血の日③
◆◆◆
渦巻く火焔がエルを襲う。
だが彼女がその火に焼かれる事は無かった。
エルの背後より走りこんできた一人の青年がその剣に炎を絡めとり、宙へ散らしたからだ。
アイラは舌打ちし、その青年を睨み付けた。
「ジュウロウ…。アイラは貴方に邪魔して欲しくなかったとおもっています」
青年は皮肉気な笑みを浮かべながら答えた。
「やあアイラさん!そうはいっても、僕の雇い主は彼女ですから。彼女の護衛が僕の仕事です。でも嫌だな、エルさんが教皇さんに勝てるかって言うと微妙じゃないですか?そりゃあ彼女はアステールの王族として相応しい実力があるんでしょう。でも教皇さんってなんで教皇なのかっていうと、中央教会で一番強いから教皇なんでしょ?厳しいんじゃないですか~?上手くいっても犠牲は大きそうですけどね~。正直いってなんでこんな仕事請けちゃったのかなって思ってます。それにしても穏健派だか過激派だか知らないですけど、四六時中殺しあっててちょっと頭おかしいんじゃないですか?話し合う前に殺し合うって蛮人過ぎますよね」
青年こそは二等異神討滅官『風斬り』ジュウロウ。
過激派きっての剣士…なのだが、実は彼は中央教会所属ではない。
エルが雇った外部戦力である。
「ジュウロウ、貴様!誰に向かって「僕、ギルバートさんの事嫌いですね。とっくに貴族として失脚してるのに貴族面して偉そうにしてくるの。物凄い鬱陶しいです。大体僕はエルさんに雇われてるわけであって、ギルバートさんに雇われてるわけじゃないです。そのエルさんが一々へりくだらなくていいって言ったんだし、お宅にぎゃあぎゃあ文句言われる筋合いないですね~!」………ッ、き、貴様…!!」
ジュウロウはギルバートの言葉を遮ってべらべらべらべらべらべら長々と語った。
その話す速度はやたら早いのだが、なぜか周囲の者達は彼の言っている事が分かってしまう。
そしてジュウロウとギルバートは事あるごとにこのように衝突するのだ。
◆◆◆
ジュウロウは極東の出である。
故郷に於いてジュウロウはそれなりに高名な流派のトップだったのだが、いわゆる道場破りによって一門が潰されてしまった。
いや、語弊があるかもしれない。
ジュウロウ自身が潰したのだ。
ジュウロウ自身も剣術家として上澄みに位置する業前なのだが、道場破りは更に怪物染みた剣腕を持っており、1対1の果し合いにおいてそれなりに善戦はしたものの、やはり敗れてしまった。
だがその怪物剣士はジュウロウの命を取る事はなかった。
「貴様は面白い。鍛錬を重ね、今度は貴様から挑んでくるがいい。その時こそ斬ってやる」
ジュウロウは決断した。
その怪物剣士の言う通り鍛錬し、再び挑む事をではない。
絶対にこんな化物に挑んだりはしないぞ、と。
ジュウロウは敗北したその日に一門を解散し、自身は極東を離れた。
二度とあの怪物に会わないように、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
剣術家としての矜持だとかなんだとか、そんなものはジュウロウにはどうでも良いものだ。
涼やかな面立ちに濡れ鴉の如き色気すら感じる黒髪、女のそれよりも白い細やかな肌。
眉目秀麗なジュウロウは冒険者として登録した異国の地でモテにモテ倒し、適当に剣をふって生きてきたのだが…
とある依頼を受けてしまったのが運の尽きであった。
◆◆◆
「そう思うなら退いて下さい。アイラは貴方の事は嫌いではありません」
アイラの言葉は本心からのものだ。
ジュウロウという男はチャラチャラしているように見えるし、実際チャラチャラしているが、その性根は悪い者ではなかった。
アイラの肉体はその一部が火の精霊と同化しており、体温も人間のものでは無いし、常に体から火の粉のようなものが散っている事からやはり異様な目で見られる事が多い。
それは同胞たる者達からの目も同じだ。
畏怖を持って見られる事はアイラにとって愉快な事ではない。
そんな中でジュウロウという男はアイラをただの少女として見る数少ない者達の一人であった。
浮ついてはいるが失礼な事は決してこないし、もしかしたら友達になれるのかも?とアイラが思ってしまう程には気さくな男であったのだ。
