樹神伝承
◇◇◇
「それ」はずっとずっと以前から、気の遠くなる程昔からその森に居た。
そして、いつのまにか耳の長い小さいモノ……耳長の民らが「それ」を神と崇めていた。
耳長の民は「それ」が望んでもいないのに貢ぎ物を捧げた。
なぜなら「それ」は誰が見ても分かる程に偉大で、雄大で、清浄で、神聖なものだと分かったからだ。
耳長の民達は極々自然に「それ」を崇めた。
そして貢ぎ物には耳長の民の祈りのような、魔力のような目に見えない何かが込められていた。
長年森から漏れ出る精気を喰い生きてきた「それ」にとって、彼らの込めたものは非常に甘露に感じた。
この甘露を信仰と言う。
耳長の民等から森の神と崇められ、信仰という餌を食らい、権能で創り出した果実を見返りにくれてやった。
その果実は黄金の林檎と言う。
食べた者の寿命を延ばす禁断の果実だ。
素晴らしい!
耳長の民等は歓喜し、次から次へと黄金の林檎を貪った。
皆が皆、不老という名の甘露を味わう。
黄金の林檎が齎す力は凄まじく、林檎を食べた者達の子供にもその効能は及んだ。
しかし、この黄金の林檎には致命的な欠陥があった。
確かに肉体の寿命は延ばす。その魔力も増大させる。
しかし心の寿命は延ばしてはくれないのだ。
長い年月の後、耳長達はその心が弱いものから順に狂っていった。
いや、狂うというのは正しくないかもしれない。
心が肉体より早く死んだのだ。
虚ろとなった耳長達はその身に秘める膨大な魔力を無差別に撒き散らし、森を破壊し、村を滅ぼし、街を焼きつくした。
彼らは各国が協働して対応し、大きな被害を出しながらも虚ろな者達を滅ぼすことができたが、「それ」が居る限り被害は0とはならない。
黄金の林檎を食した耳長の民は数多く存在しており、彼らもまたそれぞれ子を成し、その子らもまた……
中央教会の前身に当たる聖光会はこれを重く見て、まだ正気を保っている耳長の民に事情を聞く。
そして元凶が「それ」である事が分かると、大組織らしからぬ迅速な対応を見せた。
邪神認定からの聖戦令が布告されたのだ。
聖光会の精鋭達、そして各国の英雄達が集い、「それ」へ攻撃を仕掛けた。
多くの屍を積み上げ、聖光会、及び各国は勝利を収める。
しかし、「それ」を完全に滅ぼす事は叶わなかった。
単純に人の身で仮にも神である存在を根源から消滅させる事など出来ないから、という理由もあったが、何よりも人間側が神殺しを恐れたのだ。
仮とは言え神を弑した者がどんな目に遭うかなど歴史が物語っている。
結局人間達は「それ」を封じるに留めた。
留めざるを得なかった。
残った耳長の民達はその存在骨子に黄金の林檎の残滓を残しつつ、大森林を離れた。そしていつか必ず来る発狂を恐れながら各地へ散っていった。
・
・
・
封印された「それ」はまどろみの中で、無色透明で生ぬるい海の様な場所で揺蕩っていた。
無色透明の海はやがて、長い年月の内に鮮やかな緑へ色づいてきた。
しかし、ある時美しい緑の海へ墨の様な物が垂らされた。
黒い液体は少しずつ広がっていく。
「それ」は酷く不快な気持ちを覚えた。
◇◇◇
緑の使徒。
それはかつて封印された旧き神……樹神を崇める者達だ。
だが崇めるといっても、その信心は私利私欲に染まりきっている。
なぜなら使徒達が求めているのは樹神が齎したという黄金の林檎だけでしかないのだから。
なんだったら樹神そのものですら彼らには要らないものなのかもしれない。
口にした者に大きな力と寿命を与える奇跡の林檎、黄金の林檎。
とある者に樹神復活が近い事を知らされた彼らは、信仰心とラベリングされた薄汚い何かをせっせと樹神へ捧げていった。
森の果実、獣、そして時には人間でさえも。
彼らの行いがより早く封印を解く助けになるかといえば、なる。
なる、が。
解封された樹神が果たして、以前の様な偉大で、雄大で、清浄で、神聖な存在のままかどうかは……。
■
いいねえ!
本来は冬場にしか咲かない筈のあんなものやこんなものまでどっさりである。
もはやこのアシャラへ定住しても良いのではないだろうか、という考えすら浮かぶ。
とはいえ、そういう事を考えるのはまだまだずっと先だろうが。
50になってからか? 60か?
ああでも肝心な事を忘れていた。
俺は自分の年を知らない。
他人に何歳に見えるか聞いた事もあるが、25才~35才という答えだった。
どうにも俺は年齢が不詳に見えるらしい。
まあ連盟に自分の年が正確に分かる者が果たして何人いるか、と言う話ではあるが。
マルケェスがその辺を管理しているのだろうか。
マルケェスは連盟の雇用係だ。
ずっと昔から連盟にいる苦労人。
彼はこれと思った者に声を掛ける。
そして杖を与える。
杖は28本ある。
だが、これは連盟員が28人いる事を意味しない。
なぜなら、杖が折れた場合……つまり連盟員が死んだ場合……その杖を別の者が引き継ぐと言う事が無いからだ。
仮に俺が死んだ場合、次に入る連盟の術師は29本目の杖を手にするだろう。
この世界の誰もがその者を忘れたとしても、連盟だけはその者を忘れない……という意味らしい。
そんな事はどうでもいいか。
と言う事で、俺はたっぷりの草花を……おっかない上級斥候に睨まれない程度の量をせしめてアシャラへ帰還した。
後は銅貨40枚の小遣いを貰って宿へ帰ろう。
汚れを落としたら飯を食いに行っても良いかもしれない。
■
と言う事で小遣いならぬ報酬を貰った。
酒の2、3杯も飲めば吹っ飛ぶが、特に気にしない。
ヴァラク、エル・カーラで俺はたんまりと稼いでいる。
なんだったら家すら建てられる。
家を建てて、意味なく壊してもう一回建てる事すら可能だ!
ははは!
1人でニヤニヤしてると、背後から声がかかった。
「あ、ヨハンさん! こんばんは、依頼帰りですか?」
振り向くとセドクが居た。
「やあ、こんばんは。先程依頼が終わってね。君も仕事帰りか。怪我等は無さそうだな」
ええ、おかげさまで、とはにかむセドクを見ると、これは特定層に人気がありそうだな、という思いを禁じえない。
「そういえば君はヨルシカの後輩か何かなのかな?」
そういうと、セドクは勢いよく頷いた。
・
・
・
「はい! でもヨルシカさんは先輩というか師匠というか! そんな感じなんです、それでヨルシカさんは……」
「だからヨルシカさんの……」
「その時ヨルシカさんが言ったんです……」
俺は長々話をする事が好きだが、長い話を聞く事も別に嫌いではない。
ただ、同じ話題が何度か繰り返されているのが気になる。
ヨルシカが森林狼の喉笛を搔っ切ってセドクの命を助けた話は2回程聞いている。これで3回目だ。
さすがにおかしいと思い、洗脳か錯乱の可能性を探ったが、セドクは至って正気だった。
折角なので組み手の話をしてやった。
俺がヨルシカにぶっ飛ばされた話だ。
するとセドクは“いいなあ! ”等とのたまう。
セドクはちょっと頭がおかしいみたいだし連盟の術師向きかもな……と少しだけ思ってしまった。
ああ、でもウチにもマトモな奴はいたか。
同僚で一番マトモな者はアリクス王国でちょっとした立場についている。
驚くべき事に冒険者ギルドのトップだ。
連盟員でもあるが、協会員でもある異色の術師……でもないな、連盟と協会の両方の術を齧っているものは案外多かったか……。俺もそうだ。協会の術だって使おうと思えば使える。
俺は彼女に、ルイゼに読み書きなどを教わった思い出がある。
面倒見がいい生真面目な女だった。
■
そんなこんなで俺はセドクと手をふって別れ、宿へと戻った。
そして深夜遅くまでせしめてきた草花の手入れをしている。
冬にしか採れない筈の植物がこれだけどっさり採れると言うのは、よくよく考えてみればおかしい。
大森林だから仕方ないよな、と思考停止していたが……
植生に大きな変動でもあったか?
一輪の花をまじまじと見て、匂いを嗅いで、舐めたりもしてみるが良く分からない。花自体に変異がある様には見えない。
すると、土壌か?
土地絡みは嫌だなぁ……大体面倒くさいぞ。
■
翌朝。
いつも通り仕事に行こう……と思ったがやめた。
そういえばアシャラは無人地区の様なものがあるのだった。
それを見にいこうとおもう。
ヨルシカでも誘ってみようか。
■
「んん? ああ、古住居地区かい? うん、いいよ。といっても石で出来たアーチとかそんなものしかないけれどね」
俺はヨルシカにガイド料金を渡そうかな、と思ったが何となくやめた。
何だかよくわからないが馬鹿みたいだからだ。
「悪いね、飯でも奢るよ」
長い名前の店がいいそうなのでそこにする予定だ。
ちなみに子供達の世話は院長殿がするらしい。
■
「へえ! いい雰囲気じゃないか。余り芸術? は分からないが、なんだか良い感じがする」
俺が頭が悪い感想を述べると、ヨルシカは鼻で笑った。
「元は寺院だったそうだ。もう影も形もないけれどね。アシャラートは知っているかい? うん、そうそう、そのエルフェンを神格化して祀っていたらしいんだが、聖光会……今の中央教会に異端認定されて破壊されたらしい」
中央教会か。
そういえばマイア……始まりの街でパーティを組んだ彼女は中央教会の聖職者だったな。中央教会は産めよ増やせよの精神なので、色恋は可なのだ。
そういうと随分生臭に聞こえるが、神関係にはやたら厳しい。
土着神などが根付いていても片っ端から中央教会が排斥してしまう。
この場合は神自体をどうこうするのではなくて、信者をどうこうするという意味で。
神なんていうのは信仰心が無くなれば神足りえなくなってしまうからな。
だがそれ以外はゆるゆるだ。
シモの話になってしまうが、中央教会所属のシスターが小遣い稼ぎで娼館で働いているなんて話も珍しくない。
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近況ノートにてこの回の挿絵を一般公開しております。
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