血の日①
◆◆◆
「教皇猊下に申し上げたき儀が御座います。皆様、この場は退いて頂けませんか」
エルは何処を見ているのかも分からぬ茫洋とした視線で周囲を見渡しながら言葉を紡いだ。
表面的には丁寧な、しかし反駁を許さぬという意が込められた発言にその場の者達は脚を地に縫い付けられたかの様に束縛された。
エルの支配力が場を満たしていく。
凡庸な者は幼き王者の威の前に頭を垂れるのみであった。
◆◆◆
<挿絵①>
「取り次げ?引き渡せの間違いでは?アイラは貴方達を信用できません」
そんな中、前に進み出て口を開くのは2等審問官『
華奢なその身を焔色の何かが舞っている。
雑におろした黒髪に焔色の何かが纏わり付き、それはまるで冬の熾火を連想させた。
年の頃は少女から女性へ変わっていかんとする頃だろうか、中性的な雰囲気とちらちらと舞う焔色の何かのせいで、神秘的な印象を周囲に与えていた。
彼女は精霊の愛し子だ。
精霊の愛し子とは何の拍子か、精霊に過剰に好かれてしまった者の事を言う。
精霊とは世界に満ちる力そのもの、あるいはそれに類するものの総称であり、その力の性質によって様々な呼ばれ方をされる。
彼等の意識は極めて希薄で、犬や猫どころかその辺の虫けら程の意識があるかも怪しい。
だが好悪の情はある様で、例えば森に住まう原住民等には森の精霊が力を貸す事もしばしばある。
力を貸すといってもその内容は雑多で、例えば森で迷っても方向感覚を失う事が無くなるだとかそういう些細なものから、あるいは敵対者の足に不意に樹木の根が絡みついたりといったものまで様々な“力”が行使される。
放って置けば乱雑に力を撒き散らす精霊の力にある程度指向性を持たせ、術者の意に添った現象を引き起こせる様にしたのが精霊術である。
意識が希薄な精霊にどう干渉するのかといえば、それは魔力が物を言う。
精霊は世界に満ちる魔力を食って増えたり減ったりするのだ。
要するに餌で釣るわけである。
例えば魚釣り1つにしても様々な技法がある様に、精霊を釣るにも様々な技法があるという事だ。
◆◆◆
そんなアイラは火の精霊に過剰に愛されてしまった。
アイラは産まれた時にその母を自らが宿す炎熱の力で焼き殺した。
当然周囲の者はアイラを災いを呼ぶ子だとして排除しようとするが、そんな事は他ならぬ精霊が許さない。
振り下ろされた刃は融解し、高温の風が吹き荒れ、村は瞬く間に滅びた。
村人も1人残らず焼きつくされ、後に残ったのは焦土と灰の山だけだった。
赤子ゆえ力の制御が全くきかなかったが為の当然の結果であった。
そんな時現れたのが法神教の宣教師だ。
彼は村を訪れた際に村の惨状を見て、この様な悲劇を二度と繰り返さない為にとアイラの身柄を保護した。
当初こそ暴れていたものの、法神教の教義に触れていくうちに徐々に落ち着きを取り戻していった。
…というよりは赤子のアイラが無自覚に行使する精霊術など、法神教の歴戦の宣教師にとっては文字通り児戯であったというのが大きいが。
例えば1歳の子供が包丁をもって暴れていたとして、素手の大人がそれを抑えられないと言う事があるだろうか?
余程舐めていたならまだしも、返り討ちなどと言う事は考え辛い。
刃物は脅威ではあるが、使い方を知らないのではその脅威もナリを潜める。
アイラはその後、それなりの愛情を注がれて育てられ、力の扱い方も学び、いまでは立派な中央教会穏健派の上級戦力として数えられる様になった。
◆◆◆
「その通り…」
<挿絵②>
静かで暗く、鬱蒼な森の木陰を連想させる声が響く。
言葉少なにアイラに同調したのは2等審問官『顔無しの』ドライゼン。
一体いつからそこに立っていたのか。
タイを締めた短髪の男がいた。
だが男の不思議はいつから立っていたか誰にも分からない事ではない、今確かにそこに立っているにも関わらず、気を抜けば見失ってしまいかねない程の存在感の無さである。
顔無しのドライゼンの顔を見た者は誰もいないとされている。彼は別に隠してなんかいないのだ。
しかし誰も彼の顔を覚える事が出来ない。
過激派の者達はドライゼンを殊更に恐れる。
それこそ『光輝の』アゼルよりもドライゼンこそが恐ろしいと考える。
なぜなら彼は中央教会でもっとも多くの不穏分子を抹殺しているからである。
◆◆◆
過激派の青年が前に出てきた二人の審問官を忌々しげに睨みつけた。
<挿絵③>
青年の名はギルバート。
旧い名をギルバート・クロッセル・フォン・マキーナ。
現皇帝サチコの皇配になる予定だった男だ。
<挿絵④>
しかしその過ぎた野心が帝国宰相『死疫の』ゲルラッハの目にとまった時、彼の命運は尽きた。
<挿絵⑤>
宰相直属暗殺部隊【死腐りの牙】がギルバートを消すべく動いた。
そんな彼を助けたのが中央教会過激派であった。
教会過激派の勢力拡大方法は彼の様な者達を取り込む事であり、できれば貴き血の者が望ましい。
ギルバートには自前の手勢があり、それは過激派にとって良い土産となった。
レグナム西域帝国を追われたギルバートは教会過激派を利用し、栄光の玉座を夢見る。
現皇帝サチコを廃し、自らが皇帝の座に座るのだ。
そのためには教皇が邪魔だ、と彼は考える。
自身もまた教会側に利用されている事は理解している。
それでも最終的には教会ごと食ってやる積もりであった。
ギルバートは俗だ。
非常に俗な男だ。
野心に溢れ、策謀を好む。
だがレグナム西域帝国の皇配に選ばれる程の才があった。自らこそが地上で最も尊しという至尊の強欲。
強い野心は身を滅ぼす、しかし余りにも強い野心は……
◆◆◆
「アイラ殿、状況を見て、その上で言葉を選んで頂きたいですね。徒に血が流れる事になりますよ。これが最後の警告です。退いてください」
ギルバートの言葉にアイラは動じない。
「アイラは選びません。退くか、死ぬか、選ぶのは貴方達です」
アイラがそう返すと同時に、過激派集団の後方から誰かが倒れる音がした。
――うふふ、異端者
陰気な男の声がした。
その声は小さく、囁くようでいて、しかしその場に大きく響いた。
ギルバートが振り向くと、そこには男…らしき者が立っていた。足元には同胞が倒れている。
喉から血を流して。
男の顔は凡庸だ。
だが分からない、男の事を知っているはずなのに、見た事がない…
だがギルバートはそんな印象を与える男の事を知っている。
「…ドライゼンッ……」
吐き捨てる様なギルバートの言葉にドライゼンはうふふふふと不気味に笑った。
--------------------------------------------
本回は計5枚の挿絵があります。近況ノートで公開しています
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます