血の日④
◆◆◆
大聖堂は主だった五つの間から成る。
五つの間は星型正多角形…五芒星のそれぞれの先端に位置し、法の間は五芒星の頂点となる位置にある。
法の間を頂点として時計回りに知の間、修の間、祀の間、天の間と円環する。
この配置は先ず最初に法神の法があり、法がある事を知り、知ったならばそれを修め、正しき知識を持って祀り、最後は天に至るという五観の相を意味する。
襲撃はそれら5つの間で同時に行われた。
◆◆◆
二等異端審問官ギョウ・ガ、三等異端審問官マオミはその日、知の間で資料の見直しをしていた。
イスカ方面、アズラの村の近くにある黒森で消息を絶った二等異端審問官ロクサーヌと三等異端審問官ハジュレイの件だ。この件は二等異端審問官ゴ・ドが報告したが、それでも一体いつ誰が彼等に手を掛けたのかが分かっていない。黒森に変事アリ、と報告をあげてきたのはとある二等異端審問官である。
これが過激派のあげてきた報告ならば陰謀を疑うが、同じ穏健派の、しかも二等審問官という上職の者があげてきた報告だ。
つまりロクサーヌとハジュレイが屍を晒すに至った原因は…
「1つ、裏切り。2つ、わしらの想像を絶する陰謀。3つ、ただの偶然。マオミよ、お主はどう思うかの?」
顎下から伸びる白髭をしごき上げながらギョウはマオミに問う。
ギョウは御年80も過ぎて久しい。
年齢順に並べれば異端審問官どころか、中央教会所属の聖職者達の中でも上から数えた方が早い程の高年齢だ。だがその動きの矍鑠さは年齢を感じさせず、瞳に輝く理知の光は老耄とは無縁の輝きを誇っている。
杖こそは突いているが、それは歩行補助ではなく、術式起動に用いるもの…と周囲の者達は噂する。
「はい、師!恐らくは2でしょう!裏切りは言うに及ばず、3であったとしても彼等が為す術無く散るとは考え辛いかと愚考致します!我等が同胞は恐るべき姦計に嵌められてしまったのでしょう!」
元々大柄ではないギョウの胸ほどの背丈しかない少女がキビキビと答えた。
黒い髪を三つあみに結い、銀ぶちの眼鏡をかけたマオミはこれでいて20を超える。
マオミの答えを聞いたギョウは“ほ”と言う是とも否とも判じかねる返事を返した。
「まあおんし等が何かを知っていると言うのならば体に聞いてみようとするかの…」
ギョウの目が大きく見開かれ、背後を振り返る。
視線の先には数名の男女が立っていた。
ギョウやマオミも見知る過激派の者達だ。
いずれも手練だ。
「はい、師!彼等の体に聞いてみましょう!」
マオミが拳を握り、そこに掌を打ち付ける。
ギョウはぎょろりぎょろりと遠慮の無い視線で闖入者達を睨め付けた。
闖入者達は先ほどから何一つ話さない。
それは余計な情報を与えまいとする意図か、それとも。
「往くかい」
ギョウがひょいひょいと無防備に闖入者の1人…二等異神討滅官ジョズへ歩み寄っていく。
等級としては伍す。
しかしマオミは心配していなかった。
彼女の師であるギョウ・ガは元一等審問官にして、『光輝の』アゼルや、二等審問官『鎖獣の』ゴ・ドに体術を仕込んだ達人だ。
老いを理由に一等審問官の地位をアゼルへ譲ったが、仮にアゼルとギョウが死合えば後者が勝利する…とマオミは思っている。
ギョウとジョズの制空権が触れた、その瞬間、きぃんという硬質な音が響き渡った。
仕込み杖からの抜刀一閃。
逆袈裟に振り切られたギョウの一撃は、ジョズの掌に受け止められていた。
高密度の障壁だ。
「……ほ?」
ギョウが不思議そうな様子でジョズを眺めてた。
「妙じゃのう、おんし。なんもかんもが術頼みのイノシシ武者じゃとおもっていたんじゃがのう。わしが鈍ったのかのう…」
仕込み杖を引き、ギョウは首を傾げた。
「いいえ、師!師は生涯現役です!しかし油断なさらず!師の撃剣を防ぐと言うのは並々ならぬ事です!」
くるくると空中で回り、回転の勢いを利用した空中踵落としを闖入者の1人に叩きこみ、その頭蓋を砕き割って脳漿をぶちまけたマオミはギョウの独り言に対して律儀に答えた。
油断をしている積もりはないが、とギョウが構えなおすとふいにその上半身をやや後方へ反らした。
同時に光刃が目の前の空間を切り裂いていく。
(ヒヤリとしたわい)
達人の目を以ってして冷汗を垂らさせる程の鋭さであった。近接攻勢法術・神聖刃。汎用性に富み、相手に受け太刀を許さない危険な術だ。
体勢が崩れたギョウに追撃をしようとジョズが再び刃を構えようとするが、しかしその腕はだらりと垂れ、刃が解け形を失っていく。
ジョズが自身の腕を見れば、その腕は肘から先が骨が飛び出る程にへし折れていた。
ギョウの仕業だ。
体を反らしたと同時に爪先でジョズの右腕を破壊したのだ。
だがギョウの表情は晴れない。
