閑話:ダッカドッカ

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 ダッカドッカ率いるダッカドッカ隊は、深い森のほとりで通常の魔狼よりもはるかに巨大な足跡を発見した。その足跡は三回りも四回りも大きく、森の闇の奥へと続いていた。彼らが見つめるその足跡からは、重苦しい空気が立ち上り、ダッカドッカの心に刃物のような緊張感が走った。


「でけぇな」


 ダッカドッカは短く言うと、素早く周囲を見渡し、気配を殺して一行に迫ってきているモノがないかを確認した。


「でけぇ。そして、やばい」


 ダッカドッカは街へ帰還することを考え、すぐにそれを打ち消した。

 ある種の予感を覚えていたからだ。この足跡の主は非常に危険な存在であり、可能な限り速やかに滅ぼさなければならないというある種の危機感だ。


 ──今ならば、ぎりぎりで“間に合う”かもしれない


 それは優れた戦士特有の嗅覚と言えるだろう。

 あと一撃で相手を斃せる、今が攻め時だ、そういう類のものだ。逆に、ここを外すと“敵”は手に負えない存在になるかもしれない。


 なによりも、ダッカドッカが敬愛する“兄貴”とこの周辺で落ち合う事になっているのだ。ダッカドッカが帰還し、そして兄貴が、ラドゥがこの足跡の主と会敵したらどうなるか?


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 兄貴に戦わせるわけにはいかねぇな、とダッカドッカは冷えた頭で思った。彼はラドゥを敬愛しているが盲信しているわけではない。

 戦士として心身が充実している今の己と、既に老境に至り旬を過ぎたラドゥとでは、己の方が殺し合いの業は上だと理解していた。

 その自分がやばいと感じる相手にラドゥが勝てるだろうか?


 歴戦の戦士であるダッカドッカはその自問に否と判断を下す。


 ダッカドッカ隊の戦士たちも、その足跡に対する緊迫感を感じ取り、互いに目を見つめて無言の確認を交わした。


「旦那、行くんですかい?」


 ダッカドッカ隊の副隊長、“盲”(めくら)のヘイザがダッカドッカに尋ねる。


 ヘイザは細身の中年男性であり、極東の出自だ。

 極東はこのイム大陸そのものの東部に位置する島国で、さほど大きくもない面積であるにもかかわらず大小様々な国がひしめいており、年中島全体で殺し合いに明け暮れているという修羅の世界だ。


 ヘイザはそんな極東の頭のおかしさに辟易して島抜けしてきた一人で、ヘイザのような者はこの大陸にそれなりにいる。


 ヘイザは字名の通り、盲目の剣士であった。しかし、その実力は並みの剣士を遥かに凌ぐものであり、“右剣の”レイアに剣術を教え込んだのは彼である。


 ヘイザは"気"と呼ばれる魔力とは異なる力を操ることで、周囲の状況を緻密に把握し、盲目でありながらも他者を圧倒する戦いを繰り広げる。


「自分ってェのをうすぅく、広げていくカンジなんですねェ」と言うのはヘイザの言だ。


「そうだな…ヘイザはどう思う?俺の勘はここでこの足跡の主を殺っちまわねぇとやべえって言っている。だが殺りに行ったら行ったで、タダで済むとも思えねぇ」


 ダッカドッカがそういうと、ヘイザも頷いた。


「アッシもそう思いますねェ。やれやれ!行くも地獄、退くも地獄ですかい」


「俺たちに似合いですぜ!」


「やだなぁ、隊長のヤバいは本当にヤバいからなぁ」


 様々な声が隊から聞こえてくる。


「隊をわけるって選択肢もあるがよ、戦力を分断するってのも考えものだよなァ…」


 ダッカドッカが頭を掻きむしると、隊の者たちはやんややんやと声を上げた。


「隊長らしくねぇよ!こういう時“紳士”ならどうするんでしたっけ?全員でとっととホシを始末しちまいましょうよ!あの岩喰いがビビってるってこたぁねぇよなァ!?」


 ダッカドッカはその声に太く攻撃的な笑みで応えると、森の奥へと足跡が消える方向に目を向けた。


 暗く薄暗い闇が広がっている。ダッカドッカ一行は自らの運命に身を任せ、森の中へと踏み込んでいった。


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「ヘイザ」


 ダッカドッカは森に踏み入るなり、短くヘイザの名を呼んだ。


 へい、とヘイザがダッカドッカの前に出る。


「失礼しやして…」


 ヘイザが腰に差している片刃の長剣を取り出し、抜刀し…勢いよく納刀した。


 周囲に甲高い音が響き渡り、森に染み入っていく。

 ヘイザは瞼を閉じ、納刀の姿勢のまま動かない。

 ダッカドッカ隊の荒くれ者たちも黙り込んでいる。


 聞こえるのは木々のざわめきのみだ。


「……1000、いや、800歩…程の距離から小さな群れ。数は10か、やや上か…」


 ヘイザの言葉を聞くなり、ダッカドッカは一同に告げた。


「早速のお出迎えだ!戦闘準備!」


 応と太い声が上がる。


 接近してくる集団を感知したのはヘイザの“聴剣”だ。納刀音は空気中を伝わり、周囲の物体に当たる。そしてその反響がヘイザの耳に戻ってくる。ヘイザはそのようにして物体の位置や形状、距離を把握する事ができる。


