帝城イヴィレイタール

 ■


 その日の夜、ヨハンとヨルシカは食事を終え、軽く雑談を交わしていた。


 ヨハンは饒舌だった。

 もっとも、彼が饒舌であるのは珍しい事ではないが。


 ヨハンはロイ達と組んでいた頃の話、魔術師として一人前になるために師であるルイゼに半殺しにされながらしごかれたという話を、時には盛大に脚色し、時には皮肉たっぷりに語った。


 勿論ルイゼとの修行には“男”としての修行もあったが、それは懸命にも口には出さなかった。

 半ば強引に“男”にされた当時のヨハン少年は、生来の負けん気の強さ故に深い怒りを抱き、閨で師であるルイゼの細首に噛みつき、肉を食い千切ったという黒歴史がある。


 ──余計に気に入りました。お前には既に自分自身の律があるようですね。自身の律を他者にも強要する術(すべ)、それが魔術と知りなさい


 当時、ルイゼはヨハンにそう言い、翌日から一層厳しく、激しくヨハンに魔術を叩き込んだものだった。


 ヨルシカもアシャラで暮らしていた頃の話、冒険者に成りたての頃、サルの魔獣に苦戦をした話、言い寄ってきた不良冒険者に辟易としてた時に、おそらくはアシャラ王が娘可愛さに公私を混同して自身を助けたという話をした。


「…そういうわけでね、その後、なぜかその男にだけ衛兵がつきまとって事細かく違法行為…例えばゴミを路上に捨てたりだとか、立小便をしたりだとか、そういう行為をまるで殺人でもおかしたかのように糾弾するようになったんだよね」


 ヨルシカは首を振りながら言う。


「大切にされているじゃないか。それにしても君らしくないな。ヴァラクの時の様に蹴散らしてしまえばいいじゃないか…いや、そうか、君も当時は乙女だったという事か」


「その気になればできたと思うけど、当時はもう少し行儀が良かったんだよね。…ヨハンの場合は逆かな?ヨハンは昔は行儀悪かったみたいだし。いや、今の方が悪いかな…どうなんだろう…」


 ヨハンの揶揄をヨルシカはさらりと受け流し、逆撃した。

 おっと旗色が悪いな、とヨハンは苦笑する。


「それにしてもさ、こんな事になるとは思わなかったよ」


 ヨルシカがどこかぼんやりした様子で言った。

 こんな事、というシンプルな言葉に字面と相反する様々な出来事、それに対しての思いが圧縮されて込められている事はヨハンにもよく分かる。


 その吐露めいた言葉にはヨハンも同感であった。

 これまでの旅路を思い返すと、良く生きていたものだと何だか少しおかしくなり、ヨハンの口からは小さい笑みが零れる。


 そして彼にしては珍しく、言いたい事を纏める事をしないまま言葉を紡いだ。


「俺は」


 ん?とヨルシカがヨハンを見た。


 ・

 ・

 ・


 何を優先して言うべきか、とヨハンの脳は堅苦しい思考で満たされる。


 君が好きだよ?

 君を愛しているよ?

 君を護るよ?

 君と出会えてよかった?


 どの言葉もよくある陳腐なもののようにヨハンには思えてならない。色ボケしている聖職者の小娘を泣かせ、忌まわしい魔獣や、人を惑わす悪魔といった存在さえ煽り散らし激怒させ、そして仮初とは言え神として崇められてきた存在を口説き落としてきた彼の舌鋒が、この時ばかりは振るわなかった。


