血の日⑥
◆◆◆
轟音と言うべきか爆音と言うべきか。
そんな大きな音を聞いたヨハン、ヨルシカ、ミカはそろって顔を見合わせた。
一瞬の沈黙がその場を支配し、解れていく。
「……当初の予定通り、法の間の方へ行きましょう」
ミカ=ルカは無表情のままそう告げた。
いや、本当に無表情だっただろうか。
その目に刹那よぎった感情は、謀が破れた疎ましさではなかったか。
ともかくも選択肢は2つあった。
最初に聞こえた何かがぶつかる大きな音の元へ行くか、もしくは先ほどの爆音の元へ行くか。
ミカ=ルカは前者を選んだようだ。
ヨハンとヨルシカにも異論は無かった。
だが、ヨハンには1つ確かめたい事があった。
提示されていない3つ目の選択肢。
「ミカ=ルカ、こちらを向いてくれないか?」
ミカ=ルカは駆け出しそうになっていた足を止め、その場に暫し立ち尽くす。
「どうした、ミカ=ルカ」
ヨハンが再び声を掛けると、ミカはゆっくり振り返った。そんな彼女をヨハンが下から見上げるように、そして目を見開き凝視する。
「君の……性質はなんとなく分かるんだ。君の中には沢山の別の君がいるのかもしれないな。しかしどれもが君だ。それはいい、それは良いのだが…不思議だな。君とはあの時初めてあったというのに、なんだか妙な親近感を覚える。まるで同胞に見えたかの様な…」
親近感など欠片も感じさせない凍りついた声色は、ともすれば敵対の一歩手前と言う差し迫った何かをミカへ感じさせた。魔力でも殺気でもない、不可視のなにかがヨハンの瞳へ吸い込まれているような錯覚すら覚える。
“それで?”とミカが問うと、ヨハンは続ける。
「単刀直入に聞くが、君はミカ=ルカ・ヴィルマリーなのか?」
その質問には字面以上の多くの問いかけが含まれていた。この問いを投げたヨハンの脳裏に、かつて見えた悪魔サブルナックの姿があったかどうか。
すりかわり、なりかわり…そういった手を得意とするのは何もかの悪魔だけではない。
「ええ、私はミカ=ルカ・ヴィルマリーです」
ミカはそう告げた。
奇妙な質問だな、と思いつつも奇人変人そろいの同僚達の相手で慣れているミカはとりあえずそう答えた。
ミカは嘘はついていない。
2人の視線は暫し絡み合い、やがてほつれた。
「そう…だな、君はミカだな」
どこか納得がいっていない風情でヨハンが呟いた。
そう、ヨハンは納得がいっていない。
どうにも何か変なものが混じっている気がしたのだ、ミカ=ルカの中に。
だから問いを投げた。
しかし、問いに答えたミカからは何も視えなかった。
(俺も耄碌したかな。後ろから撃たれるのは嫌だったからもし黒ならば、と思っていたのだが)
内心ため息をついたヨハンはヨルシカへ目線を投げると、ヨルシカは少し小首を傾げていた。
その様子を見てやや気恥ずかしく感じるのは、様々なモノを吞み込んでも彼の人間性が損なわれて居ないという証左であろうか。
自身を分つ、あるいは他者を吞み込む、こう言った外道を扱う者は多くは無いが、それでも確かにいる。
その多くは本来の人格が破綻し、力だけあるバケモノになってしまう。
「もう良さそうですね。では先を急ぎましょう」
ミカ=ルカは薄く笑い、喧騒が聞こえる方を指し示した。そんな彼女を見るヨハンは心の奥から聞こえる警戒の鐘の音に耳をすませる。
ミカ=ルカへの疑惑は先ほど晴らした。
それでもどうにも彼女を信用する事が出来ない。
まるで同族とめぐり合ったかの様な親近感が意味する所は明らかだ。ヨハンも自身に何が混じりこんでいるかは分かっているのだから。
だが実際視て確証が得られないでは行動に移せない。
表面上は無表情を装いながら、内心モヤついているヨハンの気持ちはヨルシカにも多少は分かる。
これは2人が文字通り深く通じ合っている為だ。
100回200回と体を重ねようと、所詮他人は他人であるため相手が何を考えているかなどはわからない…それが普通である。
しかし魔合と呼ばれる同調を為したならば話は別。
それが良いか悪いかは別として、相手の感情くらいは分かる。
ヨルシカからみてミカ=ルカは確かに何か秘めているものがあるのだろう、とは感じさせる。
しかし、ヨハンの様に黒に近い感情をミカ=ルカへ抱く事はなかった。
それは彼女はあくまで剣士であって、術師ではないからだ。内心を透徹する魔眼の様なものはヨルシカには無い。
ともかくも3人は無言で回廊を走りぬけ…
◆◆◆
