エル・カーラ③(2023/05/28改稿済み)

 ■


 ヨハンが広場へ行くとアリーヤらしき人影はなかったが、指定された時刻へ針が触れる前には彼女が姿を現した。服装は変わらず朱に染めたローブだったが、よく見れば刺繍や装飾の類に差異がある。


 ヨハンは自身の衣服を見下ろして、アリーヤに対してやや引け目を抱く。彼のローブは"安定"の加護が施されており、耐刃、耐熱、耐寒と旅装としては十分な性能を持つが、礼装という意味では十分とは言えない。


(もう一着位は見栄えを意識したものを用意しても良いかもしれないな)


 ヨハンという男は人並みには見栄張りではあるが、決して綺羅を飾る様な服装を周囲に見せつけたい訳ではない。みすぼらしい恰好は殺し合いのきっかけとなってしまうのだ。魔術師界隈に詳しくない者はそんな事で殺し合いになるのかと驚くが、一端の魔術師であるならそこはむしろ殺し合わなければならない。


 1.みすぼらしい服装を舐められる

 2.舐められた側はそれを敵対と判断する

 3.敵は殺害しなければいけないので、当然先制攻撃をする

 4.攻撃された側も応戦し、殺し合いが成立する


 蛮族の見本のような思考と振る舞いだが、この世界の人間はとある事情で沸点が低い者が非常に多い。これは性格云々の問題ではなく、種族的な特性であるため仕方がない事なのだ。


 ■


「時間通りですわね。わたくしも師ミシルへ帰参の報告を入れ終わりましたわ。ああ、術師ヨハンについての口利きについても了承を頂きましたから早速向かいましょう」


 物事が進行するスピードに、ヨハンは満足した。良き魔術師は即断即決というのが彼のポリシーである。考える時間が足りないというのならば、素早く考えればいいだけの話だとヨハンは思っている。


「ところで師ミシルについてはご存知かしら?」


 アリーヤがそう問いかけると、ヨハンは名前だけは、と答えた。協会の術師は非常に多いが、流石に高位の者の名前くらいは知っている。


「まあそうでしょうね。帝国魔導技術の向上に少なからぬ貢献をしてきた方ですし。魔術師でありながら師ミシルを知らないというのはモグリというものですわね」


 ヨハンの目にはアリーヤの鼻頭が心なしか高くなっているように見えた。


「帝国魔導には興味がある。というより、俺も世話になっているよ」


 ヨハンが便利使いしている雷衝は帝国魔導の研究課程で生み出された魔術だ。

 協会にも所属している帝国の魔術師がこれを考案し、世に広めた。残念ながら帝国魔導と協会式魔術の合いの子の様な"雷衝"は巷の魔術師からは余り人気がない様だが。


 "雷衝"には基本となる型と様々な派生形が存在し、基本型は非常に安いコストで使用ができるが、これは超接近でしか使用することができないような代物で、派生型は制御が難しく、なおかつコストが跳ね上がる。


 帝国は昨今、帝国魔導と言う新たな魔術体系と、帝国魔導技術という科学と魔導の融合技術に多額の予算を投じている。研究の副産物は一部では既に実戦投入もされているのだ。


 例えば帝国魔鎧と呼ばれる帝国魔導技術により創り出された特別な鎧がレグナム西域帝国第3軍、第1師団~第3師団に配備されている。


 これは全身の各所に配置された宝石が魔術の触媒として機能し、特定の符丁により風の魔術を起動させる。すると後背部から強力な風が吹き出し、着用者は高速で移動することが可能となる。


 現行モデルは時速45kmもの速度で、最大55分間稼働可能だ。戦場においては一瞬で前線に突撃したり、危険な状況から即座に脱出するなどの利点を持つが、コストや継戦能力に難があるため日々研究が進められている。


 ■


 ヨハンとアリーヤは術談義などを楽しみながら連れだって歩き、やがて大きな屋敷が見えてきた。


 ヨハンは基本的に金がない。

 金を稼ぐ能力は十二分以上にあるのだが、あればあるだけ使ってしまうのだ。

 呑む、打つ、買うことに消えているわけではなく、多くが触媒を購入する代金に消えている。

 余った金があっても、高級な宿にとまったり高級な馬車で移動したりと節操がない。

 これはヨハンの育ちの貧しさの反動だと思われるが、兎にも角にも彼はいつも金がないのだ。

 現在のヨハンは報酬の金で懐が温かい。

 しかしその金もすぐに尽きるだろうと彼は予想していたし、彼の予想は大抵当たる。


 対して術師ミシルはどうか?とヨハンは屋敷を眺め、経済力での完敗…どころか勝負にすらなっていない事を認めざるを得なかった。


 アリーヤがぼそりと呟く。


「師は…術師として非常に純粋な方で…なんと言うのかしら、下品な言い方ですけれど、ナメられる事がとてもお嫌いなんですの。術師ヨハンは礼節わきまえていらっしゃる方に見えますので、わざわざ言う必要はありませんけれど…くれぐれも協会の術師風情が、なんていわないで下さいましね。以前、同じ協会の魔術師が師に対して、引きこもり女が男に股を開いてその地位を得たのか…というような事を言ったのですが…」