 非物質である筈の“思考”が回転し、その摩擦熱で頭蓋骨が炎上するかと思える程にまで高まったヨハンの高速思考を以てしても答えを出す事が出来ない。


 ──もう少しで何か言えそうなんだが


 ヨハンがそう思っていると、高速思考により引き延ばされた時間の中で、ヨルシカの耳が何かに反応するかのようにぴくりと動くのを捉えた。


 時間が通常の流れに戻ると、ヨハンの耳もその音を捉える。


「誰か来るね。音が重い。馬車かな」


 ヨルシカの言葉にヨハンは言葉もなく頷き、自身のこれまでの人生で最も過酷で凄惨な戦いが近づいてきている事を感得した。


 ■


 屋敷の扉を叩く音が響き渡る。

 ヨハンが足早に扉へと向かった。


 扉の外には実直そうな顔つきをした青年が立っていた。


 堅苦しい制服に身を包み、顔には緊張が浮かんでいた。

 用向きは大体想像がつくがとヨハンは思い、使者を迎え入れた。


「ご歓談中、失礼致します。私はアルヴィンと申します。宰相ゲルラッハ閣下のご命令を受け、お二人様にお迎えに参上いたしました」


 使者は礼儀正しく、そして重々しく言葉を述べた。ヨハンとヨルシカは動揺も緊張もしておらず、アルヴィンと対照的であった。アルヴィンは深呼吸をし、その用件を告げる。


「ヨハン殿、ヨルシカ殿、この度、皆様は魔王討伐の勇士として正式に選出されました。皇帝サチコ陛下より、お言葉を賜ることになります。ただしその前にゲルラッハ閣下がお二人にお会いしたいとの事です」


 ヨハンとヨルシカは頷きあい、迎えの馬車に乗り込んだ。


 ■


 ヨハンとヨルシカは、迎えの馬車に乗り込み、帝城イヴィレイタールへと向かう事になった。自身でも感得しえない緊張の為だろうか、二人は馬車の中で雑談に興じる。


「いよいよかぁ。所でゲルラッハ閣下ってどういう人なんだろうね、いや、性格的に。中々苛烈な方だとは聞いているけれど」


 ヨルシカが言うと、ヨハンも軽く頷いた。


「師はゲルラッハを“骨のある俗物”と評していた。師が、ルイゼの人物評の中ではそれなりに上の評価だ」


「骨のある俗物って…。ちなみにヨハンはどんな評価をされているの?」


 興味本位でヨルシカが尋ねると、ヨハンはやや憮然として答えた。


「野良犬」


 けらけらと響くヨルシカの笑い声はまるで年相応の小娘の様だ。


 ヨルシカの笑い声を耳にした手綱を取っていたアルヴィンは、“緊張感がない人達だなぁ”と思った。


 ・

 ・

 ・


  帝城イヴィレイタールに到着したヨハンとヨルシカは、厳かな雰囲気に包まれた広大な城内を進んでいった。

 前方を歩く侍女の左肩には緊張が、右肩には不安が全力で体重を掛けて圧し掛かっているようだった。


(ゲルラッハと言うのはよほど怖い人なのかな)


 ヨルシカが侍女の背を見て、そこでふと爽やかな香りが漂ってきた事に気付き、隣を歩くヨハンの顔を見る。


 ヨハンは葉っぱを齧っていた。

 なぜ葉を?とぱちぱち瞬きをするヨルシカの視線に気づいたか、ヨハンは短く言った。


「眠気覚ましだよ」


 君もいるかい?とヨハンが葉を一枚差し出しす。

 ヨルシカも少しばかり眠気を感じていた事もあって、なんとなくそれを受け取って齧ってみた。

 半瞬、目の裏を針でザクザク刺されたかのような苦痛が襲う。

 そして間を置かずに苦痛は脳を氷漬けにしたかのような清涼感に取って替わった。


「こ、これッ…」


 ヨハンはポロポロと涙を流すヨルシカの目元を清潔なハンカチーフで拭い、苦笑をしていた。


「すまん、俺が暫く持っていたせいかな…薬効が強くなっているみたいだ。これは自慢になると思うんだが、俺が傍にいたり面倒を見ていると、植物がよく育つんだ。そういう身体になってしまった。何となく理由は分かるが…まさか薬効まで強くなるとは。戦後は薬師にでもなろうか…」


 その口ぶりは悪びれたものがなく、本当に失念していた様子だった。ヨルシカの落涙はすぐに収まり、ぷくりと少しだけ頬を膨らませるが、怪しい薬を売り捌くヨハンの姿を想像すると口の端に小さい笑みを浮かべる。