一行が法の間へつながる大扉を開けた瞬間、人一人を焼き殺して余りある熱量を秘めているであろう大火球が襲いかかってきた。
そんな灼熱の死にヨルシカが閃光の様な抜刀を撃ち、二つに分かち散らせる。
ヨルシカの瞳が怪しく輝き、視線がその場にいた者達を嘗め回した。後先の事を考えてサングインは握っていなかったが、場合によっては使う事も視野に入れていた。
やがてその視線が1人の女性を捕らえる。
軽薄そうな青年と向き合っている女性だ。
火気から成る蝶を周囲に舞わせ、掌を扉へ向けていた。
「これ以上増援に来られるのは嬉しくない、とアイラは思ったのですが。火を斬るとはお見事だとアイラは賞賛します。しかし見た事の無い顔ですね。貴女達は誰ですか。彼等に雇われたならば、今度はもっと熱い火を出しましょう」
アイラと名乗った女性の言葉にその場に満ちていた戦闘の気配が一瞬緩み、視線がヨルシカへと集中した。
◆◆◆
「ミカ=ルカに連れられて来てみれば…随分なご挨拶じゃないか!中央教会の諸君!」
ヨルシカが口を開こうとしたその瞬間、後ろから大音声が響き注目の対象が移った。
声を出したのはヨハンである。
「あの時は世話になった。随分と拷問をしてくれたな、だが安心しろ。俺はお前達を恨んではいない。ところで俺が邪神崇拝者だとかいうあらぬ疑いをかけて拷問を指揮した彼は今何をしている?お前達が殊勝な面して彼の指を小箱に入れて持ってきたときはマルケェスも笑っていたよ。マルケェス・アモンは知っているだろう?俺の家族だよ。ところでいいのかい?このままだとマルケェスがお前達にちょっかいをかける口実が出来てしまうが…。彼が力を振るうには何事も理由が必要だからな。まあ俺が焼き殺されそうになったというのは理由としては十分だ。謝罪したいなら聞いてやろう。聞くだけだ。許すかどうかは態度による。…おいお前!俺が話しているんだ、静かに話を聞きなさい。伝達の法術を起動しようとしている様だが、俺はそれを宣戦布告と見做すぞ。そうだ、静かにしておけ…金主に借りた金が返せずに首を吊ろうとしている悪徳金貸しの様にな…。で、いいのか?マルケェスを呼んでも。自慢ではないが!!!…俺は他者の威を笠に着る事を恥と思わないからな」
ヨハンは嬉しそうにべらべらと喋り狂った。
その様子をその場の全ての者達が呆然と見つめている。
何がなんだかよく分からないが、柄も質も悪いチンピラが聞き捨てならない脅迫をカマしてきたぞ、と唖然としていた。
「そ、それで…結局どうしたいのですか?話は分かりました…あの者が再び聖都を訪れる事はあってはなりません。アイラ達にどうしろと言うのです?」
火球を放ったアイラが周囲の視線に耐えかねて口を開いた。
ヨハンはその様子を見て答える。
「謝罪をしろ。勘違いで殺そうとしてすみません、と謝るんだ。俺にじゃないぞ、彼女にだ」
アイラは酷く顔を顰めた。
◆◆◆
ちなみにヨハンがいきなり悪絡みをしたのは、彼の性格が余り良くない事やヨルシカを狙われた事もあるが、それ以上に一番大きい理由として、乱戦に巻き込まれたくなかったからである。
見たところ穏健派と過激派が争っている…それも転がっている死体をみるに、もう引き返せない状況まで来てしまっている事がわかる。
であるならばとりあえずカマしてその場のイニシアティブを握り、状況を仕切りなおせないかと考えてこのような暴挙に出た。
人死にが出てしまっている以上はここで争いはお仕舞い、とはならないだろうが、自分達が第三者勢力であるというアピールにもなるだろう。
ヨハンはとりあえずアイラに頭をさげさせ、“今度からきをつけろよメスガキ”くらいの捨て台詞を吐いてからその場を退散する心算であった。
(穏健派にも過激派にも力添えをする義理などない。要は魔王復活への備え、勇者はどうなったかとかその辺の話が聞ければいいだけだ。なに、話が聞ける者は他にもいるだろう)
ヨハンの考えは悪くは無かったのだが………
「ミカ=ルカ・ヴィルマリー?それはルカの事ですか?貴方達はルカの案内でここへ来たのですか」
そんな事を尋ねてくる少女が居た。
ただならぬ気配を放つ蒼い髪の少女だ。
そして…
「ミカの事ではないのですか。ミカ=ルカとは誰ですか」
そんなアイラの言葉。
ヨハンとヨルシカは後ろを振り返る。
そこにいるはずのミカ=ルカ・ヴィルマリーの姿が無かった。
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