謁見

 ■


 知っての通り、とゲルラッハは魔軍に対する逆撃の概要を説明した。

 レナード・キュンメルからも簡単に説明を受けていたとはいえ、余りにも無謀で知性を感じられない蛮人的な作戦に、ヨハンもヨルシカも“もっと何か良い案はないのだろうか?”と思わざるを得ない。そう、例えば海を渡るだとか。


 そんな表情が表に出ていたのだろうか?

 ゲルラッハは憮然として言った。


「外部からの侵入は困難だ。これは秘されておるが、第一次人魔大戦の記録には当時の大国、アステール星王国が船団を組み、果ての大陸へ逆侵攻を仕掛けたと記述がある。しかしそれは失敗に終わった。外部からの侵入を拒む何か、或いは何者かがいた…と思われる。…これが最初の失敗だ」


 “最初の失敗、という事は…?”とヨハンが疑問を込めた視線をゲルラッハに向けた。

 1度目があるという事は2度目、3度目もあるのだろうか。

 そして失敗した原因とは何か。


 ゲルラッハはヨハンが視線に込めた疑問に答えた。

 優れた魔術師同士は無言の意思疎通を可能とするが、これは魔術ではなく洞察の分野の能力である。


「そうだ、過去に4度逆侵攻が行われ、その全てが失敗した。更にいえば詳細が記述されていないのだ。ただ、失敗した…と。それだけが記録に残っている。もっとも最新の侵攻は第二次人魔大戦後期に行われ、これは当時の軍事強国が主導となって行われたが、結局失敗しておる。レグナム西域帝国は当時小国であったが、情報の価値を他のどの国よりも知悉しておった。だから各国へ間諜を飛ばしており、その者らによって当時密かに収集された報告書によれば“果ての大陸には決して行くな、そして、果ての大陸のモノを決して外へは出すな“と。それだけが記されておった」


 妙な話だ、とヨハンは思う。

 果ての大陸は危険だから決していくな、というのは理屈に合っている。だが、果ての大陸のモノを決して外には出すな、とは。


「過去の大戦で、魔族は我々の世界へ何度も侵攻をしています。それは第一次人魔大戦の時も同様でしょう。外へ出すな、というのも今更だと思いますが…」


 ヨハンがそこまで言うと、ヨルシカがああ、と何か得心が言ったように声を漏らした。


 ゲルラッハとヨハンがヨルシカを見ると、彼女は自信なさげに確信があるわけじゃないのだけど、と続けた。


「魔族以外の何者か、もしくは何かがいたっていう事じゃないのかな?魔族はそれまでにも何度もこちら側へ侵攻をかけてきていたわけでしょう?でも敢えて“外へ出すな”なんて残すっていうことは…他に何か危ないモノがある、いるからって事になる…んじゃない?」


 理屈には合うな、とヨハンはヨルシカの考えに同意した。

 それにしても、とヨルシカが続ける。


「過去の大戦では勇者がそれぞれいて、復活した魔王を封じてきたのでしょう?その勇者はどうやって魔王の元へたどり着いたのだろう?船団を寄せ付けないっていう何かは勇者の事だけは見てみないふりをしたという事?記録には残っていないのかな」


 ヨルシカの疑問にゲルラッハが答えた。


「各々の勇者は各々の方法で果ての大陸へと渡った。初代勇者は空を舞い、二代勇者は竜の背に乗り、三代勇者は船を使った。妨害などは無かったようだ。神のご加護というやつかも知れぬな。いや、加護ではなく呪いなのかも知れぬ。過去の勇者は魔王封印と引き換えに全て死んでいるのだから」


 ゲルラッハは全く信仰心を感じさせない憮然とした表情で吐き捨てた。よほど神が嫌いな様だった。


「しかしよくわからない事が多すぎるな。その魔族以外の何かがいたとして、では魔族との関係性はどうなんだという話になってくる。二者は敵対しているのか、あるいは従属関係か、もしくは協力関係か。従属か協力関係であるなら魔族はそのナニカの使い走りでもしているのかな。ソイツを果ての大陸から解放するために侵攻をしている、とか…だが、それなら魔王は何故動かないのか。いや…」


 ──動けない、のか?


