閃光魔術
◆◆◆
恐らくは何かしらの手段で防がれるであろうと見込んで放たれた三叉の雷撃はしかし、ミカ=ルカの両の腕と腹部を強かに打ち据えた。これにはヨハンも眉をやや上げ、意外そうな表情を浮かべる。
ヨハンとしてはこの一撃を以って得体の知れぬミカ=ルカを討とうというより、謀略には暴力で対抗するぞという反社会的な意思表示を示す為に先制したという点が大きい。
要するに、殺り合うなら相手をするから面倒くさい策をめぐらせるな、という事である。
「…まあ、そうだろうな」
衝撃により吹き飛ばされ壁に叩きつけられるも、何事もなかったかの様に起き上がるミカ=ルカを見てヨハンはごちた。
注意深くミカ=ルカの肢体を観察すると雷撃に撃たれた箇所は痛々しく焼け爛れている。
それでもミカ=ルカの表情には些かの痛苦も浮かんでいない。
「彼女は痛みを感じていないのかな。ところで、事情を聞かずにいきなり攻撃するのはどうかなと思うよ私は…」
ヨルシカが言うがヨハンは取り合わない。
事情も糞もないのだ。
死地に誘導すると言うのは敵対する条件を十全に満たす。
ヨハンが思うに、ミカ=ルカは自分達をアンドロザギウスの贄とすべく誘導したのだろう。
それに…
「“家族”に同じようなのがいるから分かるが、ああいうのは言葉をかわせば交わすほどにこちらの状況が不利になっていくんだ。言葉も立派な武器だよ。俺も言葉を武器にするから良くわかる。しかし、だからこそ効果的な対策というやつも分かっているんだ」
ヨルシカが“それは?”と言うとヨハンは自信ありげに答えた。
「問答無用の暴力だ。構えろヨルシカ、可能なら奴の四肢を飛ばせ」
◆◆◆
「ま、ま、待ってください!彼女は、彼女はルカといって、私の従者で…」
ヨハンの暴行宣言に慌てて待ったをかけたのはエルであった。
先の一戦でヨハンやヨルシカの実力が並々ならないものであるというのはエルにも分かっていたし、見た所、まだまだ隠し玉もありそうに思えた。
だからエルとしては満身創痍の状態では敵対はしたくは無い。
しかし、だからといって長年従者を務めてくれていたルカへの無体な行いを眺めていると言うのは無理な相談であった。
だがそんなエルをジュウロウが押し留める。
その視線は鋭く、ミカ=ルカの一挙手一投足に向けられていた。
ジュウロウの戦勘に触れるものがあったからだ。
それはジュウロウがヨハンに感じたものと似たような感覚だ。
「…ルカ嬢ちゃんに見えるがルカ嬢ちゃんじゃないかもね。似たナニカだ。中域で似たようなアヤカシ…怪物を相手にした事がある。見た目は人だが中身は別、そんな連中は珍しくは無いんだよね」
ジュウロウが言う怪物とは画鬼という。
中域に存在が確認されている魔物だ。
人の皮膚を剥ぎ、そこに美女の絵を描き、その皮を被る事で人間に成りすますバケモノである。
エルは不安そうな表情でジュウロウをみて、続いてルカを見遣った。
ルカの表情には薄い笑みが浮かんでいる。
エルはルカにジュウロウの言葉を否定してほしかったが、ルカがその望みを叶えてくれる様子は無かった。
その場に沈黙の帳がおりる。
だがその帳はいつ破られてもおかしくはない。
暴力チンピラ術師は飢えた野犬の様な目でミカ=ルカを睨みつけていたし、ジュウロウは腰元の刀に手を掛けている。
ギルバートとその取り巻き達がミカ=ルカを見る目も既に味方を見るそれではない。
その場の中心に名状し難い泡のようなものが浮いている。
それは雰囲気と言う名の泡だ。
泡はその場の感情を吸い取り膨れていく。
そしてそれがパンと弾けた時、再び血が流れるのだ。
◆◆◆
だが泡が弾ける事はなかった。
それまで薄い笑みを浮かべるだけであったミカ=ルカが口を開いたからだ。
「一呼吸で此れ程の術を放てる者は我々の中でも中々居ません。人間としては最上級の部類でしょうか…いえ、貴方が人間なのかどうか、判断に迷います。“痛み”は他の方へ押し付けさせて貰いましたよ…って…!」
だがその口を直ぐに閉じた。
ヨハンが投石をしてきたからである。
投石はヨハンがストリートチルドレンだった頃からの彼の得意技だ。
幼きヨハンはこの技でオトナのチンピラの前歯を何本も破壊してきた。
