準備運動

 ◇◇◇


 下賎ね、とヨハンは内心笑った。

 影でまあコソコソと、と。


 余程自分の手際に自信がないのか? 

 駒を使う事自体は否定しないが、駒に任せて上手くいかなかったからその駒を壊すなど、まるでガキの癇癪ではないか。


 ヨハンは心底から魔族を蔑んだ。

 その侮蔑が表情に出ていた……あるいは出していたからであろう、魔族はその表情を顰めた。


 だがヨハンは魔族の品性をこそ侮蔑してはいたが、その力を些かも侮ってはいなかった。むしろ準備も何もしていない、しかもヴィリに抑えられているとはいえ、樹神等というモノが暴れている現状でこんなモノと殺り合わねばならない不運を嘆いていた。


 悪魔であるなら1度格付けが済めば何と言う事も無いかもしれないが、相手は悪魔に似たような事が出来る存在だ。それは悪魔と同じである事を意味しない。

 かつてヨハンが魔族を仕留めた時は相応に準備をしてから嵌め殺したのだ。

 今とは訳が違う。


 ■


 先ずは見。受け。備え。


 俺は手帳からすらっとした花穂の赤く豪奢な花を取り出す。


 ━━備えよ。目を見開き、音を聞け


 注意力向上の加護。

 普段なら気にせず流してしまう様な事へも意識が向く。

 つまり、視野が広くなる。

 調べ物や探し物をする時に便利な術だ。


 そして術腕に触れる。

 後は仕掛けだけだが……


 左右から影が飛び出し、魔族へ向かっていった。

 タイミングが良い。

 ヨルシカ、そしてシルヴィス。

 ヨルシカは分かる。

 だが何故シルヴィスは魔族に向かっていくのか? 


 ◆◇◆


 SIDE:シルヴィス


 グィルがアイツにあっさり殺された。

 その時点で私の立ち位置は“こっち側”になる。

 なぜって、グィルをああいう風に捨てるなら、私も遅かれ早かれの話だと思うから。

 それと心情的な問題。

 グィルは混ざり者だけど、それでも同胞だった。


 勿論“こっち側”に立ち、この戦いに勝っても私の未来は明るくないだろう。でも、同じ殺されるにしても魔族に殺されるのと彼らに殺される方なら、まだ後者の方がマシそう。


 ナイフを投擲。

 そしてもう一本。

 最初のナイフと、同じ軌跡で。


 ◇◇◇


「קוצי אוויר מקיפים אותי, רעמים זורמים」


 魔族は多節からなる魔法を詠唱した。

 難易度は跳ね上がるが、魔法は複数の効果を同時に発現させる事も出来る。

 ただし、増やせば増やす程魔法は不安定となり、成功率が下がる。

 更にはそれぞれ単独で使うよりもはるかに多くの魔力を使用してしまう。


 この時魔族が使ったのは空気の茨、そして複数の落雷の意味合いを持つ多節魔法だ。


 その瞬間、魔族を目に見えない何かが覆った。

 そこへシルヴィスが投げ放ったナイフが硬質な音を2度立てて弾かれる。

 剣を抜き近接戦を挑もうとしたヨルシカだが、シルヴィスのナイフが弾かれるのを見た為、魔族の背後に回りこもうとした。


 ここで雷撃が起動。

 小規模の落雷がいくつも周辺に炸裂。

 無差別だからこそかわしづらい。


 シルヴィスもヨルシカも、ヨハンも雷撃を受け膝を突いてしまう。

 2種多節魔法などは魔族にとってはちょっとした挨拶……下等生物を嬲り殺す前の準備運動に等しいものだった。


 それでも被ったダメージは大きかった。


「להבה כחולה」


 電撃を浴び、呻くヨハンに魔族の掌が向けられる。

 その中心に蒼い火種が灯るとそれは空気を取り込みあっというまに人の頭程の大きさとなった。


(あ、れは……ま、ずい……ヨハン……!)


 ヨルシカが懸命に体を動かそうとするが、痺れのせいで上手く体が動かせない。シルヴィスもまた同様だった。

 せめてあと5呼吸、いや3呼吸あれば動けるのにと悔やむが、もう次の瞬間にはヨハンは焼き殺されそうな、そんな切迫感。しかし


 ──隆起せよ……


 ヨハンの囁く様な声が聞こえる。


 それは協会式の術の中でも非常に簡単な……単純な術。

 地面に石の塊を隆起させる、ただそれだけの術。

 単純ゆえに、ある程度研鑽を積んだ術師なら泥酔してようと失敗せずに使える程度のくだらない術だ。

 激痛で集中力が乱れている今のヨハンでも、当然術は成功させ、石の塊を魔族のやや後方に隆起させた。


 だがそれが何になると言うのだろうか? 

 そんなもの、普通は気付かれもしない。


 だが、魔族はその石の塊へ目を向けた。

 つまり、後ろを振り向いたのだ。

 そしてまじまじと石の塊を凝視している。

 魔族の注意力は今不自然なほどに向上している。

 ヨハンの加護がそれを為した。

 呪いの類は弾かれる。

 格が余りに違う為に。

 だが、加護なら? 


 ヨルシカの目が見開かれる。

 拳で地面を叩き、反動で起き上がると走りこんだ。


「せぇぇえええ!」


 そして、蹴り上げ一閃。

 魔族の手をヨルシカのつま先が蹴り飛ばし、ヨハンに向けて投射寸前だった蒼い炎球は上空へ逸れた。


 そして、蒼い炎球は空で爆発を起こす。

 それは先にヨハンが使用した爆炎弾などは及ぶべくもない規模の爆発だった。


 一瞬呆気に取られた様な魔族だったが、すぐにヨハン達へと意識を向ける。

 だがその時には既にシルヴィスもヨハンも構えを見せており、ひとまず状況をリセットする事が出来た。


 見かけ上は……だが。

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