神魔入り混じる猛悪の森
◆◆◆
ヨハンの膝蹴りが強かにミカ=ルカの鼻梁を打ち据えた。
飛び上がったヨハンが顔を仰け反らせたミカ=ルカの足元に着地すると、そのまま術腕の剛力で足首を掴む。
そして腕を引きミカ=ルカを転倒させるやいなや、腕を首元に回して裸締めを仕掛ける。
そこには如何なる問いかけも駆け引きも無かった。
あるのはただただ原始的な暴力だ。
頚動脈への圧迫は脳への酸素供給を阻害し、喉への圧迫は術の行使を妨害した。
“なりかわり”は確かに恐るべき存在ではあるが、その特性を除いた能力は宿主のそれに依存する。
ミカ=ルカ・ヴィルマリーの二等審問官としての実力の真髄は、個人で多種多様な術体系を扱うその固定砲台的なスタイルにある。
体術が出来ないわけではないが、ザジやゴ・ドの様に体術こそが実力の主軸というわけではない。
したがって彼女は、いや、“なりかわり”は本来の彼女の体術の技巧をもってヨハンに対抗しなければならない。
――俺は嵌めるのは好きでも嵌められるのは嫌いなんだ
――舐めた真似しやがって
――内に何が巣食っているかは知らないが、そんなモノは知った事か
――貴様が何者かは関係ない。ミカ=ルカ諸共ここで絞め殺してやる
ミカ=ルカの耳朶をヨハンの殺害予告的囁きが打った。
◆◆◆
(完璧に決まった!あれは抜けられない…)
ヨルシカの内心の声の通り、完璧に決まった裸締めは抜けられない。
まあ普通は。
一般的には。
ヨルシカなどなら背より剄を打ち吹き飛ばすのだが、ミカ=ルカはそういった技術には疎い。
先立ってアイラが熱撃の術をミカ=ルカへ放とうとしたが、その際には熱量をそのままにアンドロザギウスの如く反射させる術の備えが彼女にはあった。
だからこそのあの余裕であったのだが、ヨハンは彼女の、というより“なりかわり”の思惑を悉く外してきた。
どこから見ても交渉、駆け引きをしようという場面でいきなり殺しにくる者がどこにいる?
冷静に対応すれば十分対処可能であった雷撃の術をそのまま受けたのは、彼女の予測をヨハンの反社会性が上回ったからだ。
術師とは言葉を繰る者であるのに、言葉じゃなく膝をぶちこんでくる者がどこにいる?
ヨルシカの剣撃はかわせたのに、ヨハンの膝蹴りを防げなかったのはまさか彼が野蛮極まる喧嘩殺法をもって挑んでくるとは思わなかったからである。
ヨルシカは素早く周囲に目を配った。
邪魔が入らないようにだ。
エルなどはヨハンの蛮行に唖然としていたが、裸締めの体勢に入るなり慌てて止めようとした。
しかしヨルシカの眼光鋭く、アンドロザギウス戦で消耗をしたエルが術無しでヨルシカを突破するのは不可能であった。
エルはジュウロウに目をやるも逸らされる。
ジュウロウとしてはヨハンの邪魔をするつもりはなかった。
むしろ、こちらが手を汚さず、また危険をおかさずにルカの皮を被ったナニカを殺してくれるならば都合が良いとすら思っていた。ギルバートも同様だ。
◆◆◆
ヨハンの締めに更なる力が加わる。
ヨハンはミカ=ルカを本気で絞め殺すつもりだった。
本気でなければ人を動かせない、とヨハンは常々考えている。
たとえ本当の目的がミカ=ルカの殺害には無いとしても、だ。
(分かっているな?お前が生きてこの場を脱するには、1つしかない筈だ。気付け。まあ気付かない様ならお生憎様だが…)
願いと言うほど強いものではなかったが、それでも上手く踊ってくれというヨハンの思いは結実した。
首への締め付けに喘いでいたミカ=ルカの目が見開かれたのだ。
その白目の部分までもが赤く染まっている。
雰囲気の急変を察したヨハンは僅かに力を弱め、赤く染まったミカ=ルカの眼を己の眼で見返す。
視線というものはあくまで例えで、見ているものに線が繋がる事などは普通は無いが、それでもこの瞬間、ミカ=ルカ…“なりかわり”の視線とヨハンの視線は一本の線となったように周囲の者達には思えた。
その瞬間、“なりかわり”とヨハンの両者がニタリと嗤った。
◆◆◆
ヨハンは別に聞いていなかったわけではないのだ。
「ちょっと!話を聞きなさい!いいですか、私はミカが創り出した人格群の1つに…」
「だから!私は彼女の心の隙間に…!」
「ああもう!これだから、ニンゲン、は!」
これらのセリフを聞いていないわけではなかった。
聞いて状況をある程度把握した上でミカ=ルカを始末しようとした。
それが最上の選択ではない事は彼にもわかってはいた。
最悪、エル達と戦う羽目になりかねないという危険もあった。
それでもなおミカ=ルカに牙を剥いたのは、単純に死地へ誘導されて頭に来ていたのと、あとは他者に憑依・寄生するような存在の危険性、厄介さを理解していたからである。
洗脳・憑依・寄生…こういったものに、自分は抗しえる自信はあるがヨルシカはどうか?
