例えば火は燃える、触ると熱い…これがHulvaだ。

 夜は暗くなる、朝は明るい…これもHulvaである。

 酒を飲めば酔うが、酒に強い者は酔いづらい…これもまたHulva。


 一つの単語が様々な意味を包括するという事はままあるが、小人族の“Hulva”は特に意味する所が多い。


 morglusとは大地であり、vornath…呪縛が付け加えらる事で大地の呪縛…つまり重力を意味する。

 prithalとは天空を意味し、ケロッパの魔術の詠唱文は呪縛を天空に解放するという意味となる。


 この意味する所は…


 降り注ぐ鳥が空へ落ちていくという何とも奇妙奇天烈な光景が全てを物語るだろう。

 ケロッパは鳥の群れにかかる重力を逆転させたのだ。


 いや、逆転というと語弊があるかもしれない。

 彼は大まかに言えば二種存在する力の片方を遮断したのである。


「全てのモノは地に引き寄せられる。こんな事は言うまでもない。そういう言うまでもない事を僕らの言葉ではHulvaという。まあそれはいいさ!でもなぜ引き寄せられるのか考えた事はあるかい?教えてあげよう。…僕にもわからない!だが、一つの仮説が考えられる。全てのモノには引き寄せられる力がかけられていると同時に、外へ外へと向かう力もかけられているのだと。でなければ僕らはこの地へ際限なく押し付けられ、皆潰れてしまうよ」


 握った葉っぱの傘をくるくると回して、ケロッパが講釈を続ける。


「ほら、くるくるまわる僕の葉っぱをみなさい。良い艶だろう?僕のお気に入りさ。それはともかく、表面についた水滴が外へ外へと流れているだろう?これが世界規模で起こっているのさ。なぜ太陽は沈む?そして昇る?なぜ星は位置が変わる?それはね、この世界が回っているからだ。ほら。このように、くるくると」


 絶望的な死の雨はケロッパ達の近くまで降り注ぐと、その勢いを反転させ空の彼方へと吹き飛んでいってしまう。

 その力場はケロッパを中心にどんどん広がっていき、クロウ達を襲う鳥の群れにまで及んだ所でほぼ全ての鳥を魔術圏内に捉えた。


 鳥は次から次へと空へ落ちていき、それらは対流圏、成層圏、中間圏、熱圏、外気圏を抜け、暗い昏い空の墓場へと落ち込んでいった。鳥の群れがどこに行ってしまったかはもう誰にも分らない。ただ、生きてこの場所、いや、この星へは戻って来ることができない事は確かだ。


「僕らはみな大地へ引き寄せられている、しかし同時に外へ向かう力もかかっている。僕らが二の足でこうして立っていられるのはそれらの力が釣り合っているからだ」


 ケロッパの持つ見事な葉っぱはいつのまにかしおしおと枯れていた。そして、あれほどいた鳥の群れもまた一羽残らずどこか遠い空の彼方へと吹き飛んでいた。


 空を見上げていたヨハンがぽつりと呟く。


「術師ケロッパ。貴方はその釣り合いを崩したのですね」


 ヨハンの言葉に、ケロッパはにっこりと笑い、“Hulvaだよ、君”と答えた。


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 “地賢”

 “雷伯”

 “死疫”


 魔導協会には他に2名の一等術師が存在するが、皆が戦闘魔術師というわけではない。


 むしろ、傭兵のように戦闘行為を主だって行うものは殆ど居らず、いずれもが政治に携わるか、もしくは学者や教職といった生業に就いている。


 皆戦闘などという野蛮な行為が好きではないのだ。

 そんなことよりも調べものをしたり、有り余る権力で欲を満たしたりしたほうがずっと楽しいからだ。

 ただそれは、彼等が戦闘行為を得意としない事を意味するわけではない。


 いざ敵を殺すとなれば、魔導協会の最高位の魔術師連中は他のだれよりも大規模に、派手に、凄惨に殺してみせるだろう。

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