血の日⑤
◆◆◆
(馬鹿な!)
色々な感情を込めた“馬鹿な”である。
異形の存在が師であるギョウを殺した事にマオミは目を見開き驚愕した。
この期に及んでまだ息があるかも、などと甘な考えをする程マオミは未熟ではない。
殺られたのが師でなければ、だ。
可能性は極小である事が理屈では分かっているが、それでもマオミは思ってしまうのだ。
もしかしたら、と。
まだ間に合うかも、と。
続いて状況を把握する。
斃したのは2人。
あの白い化物を加えれば残り3人の刺客を相手しなければならない。
周囲の者達は当てにはならない。
マオミは自身の恐慌の気配を感じ取る。
理性が混沌の暗渠へと押しやられていくのを感じる。
四肢の隅々まで充填されていた魔力が抜けていく。
視界に映るのは斃れた師、頭部を真っ白い触手へと変じさせた異形の怪物。
ああ、師よ、師よ
私はどうすればいいのですか
◆◆◆
マオミは色々と不運だ。
まずは生まれが不運だ。
彼女は貧農の生まれであった。
さらには生まれた時期も不運だ。
彼女が生まれたその年は丁度食物の実りが少なかったのだ。
飢饉という程ではないが、それでも多少口減らしをしなければならない、その程度には状況が良くなかった。
その実りが少ない時期が数年にわたって続いた事も不運だ。
せめてまともな収穫が出来る年が1度でもくれば彼女の運命はもう少しまともだったかもしれない。
彼女に特に取りえが無かった事も不運だ。
見目が良い訳でもなく、特に手先が器用な訳でもない、体力があるわけでもなければ頭脳が明晰だったわけでもない。
普通の子供だった。
いや、目が少し悪かった。
彼女が口減らしの対象として選ばれてしまったのは、それも原因の1つであろう。
だが何もかもが不運だったわけではない。
どうせ捨て殺すならば、と村の者はたまたま村を訪れた人買いに幼い彼女を売り払った。
彼女の値段は銀貨2枚である。
これも不運は不運に違いないが、それでも“必ず死ぬ”から“運がよければマトモな生活が出来るかも”に末路が変わったのだからまあ幸運と言っていいだろう。
しかし、その人買いが街道で盗賊団に強襲された事は不運だ。
売主が人買いから盗賊団に代わったわけだが、盗賊団の売り先などまともなわけはないのだから。
稚児好みの変態に弄ばれ、最後は殺されるのが落ちだろう。
その盗賊団がもしも食い詰め者達の集団などならば、彼女に同情したものから憐れみのような感情を向けられ、待遇が少しはマシになったかもしれないが…不運な事にその盗賊団はかなりの札つきであった。
商隊、旅人、巡礼者、かたっぱしから襲い、犯し、殺し、売りさばいていた。
彼等は根拠無く考えていた。
自分達は永遠にこの幸せを享受できるのだと。
盗賊団は不運だ。
巡礼者を襲っていたと言うのが特に不味い。
その巡礼者は中央教会の、法神教の信者であった。
その辺の地神やらなにやらの信者じゃないのだ。
法神教の信者に手を出すなというのはまっとうな賊なら皆分かっている事であるのだが、わざわざ貧しい農村の近くに巣を張ってるような者達には知っておくべき情報と言うものが手に入らなかった様だ。
中央教会は盗賊団の所業に想像以上の怒りを示し、“少々”の戦力を投入した。
結果としてただの1人も残さずに盗賊団の者達は地の染みとなってしまった。
法神教の教えは基本的に“殺してはならない”わけなのだが、それが適用されるのは人類にだけだ。
巡礼者を襲う輩は人類ではなく有害鳥獣ようなものであり、そんなモノはいくらぶち殺してしまおうが教義には反しないのである。
マオミは他の者達と一緒に救出された。
帰る場所があるものはそのまま送られたが、マオミにはもはや帰るべき場所などはない。
中央教会はそういった寄る辺無き者達を受け入れるといった事もしている。
通常は孤児院に送るのだが、マオミのように余りに幼い少女と言うのはこれは扱いが変わる。
幼ければ幼いほどに思想と言うものは刷り込みやすいのだ。
こういった場合は中央教会の特殊な施設へ送られ、将来の“同胞”となるべく教育を施される。
結句。マオミを加えて数名の“同胞候補”は教育を施された。
だが、当然“教育”に耐え切れないものだっている。
そういう途中脱落者は市井の教会へ出されるのだ。
しかしマオミは耐えた。
というよりマオミは生まれてこのかた、なにか苦難のようなものに直面したとき、耐える以外の選択肢が与えられなかったのだ。
だから耐えた。
途中で投げ出すという選択肢はそもそも頭に思い浮かばなかった。
胸の奥でグツグツと音をたてる黒い溶岩のような何かが滞留しているのを感じてはいたが、マオミはひたすらに耐えて耐えて耐え抜いた。
その姿がギョウ・ガの目に留まったのだ。
ギョウもまた忍耐の人であったという事がマオミを共振したのかもしれない。