 考えられる理由は転移の大魔術の維持、これが最も筋が良い。

 魔王は自由には動けず、術の維持の為に消耗もしているだろう。

 だが筋悪の理由もある。

 いわゆる悪い予感という奴だ。

 そして往々にして悪い予感というのは当たるのだ…


 ヨハンの思考の糸車がカラカラと音をたてて回転する。

 ふとゲルラッハがこちらを視ている事に気づいた。


「ヨハン…連盟の術師よ。儂も貴様と同様の危惧を抱いている。我々は敵を見誤っているのではないか、と。だからこそ、魔王暗殺に際してもある程度の戦力をこちら側へ残しておく必要があるのだ」


 我々が失敗した時の為に?とはヨハンは尋ねない。

 舐めやがって、とも言わない。


 だが彼の中で、裏路地で過ごしていた頃、胸で常に燃えていた負けん気の炎が僅かに揺らめいた。

 少年時代の彼よりは確かに精神的に成長し、変異し、肉体的にもその組成を一般的な人間からは乖離しているヨハンだが、チンピラ気質から脱却する事は叶わないようだった。


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 二人はそれからもゲルラッハと言葉を交わした。

 中央教会の顛末も話し、教会嫌いのゲルラッハは大いに溜飲を下げたようだった。


「ふん、儂は昔から連中が嫌いだったのだ。それにしても教皇が“そう”だったとは流石に考えの埒外であったが。だが、神は滅んだか。神亡き世で儂らは恐るべき魔に向き合わねばならぬという事だな」


 ゲルラッハの言葉とは裏腹に、彼の表情は不敵であった。

 彼の恐れるものは魔族でもその裏にいるかもしれない大悪でもない。皇帝サチコの涙のみがゲルラッハを恐怖させるのだ。


「さぁ、そろそろ時間だ。これから謁見の間に行き、陛下からお言葉を賜るだろう。くれぐれも粗相をするなよ。特にヨハン、目つきは柔らかくせよ。ううむ、心配だ。陛下はいざ有事となれば悪魔の軍勢にも怯まぬお方だが、平時はやや臆病なのだ。殺し屋のような目つきで見られたら泣いてしまうかもしれぬ」


 ヨハンはゲルラッハの揶揄に、お前に言われたくはない、という意思を視線に込めて返した。


 ヨハンは思う、コイツは控えめに見てもヤクザ者かなにかにしか見えない…もしくは悪徳大臣か、と。


 その考えは正しい。

 貴族などというものは権力を持ったヤクザ者に過ぎないし、ゲルラッハが悪徳大臣だという点も決して間違ってはいない。


 禿頭の大臣は呑む事が好きだし、打つ事も好きだし、買う事も好きだ。特に最後の点…嫌がる者を無理やりに、と言うのは彼の好みではないが、何かしら思惑があり、嫌々だけど仕方がない…と思ってる者の花を摘み取る事はゲルラッハの品の悪い趣味として有名であった。


 ■


 レグナム西域帝国皇帝サチコに謁見すべく、ヨハンとヨルシカは謁見の間へと案内をされた。彼らを迎えたのは圧倒的な威厳に満ちた空間…ではなく、西域最大版図を誇る大帝国の皇帝との謁見の間らしくはなく、簡単に言うならば豪奢さに欠けていた。


 壁面には大小さまざまな絵画が飾られているが、それぞれが世界各地から集められた名品ばかりであるにもかかわらず、畏敬の念を感じさせない。というのも、絵画のモデルが犬や猫といったものばかりだったからだ。大きな銀皿に数匹の子猫が入り込み、かわいらしい寝顔を見せているような絵に対して、一体どこの誰が威厳を感じる事ができるというのか。


