お前は死ぬ②

◇◇◇


恋すれば鈍する。賢者であろうとも、恋に落ちれば愚者となるのだ。自ら落ちるべからず。一方的に落とせ。


とある上級斥候の言である。

彼は女を絶やす事なく各地に現地妻を作り、独自の情報網を構築していたが…ある時恋人の一人に刺されて死んだ。


ともあれ、実際に恋というものは判断力を鈍らせるというのは古今東西どこでも聞く話だ。

そう、それが経験豊富な冒険者であっても…


◇◇◇


シェイラは結局ギルドで依頼を受けてしまった。

なぜならその依頼の報酬が破格だったからだ。

銀貨にして250枚だ。


しかも出来高ではなく、決められた期間調査をしてでの報酬。

これは、調査に一定の成果があった場合の報酬相場の5倍以上にあたる。


普通、調査系の依頼の報酬と言うのは最低報酬+調査内容の半出来高制で、報酬の大半を出来高報酬の割合が占めるため、余り旨みはないのだが、教会が出した依頼は一味違った。


依頼はイスカ北方のとある村の近くにある森の調査である。近年森の生態系に異変があったとのこと。

本来その森…黒森では見られない動植物が散見されるそうだ。魔物も、また同様に。


具体的には3日間、森内部を調査する事。

期間中は森内部の動植物について少しでも奇妙な部分が確認出来れば採取、もしくは動物ならば部位を確保。


帰還後はそれらの成果物を提出し、決められた書式での報告書を作成、提出することで報酬が得られる。


こんなもの悪さし放題な気はするが、教会に喧嘩を売るなら賭け金は命…あるいはそれ以上のものになるというのはその辺のミミズでさえ知っている事だ。


依頼元は信用出来る。

なにせ中央教会だ。

だが信用出来るからといって安全であるとは限らない。

というか何かしらの危険はあるのだろう。


それくらいはシェイラにも分かるが、如何せん報酬が旨すぎた。

それでも1人なら受けなかっただろう。

さすがに愛する恋人や術師の知人からアレだけ言われて、1人だけで依頼を受けるほどには惚けてはいなかった。


運が良かったのか悪かったのか…たまたまその時、よその街からやってきた二人組が当の依頼に興味を示していた。シェイラがそっと彼らの会話に耳をそばだてると、どうにも依頼には興味はあるが、二人では心許無い…との事だった。


渡りに船とばかりにシェイラは彼らに話かける。

生来が陽気なシェイラはあっというまに二人と打ち解け、色々話をした。

こういった出会いがあるのも冒険者という職業の面白いところだ。


◇◇◇


彼らは剣士と聖職者だった。

剣士剣士でかなり使えそうだったし、聖職者も中央教会に所属しているとの事だ。


聖職者といっても法神を信仰する者たちだけではない。神の数だけ聖職者としての質も異なる。

物騒な神を信仰する聖職者は、その人品もまた物騒なのだ。


その点、法神を信仰する者達はそれなりに信用が出来る。たまに下半身が緩いものもいるがそこはご愛嬌か。


彼ら曰く、少し前にワイバーンを討伐したと聞いてシェイラは驚いた。

空の王者を相手にどう戦ったのか気になる所だが、ともかくもその時の戦いで剣士は大怪我を負い、最近まで休養していたらしい。


その後、パーティメンバーが抜けてしまうなど色々あり、心機一転の為にいっそ河岸を変えるかという話になったとの事だった。


そこで傷の治り具合を見るためにも、軽めな依頼を探していたところ…という次第だった。


◇◇◇


「ロイとマイア、だったね。あたしはシェイラだ。よろしくね!」


でかい声だがうるさくない声を出せると言うのは一種の才能だろう。


ロイとマイラがお坊ちゃん、お嬢ちゃん育ちであるためあっというまに警戒心をバラバラに解体され、彼らの中ではシェイラという人物は陽気で面倒見がいい姐御というキャラクターが固定化されてしまった。