ついでにヨルシカも剣を構え、地を蹴りミカ=ルカへ急速接近する。
「奴は痛覚を遮断しているぞ。肉体を徹底的に壊せ。しかし闘争の場で自分の手を悠々明かすとは間抜けにも程がある」
え、君がそれを言うの?と思ったかどうかは定かではないが、ヨルシカは素直に剣を振りかぶった。
ミカ=ルカのみならず、その場に立つ床ごと叩き割らんかの如き勢いで振り下ろされる。
この時ばかりはミカ=ルカもその顔にやや焦りを浮かべ、慌てて弾かれる様に後方へ下がった。
ミカ=ルカの目の前で石床に剣が叩きつけられる。
剣は深々と床に食い込み、その余計な破壊を齎さない剣撃からはヨルシカの技量の高さが伺い知れた。
「ちょっと!話を聞きなさい!いいですか、私はミカが創り出した人格群の1つに…」
「だから!私は彼女の心の隙間に…!」
「ああもう!これだから、ニンゲン、は!」
ミカ=ルカの声に苛立ちが混じる。
しかしそれも無理は無いのかもしれない。
ミカ=ルカ・ヴィルマリーは中央教会が立ち上げたとある計画の被験者である。
術の強度は術者の執着や根源に比例、依存する。
である以上、1人の術者が複数の術体系を繰る事は非常に困難だ。
だが、1人というのは厳密に言えば何を意味するのか?
それは1つの人格と言う意味である。
それならば多種多様な術を扱う為には、複数の人格を用意すればいいのではないか?
そんな荒唐無稽な事を実際に行ったのが中央教会だ。
多重人格障害…解離性同一症の患者は西域でもしばしば見られる。
これは悪魔憑きだのなんだのと呼ばれているが、中央教会ではその原因などをある程度掴んでいた。
患者は皆、幼い頃に非常に激しい苦痛…例えば虐待などを受けたりしていた。
勿論虐待だけが理由ではないが、殆どの患者が常人では適応しきれない強い苦しみを受けてきた…つまり心と言うモノに対して与えられる強い圧迫、圧力が悪魔憑きの原因ではないか?
仮に、それらを制御できるとすればどうであろうか。
それら複数の人格は、術の起動ユニットとして使えるのではないか?
ミカ=ルカ・ヴィルマリーはそんな計画に自らすすんで被験者となった。
そして非常な苦痛、ストレス、洗脳術式を浴びる様に受け、教会初の人為的なマルチ・キャスターと成ったのだ。
こんなものは一歩間違えれば廃人となってもおかしくない悪魔の所業である。
しかし教会には心身を癒す法術の使い手も多く、ミカ=ルカが完全に壊れてしまう事は無かった。
治癒の術式にも色々あり、被術者の肉体的、あるいは精神的な損傷を逆行させて治すようなものもある。
実験は成功した…しかし異物が混入してしまった。
その異物こそ“なりかわり”と呼ばれる魔族であった。
いや、混入と言うのが正しいかは分からない。
なぜならば“それ”は然るべき流れに沿って計画的に混入されたのだから。
◆◆◆
――“なりかわり”
それは一種の精神寄生体である。
名は体を表すとの言葉通り、“なりかわり”は宿主の精神を食い荒らし本人に成り代わる。
第一次人魔大戦から人類勢力に深刻な被害を齎してきた魔族の侵攻作戦のいくつかは、このなりかわりの暗躍によって引き起こされたものが少なくない。
しかし、なりかわられたとしてもただの1人しか乗っ取れないのであれば“なりかわり”はここまで忌み嫌われてはいない。
“なりかわり”の恐るべきはその擬態性と、捕食性である。
例えばAという者がなりかわられたとする。
更にそのAには元々Bという友人がいる…こんなケースの場合。
なりかわられたAは高確率でBを捕食するであろう。
そうなった場合、Bの姿をAが取る事もできる。
Bが奪われるのは姿だけではない。記憶も、その能力も…いや、その“存在”を奪う。
◆◆◆
謀略の真髄とは何か。
それは敵対勢力の相克、ひいてはその誘発である。
確かに魔族の生物としての強度は人類のそれに勝る。
しかし衆寡敵せずという言葉がある様に、人類が大同団結をして魔族に望んだのならば殲滅されるのは魔族なのだ。
生物としての魔族は人類を見下す。蔑む。侮る。
しかし、勢力としての魔族は決して人類を侮ってなどはいなかった。
だから“弱小勢力”として当然の作法…謀略を多用するのだ。
