閑話:神魔伝承

 ◆◆◆


 魔族とは何か。

 魔族とはこの大陸…ܥܠܡܐ(イム)の覇権的先住民族である。


 そう、元々このイムという大陸は魔族の物であったのだ。

 広大な大陸に多くの魔族が暮らしていた。

 魔族以外の者はいないのか?と思われるかもしれないが、魔族という呼称は例えて言うならば“人間”のようなものであって、魔族の中にも厳密にみれば色々種類があった。


 いや、魔族という呼称は正しくないかもしれない。そもそも彼等には魔族という名称すらもなかったのだから。後述するが、魔族という名は外部から押し付けられたいわば呪いである。


 彼等は言葉一つで炎を生み出し、水を湧かせ、風を吹かせ、大地をめくりあげる。

 蒼く輝く肌はまるで深海の神秘が詰め込まれている様で見る者すべてを魅了した。


 だが彼等は元々このように強大な力を持っていたわけでも美しく蒼い肌を持っていたわけでもない。

 本来の彼等は現在のイムに住まう人々と同様の見た目、そして“魔法”の如き神秘を扱う事はできなかった。


 一言で言うならば弱き者だ。

 しかしその弱き者達は穏健で努力家で信心深かった。


 信心。

 そう、信心深かった。

 彼等はイムの主神、シャディを奉じる民族宗教の信者であったのだ。


 これを便宜上シャディ教という。

 シャディは美しい女性の姿を取る古代の神で、特定の事象を司る神という訳では無い。

 あえていうならば万象を司る神であった。


 極めて強大な力を持つ神であるといえよう。


 しかしシャディはその強大さゆえに信者達に過度の恵みを齎さなかった。

 シャディは万能ゆえに知っていたのだ。

 身の丈に合わない力を得た者達の末路と言うものを。


 朴訥で優しく、真面目な“彼等”をシャディは好きだった。

 好きであるが故に、温かい真綿で包むように優しく穏やかに見守っていた。


 だがある日、異変が起きた。

 それは極めて致命的な異変だ。


 外の大陸からの侵略があったのだ。

 世界はイム大陸のみから成る訳ではない。

 当然の様に他の大陸だってある。


 エラハという神が主神として君臨していた外大陸の侵略者達は、一言で言うならば殺戮のなんたるかを心得ていた。


 だがそれだけであったならばどれだけ良かった事か。


 侵略者達に効率的な殺戮の為の知識はあっても、血に飢えた情動を抑制する為の理性…その源たる教養はなかったのだ。


 侵略者達に弱者は強者に戮されて当然、そして己こそが強者であるという自尊心はあっても、弱者を嬲るだけが強者の証だろうかと疑念の光を投げかける為の自制心はなかったのだ。


 ◆◆◆


 侵略者達はイムの各所へ殺到し、瞬く間に“彼等”を殺戮した。

 “彼等”に抗する手段は無かった。

 何せこれまでただの一度も外敵と争った事は無かったのだから。


 女神シャディはその間何をして居たのか?

 愛する子達が戮されている中、それを黙視していたのか。

 そうではなかった。

 女神シャディは非常に強力な神だ。

 侵略者達がいかに凶猛であろうと、神の前で木っ端も同然であった。


 だがそれが出来ない理由がある。


 もしイムの民を救うべくシャディが腰をあげるのならば、外大陸の侵略者達の神であるエラハもまた腰をあげるであろう。

 そうなれば神と神の争いとなり、何もかもが虚空に帰すに違いない。


 シャディが手を出さないからこそ、エラハも手を出さないのだ。

 それが神の取り決め、世界の摂理であった。


 ではこのままイムの民が駆逐されているのを黙ってみているしか手はないのであろうか。

 女神シャディはそうしなかった。


 危険を理解してはいても、少しずつ、ほんの少しずつ神の力を、シャディの加護をイムの民達に流し込んでいった。

 エラハに勘付かれない様に僅かずつ、僅かずつ。

 その間にもイムの民の数が減っていくのを理解しながらも、少しずつ、少しずつ。


 戦況が均衡したのはイムの民の総数が半分のその半分、そしてそのまた半分程に減ってしまってからであった。


 侵略者の神エラハがイムの民の変容に気付いた時には遅かった。

 イムの民はその肌を蒼く染め、その瞳を紅く濁らせていた。

 姿の変容は神の力の流入による変異である。


 神エラハは激昂し、その両眼に光熱の火花を散らせた。

 神の力を怒りのままに直接的に振るおうとも考えた。


 だが実行には移さなかった。


 なぜならば自身の信者…侵略者達もその数を大分減らしてしまっているからだ。

 この状態で女神シャディと争えばどうなるか。

 敗北を喫するとは思わなかったが、そもそもの目的を達する事が出来なくなるのではないだろうか。


 信者の数はすなわち神の力の総量に等しい。

 想いを束ね祈りと成し、祈りを束ね信仰の力とし、信仰の力を重ねる事ではじめて神の力はいや増すのだ。


 これは逆説的にいえば神を殺すのならば信者を皆殺しにすればいいという事になる。


 そもそも侵略者達がイムへやってきたのは、勢力の拡大がゆえだ。

 神エラハは神に似合わずというべきか、神らしいというべきか、実に“俗”な野心を抱いていた。


 ――至尊の冠は己ただ1柱であればいい


 しかしここで神同士の直接的な争いに発展すればどうなるか。

 エラハの見た所、相克とまではいかなくとも自身は大きく力を減退させるだろう。

 最悪の場合、自身が滅びる可能性もないわけではない。

 そうなってしまっては本末転倒も良い所だ。


 ――ならば


 エラハがした事は、シャディと同じ事だ。

 すなわち自身もシャディに見咎められぬ程度に己の信者達に少しずつ力を流し込むのだ。


 こうなれば後は生存をかけた泥沼の死闘が待つのみである。

 両柱は自身の力を信者達へ流し、両柱の信者達は生存と自身の奉ずる神の為に殺しあった。

 イムの地には夥しい鮮血が流れ………


 ◆◆◆


 彼に名は無い。

 と言うより、彼のみならず歴代の“魔王”の何れも名を持たない。


 魔王とは魔族の王と言う意味である。

 王でありながら、彼は王としての役割を果たす事は無かった。

 ただただ無為に座しているだけだ。

 諸事は配下の者達が汲み、為す。


 彼はその日もただ座していた。

 いや、ほんの僅かなまどろみに身を委ねていた。

 魔王とて生物である以上、睡眠は必要とする。


 魔王がふと顔を上げた。

 僅かなまどろみが澱みに浮かぶ泡沫の如くぱちんと弾けた。

 昔の、遥か昔の記憶が蘇る。


「陛下、お目覚めに?」


 傍らに控える側近が声をかけるが、魔王は何も答えない。

 だが魔王が何を求めているか、それを魔族はなぜか分かる。

 だからこそ魔王がただただ座しているだけでも配下が諸事を為せるのだ。


 魔合の作用だ。

 魔王は魔族すべてを魔合している。


「…は。この大戦にてすべてを終わらせましょう。既に全軍の用意は整っております。侵略者の子孫共を総て滅し、そして我等の母の眠りが醒めるのを待ちましょう…」


 魔王の意を受けた側近が答える。


 ―――せ


 魔王はその時初めて口を開いた。

 小さい声だ。

 しかし側近は聞き返さなかった。

 魔王の意思は魔族全体の意思であるからだ。

 聞かなくとも側近には魔王が言いたい事が分かる。


 すなわち


 ―――奴等を総て殺せ


--------------------------------------------

この回には女神、魔王の挿絵が近況ノートにあげてあります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る