「ああ、宜しく。それにしても助かったよ。調査依頼、成果を出せなくても報酬が満額貰えて、しかも依頼元が中央教会…受けない手はない。ただ、昔の仲間が言っていたんだ。“長生きしたいなら旨い依頼は受けるな。普通の依頼の報酬を吊り上げて自分の手で旨い依頼へ変えろ。なぜなら旨い依頼っていうのは報酬が旨い分死に近いからだ”ってさ」


シェイラはふんふんと頷いてロイの言葉を吟味する。

なるほど、至極もっともだ。


だが気になるのはそれを語るロイの目だろうか。

マイアもだ。

どことなく、後ろめたさ?の様なものを感じる。

その言葉を言った昔の仲間と何かあったのだろうか?


だが、その仲間と何かあったのか?等とは流石に聞けない。なにかあったからこそ“元”がつくのだろうから。


「シェイラさんが加わって下さると言うのはとても心強いです。私は中央教会に所属してはいますが…正直この依頼は何か恐いものを感じます。依頼を達成して報酬がもらえないと言う事はないでしょう。ただ……」


マイアはそこで言葉を切って、きょろきょろと周囲を見渡した。


「余り大きい声では言えないのですが…教会は最近不穏で…派閥争いというか抗争というか…まぁそう言う感じなんです。森で何か異変がおきて、その調査をしたいというのは分かるのですが、教会にだって調査を専門とした部署はあります。戦える人達だっています。なのに、なぜ教会は冒険者ギルドへ依頼を出すのでしょう…。私はこの依頼が教会の誰が出したのかが気になります」


マイアの中では得たいの知れない不安が渦巻いていた。

教会内部で穏健派と過激派の争いが起きている事は承知している。

それが近年激化の一途を辿っている事も。

或いは自分の知らない場所で血が流れているかもしれないとも思っている。


マイア自身はどちらにも属さない日和見…あえていうならば良識派だ。


確かに法神を信仰しているが、仮に神への信仰か愛する男…ロイのどちらかを取れと言われれば、迷わずに後者を選択する程度には日和っている。


それでもなお自身が行使する法術には陰りが見られないことから、法神もまたこの恋を応援してくれているのだろう、などと阿呆な事を考えている。


ともあれこの依頼が穏健派の出したものか、それとも過激派の出したものなのかで危険性はかなり変わってくる、とマイアは考えていた。


◇◇◇


「そんなに不安ならどうしてこの依頼を受けようとするんだい?」


シェイラがたずねると、ロイとマイアは揃って同じ様な苦笑を浮かべた。


彼らの話では理由は単純明快。

金が無いのだ。

ロイの怪我は想像以上に重傷で、怪我をなおす為に馬鹿高い霊薬やら奇跡に金をはたいてしまった。


実家などから借銭も出来ないのだとか。

いや、出来るには出来るが、家族の反対を押し切って冒険者になると飛び出してしまった身だそうだ。

支援も何も要らない、だから俺は俺の道を往く!…と飛び出したにも関わらず、怪我してお金無くなったから貸してくれ、とは流石に言えないとの事だった。


シェイラはそれを聞いて、男の子のプライドってやつかねえ、と年寄り染みた事を考えていた。


「そうかい、まああたしも金はほしい。物凄くね。だからこうしてあんた達と組めるのはありがたいよ。確かに不安もあるけど、ワイバーン討伐の勇者様にそれを支える聖女様がいるなら安心さね。依頼期間は3日だけだし、さっさと調査を済ませようじゃないか」


