万色の黒

 ◇◇◇


 ヨハンとヨルシカがウルビスに着いたのはその日の夕暮れになってからだった。

 いつもの通り、まず宿を取った二人は部屋で色々な事を話し合った。


「以前も言った通りマルケェスに会いにいく。彼は基本的に常にどこぞをほっつき歩いているのだが、必要な時は現れるんだ」


 ヨハンの言葉にヨルシカは首をかしげた。

「物語でしか聞いた事がないけれど、マルケェスさんは転移だとか転送だとか、そういう類の術でも使うのかな?」


 ヨハンは首を振る。

「必要な時、必要としている者の前に現れる。それがマルケェス・アモンという男さ。アモンとは熱望を意味する。“家族”以外が彼に会うためには失わなければならない」


 なにを、とはヨハンは言わなかった。

 ヨルシカにも何を失う必要があるかは何となく分かっていたからだ。


「マルケェスさんにあったら…」

 ヨルシカが言うと、ヨハンがその後を引き取る。


「ああ、俺の霊感は俺達の前に敷かれている道が決して平坦なものではない、と告げている。マルケェスは家族への協力を惜しまない男だ。何かしらの指針を示してくれるだろう。ヴァラク、エル・カーラ、アシャラ。行く先々で大敵とまみえてきたんだ。今後も何かあるだろうと思うのは間違っては居ないだろう?」


 それに、とヨハンは言う。

 そしてヨハンはやや顔を俯けた。

 不安なのか?とヨルシカが肩に手を伸ばしたとき、顔をあげたヨハンの瞳の奥に何かが渦巻いているのを彼女は見た。


「憎いんだ、ヨルシカ。俺から何かを奪っていく者達が憎いんだ。俺はガキの頃から奪われ続け生きてきた。力を得てもそれは変わらないんだ。俺にとって大切なモノは勿論、大切ではないモノも何でもかんでもお構いなしに奪っていくナニカが憎い。君の話では俺は母の記憶を失ったらしいな。あの魔族を倒すために記憶を捧げた。まあそれだけなら良いのかもしれない。いや、本当にいいのか?本当は良くないのだろうな。だが俺はそれを勝利の為なら仕方なかったな、と思ってしまっている。悼む感情すらもないんだ。では何が悪いのか?それもわからないのさ。運命などと言うよくわからないものが、俺から何かをくすね続けている。拳の振り下ろし先もわからないんだ。憎悪があり、しかしその向け先がわからない。だったらどうすればいいと思う?」


 ヨルシカの目にもヨハンの体から漏れる魔力の色が見えた。

 それは黒だ。だがただの黒ではない。

 様々な色を取り込んで生まれた万色の黒である。


 ヨルシカはその時、特に根拠の無い閃きを得た。

 それは、ヨハンが使った“あの術”が恐らくは何度も何度も使われてきたであろう事を。

 思えばヨルシカはヨハンと体を重ねる関係となっても、彼の事は良く知らない。


 それはヨハンが過去を語る事が嫌いなのではなく、或いは語る事が出来ないからではないのか?と。

 前回ヨハンは母親の記憶を失った。

 ではその前は何を失った?

 その前の前は?

 術師ヨハンは何度も何度も大切な記憶を枯れさせ、その度に再び記憶の墓地に花を咲かせてきたのではないか?


 枯れる花のヨハンとは、つまりはそう言うことなのではないか?


 今のヨハンはヨルシカの目から見て、かつて大樹海で対峙したあの魔族にも勝る魔力を感じる。


 今この場で考える事としては不穏当だが、ヨルシカは故郷で行われている焼畑を思い出した。

 作物を栽培した後に農地を焼き払い、それを糧として土地の力を回復させる技法だ。


(彼は記憶という作物を使って似た様なことをしているのかもしれない)


 そう思うや否や、ヨルシカはおもむろにヨハンを抱き締めた。

 そして胸にその頭をかき抱き、密やかにヨハンの耳へ囁いた。


「大丈夫だよ、ヨハン。君から何かを奪おうとする者がいたなら、君と私で殺してしまおう。みんなみぃんな殺してしまおう。それが魔王でも魔族でも人間でも男でも女でも老人でも子供でも、全部引き裂いてバラバラにしてしまおう。君と私の邪魔をする者がいるなら神様だって殺してしまおうよ」


 ヨルシカから漏れ出る血の色に似た魔力がヨハンのそれと混じり合っていく。

 やがてヨハンはそうだな、と呟き、ヨルシカから離れた。

 先ほど見せた激情のようなものはもうヨハンには見られない。


 ヨハンが腕の断面を触り、部屋の隅においてある義手を見る。

 そして、ほんの僅かにふっと笑い、水を飲んだ。


「…もう寝ようか」


 その言葉にヨルシカは頷き、二人は同じベッドへ入っていく。

 君がいてくれてよかったよ、とヨハンは言い残しすぐに寝てしまった。

 ヨルシカは目をぱちくりさせ、自身もあっというまに眠りについた。


 ◇◇◇


 術師ヨハンが自身の心情を感情のままに吐露したのはこの日が最後となる。

 不安定に揺れ動いていた激情はぴたりと収まった。

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