帝国へ⑪
◆
「やあこれはこれは」
背後から声が掛けられ、ヨハンは振り返った。
目の前には2人のガタイがいい中年男が居た。
1人はザジ。
そして、もう1人は胴体に鎖を巻きつけているなにやらやたらと筋肉を強調してくるような男だった。
「やあ、ヨハンさん。アシャラ以来ですね。こちらはゴ・ド。私の同僚です。ゴ・ドさん、こちらは冒険者のヨハンさんです。知人です」
ゴ・ドと紹介された男は掌に拳を当てて一礼した。
ヨハンもまた拳に掌を当てて一礼。
「おお、掌拝礼をご存知で?」
ゴ・ドは笑顔を浮かべた。
ヨハンもまた笑顔を浮かべ、頷く。
掌拝礼とは中域に伝わる挨拶仕草だ。
西域では利き腕の拳を固め、それを顔の横に掲げる。
こういった仕草は地域によって異なり、相手と同じ仕草でもって返礼する事は相手の人格を尊重するという意味を持つ。
「ええ、中域とは余り縁がないのですが、冒険者をやっていると色々伝手もできます」
うん、うん、と2度ほど頷いたゴドの視線がヨハンの義手に向けられる。それに気付いたヨハンが腕を上げ、ゴ・ドに良く見えるように掲げて言った。
「腕一本引き換えにすれば難敵の命脈を絶てそうだと思いましてね。腕に呪毒を仕込んでその敵の口に突っ込んで、当時の仲間に腕を切断してもらいました。腕の良い剣士です。あの時彼女が僅かにでも躊躇していたら、俺の胴体にまで毒が回り、こうして生きてはいないでしょうね」
ザジとゴ・ドは満足気な笑みを浮かべた。
ザジがパンパン、と二度ほど手を叩き、口を開く。
「心が太くいらっしゃいますね。ヨハンさんもその剣士殿も。ちなみにその剣士殿は…?」
ザジの、なにやら様子を窺う様な声色にヨハンは明るい声で答えた。
「一緒に帝都へ来ていますよ。仲間であり、恋人でもあります」
ヨハンの言にゴ・ドは掌に拳を軽く2度叩き付ける。
これは“いいね!”という意味だ。
「ああ、こんな所で立ち話もなんです、そこの店で何か飲みながら話でもしましょうか」
ヨハンがそう言うと、ザジとゴ・ドは頷き、男三人のお茶会が始まった。
◆
「何と…」
ザジが呟いた。
茶でも飲みながら雑談をしようか、と和んだ雰囲気になった瞬間に、ヨハンが爆弾を落としたからだ。
つまり中央教会の崩壊、教皇の本性、更に言えば彼等の崇める法神がもう居ない…そういった仕儀の事である。
「なんと…」
ザジがもう一度呟いた。
ゴ・ドは腕を組み、眼を閉じ沈黙を守っている。
不動、岩の如しといった有様だ。
「しかし…」
ザジが更にもう一度呟いた。
しかし?とヨハンが促すと、ザジは眉間を強く揉みしだきながら言った。
「私は強い失望を抱きました。私自身に対してです」
ザジはグイッと杯を煽り、腹を酒精で満たした。
ゴ・ドがその杯に更に酒を注ぎ、ヨハンがつまみの皿を差し出した。更には根菜を干し肉で巻いたモノが添えられている。
「ヨハンさんは嘘はついていないのでしょうね。こう見えても邪教徒を何十人も“素直”にさせたことがあります。虚実を見極める事は得意なのです」
ええ、とヨハンが相槌を打った。
「であるなら、法神は偽神であり、中央教会で属していた私の日々…人生は無為であった事になります。しかし、私は余り衝撃を受けていない」
「勿論心に何か穴が空いたような…そんな虚無感の雫が滴っている事は事実です。この一滴一滴はいずれ私の心に取り返しのつかない穴をあけてしまうかもしれません。しかし、今の所は大丈夫なのです」
「なぜでしょう。もっと衝撃を受けて当然だとおもいませんか。心身が痛苦に満たされ、悲痛の余りに心の臓が破裂して当然だと思いませんか」
――私の信仰とは、最初からその程度のものだったのでしょうか
ぽつりと呟くザジは焦燥のヴェールに覆われている。
その薄布は全身に纏わりつき、決して剥がすことができないのだ。想えば想うほど、悩めば悩むほどに憂鬱の水滴をヴェールが吸い込み、体の動きも心の動きも鈍くなってしまう。
◆
「ザジ殿。貴方が信仰を持つにあたって、どういう経緯があったのかは俺には分かりません。当初の貴方は確かに法神にその信仰を捧げていたのでしょうね。法神の為の信仰です。神に仕えることを目的とした信仰です。しかし、どこかで変節があった」
変節?と言いたげなザジに、ヨハンは頷いた。
「いつしか貴方は神の為に、法神の為に信仰を積むことをやめ、救われるべき人々を救う為に信仰を積んでいたのではないでしょうか。救われるべき人々を救う為に信仰を積む…これは実際の行動が求められます。不埒な輩共に苦しめられている弱き人々を救う為に必要なものはなんでしょうか。祈りですか?違います」
ヨハンは義手を掲げ、万力を込め拳を形作って言った。
――鉄拳です
「人々を救う為には邪悪な輩の頭を鉄拳にて叩き潰す必要があります。祈りではどうにもなりません。そう思いませんか」
ヨハンの問いに、ザジは頷いた。
確かにそうだ、忌まわしき邪教徒。人々を贄に捧げ、神という名ばかりの悪霊の如き存在を喚び起こそうという邪悪…そんな輩の頭部を自分は叩き潰してきたではないか。
それは法神の為だったのだろうか?
いやちがう。よるべなき弱き民のためである。
「ザジ殿。信仰とはなんですか。俺は信仰とは心の在り方だとおもいます。であるならば、貴方が教会の崩壊に、法神の消滅に、教皇の背信に衝撃を受けなかった理由は1つです」
ザジの目が見開かれる。
ゴ・ドがうんと大きく頷く。
「貴方の信仰…即ち心のあり方が、神の人形であり続けるための形だけのものではなく、弱き民を救い、導くものであったから…だと俺はおもいます」
ザジの目が更に大きく見開かれる。
ゴ・ドがうんうんと大きく頷く。
「貴方は既にご自身の信仰、つまり心のあり方を定めていたのです。弱き民草を救い、導く。それこそが貴方の心のあり方…信仰!貴方に神は必要ない!貴方が神になるのだ!弱き者達の神に!」
ザジは尊い何かを感得した。
ゴ・ドはちょっと首をかしげていた。
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