シェイラが言うとロイもマイアも頷いた。

出発は明朝だ。

どうか何事もありませんように、とシェイラは祈る。

しかしいざという時は…


━━高かったんだ、本当に頼むからね


シェイラは懐をなでた。

そこには一本の木切れ…棒がしまいこんである。


◇◇◇


飛び掛ってくる魔猿をロイは盾で殴りつけ叩き落した。

シェイラは地に落ちた魔猿の頭をハンマーで叩き潰す。

実に手馴れた仕事だ。


だが…


「これで6回目か。少し多すぎるな。それに魔猿はこんな短絡的な襲撃はしてこないはずだ」


ロイがぽつりと呟いた。

そう、彼らは調査地である黒森に入って以来、初日だというのに実に6回も襲撃されている。

襲撃してきたのはいずれも魔猿と呼ばれる猿が魔物化したモノだ。


魔物化といっても怪物になったとかそういうものではなく、野生の獣が魔力を取り込み、身体能力などが強化された存在という意味であって、これが件の異変であるとは言えない。


魔猿は厄介な魔物だが、その厄介さは戦闘能力にあるというよりは彼らの狡猾さによるもので、手の届かない樹上から魔物としての膂力を活かした投石などで嫌がらせをしてきたりする点にある。

簡易な罠をはってくる個体もいるとの事だ。


しかしロイ達を襲撃した魔猿はいずれも狂を発したかのごとく襲撃してきた。


単調な真正面からの強襲でどうこうなるロイ達ではない。襲撃の全てを無傷で叩き潰してきたのだが、本来とは異なる魔猿の行動には困惑せざるを得ない。


こういう時に斥候が居ればいいのだが、生憎斥候の重要性は他のパーティも重々理解していたようで、フリーの者などは存在しなかった。


というか、斥候職のようなものは大抵どこかへ所属している為、余っているものなどはよほどの凶札持ちか、自称斥候というような者ばかりだ。


調査依頼を斥候なしに受ける事は奨励されてはいないが、今回の依頼については成果を出すことを強制されていない。


これらの点からどうにかなると踏んだ3人であったが、立て続けの襲撃にはなにか不穏なモノを感じざるを得ない、というのが3人の偽らざる本心であった。


たった3日。

されど3日。

調査初日からどうにも先行きが不安だ。


シェイラはため息をつく。

肉体的な疲れよりも精神的な疲れの方が大きい、そんな1日だったと彼女はごちる。


ロイやマイアも同じ気持ちの様だ。

3人は簡単に野営の準備を整え、森の中で一晩を過ごした。


◇◇◇


調査2日目。

黒森は日中でも薄暗い。


「もう2日目か。案外あっさり済んでしまうかもな」


ロイの言葉にシェイラとマイアはちらりと彼の顔をみやる。

ロイの表情は彼が本心から言っているわけではないのは明らかだと分かるそれであった。


「うん。ロイ、私もそう思うよ。報酬貰ったら久しぶりにお風呂のある宿に泊まりたいな。いいでしょ?」


マイアがロイの腕を掴んでねだる。

それを見たシェイラは、彼らに“調査中だってのに色ボケしてるんじゃないよ”などとは言わない。

ロイもマイアも、あえてそういう態度を取っている事はシェイラにも分かっているからだ。


空元気も元気の内という。

なにやら不穏な状況で常に気を張り詰めているのは想像以上の疲弊を齎す。


だから多少気を抜くというのは大切な事だ。

勿論限度はあるのだが。


例えば周囲の警戒を疎かにしてディープチュッチュなどをするのは論外だ。

死んだほうがいい。


◇◇◇


仄かに香る血臭にいち早く気付いたのは中央教会の聖職者、マイアであった。皆に立ち止まる様に告げ、その場で目を閉じ手を広げる。

するとキラキラした光の粒子が周囲へと拡散していく。


拡散の奇跡だ。

魔力の粒子を飛ばし、周辺を探る。

といっても本来は探知に扱うものではない。

本来は世界に自身の一部…魔力を溶け込ませ、世界を、ひいては神を感応しようとする、まあ祈りの一種である。


