ヴァラク⑨


ギルドで他の隊の帰着を待っているヨハンは、見知った顔を見つけた。それはヨルシカだった。彼は彼女が調査隊に選ばれていなかったのかと疑問に思った。ヨハンの目から視ても、彼女は十分に実力があると思われたのだが。


「やあヨハン。調査隊を任せられたんだって?」ヨルシカは尋ねた。


ヨハンは彼女が調査隊に参加していない理由を知りたかった。


「ん?ああ、調査隊?私は断ったんだよ。提示された報酬はよかったのだけどね。君があんなに脅かすから怖くなっちゃってね。ただ、君が調査隊をまとめるのだったら私も参加してもよかったかもしれないな」


「君は長生きするタイプだな。まあ興味があるならそのうち他の隊も帰ってくるだろうから聞いてみるといい。俺も口を利くよ」と彼は提案した。


“前向きに考えてみるよ”といい、ヨルシカは顔見知りと思しき女冒険者に声をかけに行った。彼女は前回一緒に組んだ双剣の女だ。


「ヨハン、し、知り合いかい?」とカナタがそわそわしながら話しかけてきた。


「ああ。ヴァラクへ来てから少しな。……その目はなんだよ。…ああ、紹介はしてもいいが、君のことを必要以上に持ち上げたりはしないぞ。“彼の名はカナタ。勘に優れる斥候だ。彼は危険を察知することに敏で、斥候を求めるなら必ず役に立つだろう。だが人柄は信用するな。彼は女と酒を買うためにゴロツキ共から借金をしている男だ”と紹介する」とヨハンは冗談めかして言った。


カナタは後半の説明が必要かと尋ねたが、彼の質問はヨハンに無視された。


その後も、彼らはくだらないこと(金利の安い金貸し・性病予防・混ぜ物をしている酒屋の話など)について話し続けた。そして気づけばそろそろどこかの隊が帰着してもおかしくない時間となっていた。


カナタが突然黙り込む。

ヨハンが彼の様子を尋ねるが、カナタはそれに答えずにギルドの木製の扉を見つめていた。

ヨハンの目にはカナタのぽっちゃりした顔についている2つの目が、まるで硝子玉のように見えた。


ややあって、カナタはぽつりと一言だけ呟いた。


「帰りたくなってきちゃったな。なんだか嫌な予感がするんだ」



ラドゥ隊が帰着した。


彼はギルドへ入るなり、ぎょろりと周囲を見渡し、彼の顔を見つけると近寄ってきた。


「無事か。ダッカドッカの隊は帰ってきていないのか?」


ヨハンは首を振り、調査結果を報告した。

ラドゥの表情は険しい。


「そうか。私の隊の報告もしておく。私は南西から南東に向かい調査を進めていた。ダッカドッカ隊は南東から南西だ。調査の過程で足止めを受けるようなことがなければ、私はダッカドッカと合流し、2隊で街へ帰着するつもりだった。君の隊の負担が大きいように思えるが、これは赤砂荒野の魔狼討伐依頼の結果を含み置いての判断だ。あの地についてはある程度調査済みと考えている」


ヨハンは頷いた。

すでに頭にはとある不穏な考えが思い浮かんでいるが、口には出さない。


「しかしダッカドッカの隊とは合流できなかった。だが、想定していた合流場所…森の近くに血と思われる跡が残っていた。何頭かの魔狼の体の部位。」


これを、とラドゥが袋を取り出す。

中身を見れば土だ。


「血と思われる跡が付着していた土だ。掘り返してきた。これは人のものかそれ以外か、分かるか?」


分からないこともないが…、とヨハンは思う。

しかし専門ではない。


「錬金術師の領分でしょうね。この街にもいるでしょう。調べに出しますか?ただ、結果は明日になるかもしれませんが」


ラドゥは“それでは時間がない”というので、ヨハンはそれなりに高い触媒を使うことになるが、と前置きする。


ラドゥは躊躇う事なく答えた。


「構わん。言い値で払おう」



「術それ自体はそれほど難易なものではないのですが、触媒の用意が面倒でして。手間がかかるタイプの触媒は総じて高額なのです」


そんな事を言いながらヨハンは手帳に押してある革質の緑葉を取り出した。葉はやや先端がとがった楕円形をしている。月下樹という常緑性の小さい樹木から採った葉だった。常緑性ゆえに1年中いつでも葉自体は手に入るのだが、手間がかかるのだ。本来は濃緑の葉なのだが、これはどことなく赤黒い。


ヨハンは葉の先をつまみ、袋に落とした。


この葉は手間をかけずに使う場合は食物の保存などに役立つ術の触媒になる。


花言葉は『私は死ぬまで変わらない』


ここから紡がれる不変の誓いは、保存食を作る際などに重宝する。


しかし、腐らせた人血…人血は犯罪者…できれば人殺しのそれが良い…にこの葉を浸し、冷水で洗い流し…という工程を経てから乾燥させた葉は別の術の触媒になる。


━━糜爛する命、滲めよ腐り血


不変は転じて、腐変となる。腐り血の呪いは、その名の通り対象の血液を腐敗させる。


まあ争いごとには使えない。手に届く範囲の血しか腐らせられないし、ジワジワと腐敗させていくため、仮に戦闘などに使っても相手を殺す頃には自分も死んでいるだろう。大体、これは人間の血液にしか効果がないため、使い所はさらに限られてしまう。


じゃあ何に使うのかと言えば、犯罪者の拷問などには非常に使える。犯罪者の血が推奨されているのも元はと言えば刑場用に作られた術だからだ。身も蓋もない言い方をすると、この術は人間の犯罪者をじわじわと苦しめるための術である。



・ヨルシカ


ラドゥさんとヨハンのやり取りを聞いているけれど、本当に物騒なことになった。ダッカドッカはあの時の大男だろうか?


殺したって死ぬようなタマではなさそうなのだけど…


ヨハンが術を使うのを見たのは二度目だが、おどろおどろしい気配が立ち込めてきて気分が悪くなってきた。


ヨハンが陰鬱に何かを唄いあげ、暫く沈黙が続く。何も起こらないが、失敗したのだろうか?だがラドゥさんの表情は変わらない。袋の中を注視しているようだが…


だが、嫌な匂いが漂ってきた。これは、何かが腐った匂い…



「人のものですね」とヨハンは、袋の中で異臭を放っている土を見ながらラドゥに伝えた。


土はドロドロと泥というほどではないものの粘り気を帯び、顔をしかめたくなる腐臭がそこから漏れている。


土に含まれていた血が腐れ果て、土に混じっているのだ。


ラドゥは暫し瞑目していたが、やがて静かに口を開いた。


「明朝。再度調査へ向かう。私と君の両方の隊で」


ヨハンは頷いた。

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