丘上の大聖堂
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キャニオン・ベルが近付くにつれて得体の知れない圧迫感が増してくるのをヨハンはどこか醒めた様子で感じていた。
彼は法神の神聖性というものをほとんど信用していない。
マルケェスの言葉から法神がミーティス・モルティスの為す偽神の類である事は既に理解していた。
この圧迫感は自身に混じる魔の残滓への敵視ゆえなのだろうが、それは神聖性とはかけ離れた一種の反射的な何かに過ぎないのだろうな、とヨハンは考えている。
そもそも魔族は邪であり悪であるのか?
そこからして疑わしい。
法神が真に善性の存在であるならば、魔族よりなにより人間をこそ滅ぼすべきなのだ。
少なくともヨハンはそう考えている。
ゆえにヨハンにとって法神とは神聖不可侵の存在ではない。
軽視はしていないが、重視をする理由も彼にはなかった。
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キャニオンベルの大門前には多くの旅人が列を成していた。
彼等の多くは冒険者や商人、観光客などではなく巡礼者達だ。
大門の左右には大きな塔があり、それぞれの頂上には鐘が設置されている。
2つの鐘楼からは1日3回ずつ決まった時間に音が鳴らされる。
鐘の音は一種の魔物除けの術であるらしく、これが為にキャニオン・ベル周辺には魔獣が出ない。
信心深い者などはこれを聖都が誇る絶対不可侵の神聖結界などと嘯いている者もいるが……
「私は法神の力を否定するものではありませんが、それでも聖なる鐘の音が絶対不可侵の力を持つ、などとは思ってはいません。まあその辺りは我々異端審問官の様な荒事を信仰証明とする者達の野蛮な感想…だそうですが」
そういって皮肉気に笑うミカ=ルカの目の奥には、何か言葉にはし辛い負の念が込められている様であった。
(命を張っているのは彼女達だ。だがそんな彼女達に心無い言葉をぶつける者もいるのだろうな)
ヨハンは内心そう推測するがそれは決して間違っていない。
中央教会は彼女の敬愛するアゼルを捨て駒の如く扱った。
いや、神の捨て駒となる事を望んだのはアゼルの、異端審問官達の意思ではある。
だがそんな彼等にほんの僅かであっても敬意の様なものが払われても良かったのではないのか?
ミカ=ルカは口には出せないもののそう考えている。
異端審問官達の死は異常の事ではなく、任務においての死は極々当たり前の物…と考える教会の同胞達の視線にミカ=ルカは煮え切らない何かを抱いている。
そういった思考が出るだけでもミカ=ルカ・ヴィルマリーという女性は穏健派として優等生とは言えないかもしれない。
まあその辺の事情は彼女が師と仰ぐアゼルとの出会い、法神教への入信の経緯に由来するものなのだがそれはまた別の話だ。
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中央教会は西域のみならず東域を含めてみても最大規模の宗教組織である。
組織と言うものは大きくなればなるほど一枚岩になりにくくなるものだが、特に教会という集団においてはその傾向が強い。
なぜならば信仰の形とは一定ではなく、教義に対しての解釈が反目し合えば場合によっては血が流れる事だってあるからだ。
なにせどいつもこいつも譲るということを知らない。
もっとも、大抵の場合は少数派の意見などは黙殺されるものだ。
ただし、その少数意見を声高に主張する者次第では事情が変わる事がある。
教会の少数派…すなわち穏健派の頭目は中央教会のトップ…つまりは教皇である。
教皇が少数派の頭目であるにも関わらず教会のトップでいられるのは、彼の狂信の強度ゆえだ。
自身を含めてすべての法神信者は法神の為に生きて法神の為に死ぬべきだと本気で思っている教皇にとっては、穏健派も過激派も関係なく神の為の駒に過ぎない。神の為ならば自身を含めて全ての信者の命をすら捧げても良いとおもっている。
通常ここまでの過激思想の持ち主などは人知れず排除されてしまうのだが、教皇アンドロザギウスはその権力、信仰心といったものとは別の意味で強大であった。
教会の、法神の走狗となる事を拒絶した先代勇者がなぜ力をもって意を通さなかったのか?
それはこのアンドロザギウスの存在があったからだ。
この世界において聖職者の狂信の強度の高低とは、端的に言えば個人が振るい得る武力の多寡に等しい。
魔力と言う世界変革の力はより強い意思、より純粋な意思の元に集まるからだ。
勿論例外もいる。
強い精神、意思、覚悟がなくとも強大な魔力を扱う者達。
例えば魔族。
この魔族という種族が強大な存在であるとされているのは、意思がどうこうというよりも魔族という種族の特性が大きく関係している。
魔族とは魔力に対しての親和性が非常に高いのだ。
だがアンドロザギウスが恐れられている理由のもっとも大きな理由は、神の正義をその狂信を以て純粋に信じ込んでいる点だろう。
残酷性の、無慈悲さの大小に等しいとも言える。
人間と言う生物が最も無慈悲になる時というのは、その人間が悪である時ではない。
人間は善であると強く自覚している時に最も無慈悲に、残酷になれるのだ。
そういう意味で教皇アンドロザギウスはこの世界でもっとも無慈悲、そして残酷であると言っても過言ではない。
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ミカ=ルカから教会のドロドロした事情を聞かされたヨハンとヨルシカは、どれ程清廉ぶってはいても後ろに回された両の手は赤く血塗られているのだな、などと益体もないことを考えていた。
しかし、とヨハンはいぶかしむ。
そこまで強大な力を持つ存在が組織の頂点に在ったとして、なぜむざむざと過激派の跋扈が許されるのかという当然の疑問。
疑問の答えは2つしかなかった。
過激派のトップもまた強大な存在であるという答え。
もう一つは教皇がとっくに殺されているという答え。
そして、殺されていたとしたら……
(今の教皇は一体“何”だ?)
教皇が座す大聖堂が丘上に建っており、街の人々はどこからでも大聖堂を見ることが出来る。
街自体がそう設計されているのだ。
ヨハン達はミカ=ルカの案内で街を進み、大聖堂へ向かって歩みを進めていく。
当然大聖堂がヨハン達にも見えるわけだが…
白亜の城の如き荘厳なはずのそれが、ヨハンの目には巨大な墓標に似た何かに見えた。
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