彼はこの西域の生まれではなく、中天と呼ばれる地域で広大な版図を持つ国の生まれだ。
その国は羅天皇国と言った。
羅天皇国は極東の各国と関係が悪く、四六時中戦争をしている。
もっとも極東の各国も羅天皇国を始めとする中天の各国も、同じ地域で骨肉相食む争いを繰り広げているのだから始末におえない。
だが不思議と極東と中天が争うときは各国は一丸となるのだ。
国、集団、組織…これらが一丸となるにはあるひとつの要素が不可欠である。
それは敵という概念だ。
極東も中天も互いが互いを敵と見做し、両地域の戦争時のみ各国は普段の諍いを忘れ一丸となり殺し合う。
若かりしギョウはその戦禍に巻き込まれた。
故国より連れ去られ、奴隷となり、耐えに耐えて…
その姿勢が彼を捕らえた者に気に入られ、引き立てられた。
ギョウは憎い極東の剣術を学んだ。
全ては自分の人生を台無しにした極東の蛮人共に復讐するためにだ。
敵を知り、己を知らば百戦無敗と言う教えが彼の国にはある。
彼は敵を知ろうと耐え、努力した。
だが憎しみと言うものは永遠に続くものではないのだ。
10年が経ち、20年が経ち、30年が経つ頃。
ギョウの憎しみはもはや僅かな熾火も残さずに消えてしまった。だが心にはまだ黒い墨の跡が黒々と残っている。
そんな心中に残る黒い染みを拭い取ったのは法神の教えだ。
疲れ果てた心に宗教と言うものは染み渡る。
憎み続ける事に疲れたギョウは法神教へ入信し、卓越した剣技をもってして中年ながら階梯を駆け上がり、そしてマオミと出会う。
マオミとギョウは年齢も性別も、とにかく何もかもが離れていたが、唯一心の中の何か大切な根幹のようなものは似通っていた。
2人は誰に何を言われるまでもなく、そしてどちらかが言い出すこともなく極自然と師弟関係となった。
――わしらみたいなもんはな、いつでも耐えてしまうじゃろ?でもなあ、人生で1度くらいは、の。わかるじゃろ?こう、どかんとな、心に溜め込んだなにもかもを解放してもいいんじゃないかとわしは思うよ。わしももっと違う人生があったかもしれんのになあ…あの頃は憎かった、何もかもが憎かった。憎しみをくべて燃やすと力は張るがな、それは自分自身をも燃やしてしまっているんじゃ。だから疲れる。酷く、酷く疲れる…
マオミの20歳の誕生日、ギョウは上等な酒をもってきて師弟そろって酒を吞んだ。
法神教では過度にさえならなければ飲酒は許されている。
その時ギョウは珍しくしたたかに酔い、マオミへ愚痴めいてボヤいたものだった。
その時の事をマオミは思い出し、口の端にふっと笑みを浮かべる。
◆◆◆
師よ、師よ
そうですね、どかんと、ですね
力を失っていた四肢に魔力が漲る。
そしてこれまでの生涯を思い浮かべた。
主に楽しい事ばかりを。
師、ギョウと酒を吞んだ事は数少ないが、どの想い出も彼女にとってかけがえの無い大切なモノだ。
やはり“こういう時”は前のめりでなくては、とマオミは斃れた師をみやった。
(師もうつぶせに倒れていますし!)
マオミの魔力はその小さい体の隅から隅まで駆け巡り、これまでの人生で溜め込んできた黒い溶岩の如き灼熱の何かを巡る魔力に溶かし込んだ。
白い長虫を頭部にはやした化物がにじり寄ってきている。
無表情でいる残り2人の刺客は次から次へと攻撃を仕掛けてきてくるが、マオミは四肢を傷つけながらもその全てを捌ききっていた。周囲を軽く見渡せば人はまばらだ。
「逃げなさい!信仰を示します!」
マオミがその者達に向かって叫ぶと、残っていた者達は目を見開き、聖印を切り駆け出していった。
マオミの体内外に渦巻く魔力は解放の時を待ちきれず、バシバシと彼女の体を内から細かく弾けさせる。
そして彼女の眼鏡がパキリと音を立てて砕け散ったその瞬間。
法火が迸り、光が知の間を遍く満たした。
光は知の間を駆け抜け、光に囚われたすべてを爆砕していく。
刺客達もギョウの体も、彼女の心も体も何もかもをだ。
光が知の間の端まで届くとそれ以上拡散はせず…凄まじい音を立てて爆発した。
通常、“信仰を示し”たところでこの規模の爆発は起こらない。
これほどの規模で爆発したのは彼女の人生に加えられてきた圧力ゆえだ。
最後の最期、意識を失う直前に、マオミはその視界に苦笑気味のギョウの顔が見えたような気がした。
その表情は“おんし、やりすぎじゃよ”と呆れているように見える。
(はい、師よ!すみません、やっちゃいました!)
その思考を最期に刺客を巻き添えに彼女の何もかもが虚空へと消えた。
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マオミとギョウの画像を近況ノートにアップしました(12/10)
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