お前は死ななかった

◇◇◇


シェイラの腕を横目で見たロイは次いでマイアを見た。

ロイの視線にマイアは頷き、「30秒」とだけ答えた。


やってやれなくはないかな、とロイは口中で言葉を転がす。

そして盾を構え、男との距離をじりじりと詰めていった。


男は時折ブツブツと呟きながら虚空を見つめているが、ロイは明らかな隙であっても自分からは突っかけない。

相手が時間を浪費してくれるならそれはそれで歓迎だからだ。


男が上衣の懐へ手をやる。

ロイはそれを警戒の面持ちで見つめていた。

男が取り出したのは肉だった。

生肉だ。


――まさか


ロイの嫌な予感は的中する。

男は手に持った肉に齧りつき、恍惚とした様子で咀嚼していた。

ロイは知る由もないが、男…元中央教会三等異端審問官ハジュレイは先輩であった二等異端審問官ロクサーヌに好意を抱いていた。


いや、過去形では彼に失礼だろうか、今もなお好意を抱いている。

ロクサーヌの胸の肉をほおばる彼は、心境としてはその白魚の様な手にそっと接吻をしているという様なものだろう。


彼は少しだけ変わってしまったに過ぎないのだ。


◇◇◇


過激派の重鎮が出した冒険者ギルドへの依頼は黒森の調査というものだった。穏健派の了解を得ずに出された依頼だ、穏健派としても過激派の意図を探りたいとおもうのは当然の事だろう。


冒険者に要らない被害が出る可能性もある。

或いは、勇者が黒森へ逃げ込んだといった情報でも掴んだのだろうか?


そう考えた穏健派は二人の戦力を送り込んだ。

過激派の意図を探る為に。

送り込まれたのは二等審問官ロクサーヌ、そして三等審問官ハジュレイだ。


心技体申し分なく、仮に荒事があったとしても切り抜けるだけの武力もある。連携も問題ない。ロクサーヌとハジュレイは幼馴染であり、10年ではきかない程の付き合いがある。


人柄も問題はない。

ロクサーヌはまさに近所の優しいお姉さんという様な印象であり、仮に勇者と接したとしても滅多な事にはならないだろう。

それが穏健派の目論見であった。


派遣された二人にとって、黒森が如きは赤子の遊び場に等しいものであったし、探索効率化のためにと二手に分かれて森を探索した事は正しかったのか誤っていたのか。


まあしかし、穏健派の誰も、ロクサーヌとハジュレイだって森で魔族が待ち構えているだなんて想像すらしていなかったに違いない…。


ましてやロクサーヌを手強しと見た魔族が、ハジュレイの方へ狙いを定めて彼を捕らえ、忌まわしい術薬の実験体とするなど…


◇◇◇


魔族は貴く、そして強い。だが数が少ない。

ヒト種より圧倒的に少ない。


人魔大戦の敗北の原因はまさにそれに尽きる。

ならば、ヒト種を減らし、魔族を増やせれば解決するのではないか、という試みの結果生まれたのが降魔薬と名付けられた術薬だ。


これは人間を魔族へ造りかえる…というか、とある寄生体を直接投与し、人間の肉体を乗っ取ってしまおうという意図で作られた薬だ。


寄生体は細い糸の様な見た目をしており、寄生した生物の胃を中心に根をはりめぐらせる。そしてそこから宿主の摂取する食物などをエネルギー源とし、爆発的に体内で増殖する。


増殖した寄生体は最終的に宿主の脳を目指し、一定量以上の寄生体を脳に宿した宿主は完全に肉体と精神のコントロールを奪われる。


コントロールを奪われた宿主はどうなるのかといえば、宿主の記憶を利用した寄生前の行動を取る。だがこれは擬態に等しい。


擬態にて周囲を騙し、更に“増えようとする”ための。

例えば近しい人間と体液を交換したり。寄生体を混ぜた食事などを食べさせようとしたり。そういった行動を取るようになる。


そこに本人の意思はない。

話しかければ応答し、対応もするだろうが、それは記憶から引き出した反応に過ぎない。


極めて恐ろしい寄生体に思えるが、これは一定以上の精神と肉体の強度を持つ生物にとっては全くの無害でしかなかった。


そういった生物は大抵魔力を扱うわけだが、この魔力と言うものが寄生体にとっては致命的なものだったのだ。


しかし、同一の薬剤を一種の害虫へ使い続けるとやがて耐性を得てしまう、という現象がある様に、寄生体が死なない程度にわずかずつ…少しずつ魔力を流し、意図的に耐性を取得させればよい…とある魔族が考え、それを実行に移した所…それは効を奏した。


