帝国へ⑩
◆
ヨルシカは寝台に転がり、鏡台の前に座ってなにやらモゴモゴと口を動かしている恋人を見遣った。
「何してるの?」
ヨルシカが問うと、ヨハンは魔法の練習と答えた。魔法ははっきりとした発音が大事との事だ。
「いつでも自在に思い出せるからといって、それをもって記憶が定着したとは言わない…ということさ」
あの大森林の死闘で、ヨハンには魔法に関する知識が外から植えつけられた。
だから魔法を使おうとおもえば使える。
しかしそれは、一切薬の調合に対しての知識がないにも関わらず、しかし手元には猿でも理解できるような詳細な調合書がある…例えるならばそのようなものであり、この違和感を無くす為には日々の努力を積み重ねるしかなかった。
魔法か、とヨルシカは思う。
恋人の青年は旅を続けている内にどんどん器用になっていく。自身もまた駆け足で成長しているはずだが、果たしてそれは恋人の、ヨハンの肩に並べていると言えるだろうか?
ヨルシカは無言で首を振った。
憂鬱の粒子がぱらぱらと散る。
「言えるだろう。というより、聖都であのバケモノにとどめを刺したのは君とあの変態じゃないのか」
不意にヨハンが言った。
変態?とヨルシカが聞くと、“あいつの視線が気持ち悪いからよくよく確認してみたら、青い小娘を見る時だけ興奮していた”との事だった。
「あはは、それは確かに気持ち悪い…まあ、そうだね、そうだ。私も戦えている。だけどもっと強くならないといけないような気がする」
ヨルシカがそういうと、ヨハンは彼にしてみれば珍しく笑顔を浮かべた。
「そういう事なら問題はない、強くなるためには死線を潜る事が効率的だが、幸いにも俺達にはまだまだ強くなる余地がある。たくさんの命が失われる、そんな死闘が待ち構えている。俺の霊感がそう囁いているんだ」
それに、とヨハンは続けた。
「君は俺を護るためならどこまでも強くなる。強くなってくれる。そうだな?君の肌は敵の返り血で赤く汚れるだろう。しかし大丈夫だ、君が幾ら血で汚れても、俺がそれを拭い取ってやる。だから沢山沢山積み上げてくれ、俺達の敵の首を」
ヨハンの魔力が拡散され、にわかに部屋の空気が粘性を帯びたように重くなった。
瞳を爛々と輝かせ、万色を包括したドス黒い魔力を全身から放射するヨハン。
その背に黒い太陽が煌々と輝いているのをヨルシカは幻視した。
「ヨハン…君…まるで、悪役みたいだよ…」
噎せ返るほどに濃密な不可視のなにかに喘ぎながらも、ヨルシカは辛うじて口に出した。
「そうかい?なら悪役らしく振舞うか」
ヨハンの手がヨルシカの衣服の、その襟元まで伸びた。
灯が落とされる。
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「明日は出来るだけ物資とかを補充したほうがいいよね。この状況だとどこも品薄かなぁ」
一段落ついた2人は、布団の中で明日の相談をしていた。
触媒も欲しい、日用品もほしい、食料もほしい…金はあるが物があるかどうかは店にいってみなければわからない。
そうだなあ、とヨハンは返事にもならぬ返事をし、手持ちの品を思い返す。
「金が金としての価値を暴落させる前に、色々買い込んで置きたいな。まあ明日になってから考えようか。今日はもう寝よう」
うん、と応える声。
ややあって寝室には2つの寝息が響いた。
◆
翌朝。
「じゃあそういう事で」
ああ、とヨハンはヨルシカに手を振り、2人は宿の前で別れた。
手に入れたい物資が多いので二手に分かれる事にしたのだ。
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