日常回、余談
◇◇◇
マルケェスの住処はウルビスから徒歩2日程離れた場所にある。
名も無き森の奥深く、いつの時代に建てられたかも分からない廃教会が彼の住処だ。
ただし、縁も所縁もその身を焦がす渇望もない者が教会を訪れても誰にも会えないだろう。
ヨハンとヨルシカは荷を取りまとめたり、他愛も無い話を交わしたりしていた。
地図を取り出し、マルケェスの住処までのルートを指し示すヨハンに色々と質問をするヨルシカ。
そんな話の最中、ヨルシカは自身の感覚に何やら変化がある事に気付いた。
体調が悪いとかそういう訳ではない。
むしろ逆だ。
何もかもが鮮明に視え、そして感覚も鋭敏になっている。それどころか、ヨハンの感情…のようなものも何となく分かる…様な気がする。
ヨルシカは目をぱちくりさせた。
◇◇◇
生物の情の交わし方は様々な形がある。
言葉を交わしたり、体を重ねたり、仕草で伝えたり。
だが、そのどれよりも魔力の交合というのは濃密な情の交わし方と言えよう。
そもそも魔力と言うものは個々人固有のものであり、通常ならば混じり合う事はないのだ。
だが通常という概念があるなら、当然例外もある。
誰かが閾値の様なものを計算した訳では無いが、一定以上親しい二人の魔力と言うのは混じり合う事がある。
魔合と呼ばれるこの現象は、文字通り自身の一部……そして相手の一部を混じり合わせる事であり、魔合を経た両者の間には一種の精神感応が働く。
要するに、何となく相手の考えている事、抱いている感情が分かったりする…ことがあるのだ。
だがそもそも、この世界において魔力とはそもそも何なのか。
これまで多くの術師が研究して来た事だが、皆結局分からなかった。
法神が齎したヒトの可能性だと言う者もいれば、魔界に連なる穢れた力だというものもいる。
だがその諸説のどれ1つとして立証されたものは無かった。
◇◇◇
昨晩、ヨハンとヨルシカがその身の魔力を重ね抱き合って眠った翌日、ヨルシカは自身の目に映る世界が少し違って見える事に気付いた。それは何がどう違うのか具体的な説明こそ出来なかったが、何となく世界というものは幾つもの“膜”重なってできているものなんだな、とヨルシカは感じた。
ヨルシカがその事をヨハンに話すとヨハンは暫し瞑目し、魔合が為されたからだろう、とだけ答えた。
ヨハンはきょとんとした表情のヨルシカに対し魔合とは何か、そして魔力とは一般的にはどのように考えられているのかを説明した。
「長くなるがいいか?…よし。まあ諸説あるがね…俺としては魔力とは即ち意思だと思っている。意思というのは指向性を持った思い、考えだ。当人の意思というのは当人の一部と言ってもいいだろう。あの時俺も君も、互いが互いを欲した。…なんだその目は。照れるような話をしているわけじゃないぞ、真面目な話だ。話を戻すが、俺達は体や言葉だけではなく、もっと深い部分で繋がりたいとおもった。それは強い意思だ。互いがそう強く思った時に魔合が発生する。互いの魔力が互いの肉体の奥深くにもぐりこもうとするのだ。君、今俺の気持ちなりがなんとなく分かるだろ?これが魔合さ…。すぐに馴染んでしまって消える感覚だが」
ヨルシカはふんふんと頷き、つまり私達は魔力でアレをしたんだね、などと頭の悪い感想を述べると、ヨハンは重々しく頷いた。
◇◇◇
「もしかして私も術が使えるのかな?色々と学ぶ事が多くて敬遠してたんだけれど…」
ヨルシカの疑問も最もな事だが、ヨハンはその疑問に是と答えた。
「使えるには使えるだろう。ただ、君は…というか、実力のある前衛剣士は皆そうだが、そもそも術を使っているじゃないか。身体能力の強化という形でね。君達職業前衛はより速く得物を振りたいと、攻撃を受けても斃れぬ強靭な肉体を得たいと思っているだろう?そういった思いに魔力は応え、常人を超えた身体能力を君達に与える」
勿論、とヨハンは続けた。
「火の弾を出したりなんていうのも出来るとは思うよ。しかし大した事は出来ないだろうな。なぜならそれは君が本心から望む事ではないからだ。ちょっとした好奇心程度の思いではちょっとした術しか発現しない。逆に、我々術師が君達職業前衛と同じ出力で身体強化をする事は出来ないだろう」
