連盟名簿②ジャハム

連盟の5本目の杖【人業使い】

 ジャハム


 ■


 とある村にジャハムという老人が居た。

 70を超える老人である。

 ジャハムは優れた木工職人だった。

 その手は木材から様々な物を造り出す事が出来た。

 例えば人形、例えばミニチュアサイズの家、例えば家具。

 ジャハムには造れない物など無かった。

 ジャハムは非常に優れた木工職人だったのだ。


 ■


 ジャハムには幼い孫がいた。

 孫の名前をイリスという。

 孫の親……つまりジャハムの息子、そして義娘はいない。

 彼らは流行り病で死んだ。

 ジャハムの職人としての稼ぎがあるため、貧困とは縁が無かったのだが、その年の流行病は質が悪かった。

 ジャハムが薬や医者の手配をしている間に、あれよあれよと2人とも死んでしまった。


 ジャハムは泣きに泣いたが、それでも幼い孫は生きている。

 ジャハムは誓う。

 せめて孫が成長するまでは自分は倒れてはならない、と。


 ■


 ある日、長らく便りが無かった義娘の姉がその夫を連れてやってきた。

 彼らの名前はアンナ、そしてギド。

 彼らは亡くなった妹……つまりジャハムの義娘に代わって姪の面倒を見る、と言った。


 “葬儀の便りも無視をしたくせに今更何を”


 ジャハムはそう思ったが、あるいは親族が死んだ事で改心をしたのかもしれない、それに孫には母親が必要だと考えたジャハムはその話を受け入れた。


 思えば、それが最大の過ちだったのだ。


 ■


 家の事をアンナが仕切る事になり、ジャハムは肉体的には大分楽になった。

 ……はずだった。


 だが、楽になったはずなのに、ジャハムはどんどん衰弱していく。

 体が弱る、心も弱る。

 なぜか。

 アンナとギドが毒を食事に毒を混ぜていたからだ。

 やがてジャハムは歩く事すら困難なほどに弱ってしまう。


 “まだ死にたくない、孫が大きくなるまでは”


 ジャハムはその一念で死の川を渡る事を拒否し続けていた。


 ■


 ある日アンナとギドが深刻そうな表情で、もうこの家には金がないと言ってきた。


 このままでは全員飢えて死ぬ、と。

 だからイリスを人買いに売らねばならない、と。


 ジャハムは激怒した。

 衰弱という死神の魔手は、既にジャハムの命の半ばまでに延びていたが、それでもなおジャハムは怒りを露にした。


 アンナとギドは言う。

 怒ってもどうにもならない、と。

 せめて後1人、飯を食わせる人数が減ればどうにかなるのに、と。

 それがジャハムの事を言っているのは明らかだった。


 ■


 ジャハムは山へ捨てられた。

 いや、望んで捨てられたのだ。

 残り僅かな自分の命を使う事で孫が、イリスが助けられるならば、と。

 ジャハムは山の冷たい土へ横たわり、空を眺めて過ごした。

 腹が減れば草や木の実を食べた。


 ■


 不思議とジャハムは体力が戻りつつあるのを感じていた。

 とはいえ微々たるものだ。

 しかし、家に居たときに感じていた命が抜けていっている感覚はもう無い。

 ジャハムは知る良しもないが、毒が抜けてきているのだ。


 山へ捨てられてからどれくらい月日が経ったかは知らない。

 だが、ジャハムはどうあれ自分は長くないだろうと考えていた。

 死ぬ前に孫の顔を見たい。

 ジャハムは山を降りることを決めた。

 ジャハムの選択は正解だ。


 毒が抜けたとはいえ、ろくなものを食べていない。

 それゆえに、体力は減りはしても増えることはない。

 降りるなら今という判断は正しい。

 だが、それは最悪の選択でもあった。


 ■


 家に孫がいない。

 でかけているのだろうか? 

 ジャハムはいぶかしむ。


 その時、家に誰かが戻って来る気配を感じた。

 ジャハムは慌てて物陰に隠れた。


 アンナとギドだった。

 孫はいない。


「それにしてもあの爺さんもとっくに死んでいるだろうが、孫がすぐ来てくれたのだから俺達に感謝すべきだよな」


「そうね、あの人を山へ置いてきた後、あの子供を人買いに売ろうとしたのにね。暴れて暴れて。大人しくさせようとして殴ったら死んでしまって、最期まで迷惑だったわね」


 ジャハムは目を見開いた。

 血が頭に昇り、怒鳴りつけてやろうと、孫の仇をとってやろうと、……できなかった。なぜならジャハムにだって分かっていたからだ。


 このまま出て行って復讐しようとしたところで、返り討ちにあって墓が1つ増えるだけだと。


 ■


 それでもジャハムは怒りを堪え切れなかった。

 堪える為に手の甲に噛み付き、自分の中から迸る得体の知れない激しいモノを抑えようとした。


 涙は流れなかった。

 流れたのは血だ。

 余りの怒りで血の涙が流れたのか、ジャハムは唯一残った冷静な部分でそう分析する。

 良く見てみると、それは普通の涙だった。

 目の前が一瞬赤く染まったせいで見間違えたのだ。


 ■


 アンナとギドが再び家を出て行った後、ジャハムもよろよろと物陰から出てきた。


 足が大分ふらついていた。

 しかしジャハムの腹は決まっている。

 復讐だ。

 仇を討つのだ。


 でもどうやって? 