中央教会、法神教という一大謀略を仕掛けたのも人類を内部から壊乱せしめるためである。
だがここに2つ問題があった。
確かに法神教は、中央教会は魔族の謀略の結実だ。
だが、そこに集う人々の多くが人類なのだ。これが問題の1つ。
教皇こそ魔族ではあるが、一定数の魔族を教会内に仕込んでおかねば来る大戦の際に障りがあるだろう。
しかし魔族を仕込むと言っても相応の実力者でなくては意味が薄い。
だがここに問題のもう1つが出てくる。
実力者と言うのは大抵強い魔力を持っているが、なりかわりにとってはこれが毒となる点だ。
実力者であっても肉体的、精神的に徹底的に痛めつければなりかわる余地も生まれるのだが、教会の勢力圏内でそれは難しい。
なぜなら聖職者と言うのは一部を除いて基本的には個人行動をしないからだ。
しかし、ここで“なりかわり”が動きやすいように人格複製計画を立ち上げたのがアンドロザギウスであった。
彼は教会戦力の拡張という名目で、人為的なマルチ・キャスターをつくりあげる計画を立てた。
その過程で被験者は非常に激しい痛苦を肉体的、精神的に受ける事になる。
本人が魔力を使用して治癒も出来ないように徹底的に隔離された空間で。
抗魔石とよばれる特殊な素材で建築されたそれらの部屋では魔力の影響が低減される。
レグナム西域帝国などではいわゆる刑務所にあたる施設で使用されたりしている。
ここまで言えば分かるだろう。
このマルチ・キャスター計画というのは教皇にして魔族、アンドロザギウスが考案したなりかわり先の素体を作り出すための計画であった。
素体は複数の術体系を操り、種族は人類種で、更に人類にとって信頼できる組織の一員。
そんなものが実は魔族の尖兵であったなら、そのアドバンテージは計り知れないものとなる。
だが人格が不安定な者に成り代わればどうなるのか?そればかりはアンドロザギウスにも判然としなかった。
その答えがミカ=ルカ・ヴィルマリーだ。
彼女は主人格であるミカを含む4人格の内の1つをなりかわりに乗っ取られた。
ミカ自身の人格…精神は無事であった事が唯一の救いであろうか。
この弊害でミカは1日の内、記憶が空白になる時間がある事に悩む。
しかし、ミカ自身、その空白は人格の増設による弊害だと理解は出来ているし、空白である時間に何かまずいことをしでかしたとかそういうトラブルも無かったので放って置いた。
実際は不味い事どころか、エルの侍女であるルカを捕食しその姿と記憶を奪っていたのだが…。
◆◆◆
“存在を奪う”
この真価はなりかわりが複数の人間を捕食した際に発揮される。
と言うのも、ミカもルカもその外見は異なるのだ。
ミカは髪の色が緑に対して、ルカは薄い青だ。
それなのに過激派の者達はミカ=ルカ・ヴィルマリーをルカと認識していたし、穏健派の者達はミカ=ルカ・ヴィルマリーをミカと認識していた。
これが存在を奪うという捕食特性の真価である。
捕食された者の関係者の認知を上書きするというのは恐るべきと呼んで差し支えないだろう。
◆◆◆
弾かれる様に後方へ下がったミカ=ルカを見て、ヨハンの目が狂犬病に侵された野犬の如くギラリと光った。
ヨハンには分かっていたのだ。
なりかわりの生態が、ではない。
“こういう手合い”は自由に喋らせて置くと碌な事にならないと。
なぜか?
自身がそうだからである。
べらべら手の内を明かす時は何かを仕込んでいる時、罠を張っている時だ。
だからヨハンはミカ=ルカを自身に置き換えて、自分が仕込みをしている時にされると一番嫌な事をした。
それが問答無用の暴力である。
大きな術はもう撃てない。
術腕に仕込んである触媒も打ち止めだ。
しかしヨハンにはまだストリート仕込みの喧嘩殺法がある。
ヨルシカの大上段からの切り落としに気を取られていたミカ=ルカに向けて、ヨハンが走りこむ。
そしてぬるりと彼女の懐に入り、体勢不安定な膝に蹴りをくれてやり――……
反動でミカ=ルカの膝を踏み台にして飛び上がり、勢いよくその顔面に膝を叩き込んだ。
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