 床には深い赤色の絨毯が敷かれ、絨毯は謁見の間の奥にある玉座まで続いていた。その先には輝く宝石で飾られた王座がそびえ立っているが、王座の背もたれの頂点にとまっている銀色の小鳥の小さい像が何とも可愛らしい。


 跪いている男女の姿もある。


 謁見の間には既に先客、つまり四名の男女が既に控えていた。その中には冒険者ギルドで出会った金等級冒険者、カッスルの姿もあった。彼は迷宮探索を専門としているが、その経験が買われた形となったのだ。


 そして他の三名。


 世界の理の一つを解き明かした小人族の偉大なる学者、魔導協会所属、一級術師“地賢”ケロッパ。


 サチコ帝の身を慮る気持ちが極まって、その安寧を脅かす魔王軍に誅罰を下すべく今回の遠征に名乗りを挙げた女傑、近衛隊副隊長“剣聖”ラグランジュ。


 闘都ガルヴァドス※1の絶対王者、半巨人のゴッラ。


 ■


 おやおや、これも縁かね…と金等級冒険者カッスルは横目で魔術師と剣士の姿を追った。


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 カッスル・シナートは帝国の生まれではない。

 帝国の事実上の属国、ロナン王国の出身であった。


 幼少時のカッスル少年は読書家で、中でも冒険王ル・ブランが書いたと言われる物語が大のお気に入りだった。


 冒険王ル・ブラン。


 その名は伝説に彩られた大冒険者であり、彼の生涯にわたる冒険の記録は多くの者たちに憧れと尊敬の対象となっていた。

 ル・ブランはまるで夢のような天空都市、不思議に満ちた地底都市、そして神秘的な海底都市など、世界中のあらゆる秘境に足を踏み入れ、その詳細な記録を書に残した。


 また、第一次人魔大戦の中期に生まれたとされるル・ブランだが、その生涯については謎に包まれている。何故なら彼が訪れたとされる秘境を他のどの冒険者も見つけ出すことができず、その信憑性が疑われているからだ。また彼が初代勇者と親交があったという噂もあり、その事実は今も確かめられずにいる。


 その実在すら疑われるル・ブランだが、彼の物語に胸を躍らせた者は数知れず、カッスル少年もまたその一人であった。


 彼は実に真っ当に鍛錬を積み、実に真っ当に知識を蓄えていき、実に真っ当に戦う業を磨いていった。

 勿論独学には限界があるが、レグナム西域帝国からの物的資本、人的資本がロナン王国に大量に流入してきているという状況が幸いした。


 当時の帝国は10代皇帝ソウイチロウの治世下にあり、彼は急進的な領土拡張主義を取っていた。

 ロナン王国も帝国という名の大波にあっさりと呑み込まれるが、様々な理由により国体の存続を許される。


 ロナンがロナンとして存在していたほうが都合の良い事情があったのだ。※2


 帝国はロナンに資本を注ぎ込み、ロナンは帝国侵攻以前より遥かに栄える事となった。


 カッスル少年はそういう情勢下で生まれ、そして成長していった。恵まれない環境にも屈さず、克己の意思を忘れない者は確かに強くなる。しかし、恵まれた環境で努力を惜しまない者も強くなる。


 その証明が金等級冒険者“探索者”カッスル・シナートという男であった。長じた彼は世界中のそこかしこに足を運び、様々な遺跡、迷宮、秘境を探索してきた。


 彼の象徴とも言える“うねりの魔剣”はとある迷宮で手に入れたものだった。非常に魔力を伝導させやすい金属で作られており、しなり、伸び、螺旋を描く剣身は現在の鍛冶技術では作成し得ない。迷宮という空間では、時に古代の財宝を手にできるチャンスが訪れる。


 “迷宮”というのは極めて強大な個が周辺環境を改変した空間を言う場合と、もしくは何者かが意図的に作成した構造物を言う場合とがあるが、カッスルはその両方を多く踏破していった。

 迷宮踏破、秘境踏破にあたって危険な存在と対峙した回数は数知れない。その中には竜種すらも居た。


 しかし、自身の未知を既知へと変える時の喜びたるや!