 こんなか弱い老人が、どう復讐するのだ? 

 刃物でも持ってやぶれかぶれで突っ込むか? 


 裏庭の井戸に持たれかかりながらジャハムの目が殺意で染まっていく。

 ジャハムは掌を眺めた。

 老体ゆえに全身の水気は少ない。

 だが、殺意だけは並々と満ちていた。

 この掌をアンナとギドの血で濡らしたい。


 そんな事を思っていた時、声がかけられた。


「はじめまして、私は連盟の術師、マルケェス・アモンと申します。貴方のお孫さんの無念を晴らすための力が欲しくはないですか? 条件はただ1つ……我々の、家族となる事……」


 柵の向こうから覗き込んできている男。

 たわごとだ。

 力? 何を言っている。

 ジャハムはそう跳ね除けようとしたが、マルケェスと名乗る男の目を見た。


 嗚呼


 ジャハムは男がどういうモノか、はっきりとは分からないまでも、本能で察した。


 ジャハムは頷いた。

 家族にでも何にでもなってやる。

 その代わり……


 ■


 それから暫くたって、村ではちょっとした騒ぎとなっていた。

 少し前にやってきたアンナとギドの姿が見えない。

 最初はどこかで遊びほうけているのだろうと放置されていたが、全く帰ってくる様子がないため流石に村のものは心配になってくる。


 彼らは以前村の顔役だったジャハム老の親族だ。

 かわいそうに、お孫さんもそのご両親もみな事故や病で亡くなってしまって、それにショックを受けたジャハム老は失踪。

 それでも健気に彼らが帰ってきたときのためにと家を守ってくれていた立派な夫婦だったのだが。


 だから村の者が数名、彼らの家を調べてみた。

 やはりアンナとギドはいない。

 変わりに、男の人形と女の人形が置かれていた。

 趣味の悪い事に、人形の目からは血のような赤い液体が流れている。


 村の者達は質の悪いイタズラだと人形を燃やして処分した。

 この時、村の者達数名の耳に、悲鳴のような絶叫のような声が聞こえていたが、彼らはそれを口に出すことはなかった。

 まさか人形が叫ぶはずもないだろうし、と。

 それにそんな事くらいで怖がっていたら村の者達に馬鹿にされてしまうだろうから、と。


 ■


 アンナとギドの家の捜索は早々に打ち切られた。

 死体の類もどこにもなかったし、家の主が居ないという以外の異常はなかったからだ。


 だが、1つ。


 家の裏に、何かを掘り返した穴が空いていた。

 異常といえば、ただそれだけだった。


 ■


 それから暫くして。

 ある日、マルケェスが街道を歩いていると見知った顔が向かいから歩いてきた。

 以前家族へと誘った者だ。


 彼は独りきりだった。

 だがいまはもう独りじゃない。

 みよ、彼と手を繋いでいる小さな人影を。


「やあ、ジャハムじゃないか、元気そうでなによりだよ。イリスちゃんも元気そうだね」


 マルケェスが手を振り、声をかける。

 イリスと呼ばれた少女はぺこりとお辞儀をした。

 頭から木屑がこぼれる。


 ──“造ったばかり”かな? 


 マルケェスがそんな事を思っていると、ジャハムも笑顔を浮かべマルケェスの言葉に答える。



「おお、おお! マルケスじゃないか。うむ、わしは元気じゃよ。他の者らは元気かい? ルイゼ嬢ちゃんはまだ独身なのかの?」


 ジャハムの言葉にマルケェスは笑う。


「私はマルケェスだよジャハム。マルケスって君、それは隣国のマルケス失地王の事みたいで嫌だなぁ……。あとね、これは忠告だがルイゼに男の話をしてはいけない! これは連盟の禁忌だよ君。なぜなら彼女はまた振られてしまったんだからな! ハハハハ!」


 マルケェスが笑うと、ジャハムが連れている小さい娘……イリスがマルケェスの脚をパンパン叩きながら頬を膨らませて抗議をした。


「マルケェスおじちゃん! わらったらだめなことってあるのよ!」


 マルケェスはおっといけないと自分の口を手で塞ぎ、それでもニヤニヤと笑いをやめない。

 そんなマルケェスにイリスは頬を更にふくらませて、おじいちゃんも! と叱責が飛び火する。


 それからも彼らはちょっとした雑談をして、手を振りながら別れた。


 ■


 去っていく二人の背を見送るマルケェスはニコニコと笑いながら二人に背を向ける。


 ──やはり家族は笑顔でなければな


 そういえば、とマルケェスは聞き忘れた事を思い出す。


 ──イリスの体が新しくなっていたな。

 ──あれは北方にしか生えないスノーウッド……

 ──彼は北を旅行してきたのかな? 



 ◇◇◇


 彼の術は単純だ。

 木細工を造る。

 そこへ命を吹き込む。

 それを操る。

 

 だが、その逆……つまり命を造り替えて、木細工へ仕立てる事も出来る……。

 彼の手がずぶりと肉体へ沈み込むと、そこから段々と肉体が木へと変質していくのだ。造りかえられた命は意識を残したまま彼に永久に操られる。

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