 ヨハンはアリーヤの話に興味をそそられ、その魔術師がどうなったのかを聞いた。


「タマを一つ失う事となりましたわ」


 なるほど、とヨハンは思う。

 どうやら心優しい淑女の様だ、と。


 ■


 ヨハンが屋敷に通された先に待っていたのは、蒼い髪の女性だった。彼女の容貌は若々しく見えたが、術師の年齢は見た目だけでは判断できないものだ。表情は殆ど無表情だが、一種異様な威圧感を放っている。


「術師ヨハン。連盟の28番目の杖ですね。連盟の者にしては血の匂いが薄い。場合によっては釘を刺そうかと思いましたが、貴方ならば余り問題はなさそうです。私はミシル・ロア・ウインドブルームです。私の長々とした肩書きは覚えなくても宜しい。さて、弟子アリーヤより話は聞いております。1つお尋ねしますが、腕は何故無くしたのです?」


 ヨハンの説明を聞き、ミシルは深く頷いた。


「腕を切断してから体や精神に異常などは?…そうですか。業前優れ足る剣士だったようですね、その女性は。生半な者であるなら残った腐血が胴体、四肢、頭に回って死んでもおかしくはありませんが。まあ宜しい。であるならば金貨2000枚にて仕事を承りましょう」


 ヨハンは内心で唸った。2000枚の金貨。それは爵位を買うくらいの金額だ。確かに彼は今の所はかなりの金を持っていたが、2000枚という金貨は流石に予想を超えていた。


「言っておきますが、連盟の術師に手を貸したとなると、うるさく口を出してくるものが10や20ではききませんからね。彼等を黙らせる、そして文字通りの最高傑作とも言える義手であるので相応の値段だと思います。私が貴方の義手作成を引き受ける理由は、弟子アリーヤの紹介であるからです。アリーヤはあれで見る目がそれなり以上にありますからね」


 ■


 ミシルの言葉にヨハンは懊悩する。目の前にいる彼女は大した人物だとは分かる。きっと良いものを作ってくれるだろうとも。だが、ないものはない。所持するあらゆる触媒を手放せば、と一瞬考えたが、すぐにその愚かな案を打ち消した。

 金に困って触媒を売り捌く魔術師は珍しくはないが、そんなものは例えるならば飢えて自身の鋏を食うカニのようなものである。


「その顔はお金が足りない様ですね。銅貨1枚たりともまかりませんよ。しかし、労働で不足分を埋め合わせる事は可能です。具体的に言いましょう。魔導院の臨時教員をしてください。期間は当座の所は90日とします。義手作成もそれなりの時間が掛かりますからね。私も院で教員をしております。分からない事などはサポート致します」


 木机がコツコツとミシルの指先に叩かれる音が響く。


 ヨハンはミシルの意図が読めず、困惑する。


 ──教員?俺がか?疑問を抱きつつヨハンがミシルの顔を見ると、ギリギリギリという音が鳴り響く。その音はミシルの口元から発せられていた。


 歯軋りだ。

 傍に控えていたアリーヤを見ると、彼女の顔色は真っ青になっている。


「ここ最近、このエル・カーラで不遜極まる邪道の徒共…恥知らずのドチンピラが、魔導院の生徒をかどわかしております。一端の術師であるならばその様な不逞の輩など血祭りにあげてやれるのでしょうが、奴等も足りない頭なりに考えているのか、未熟な生徒を狙っております。ドブネズミの如き連中でありますから、隠れる事は得意の様子…」


 ミシルの歯軋りは益々激しくなり、コツコツという音はゴツゴツと変わり、彼女の爪が割れて血が滲み出る。すでに彼女は指ではなく、拳そのもので木机へたたき付けている。


「体の!」

 ミシルの指はすでに血まみれだ。


「一部しか!!」

 血が飛び散り、ヨハンのローブへと付く。


「帰ってこなかった生徒もいるのです!!!…舐めた真似を…許さない…ッ…」


 ヨハンはミシルの手を取り、彼女からの説明を求める。


「つまり術師として最低限自衛できる程度に指南せよ、と。可能ならば不逞の輩から生徒を守れ、と。そういう事でしょうか、術師ミシル」


 ミシルはぼうっとヨハンの顔を見て、ややあって頷く。


「はい。協会の術師は温い。それは私も含めてです。アリーヤの話を聞いた時、私の霊感は術師ヨハン、貴方の手を借りろと囁きました。力を貸して頂けますか?報酬は義手の作成代金を免除する事。そして私への貸し1つです」


 ■


 ──最高級の義手がタダだと?


 金貨2000枚分が無料というのは良い。だが、問題があるとすれば相応の依頼をこなさなければならないという事だ。それに、貸しが1つというのは具体的にどの程度の事を意味するのだろうか。協会の準一等術師への貸しは、大きなものなのか、それとも小さなものなのか。彼の内心では損得勘定がまるで天秤のように揺れ動いていた。


「術師ミシル。受けましょう」


 交渉もやろうと思えば出来たかもしれないが、ヨハンは交渉無しで呑み込もうと決めた。

 自身の中に蓄積する師ルイゼからの教訓の数々を後世に伝えるためにも、この仕事は面白そうだと思ったからだ。




---------------


だらだらと改稿を進めています。

基本は視点の変更、そしてちょっとした加筆です。

急いでやってるわけではないのでいつ終わるかわかりません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る