 カッスルはその喜びを、快感を覚えるたびに総身に幻想のエネルギーが満ちていくのを感得するのだ。

 その時のカッスルはまさに万夫不当の力を発揮する。


 魔王が住まうだろう根拠地も、タイプはどうあれ“迷宮”であろうと予想する事は容易で、その踏破を目指すのならばカッスルの経験…能力は非常に役立つだろう…そう考えた帝国が彼へ声を掛け、そしてカッスルもまた未知を既知とすべく魔王討伐の大任を引き受けたのである。


 ■■■


 ヨハンとヨルシカは集団の後ろに跪き、サチコを待つ。


 この謁見の後に急いで出発する以上、通常の礼式に則った謁見を執り行う事は叶わないが、それでも多少の準備は必要らしい。


 ヨハンは何とはなしに周囲を観察した。

 謁見室を飾り立てる装飾群は、皇帝の威厳を示す事を目的としているというより、少女の夢想の具現化と言った感じだ。


(皇帝は年端がいかないと聞いてはいたが…)


 ヨハンはそう考えるが、サチコを軽く見る事は決してない。

 むしろ、謁見の間という空間に自身の趣味をここまで反映させることができる皇帝の権力…あるいは求心力に瞠目した。


 皇帝という立場は確かに帝国の最高権力者だが、いくら皇帝と言えども年端がいかない少女であるなら、その意思を思うままに叶えるという事は難しい。ましてや皇帝の権力を内外に示す場の装飾というのは、これは帝国の面子にも関わる事であるため、少女趣味の装飾というのは例え皇帝が望んだとしても反対されることは必至である。


 であるのに、どうみてもサチコの趣味が反映されているのは、これは彼女が極めて強大な求心力を有しているという証左であった。


 それ以外にも、サチコという少女の術師としての能力の埒外ぶりも警戒に値するとヨハンは思う。


 条件付けがされている様だが、広大な帝国領土の全域に自身の影響を及ぼすというのは尋常な事ではない。

 それはヨハンにも、いや、彼が知る術師の誰一人として為し得ないものだった。


(ゲルラッハの説明では帝国臣民である事、加えて元々帝国に、翻っては皇帝サチコに対して忠誠心を抱いている必要があるとの事だったが…)


 その言葉を丸々と信じるほどヨハンは素直な性格ではない。


 仮にゲルラッハの言葉が嘘だった場合、つまりサチコの魔術が帝国臣民でなくとも作用する場合、いざという時に逃げ出す事がないように、精神を縛ろうとする事もありうるとヨハンは考えている。鉄砲玉が逃げ出してしまっては、折角2大国が手を組んでイカれた策を立てた意味が無くなってしまうからだ。


(もし精神干渉が行われたら振り切って逃げるとして…)