だがそんなアイラの言葉にジュウロウは素直に頷けない。
ジュウロウとてアイラと殺し合いはしたくないが、だからといってエルを見捨てて逃げ出すつもりもなかった。そもそも割りに合わない依頼であるなら途中で破棄して逃げ出してしまえばいいのだ。
それなのにそうしない理由は、ジュウロウが重度の幼児性愛者だからである。
幼いエルの容姿はジュウロウの性癖に刺さってしまった。
極東全域で言える事なのだが、極東という地域は特殊性癖が蔓延している。
同性愛は当然の事として、超高年齢、あるいは幼年への偏愛、このあたりはまだ大人しいもので、近親性愛、はては無機物への愛というジャンルもある。
そんな極東の男であるジュウロウは、少なくともこの程度の状況ではエルを見捨てるつもりはかけらもなかった。
なお、アイラについても許容範囲だ。
◆◆◆
「…ジュウロウ。彼女を退けなさい」
エルはジュウロウに“彼女を退けろ”と命令を下した。
本心では斬れといいたかったが、ジュウロウの性癖を知っているエルは、もし自身がその命令を下せばジュウロウが酷く嫌がるどころか、肝心な所で自身を見放す可能性もあるだろうと考えた。
ジュウロウという男は極めて冷徹な一面がある。
退けろ、ならば問題はないだろう。
そう判断したエルの言葉をジュウロウは正確に理解して、嬉しそうにニコつきながら(ニヤつきながら、ではない)、剣を構えた。
カタナブレードと呼ばれる特殊な剣だ。
極東から持ち込んだジュウロウの業物である。
「…ジュウロウ…アイラは悲しいです。ですが猊下を護る事がアイラの使命。悲しいですがアイラはジュウロウを殺します」
ジュウロウの構えを見たアイラは全身から炎を揺らめかせた。
法の間全体の温度が急速に上昇していく。
そして掌をジュウロウへ向け……
ジュウロウは困った様に笑うと、咄嗟に横っ飛びに飛んだ。
それまでジュウロウが立っていた場所が次々に爆裂していく。
何もない筈なのに空間そのものが爆発しているのだ。
それは小規模の爆発ではあるが、仮にまともに受ければ火傷で済めば恩の字であろう。
実際アイラは空間を爆破している訳ではなく、空気中の塵やら埃を核として激しく燃焼させているに過ぎない。
詠唱を伴わないのはそれが術ではなく、ドライゼンのそれと同様に固有の能力であるからだろう。
アイラが無意識で放つ殺気をジュウロウは感じ取り、不可視にして不可避のはずのそれを次々回避していく。
回避だけではない、回避行動と同時に少しずつアイラへの距離を詰めていく。
ジュウロウの刀が閃いた。
――秘剣・気想殺
殺意充満する殺しの一刀がアイラの眼前の虚空を切り裂く。
これは虚の剣だ。
対象の眼前に虚空に対象の姿を思い描き、それを殺す積もりで剣を振る。
本気の殺気、本気の殺意。
対象はさながら自身が斬られたかの様な錯覚を覚え、体を硬直させる。
拳闘で言うならばけん制の左拳といった所だろう。
素人が使えばただの空振りで終わるが、達人が使えば相手は虚実の区別がつかなくなり、決定的な隙を生むだろう。
◆◆◆
(そんな!?届かないはずなのに!なぜ斬られる!?)
アイラは自身の肩口からざっくりと一刀に切り捨てられた自身を幻視した。
真っ赤に吹き出す血すらも視える気がしていた。
だがすぐにそれは質の悪いフェイントの様なものだったと気付く。
しかし気付いた時にはもう遅いのだ。
ジュウロウはアイラに肉薄し、その剣を…後背へ振った。
金属と金属がぶつかる音。
「ドライゼン!」
アイラが叫ぶ。
『顔無しの』ドライゼンがいつのまにか戦線復帰し、ジュウロウの背に短刀を振り下ろそうとしていたのだ。
短刀の切っ先が触れるか触れないか、その刹那にジュウロウは殺気を感得し、ドライゼンの一撃を防いだ。
ドライゼンは確かに己の存在感を操作できる。
だが存在感を操作できても殺気などといったものは話が別だ。
とはいえ、相手がジュウロウの様な極東育ちの達人でなければ凶刃が背に埋まっていた事は間違いない。
極東の人間は“気”のあしらいにかけては特に優れている。
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