 案内の侍女は、そんな二人を見て“緊張感が無い人たちだなぁ”

 と少しだけ呆れた。


 ■


 やがて宰相ゲルラッハの執務室の前に着くと、侍女は重厚な扉をノックする。


 部屋の中から声が聞こえると、侍女が扉を開き、見事な一礼で二人の入室を見送った。


 部屋の扉が開くと、そこには重厚な書物が並ぶ本棚や、様々な国家事象が描かれた地図が飾られた壁が広がっていた。部屋の奥には玉座の様に大きい椅子に腰かけている。


 宰相ゲルラッハは、身体の全てのパーツが大きく、腹は大きく突き出ていた。それでいてだらしのない肥満中年に見えないのは、彼の放つ得体の知れない雰囲気のせいかも知れない。

 見事な禿頭も彼の押し出しの強さに寄与している。


 ヨハンとヨルシカは、巨大な猛禽が羽を広げ、音も無く肉薄してくるような威圧感をゲルラッハから感じていた。


「宰相閣下、これは一体どういう御積りでしょう?」


 ヨハンの口調は慇懃無礼で、その佇まいは臨戦の一歩手前といった様子だ。これはヨルシカも変わらず、彼女の両脚には一息でゲルラッハに斬りつけるには十分すぎる程の力が込められているのが分かる。


 ──不活性の毒気…いや、毒ではない。だが…


 ヨハンの内部で意思が膨れ上がる。

 それはヨハンの意思でもあり、内包する神魔の意思でもある。

 意思はこう言っていた。

 敵を殺せ、と。


 ■


「ほう、これは」


 ゲルラッハは太く笑って言った。


 “なりかわり”の危惧というものは常にある。

 帝国臣民であるならば全く心配はない、とは言わないが、ある程度の安全は担保される。


 と言うのも、“成りかわり”というのは基本的には魔力に弱い。

 そして“愛廟帝”サチコの大魔術の影響下にあると言う事は、常にその身に魔力を浴びているという事になるからだ。


 だが外部の者にはサチコの魔術は及ばない。

 だからこそゲルラッハはここで試した。


 ゲルラッハは自身の魔力を拡散させ、仮にヨハンとヨルシカが既に成り代わられていた後なら、たちまちの内に床の染みにしてしまおうと考えていた。事実、“死疫”のゲルラッハにはそれが出来る。


 だが、毒や病の魔術の第一人者として知られている彼だが、彼の手に掛かり、さらには賢い者だけが、それが毒や病の類ではない事を知る事が出来る…という事は知られてはいない。


 また、“成りかわり”でなくとも自身の圧に屈するような者達ならば、魔王討伐の任には堪えないとして帰してしまう積りであった。


(だが、見よ)


 この距離、この場所で殺り合って負けるとはゲルラッハは思わないが、無傷で済むとも思えない。

 いや、或いは自身の想像を超えてきてもおかしくはないとゲルラッハは感得し、良い拾いモノをしてきたじゃないかとレナードを内心で賞賛した。


(グフフ、レナードの奴に褒賞をくれてやらねばな。陛下に直接褒美の言葉を賜れるよう取り計らってやるか)


 サチコの忠誠の大魔術の影響下にある者にとって、サチコとの直接的な接触は狂気的な法悦を齎す。

 違法薬物の過剰摂取をするようなもので、相応の魔力…つまりは意思力を持たない者にとっては命にすら関わる。

 だが意思力強固な者ならば、それこそ性交など児戯に思えるような精神の絶頂を感得するに留まるのだ。


 だがまずは誤解を解くことだ、とゲルラッハは部屋に拡散させた自身の魔術を解除した。本当に殺し合いになってしまっては元も子も無い。


「すまぬな。何せ、皮の下は知れたものではない…というような輩もいるものでな。その辺りの見極めも兼ねての事だ」


 それを聞いて、ヨハンとヨルシカもある程度の納得を示した。

 魔族が他者に成り代わる事を二人は知っている。

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