ジョズは折れた骨が飛び出るほどに腕を破壊されたにも関わらず、その表情に些かの痛痒も見えなかったからだ。我慢しているという訳でもなさそうだ。
脂汗の1つくらいは浮かんでいても良さそうなものだが、とギョウはいぶかしむ。
(……痛覚を遮断してるのかの?いや、違う、か…)
戦闘に於いて痛覚の遮断は確かに有効だ。
しかし有効だが有効ではない。
この世界での近接戦闘というのは基本的には術で身体を強化するのだが、痛覚を遮断する、という様な“楽”な手をとると身体強化の出力に翳りが出るのだ。
近接戦闘を伸ばしたいのならばむしろ痛覚を倍増させるべきである。
痛覚が倍増すると言うのは明確なハンディキャップになるが、そのハンデを背負う覚悟が術の出力を向上させる。
従って、ある一定の水準以上の業前の者ともなれば、迂闊に楽な手を取る事は逆に自身の首を絞める事にもなりかねないのだ。
術は想いに応える故に。
これは余談だが、かつて極東ぶ無双の武闘家が居た。
両腕に龍を宿し、双脚に白翼角馬を宿すと謳われたその武闘家は、あらゆる試合にも死合にも勝利した。
彼はなぜそこまで強かったのか。
それは“本身でも戯れでも、ただの一撃でも受けたならば己は噴血し絶死する”と言う壮絶で馬鹿な覚悟を込めた身体強化を施していたからだ。
彼の放つ拳は音の壁を破壊し、一度両の脚で走り出せば風の精霊と言えども追いつけない程だった。
ちなみに彼は古今東西、あらゆる武闘の祭典で優勝したが、ある日街の子供が戯れに放った拳…それもじゃれつくようなそれを腹に受け、全身の穴と言う穴から血を噴き出して死んだ。
それはともかく、ギョウは内心顔を顰める。
(さて、次はどうでてくるかの?じゃがコヤツがこの調子ならば、他の者達もマオミにも荷が重いか)
気配を探ればまさに乱戦の最中と言った様子。
その場に居た他の者達とも共闘…とはいかない。
他の者達とてちょっとした魔獣や街の暴漢程度なら一捻りに出来るが、闖入者達は違う。
異端審問官も異神討滅官も荒事専門の者達だ。
一般の聖職者と比べればまさに犬と三頭獄炎犬である。
そして犬では三頭獄炎犬には決して勝てないのだ。
とはいえ、形勢不利とまではいかない様だ。
ちょっとした補助、ちょっとした妨害。
そういった些細な支援を受け、マオミは多対1でありながらもどうにかこうにか戦況硬直に成功させていた。
闖入者の数は5名。
全員が全員ジョズ程であるならば流石に逃げの一手しか無いだろう。
それが成功するかどうかはさて置き。
圧し折れた腕に再び光刃を顕現させたジョズが鋭くギョウに打ち込んだ。
ギョウはその大きい目をぎらりと光らせ、軌跡を見切ってかわす…事ができなかった。
関節の破壊のせいだろうか?圧し折れたジョズの腕がギョウに間合いを見誤らせたのだ。
手の小指の末節骨の、その半分程度の刃がギョウの肩を切り裂いた。
もちろんそんなものはかすり傷で、ギョウは些かも動揺しない。
「ほ?ケヒャヒャヒャ!!」
肩口の傷を見たギョウは怪鳥染みた奇声をあげた。
「極東での、関節を外し間合いを伸ばすと言うアホな技法があるのじゃがの。おんしがそれをやるとはの!」
にたりと嗤いながらギョウは仕込み杖を握る手をだらりと垂らした。
仕込み杖の柄を握り込んだ拳を逆の手で摩る。
周囲の者達は負傷でもしてしまったのだろうかと気遣わしげにその様子を見ていた。
そしてギョウはまるで影が滑る様にジョズとの距離を詰め、本来の間合いの大分手前で仕込み杖を振るった。
いや、投げつけた。
まっすぐジョズを貫こうとする仕込み杖を、ジョズは当然の様に神聖刃の一撃で打ち払い、そしてぼとりと自身の首を落とした。
ギョウが利き腕とは逆の手から伸びる刃…近接攻勢法術・神聖刃を振るってジョズの首を落としたのだ。
光の刃は通常あるべきそれより遥かに長い。
(わしはの、1度の死合いでただの1度しか“コレ”を使えんのよ。他の法術も使えん。じゃが、人殺しなんぞは一振りあれば十分じゃと思わんか?)
首無しのジョズにギョウは内心で語りかける。
首は落ち、生首がカッと目を見開き事切れている。
残心の必要は無し…そう判じたギョウは背を向け、マオミに手を貸しに向かおうとした。
そして…その背を光輝く刃を貫く。
「……ほ?」
ギョウが呟き、力が抜けそうになるのを堪え前へ進み、全身の力を振り絞って後ろを向いた。
ジョズの死体の首から、白い長虫のようなものがうねうねと伸びている。
それを見たギョウはマオミの方を向き、何か忠告なりをしようとしたものの、喉から溢れる血が発声を許されず、そのまま死んだ。
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