中央教会

◇◇◇


ヨハンの秘術は当人のみならず、一定範囲内の人物の限定的な記憶改ざんをも齎す。


ただし、それはヨハンの記憶から母親の存在が消失した時の様に即座に効果を表す訳では無い。


緩やかに記憶から消滅していくのだ。

つまり、放っておけばヨルシカやシルヴィス、ヴィリの記憶から樹神や魔族という存在が消えてなくなる。


暫く時間が立つと、彼女らは何となく強敵と戦ったような気がする…程度の認識へと改ざんされてしまう。


ただ、これは術本来の効果というよりは余波の様なもので、ヨハンの術の内容を知っている者ならばちょっとした注意を払う事でそれを防ぐことが出来る。


連盟の術師はそれぞれがそれぞれの切り札を知っている。

勿論、切り札の更に奥の手なんていうものを隠している者だっているかもしれないが…

こういった身内にはオープンな性質は薬にも毒にもなる。

かつてラカニシュにいい様にかき回されて、その討伐もまま成らなかったのは、ラカニシュ自身の力量もさることながら、手札が知られてしまっているという事が猛毒として作用してしまったからだ。


そんな連盟員たちは、ヨハンの秘術は極めて迷惑だから出来るだけ使わないで欲しいと思っている。あんまり酷い使い方をする様なら殺してやったほうがいいよね、と思っている連盟員すらいる。


理由はいくつかある。


1つ、記憶への干渉は率直に言って気分が悪いという事。対処法があるにせよ1度は術の影響下に置かれるのは嫌だと思っているものが殆どだ。


2つ、連盟きっての穏健派であり慎重なヨハン自身が編んだ術なのである程度の対策はされているとはいえ、記憶の欠損は度重なれば人格が変貌してしまうこともある。

下手をすれば廃人だ。

そんなふうにヨハンが、つまりは家族が壊れていくのを見るのは嫌だという事。

己の大切にしている記憶を触媒に捧げるなど、連盟目線で見ても大分イカれている。


自傷を前提に置いたヨハンの術の数々は、家族たる連盟の“同僚”にとって酷く我慢ならない物である事もあり、1度ならず2度までもヨハンと連盟員は殺しあった事がある。


まあその殺し合いは別にどちらかが死ぬという事こそは無かったのだが、自分を大事にしろと言いながら殺しにかかってくる連盟員はやはりイカれていると言えるだろう。


◆◇◆


SIDE:ヴィリ・ヴォラント


あーあ。使っちゃったんだねヨハン君。

でも仕方ないか。

あの青いの。

私が戦ってもちょっと勝てなかったかも。


でもこれから大変だろうね。

他にも術は使えるだろうけど、手札が減っちゃって。


ただ、ヨハン君は前から色々工夫して戦うタイプだし、案外なんとかなるのかな?


ああ、そんな事より、記憶!記憶!


◆◇◆


SIDE:ヨルシカ


「あんたら、ちょっといい?うちらがでっかいのや青いのと戦った事、地面にでも書いておくといいよ。ヨハン君の術であいつらは皆消えちゃったけど、その内あたしらの記憶からも消えちゃうから。でもこーして記憶を形に残しておけば消失は防げるからさ。こうして対処しないとめっちゃ気持ち悪くなるとおもうよ。確かに戦った覚えはあるのに相手の事をいまいち思い出せないのとか最悪よー?おんなじ戦場に居たよしみで教えてあげる!」



ヴィリちゃんが空から降りてきてそんな事をいってきた。

記憶から消える?

消失は防げる?


何の話だかさっぱりわからないけれど、わざわざこうして教えに来てくれたという事は何かあるんだろう。

私もシルヴィスも素直にその辺の枝をひろって、地面にちょっとしたメモ書きを残す。


というか、ヨハンが手帳を燃やして…灰が降ってきたと思ったら樹神も魔族もヨハンもいなくなって…ヨハンはどこにいってしまったのだろう?


そんな風に思っていると、いつのまにかヨハンがその場にたっていた。

消えた?時と同じ場所だ。


あわてて駆け寄ると、ヨハンはなんだかボーっとしていた。

何かを見ているようで何も見ていない様な頼りない姿に胸中の不安が広がっる。


「な、なあヨハン。あの魔族は…?」


私が聞くと、私の方を振り向いて“死んだよ”とだけ答えた。

それからすぐ、ふるふると頭を振り、パチパチと頬を叩いていた。


「…いや、すまないなヨルシカ。少しぼーっとしていた。術の副作用さ。記憶の調整が行われたんだ」


━━記憶の調整?


私がいぶかしげにしているのが分かったのか、ヨハンが答えた。


「俺の秘術は俺の執着、それに対する記憶を触媒とする。俺の中からなにか大切な記憶が消えたのだろうが、記憶というのは連続しているものだろう?どこかの部分が消えたからって、その部分が空白…真っ白なままっていうのはありえないんだ。思い出せない事はあるだろうよ、しかし完全に消えてしまうという事はない。だが俺の術は文字通り消してしまう。そのまま放置しておけば、俺が俺でなくなってしまう。だから辻褄合わせがされたんだよ。そう編んだ。まあ俺からしたら、どの部分が消えたのかが分からないのが問題なのだがね…」


私は考えてみた。

ヨハンは手帳を燃やしていたはずだ。

あの手帳について彼は何を言っていたか…


「ヨハン、お母様の事を覚えているかい?」

そう聞くと、ヨハンは口を閉じてまたぼーっとした様子を見せた。

やがて首を振る。


「母という単語の意味は知っている。だが俺には母はいなかった。俺に居たのは父だけだ。だが、彼は流行り病で死んだ」


そう言うことか、とため息が漏れた。


「ヨハン。君にはお母様がいた。君はお母様を愛していた。君はその記憶を代償に魔族を破った」


私がそういうと、ヨハンは寂しそうに笑いながら言った。


「なるほどな。自分で言っててなんだか違和感がある様な気がしたんだ。まあでもそれを聞いても俺はなんとも思えない。俺がそうあれかしと編んだ術だからな…記憶を捧げた時、それが俺の根幹を成すものならば俺自身の人格が変貌する恐れがある。それをどうにか防ぎたかったのだが、術の編纂は難しくてね」


「なぜそんな術を?もっと代償を小さくする事だって出来たんじゃないのか?」


私が思わずそう言うと、ヨハンは首を振る。


「ヨルシカ、俺は自慢じゃないが連盟で一番弱い。腕っ節だってその辺のチンピラを殴り倒せる程度だし、術だって火の球だのなんだの出せる程度だ。だが弱い人間にだって戦い勝たねばならない、勝たねば未来はない、敗北の先では自らの命を失うだけならばまだしも、友人、家族、愛する者ら…そういった大切な者の命を失う…そんな場面がないとはかぎらないじゃないか。だから必殺技を用意していたんだよ。そして必殺技っていうのは必ず相手を殺す技なんだ。弱い俺がそんなものを用意するっていうなら、そして、そんなものを使わねば切り抜けられない状況であるというなら、代償は俺の命1つでは購い切れないだろう。ならばある意味で命より重いものを捧げるしかあるまい」


ああ、ヨハンはもう自分がつかっていた術の事すら思い出せないのだ。

腕を失い、親の記憶を失い、彼は次に何を失うのだろうと思うと無性に悲しい気持ちになってしまった。

私の瞳からポロポロと涙がこぼれる。

ヨハンは苦笑しながらそれを拭ってくれた。


そんなことより、とヨハンはキッと鋭い目つきになる。

まだなにかあるのか!?


視線はヴィリちゃんへ向かっている。

ヴィリちゃんはエヘエヘと笑っているが…


「ヴィリ!もう少し頑張ったらどうだ!一人で殺るって言ったんだから一人で殺るんだよ!次からはちゃんと殺れよ」


バチン!とヨハンが義手のほうの手でヴィリちゃんの背中を引っぱたいた。

ぎゃあと叫ぶヴィリちゃんは謝りながら地面を指差す。


━━うん、こいつの事は覚えている。少し薄れかかっていたが…

━━本当にとんでもない糞魔族だった…二度と戦いたくない

━━縛鎖が緩んでいるって、それは教会が仕事をしていないってことだろう?

━━教会へカチコミだな。連中のせいで酷い目にあったんだ


どんどん物騒になっていく話に私は顔色が悪くなっていくのを感じる。

教会…中央教会だよね…?

カチコミ…?

勇者…?

さっきまでのどうしようもなくやるせない想いが、なにやら言い様の無い危機感へと変わっていく。


「ヨ、ヨハン?教会へカチコミをかけるのはやめにしないか…?ほら!まずは手紙を出すなり、事情を聞いてみる所から始めるんだ。なあ、シルヴィス!君もそう思うだろ!?」


ひたすら傍観者に徹しているシルヴィスに声をかけると、彼女はけだるげに私を見て口を開く。


「自殺行為にしか思えないけど、でも彼ならなんとかしちゃいそうなのよね。アイツ…普通の魔族じゃなかったとおもう。相当な大物よ。普通の人間だったら絶対に勝てないような存在よ。もしかしたら勇者って貴女の恋人の事なんじゃないの?少なくとも、貴女の恋人さんは勇者と呼ばれるに相応しい偉業を為したと私は判断するわ。ま、私はこの後どうなるかわからないけどね…処刑か…それを免れてもいずれは発狂か…狂いたくないから手駒になったっていうのにね…」


それをきくとヨハンはペッと地面に唾をはいた。

汚い。

土をつま先で掘り下げて唾に被せる。


「貴様もその存在とやらにナイフぶん投げてただろうが。じゃあ貴様も勇者だな、果ての大陸までいって連中をぶち殺して来い。言っておくがもう一度戦ったら今度こそ死ぬからな。あと出来る事といえば魔力をぶんまわして感情のままに暴走させ、低位の術に全部注ぎ込むことで故意に暴発させる術くらいしか切り札はない。要するに自爆だ。聖光会…今の中央教会の前身の連中が得意としてたそうだ」


「絶対使うなァ!!!」

私は思わず大声で叫んでしまった。


ヨハンもシルヴィスもきょとんとしていた。

ヴィリちゃんはぺッと唾を吐き捨てている。

汚い。


「大きな声出すなよ…しかし仕事位はして欲しい物だよ。もし果ての大陸の縛鎖が解かれたなんてことになってみろ。どうなると思う…?」


「ど、どうなるんだい?」

私は恐る恐る聞いてみた。


「古の魔王軍復活だよ。第…ええと…4次人魔戦争だな。こちらの地域だけじゃない、東はアリクス王国までまるっと巻き込んだ戦争が起きるぞ。負ければ人類殲滅だ」


聞かなきゃ良かった。


「そういえばシルヴィス。樹神はもう消滅したんだからお前の中に混じっている黄金の林檎の効果は消えているんじゃないのか。結局はそれも樹神の体の一部だからな…」


ヨハンがそういうと、シルヴィスは“あ!!!”と叫んでいた。


◇◇◇


本来、あの戦いはヨハン達が敗れていてもおかしくは無かった。


自己中心的なヨハンが他者の為に命に勝る切り札を切る事はしなかったはずだし、ヴィリとてその相性の悪さ故に樹神を仕留め切る事は出来ず、彼女は英雄となる夢を砕かれ、その剣と盾は樹海の肥やしとなってもおかしくはなかった。


だが、そうはならなかった。


ヨハンがこれまで殺伐と歩んできた旅路は彼に多くの出会いを齎し、その出会いが彼を成長?させていった結果だろう。


今代魔王の分け身、亜神とも言うべき森の守護者、これらを同時に相手にして勝利したことで、人類はいま少しの猶予を得る。


◇◇◇


法力都市キャニオン・ベルは、規模区分では都市基準ではあるが、扱いとしては一個の国として扱われている。


なぜならキャニオン・ベルは完全自治を許されている都市であり、そこには中央教会の本部とも言うべき大聖堂があるからだ。


中央教会は、一言で言うならば酷く物騒なキリスト教とも言うべき宗教組織である。法神とよばれる存在を至高と仰ぎ、他神の存在を許さない。

貶め、蔑み、あるいは破壊し、法神の眷属とする…これこそが中央教会の使命である。いや、あった。


正直いって時代についていけないのだ、そんな過激な教義では。

昔はさておき、他宗教だって相応の武力くらいは持っている。

かつての様に、法神以外は全部ぶっころ死などとしてしまえば、袋叩きにあって中央教会自体が滅んでしまう。


だからいつのまにか中央教会には穏健派と呼ばれる派閥が出来た。


穏健派はその名の通り。

剣と術ではなく、説法でゆっくりゆっくり文化侵略などしつつ穏便に教義を広げましょうね、という派閥である。


だが、穏健派がいるなら当然過激派もいるわけで、こちらは旧来の聖光会の流れを汲む武闘派だ。

中央教会絡みで物騒な事件があれば、大体がこの過激派のやらかした事といっても間違いない。


そして、そんな2つの派閥は酷く仲が悪かった。

それも…殺し合いを辞さない程度には。

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