魔力を流されても死なない寄生体を作り出す事に成功したのだ。


だがそれだけはまだ飽き足りぬと見たか、そのとある魔族は耐魔力を得た寄生体に凶暴性を高める呪いをかけたり様々な実験を行った。


魔力に触れるだけで死んでしまうというのであれば呪いもかけようがなかったのだが、状況は変わった。


最終的に出来た術薬はハジュレイに使われたものとなる。

捕らえられたハジュレイに投与された寄生体はジワジワとその数を増やし、また寄生体にかけられた呪いもまたハジュレイを侵す事となった。

そして呪いの強さは寄生体の数に比例する。


今ハジュレイを侵蝕する呪いとは、慕情と食欲を強固に結合させ、愛するものを食さずにはいられないという極めて悪質な呪いだ。


想いを告げる、相手を労わる、相手を慈しむ、好意を表す手段は相手を殺し、食らう事でしか表現できなくなってしまう。

加えて、その思いは益々強くなっていくのだ。


そして…思いとは、一意に思う事は力となる。

強い想いこそが強い力の原動力となる。


今のハジュレイはもはやかつてのハジュレイではない。

その身を満たす膨大な魔力はあらゆる肉体的損傷を癒すだろう。


これを魔族といわずして何を魔族というのか。


そんなハジュレイの目にはマイアが映っている。

愛するロクサーヌと同じ様な雰囲気の女だ。

それは法神を信仰している聖職者…というだけの違いでしかないのだが、今のハジュレイにはそれもわからない。


ハジュレイはロクサーヌが大好きなのに、そのロクサーヌがどんな女だったかも思い出せなくなってしまったのだ。


じゅるりと涎がわいてくる。

ああ、ロクサーヌはもう食べつくしてしまったと思ったのに、まだあそこに沢山あるじゃないか、と。


だったらもっと愛を示さなくては。


ハジュレイの頭は熱に浮かされたようにぼんやりとしている。ただ、腹だけが空いていた。


◇◇◇


「鬱陶しい視線をマイアに向けるなよ、彼女は俺の恋人だ」


そんな言葉と共にずいっと盾がハジュレイの顔の前に突き出される。

突然視界を塞がれたハジュレイは僅かに硬直した。


ロイはすかさず盾の下方から見えるハジュレイの脚に剣を突き刺す。

深追いはしない。

突き刺し、後方へ弾かれる様に後ずさった。


やはりと言うべきか、後ずさると同時に空気を裂く音と共にハジュレイの剣が振るわれる。

盾で防げるかもしれないが、あの剛剣をまともに受け止めては危険だというのがロイの判断だ。


彼の判断は正しい。もしロイが逸らすこともせずにハジュレイの一撃を受けていたなら、盾を握る手は砕けていただろう。


「待たせたね!」


背後から駆け寄ってきたのはシェイラだ。

マイアの治癒が間に合ったのだろう。

痛々しく圧し折れていた腕はすっかり元通りになっていた。


「脚をみてくれ。さっき刺してやったんだが傷がもう治っている」


ロイの言葉にシェイラはハジュレイの脚を見るが、衣服が破れている以外は傷などは見当たらない。


「でも、あいつはあたしのハンマーを腕で防いだ」


シェイラの言葉にロイは頷く。

となれば狙いは頭だ、と二人の考えは一致した。


◇◇◇


“あんたが防ぐ。あたしが殴る“


それだけ言うとシェイラは前へ踏み出した。