 ヨハンの悲観的思考は、自身の脳内世界に“この場の者達と戦闘になり、帝国の追手を振り切りながら逃走している自身とヨルシカの姿”を投影していた。


 これはヨハンというより、ある程度の戦闘経験を積んだ者に多い悪癖なのだが、事あるごとにより悪い可能性に思いを馳せてしまうのだ。


 一応の合理性はある。

 状況が悪くなればなるほどに、大抵の者は心が乱れる。

 心の乱れは意思の乱れ、意思の乱れは魔力の乱れ。

 その振れ幅が出力を生み出す事もあるが、冷静な判断ができない状態というのは、魔力増大というメリット以上のデメリットだ。

 特に命のやり取りをしている最中には。


 その為、戦闘巧者達は考えうる最悪の状況の現出に備えてその思考のリソースを割いている者が多い。


 ■



 やがて、皇帝サチコが入室してきた。

 通常は式武官による入場の掛け声があるのだが、この時ばかりは例外だった。ゲルラッハはアイリスの報告により、既に帝都に“鼠”が入り込んでいる事を知っている。

 場合によっては帝城にまで入り込んでいるかもしれない。

 暗殺の試みを喧伝する必要は無い。


 サチコは跪く一同を視線で一撫でする。


 するとヨハンの肌に蟻走感が走った。

 魔術による精神干渉か、とヨハンは思うがすぐにその考えを打ち消した。


(違うな、皇帝を中心に何かが広がっている…)


 ヨハンが感得したものは、その濃度を極限まで薄めた“世界”であった。自身の精神世界を現実世界へ投影するというのは魔術の一つの奥義でもあるが、それと同じ事をサチコもやっているという事だ。この“世界”は余りにも薄い為、通常はそれとはっきり気付く事は難しいが、面と向かえば流石に気付く。


 しかしゲルラッハからは事前に説明は受けており、ヨハン達が取り乱す事はない。サチコから面をあげるように言い渡され、ヨハン達は正面からサチコを見た。幻想的な瞳から発される何かがヨハンに放射される。


 脅威は感じない。

 戦闘能力という意味で、サチコはこの場の誰よりも低いだろう。

 黒い絹のような髪、華奢な体躯、白磁の様な肌。

 その全てが脆弱で、儚く、脆い。

 しかし、それでも彼女はこの場の誰よりも尊い存在であった。


(見た目こそ少女だが、中身は亜神のようなものだ。なるほど、帝国の連中が崇め奉る理由もよくわかる)


 皇帝サチコは王座に着くと、勇士たちに短く声をかけた。


「貴方方に魔王討伐の任を命じます。世界の安寧を取り戻すため、命を懸けて戦いぬくことを期待します。ゅ、勇気と力がありゃんことを…ッ」


(噛んだか)

(噛んだね)

(ここで噛むとは)

(これはこれは!)

(陛下…おいたわしや…)

(グ…)


 一同の思念が空気を伝導してしまったかどうかは分からないが、サチコの矮躯が一瞬震え、しかし震えはすぐに止まった。

 視線の先に太い体躯の禿頭の男が居たからだ。


「陛下、後は私が」


 ゲルラッハがドシドシと横からやってきてその場を引き取る。

 皇帝に対する礼儀を欠いている様に思えるが、サチコはそれと分かるほどに全身から安堵のオーラを発して頷き、立ち去っていった。


 ■


 ゲルラッハは跪く一同をねっとりと眺めまわした。

 生徒たちの所持品から、何かけしからんモノを見つけ出そうと執心する意地悪な教師の様な視線だ。


「ふん、まあいいわい。ともかくも、そういう事だ。分かってはいるだろうが今夜のうちに発ってもらう。救世の大任であるッ!せいぜい気張れよ」


 ゲルラッハが雑に纏めると、跪く一同の中から声が上がった。

 近衛隊副隊長ラグランジュだ。


「気張るですって!?閣下、それは貴殿にも言える事です!身命を賭して陛下を護ると今この場で誓いなさい!」


 腰に手を当て、長い金髪を振り乱し、甲高い声で女傑は吠えた。

 涼し気な蒼藍色の切れ長の目にヒステリーの炎が燃えている。


 彼女はサチコ以外の者に対してはとにかく刺々しく、更に言えば強度の男性嫌悪者であった。こういう者は疎まれ、排斥されるのが常だが、ラグランジュの場合は卓越した業前が周囲の雑音を封じ込めている。