ヨルシカは納得したような表情を浮かべた。
(確かに私は火の弾を出すより、近付いて切り裂いた方が早いだろうと思っているし…そんな中途半端な気持ちじゃ凄い術は使えないんだろうな)
◇◇◇
剣士が術師の、術師が剣士の真似が結局は猿真似で終わってしまうのは、こういった背景があった。
勿論強い思いさえあれば剣士として、あるいは術師としてやっていけるというわけではない。
鍛錬は当然必要だ。
剣士であるなら、日々の鍛錬やこれまでの勲などが魔力の質を高める。
自分はこれだけ鍛錬してきたのだから、あれ程の難敵を倒したのだから、あれ程の死闘を生き残ってきたのだからという自負が魔力を磨く。
術師であるならば自身の力への理解の深さが魔力の質を高めるであろう。
例えば火の術を得意とする術師であるならばこれまで何を燃やしてきたかという経験、あるいはそもそも火とは何なのかという学術的な知識の深さ、または自身が発火という現象をどれ程好きなのかという気持ちの強さも魔力を磨き上げる事に寄与する要素だ。
例えばアリーヤなどはその等級に比して火力面と言う意味では頭1つ2つ抜けている。
それはアリーヤが火というモノに親しみを感じているからだ。
そして破壊的な考えに親しんでいるから、というのもある。
ともかく、こういった日々の有形無形の積み重ね…生き方というものが業前の質に影響する。
思いだけではなく、日々の積み重ねも同じ位大切なのだ。
◇◇◇
「マルケェスは連盟では編纂者と呼ばれている」
ヨハンの言葉にヨルシカがオウム返しに“編纂者?”と聞き返した。
ヨハンは頷く。
「現在の連盟の家族たちは皆、“編纂者”マルケェスに術を授けられているのさ。もっとも彼が術を編み出し、それを教授する…という形ではない。彼の眼には不思議と俺達の本質が視える様でね。その本質を視た彼は色々と“提案”してくるんだ。この様な力がほしくはないか、こんな力があればもっと良い人生が送れるのではないか…ってね。その提案は不思議と俺達の心を抉る。貫き通す。以前にも言ったが、術とは思いを形にするものだ。家族となったばかりの俺達は、彼との対話を通して自身に合った術を編み出していく。そして、秘術と呼ばれるべきモノが完成した時、俺達は一人前と見做される」
それを聞いたヨルシカの中で、マルケェスという男の株がかなり下がる。
術を…生きる力を授けるというのは良い。
しかし授けるならもう少しマトモな術を授けろという思いがヨルシカのこめかみをピクピクと痙攣させる。
ただ、とその“マトモな術”とやらでヨハンは生き延びる事ができていたのだろうか?とも思う。
あるいは自分と出会うまでに彼は死んでいたかもしれない。
そう思うと、ガガンと下げた株を少し上げざるを得ない。
◆◆◆
以下余談
魔導協会所属4等術師アリーヤはその等級に相応しくない火力を誇る火術師であるが、彼女の術師としての業前を支えるものは幼少の記憶である。
レグナム西域帝国の貴族の息女として生を受けた彼女は、幼少期からお転婆であった。
それは彼女が一人娘だと言うのもあって散々っぱら甘やかされてきたからというのが大きい。
アリーヤの家は代々火術の才が優れる者を輩出しており、アリーヤもまた幼い頃から火術への優れた適性を示していた。
こういった才の発露も、彼女が甘やかされて育てられる一因であったと言える。
つまり幼い頃の彼女はまさしく真性の我侭雌餓鬼だったのである。
当時帝都に住んでいた彼女はある日、護衛を振り切って帝都の治安が宜しくない場所をふらついていた。
なぜなら当時のアリーヤは我侭雌餓鬼であるから、少しでも興味を惹く場所へはホイホイ入り込んでしまう悪癖を持っていたのだ。
スラムが如き場所へ貴族の幼女が迷い込めば結果は知れている。
すなわち、攫われて売られて変態に買われて犯されるのだ。
あるいは悪質術師に買われて触媒とされるか…いずれにせよ末路は暗い。
アリーヤに術の才があったとしても、そんなものは触媒もなければ何の役も立たない。
愚か、無防備!それが幼き頃のアリーヤである。
愚かなアリーヤは当然の如く攫われ…そして、ミシルに救われた。