雑な作戦だな、ヨハンなら怒るかもな、と思いつつ、ロイもシェイラの前へ進み出た。


後方ではマイアが右手を前へ突き出している。

その指先は桃色の魔力光が仄かに灯っていた。

魔力の色というのは本人の気質により変わる事がある。

恋に生きる女、マイアの魔力色は桃色である。


ロイが踵を地面へ叩き付けた。

起動の合図。


――遠隔拘束法術・五光縛鎖


マイアが左手を握り締めると同時に桃色の光の鎖が散らばりながらハジュレイに迫り、その四肢と首に巻きついた。


光鎖がハジュレイの腕に絡みつくと一瞬その力が抜け、握る光剣を取り落とす。

光剣は地に落ちると同時に光の粒子へと変わり霧散した。


「続けよシェイラ!」


ロイは叫び、駆け出した。

ハジュレイは腕を振り、右腕に巻きついた鎖を引き千切る。


巻きつくと同時にパリンとマイアの右手の小指の爪が割れる。

爪が破砕する痛みをマイアは唇をかみ締め堪えた。


縛鎖が破れればその反動は術者の五指に返ってくる。

だが拘束法術の中でもその起動速度、また五条の光鎖による拘束力は強力だ。


ロイは走りこみ、ほぼスライディングに近い体勢でハジュレイの脚を切りつけた。そして、そのまま後ろに回りこむと襟首を掴んで背を突き刺した。


串刺しにして、動けなくさせてシェイラに頭を叩き潰させようと言う魂胆だ。


案の定と言うべきか、背に突き刺した剣が胸から突き出てもハジュレイには痛苦は見られない。

それどころか右手で剣を掴み、逆にロイを縛してしまった。


ハジュレイの視線は今まさに横殴りに飛んでくるハンマーにある。


ハジュレイがぶちん、と左腕の縛鎖を引き千切ると同時にマイアの右手の薬指の爪が弾け飛ぶ。


だがマイアはそれしきではへこたれなかった。

マイアの如き女は自分が責められると非常に弱い。それこそ説教で泣く。

だが執着の対象…この場合はロイが危機にある時はその力を十全以上に発揮する。


ええいままよ、とマイアは拳を握り締め、縛鎖を力の限り引っ張った。

当然の如く残りの爪が全て破砕するがハジュレイの体勢が崩れる。


よろけるハジュレイ。

その頭へシェイラがハンマーをたたき付けた。


ぶちゅんという鈍い音はハジュレイの頭を叩き潰した音だ。

シェイラがにやりと不敵な笑みを浮かべる。

なんだ、あたしらだってやるもんだね、と。


だが瞬間、その笑みは凍りついた。

魔力でコーティングされ、もはや一振りの刀剣といっても過言ではないハジュレイの手刀がシェイラの腹を抉らんと迫っていたからだ。


(そんな!頭を潰されて死なないなんて!)


体勢はシェイラも崩れている。もはやかわせないと悟った彼女は痛みを覚悟して歯を食いしばった。


だが空気を裂きシェイラの腹のど真ん中をぶち抜くはずだった魔槍はその切っ先を逸らされ、腹の側面を抉るに留まった。


ロイがハジュレイの腕を蹴り上げたからだ。

盾をカチあげるのも剣を振るのも遅かった。

蹴りが一番早かった。


◇◇◇


「いいかロイ。いつか君達の手に余る強敵と殺し合う事もあるだろう。君達は死闘を繰り広げ、ついにその敵に致命の一撃を加えたとする。だが気は抜くな。殺したと思ったなら、もう一度殺せ。強敵とは強い敵と書く。強い者とは死の淵にあってもなお相手を殺せるからこそ強いのだ」