探知術式のように使えなくも無いが、未熟なものが扱えば魔力が触れたものをなんでもかんでも探知してしまい、処理しきれなくなった情報量で脳が疲弊してしまう。


だから拡散の奇跡を探知のそれとして十全に扱える者というのは相応の実力があるということだ。


「探知かい?助かるよ」


シェイラが言うと、ロイはちらとマイアを見て言った。

「といってもマイアの術は自分にとって良いものか悪いものかを判別する様な大雑把なものだけれどな。しかしマイアにとって悪いものならば俺にとっても同様だ」


ロイの無自覚な惚気にもシェイラは何とも思わない。

むしろ共感した。

シェイラも愛する男がいるし、結婚するだし、なんだったら子供を産みたい…それも10人くらい!と思っていたからだ。


だがほんのわずか流れた弛緩した空気は、マイアの切迫感がギュウギュウに詰め込まれた悲鳴じみた警告で吹き飛んだ。


「敵襲!」


何が、とは言わない。

どこから、とも言わない。

なぜってマイアには分からないからだ。


ただ、吐き気を催す様な邪気に満ちた存在がマイアの感知範囲に入った。

だからそれを告げただけである。


◇◇◇


シェイラもロイも何が来るとかどこから来るとか、そんな事は聞かない。

それらは確かに大事な情報だ。

だがマイアは言わなかった。

それはつまり、彼女には知る事が出来なかったと言う事だ。


3人は一切口を開かなかった。

耳が痛くなるほどの静寂。

森だというのに鳥の鳴き声すらも聞こえない。


やがてがさりという音が響く。

3人が同時にそちらを見ると、そこには1人の男が立っていた。


◇◇◇


「あの服装は…教会の…」


マイアが呻くように呟く。

眼前の男の服装は中央教会の聖職者のものだった。

それも市井の聖職者ではない。


(あれは異端審問官の…なぜあのような姿で…?)


男はゆらゆらと体を左右に揺らし、ニタニタと笑っていた。

その全身は血に染まっており、口元にも血が滴っている。

男は右手を突き出し、拳を握る。

そして、胸をとんと突いたかと思えば猛烈な速度でシェイラ達の元へ突っ込んできた。



◇◇◇


シェイラは目を見開き一瞬呆気に取られるが、ロイが背を見せる程に体を捻って、右手に握った剣を握り締めるのを見ると彼からやや距離を取った。


マイアはロイの腕に手をあて、「ロイ、3振りまでだよ」と言い残し素早く後方へ下がった。


次の瞬間、ギャリリンと音を立ててロイが横薙いだ剣と男が振り下ろした光る剣がぶつかる。

つばぜり合いにはならなかった。

ロイは男の剣を引ききるように横へ薙ぎ続けたのだ。

ロイの剣は仄かに光を放っている。


当然の様に男の剣は振り下ろしの軌跡を描く事はできずに逸らされるのだが、その時ロイの反対の手に持った盾が男の横っ面を激しく殴打した。


回転の勢いを利用しての一撃だ。

常人なら勿論、オーガ辺りであっても頭が半分潰れる威力がその一撃には込められている。


真正面からの強襲に対応出来ないようならワイバーンなんぞは倒せないのだ。かつてボンボンのゲロ甘スケコマシ冒険者だったロイは、いまや剣盾を巧妙に扱う飛竜殺しの上位冒険者である。


一瞬ふらりと男の体が揺らぎ、そこへシェイラがハンマーを頭へ振り下ろす。ここで勝負は決まりだ、普通なら。


だが男は腕を掲げ、ハンマーの振り下ろしを腕で受け止めた。

肉が潰れ、骨が折れる音が響く。


男の表情には些かの痛痒も見られない。

それどころか潰れたはずの腕がミチミチと音を立てて再生していく。

そして男から放たれた前蹴りがシェイラを吹き飛ばした。


シェイラもまた左腕で受け止めるも、盛大に顔を顰める。

左腕は折れていた。

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