当時のミシルは人道的な理由から実験台を欲していた。
貧民街…スラムは四肢が欠損している者も珍しくないため、ミシルの目的に添う実験台が見つかると思っての事だった。
ふらふらと丁度良さそうな検体はいないかなと散策していたところでアリーヤをたまたま見つけたというわけだ。
アリーヤを攫った暴漢達は1人残らず戦闘不能にされ、アリーヤはあっさりと助かった。
ここで話が終わったならばまあ美談で終わるのだが、ミシルは少しばかり変わった人だった。
アリーヤの小さい手を、白魚の様な手で包みこんだミシルは言う。
「彼らはどうしましょうか。命を奪うのも良いでしょう。ただ私は殺りませんよ。私には彼らを殺る理由がありませんからね。貴女が殺らないならば、彼らは衛兵に突き出すことになりますが」
魔導協会所属2等術師であるミシルは温度の無い視線を暴漢達へ向けた。
暴漢達は震えた。その両の脚を氷縛されているから、というのもあるが、何より背筋を凍りつかせたのはその目だ。
――この女は俺達を人として見ていない
幼いアリーヤはミシルに、何故自分を助けてくれたのか、と聞いた。
暴漢達に向けるそれよりは大分柔らかい(それでも冷たい)視線をアリーヤに向けたミシルは答えた。
「貴女は…私が視る限り、才能がある。私が貴女を助けたのはその才を惜しんだからです。本来私と貴女は何の関係もありませんから助ける義理もないのですが……私もまだまだ甘い」
それからミシルは幼いアリーヤに向かって、仮に助けられなかったとしたらその身に何が起きたのかを事細かく述べていった。
アリーヤの瞳に恐怖、羞恥、焦燥、怒りが浮かんでは消えていく。
コロコロと変わるアリーヤの表情を見ながらミシルは言う。
「法的、あるいは道義的に悪いのは彼らですが、個人的な考えを言わせて頂くと、こんな場所へ力もないのに訪れた貴女は……そう、頭が悪いと私は思いますよ」
幼いアリーヤの頭を見えない衝撃がガガンと襲う。
アリーヤにこの様に真っ向から馬鹿だと言ってきた者はこれまでいなかったからだ。
だが文句は言えない、いや、言う積もりはない。
なぜなら自身ではあっという間に捕らえられてしまった相手を、それこそ一瞬で行動不能にしてしまった強者である。
普通の我侭雌餓鬼貴族であるなら、ここで不敬だと騒ぎ立ててもおかしくはないが、アリーヤは普通ではなかった。
分かりやすくいえば若干の被虐願望があったのだ。
この性癖が後に“悪そうな人が好き”という様な業につながるのだが…。
幼い身の上で人生観も糞もあるのかという向きもあるが、自身の人生観がバキバキと歪んでいく音をアリーヤは聞いた。
この瞬間、アリーヤに何がどうひんまがったのか、弱気は悪。弱い奴は何されたって文句は言えない…という修羅めいた価値観が形成されてしまった。
「あ、あ、あの!わたくち、わたくし!アリーヤと申します…あの、お姉様は…」
この日を持ってアリーヤはミシルへ師事をする事になった。事後報告となったがミシル・ロア・ウインドブルームは帝都でも高名な術師であった事から、アリーヤの実家もそれを了承。
ミシルの弟子となったアリーヤは真摯に力を追い求める様になる。それがどんな意思であれ、“真摯”であると言うのは力を引き出す取っ掛かりとしては良い。
アリーヤはミシルの下でメキメキと術師としての火力的業前を磨き上げていった。
後にエル・カーラ魔導学院に招聘されたミシルにアリーヤもついていく事となった次第である。
なおミシルとアリーヤはエル・カーラへの道すがら、小規模な野盗の一団に襲われる。
対応したのはアリーヤだった。
ミシルに師事し積み重ねた研鑽は、煌々と燃える炎弾という形で示された。
炎弾は盛大に爆裂し、たちまち燃え上がる6体の人影。
初めての殺人の成果をアリーヤは頬を赤らめて眺め…ミシルにゲンコツされた。
飛び散った炎は森を焼き、ミシルが消火活動をしなければ緑の森が炎の森に変貌しかねなかったからだ。
ミシルがアリーヤへ暴行を働いたのはこれが最初で最後であった。
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