昔の仲間からこんな助言?をされたことのあるロイは、シェイラがハジュレイの頭を叩き潰した瞬間、“やっと勝ったか”とホッとした。

だがその時、その元仲間の顔が…こちらを呆れた顔で見ている表情がなぜか頭に浮かんだ。


そのせいかどうかは知らないが、ハジュレイが動きを見せた瞬間にロイも動き出した。だから間に合った。


とはいえ、ハジュレイの一撃はシェイラに決して軽くは無い怪我を負わせた。


見る見るうちに血が滲む。

あわてて手で出血を抑えようとしたのも悪手だったか、シェイラはその場に片膝をついてしまった。


頭がぐちゃぐちゃになったハジュレイがシェイラに歩み寄る。

その時彼女はみてしまった。

ぐちゃぐちゃになった傷跡から、白いなにかが…糸のようなものが束となってうねるなにかが這い出してくるのを。


◇◇◇


ロイもまたその白いなにかを見てしまい、脚が硬直する。

そんなロイの無防備な胸甲にハジュレイが振り回した腕が当たり、彼は盛大に吹き飛ばされてしまった。


幸いにも装甲が厚い部分を殴られたので骨などに異常はないが、鎧から伝播した衝撃はロイの全身を伝わり暫く立ち上がる事もできない有様となってしまう。


ロイの脳裏では元仲間が首を振るような姿がぼんやりと浮かびあがり、消えていった。


◇◇◇


ハジュレイはゆっくりシェイラへと歩を進めていく。

そして動けない彼女の頭を両手でがっしりと掴み、ぐちゃぐちゃになった頭部を近づける。


ハジュレイの手がシェイラの口をこじあけ、傷口から這い出た白い線虫の束のようなものはうねりながらシェイラの口の中へ入っていった。


◇◇◇


寄生体群は早急に新しい宿主を必要としていた。

彼らの最終寄生先は脳である。

脳こそが肝要なのだ。


だがそれは潰されてしまった。

ならば新しい宿主を見つけなければならない。

例えば、目の前で膝をつく女だとか。


◇◇◇


線虫の束がシェイラの口に次々入り込んでいっているまさにその時、彼女の懐からは緑の蔦のようなものが這いだしてきた。

蔦はウゾウゾとシェイラの懐から這い出し、白い線虫へ絡み付いていく。


涙目のシェイラはもうなにがなんだかわからなくなっていた。

無理も無い。白い気持ち悪いのと、緑の気持ち悪いのがそれぞれ絡み合っているのを目の前で見せ付けられているのだ。


シェイラが良く見ると、蔦はヨハンから買い取ったワンドから伸びている。

そのワンドにはシェイラの血が付着していた。


◇◇◇


ワンドに込められしは復讐に悶える苦悶蔦の呪いである。

所持者の血が流された時、蔦達は流された血を啜り目覚める。

一度目覚めた蔦達はワンドの所持者を傷つけた外敵に対して怒り狂い、その身を巻きつけ活力を奪い取るのだ。

そうして無力となった外敵を干からびるまで吸血、捕食し、再び眠りにつく。


ヨハンは別に嫌がらせでこんなものを込めたわけではない。

彼が見る限りシェイラに纏わりつく不吉はどうにも濃すぎるものであったし、こんな不吉が形となれば生半な守護や厄除けなど意味をなさぬと考えたのだ。


生き残るより死ぬ公算のほうが高い。

ならば、せめて自身を殺すだろう敵に一矢報いたいだろうと思ったゆえの術選択である。


◇◇◇


蔦は次々と寄生体群へ絡みつき、片端から活力を吸い取っていった。それはシェイラの身中に入り込まんとしていた寄生体も同様だ。


活力で腹をふくらませ、パンパンに膨れ上がった蔦がシェイラの口をこじ開け、寄生体を追って入り込んでいく。


その間シェイラはもう生きた心地がしなかった。

吐き気、嫌悪、怒り、羞恥、とにかくもういろんな感情が爆発しては消えていった。


そして最終的にシェイラを蝕もうとしていた寄生体群はすべて蔦に無力化、吸収されて干からびてぱらぱらと砕け散る。


蔦はそれだけでは飽き足らず、ゾゾゾゾとハジュレイの肉体に絡みつき、同様に干からびるまでナニカを吸い取っていった。


ロイもマイアもシェイラも、そして彼らの様子を見ていた何者かも口をあんぐりあけてその様子を見ている。


「た、助かった…のかな?」


マイアが呟く。

ロイはあの蔦が俺達を襲ったりしてこなきゃな、と答えた。


シェイラは布で口元を黙ってふいていた。

胃液や唾液でべとべとだったからだ。


◇◇◇


「な、なんじゃいあれは…あんな、あんなもの…あの劣等はあんなおぞましいものを体内に飼っているというのか?恐ろしい…化け物め…だがあの劣等は…あるいは人間ではないのかもしれん。魔族…同族か…しかし、なぜ同族が来るのだ?あの劣等共はそんな事をいっていなかった…約束を違えたか…?神への信仰心を思い出したとでもいうのか。…いや、それはないな…あれらは劣等の中でもことさらに欲に塗れておる…」


魔族はぶつぶつと呟き、とにもかくにも不気味な触手使いに見つかってはかなわんとその場を離れていく。

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