 ラグランジュはゲルラッハが気に食わなくて仕方ないのだ…というより、サチコに近づくすべての生物学的男性が気に食わない。


 だが気に食わないからといって、排斥を試みるという事もしない。

 彼女にとってそれはそれであり、これはこれだからだ。

 性別がどうであろうと、個々人の能力を認めるだけの度量が彼女にはある。むしろ優れた能力を持つ者に対しては素直に尊敬の念を抱く。


 しかしその素直な気質が男嫌いの気質と化学反応を起こし、能力のある男性に対しては…


 “嫌いだけど能力は認めている。男なんて糞ったれなので好かれたくはないが、自身が認めた程の者からは同じように認められたい…”


 というような、感情を抱いてしまう。

 要するに彼女は男にとって非常に面倒くさい女なのだ。


 ゲルラッハは“面倒くさい女だな”という表情を露骨に浮かべるが、そこへ都合よく衛兵がやってきた。


 夜更けという事もあり、大声で何かを発するという事はない。

 しかしその面持ちは強張っており、まるで底なしの谷間にかけられた氷で出来た細い橋を渡る者の様な表情をしていた。


 衛兵がゲルラッハの耳元に何事かを囁くと、ゲルラッハは何度か小さく頷いて言う。


「…うむ!どうやら残された時間は余りない!さあ行け!勇士達よ!」


 タイミングもタイミングであった為、ゲルラッハがラグランジュの話を強引に話を切り上げようとした様に思えたのだろう、ラグランジュは頬を怒気で紅潮させた。


「ちょっと!ええい!仕方無い!帰還後はこの度の仕儀はしっかり問いただします!…ねえ!アナタ!そこの!どこ行くのよ!大任なのだから全員で強調の儀を…ッ!」


 ラグランジュがヨハンを指差し、腹の底からキンキン声を出す。

 ヨハンは既にヨルシカを連れ、背を向けてその場を立ち去りつつあった。付き合っていられなかったのだ。


(強調の儀ってなんだよ)


 ヨハンの偽らざる想いである。


 ■


「あの女の人、強いね」


 ヨルシカが短く言う。

 その口調には僅かに嫉妬が混じっていた。

 剣士としては自身より格が上だ、と一目で分かったからだ。

 ただあくまでも剣士としては、という但し書きが付く。


 ヨハンとの精神的な繋がりや度重なる交合に伴う体液の交換により、彼女はもはや純然たる人間かどうか怪しい所だった。

 現在の彼女が全力で戦闘をする場合は、卓越した剣技でどうこうするというよりは、その身体能力を十全に活かしたものになるだろう。


 ヨハンは憮然とした様子で答えた。


「そりゃあ強いだろう。そうでなければ選ばれまい。まあ俺は嫌いじゃないよ、ああいうのは。きっと目的地でも煩く喚くのだろうし、そうなれば良い囮になる。しかも抵抗頑強な囮だ。…というのは冗談だ、そんな目で見るなよ。ともかく、嫌いじゃないというのは事実だ。頼りにもなるだろう、きっと。だってあの女、ちょっと頭おかしいだろう?どう見たって頭がおかしい。友人にはしたくないし、恋人にもしたくないタイプだろう。頭がおかしいからな。しかし戦闘者としては話が変わる。強い奴っていうのは大体頭がおかしいんだよ」


 ヨルシカはヨハンを凝視しながら、確かに、と思うが勿論口には出さない。


 ちなみにカッスル、ゴッラ、ケロッパの三名も巻き込まれちゃ堪らんとばかりにヨハン達の後についていった。


 その後ろにぷりぷりとしているラグランジュが続く。


 ■


 その日の夜更け、帝都ベルンから十を超える馬車が四方へ散った。その馬車の大半はダミーだ。囮だ。

 勇士達は数多くの馬車の内、二台の馬車に分けられて目的地へ向かっていった。


 ──目指すは月魔狼フェンリークが没した地、“毀月荒野”






 ※1“闘都ガルヴァドス”

 イスカ①に名称だけ登場。拳闘、剣闘の街


 ※2“ロナンがロナンとして存在していたほうが都合の良い事情があったのだ”

 別作、ロナン幕間を参照

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