以前、聖都キャニオン・ベルへの道中に上位魔族の化身と思しき存在から洗脳の魔眼を受け、意識を混濁させた事を思えば怪しい所であった。
だからどういう形であってもミカ=ルカに対してはそれなりに対応しなければならないとヨハンは考えていた。
ミカ=ルカの問答無用の殺害は次善の手段だ。
最上の選択肢は条件が許さないかぎりは厳しいだろう。
だがここに来て、恐らくはその最上とも言える選択肢を取れる機会が巡ってきたとヨハンは感じる。
それは即ち…
◆◆◆
天空に輝くのは凄まじい熱量を地表に浴びせかけ続ける小型の太陽であった。
“なりかわり”の表皮はたちまちに焼け爛れ、広く広がる森の中へ慌てて駆け込む。
足に激痛が走った。
紫色の毒棘が隙間無くビッシリと生えていたからだ。
木々が異物の侵入を感知してざわめきだす。
木の蔦がウゾウゾと蠢き、“なりかわり”に巻きついた。
木の蔦には棘が生えている。
棘は“なりかわり”の肌に突き刺さり、その体から血液を吸い取っていく。
これはあくまでイメージだ。
しかし精神寄生体である“なりかわり”にとってはイメージであってイメージではない。
“なりかわり”にとってそれは常軌を逸する世界であった。
彼はヨハンの精神を食らってやろうと乗っ取りを仕掛け、その為にヨハンの心の軸となるモノを破壊すべく彼の精神世界に降り立ったのだが…
――ニンゲン、ではない
待っていたのは凶悪極まる殺伐とした世界であった。
通常は例えば家族の思い出だとか、友人との絆だとか、恋人の愛情だとかなのだ。
“なりかわり”はそれら心のよりどころ…精神世界に再現された家族や友人、恋人を殺害、破壊する事で乗っ取りを完了する。
しかしヨハンの精神世界はそもそも何が心のよりどころなのかが良くわからなかったし、世界そのものがここまでの殺意に満ち溢れ襲い掛かってくるなど、“なりかわり”にとっては思いもよらない事であった。
――ここは、地獄
――嗚呼、あのニンゲンは、悪魔であった、か…
その思考を最期に、“なりかわり”はその精神的肉体を復元不可能なほどに破壊され、残滓は森に溶けた。
◆◆◆
ミカ=ルカ…いや、ミカとの視線の交錯は一瞬であった。
少なくとも現実世界においては。
ミカとヨハンの視線が交錯し絡み合ったかとおもえば、その場の誰にでも分かるというような明瞭さをもってミカが纏っていた妖しげな雰囲気は霧散し、当のミカはといえば意識を失い崩れ落ちている。
ヨハンの裸締めは既に解かれていた。
ミカは気を失ってはいたものの、静かに呼吸をしており命に別状は無いようだった。
ヨハンはそんなミカを見下ろし、ほっと息をついた。
安堵したのだ。
それは彼女が無事だったからではなく、彼女の殺害により発生するかもしれない穏健派、あるいは過激派との戦闘を回避出来たであろうことを確信したからである。
人は合理に徹する事は出来ない。
たとえその選択がその場においては正しいものであっても、ミカを慕う者達からの恨みを受け、殺意を抱かれないとも限らない。
最上の選択、それはミカに巣食っているであろう存在のみを抹殺する事。
行き当たりばったりに過ぎる思惑が何もかも上手く行った事にヨハンは安堵する。
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今年の更新はこれにてです!
来年もよろしくおねがいしまーす。良いお年を!
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