 ダッカドッカの声が響くと、傭兵たちは瞬時に動き出した。弓矢を構える者、槍を振り回す者、魔術を詠唱する者…森の戦場は一気に熱気に包まれる。


「おいおい、これはどういう事だ?」


 ダッカドッカは迫ってきた魔狼の群れを見ていぶかしげな声をあげた。


 どの個体にも戦意…というより恐怖心が浮かんでいる。魔狼は高度な社会性を持つ賢い魔獣だ。

 人間とみるや何でもかんでも襲い掛かるような魔獣ではない。獲物を見つけても、それが集団であるならば偵察隊を派遣してくるような知恵を持つ。


 そんな魔狼が狂奔していた。

 口の端に泡を浮かべ、瞳は見開かれ、そう、まるで…


 ──何かに追われているような…


 とはいえ、魔狼の群れはダッカドッカ隊を障害物とみなしたようで狂気交じりの敵意をぶつけてくる。


 ダッカドッカはにやりと笑い、腰に括りつけた二本の片手斧を構え、腰を捻って左手に持つ斧を魔狼の群れ目掛けて投擲した。


 ただの斧投擲ではない。

 斧には彼の魔力が込められている。


 業前優れた魔術師ならば、ダッカドッカの手と斧の間に魔力のラインが繋がっているのが見えたかもしれない。


 ダッカドッカの手から放たれた魔斧は唸りを上げ、回転しながら魔狼の群れに襲いかかった。

 ダッカドッカは更に腰を捻り、右手の斧も投擲する。


 両斧の小さい死の回転半径に巻き込まれたモノは、例え魔狼だろうが樹木だろうが、全てをなぎ倒されていく。


 もちろん魔狼も背後に迫っているモノ、自分達を“喰らおう”と追ってきているモノは恐ろしいが、現在進行形で自分達を害してくるモノも恐ろしい。

 ゆえに回避行動の一つや二つは取るのだが、ダッカドッカがそれを許さなかった。


「戻れェッ!」


 大声疾呼、ダッカドッカは叫び、そして両手の拳を握りしめ、まるで何かを引き寄せるかのような動作を取る。


 すると魔狼に襲い掛かり、そして森の奥に消えていったはずの二本の手斧がダッカドッカの手目掛けて戻ってくるではないか。


 魔狼は魔力を持つ狼で、その肉体を魔力により強化している。

 それがどれほどの強化具合かと言えば、例えば特に魔力などを持たない一般人が包丁を両手で握り渾身の力で腹部を刺しても、先端が少し食い込む程度の強化具合だ。


 そんな魔狼がまるで襤褸切れのようにズタズタにされていく様子は、まさに圧巻の一言であった。


 魔狼の群れの後背から襲い掛かる二本の斧は、彼らに無慈悲かつ躊躇のない死を与えていった。


 ■


 今現在でこそ“岩喰い”ダッカドッカは生粋の傭兵だと思われているが、実際は違う。


 ダッカドッカには傭兵としての顔のほかに、元金等級冒険者…それも“黄札”としての顔もあった。

 黄札というのは札付き、つまり冒険者ギルドから要注意、警戒対象として見られているという事を指す。なお、赤札というのもあり、これは抹殺対象として認識される。


 冒険者としてのダッカドッカは若く熱い血潮に駆られる青年で、冒険者としての生活に対する情熱に溢れていた。また彼は大胆な性格であり、危険なクエストに挑むことを何よりも好んでいた。そのため、彼の周りには危機的状況が絶えず付きまとうような状況であったが、彼はその度に危機を乗り越えていった。そして強くなり、金等級という実質的に冒険者としての階位の頂点に立った。


 実質的というのは、金等級の上に黒金等級という特殊な階級があるためだ。

 黒金等級冒険者の一人、“禍剣”のシド・デインなどはギルドの子飼いで、その役割は赤札の上位冒険者を抹殺するというものだったりする。


 ただこの黒金等級冒険者というのは西域、東域をあわせても3名しかいない為、この金等級が実質的に冒険者達の最上位であるとみなして良いだろう。


 しかし、彼が冒険者として活躍する中で、彼の粗暴な振る舞いや無茶な行動が周囲に悪影響を与えることが徐々に増えていった。その結果、彼は冒険者ギルドから黄札として認識されるようになる。しかし彼はその立場を受け入れ、自分の行動を振り返ることはなかった。


 だがそんな日々は唐突に終わりを告げる。

 貴族と揉めたのだ。

 もちろんいきなりダッカドッカが貴族に喧嘩を売ったわけではない。経緯というものがある。


 レグナム西域帝国の大貴族が、とある特殊な素材を求め依頼を出し、ダッカドッカがそれを受けた。


 報酬は膨大。

 ダッカドッカを含め、仲間全員を一代貴族としても余りあるものだった。

 それも当然だ、なにせ求められている素材というのは竜の牙なのだから。


 しかもそんじょそこらの木っ端竜ではなく、氷竜グラノラの牙だ。


 竜とは基本的に強大な生物ではあるが、その竜にもピンキリはある。氷竜グラノラは間違いなくピン寄りの竜であった。

 氷竜グラノラは傭兵都市ヴァラクの後背、万年雪が積るピレクス山の山頂を住処としており、しかしめったに山から降りてこないために危険度はさほどない。ただ、それでも竜は竜であるためにギルドでは常に討伐依頼が張り出されてはいた。


 ダッカドッカ達が危険な竜殺しに挑んだ理由は、彼らが血気にはやる勇敢な冒険者であったから、という理由だけではない。


 ダッカドッカは辞め時を探していたからでもある。

 恋人と共に冒険者を引退し、そして違う人生を送る…冒険者というのは自由だが死と隣り合わせだ。

 守るものが出来た者から先に去っていく。


 そこへきての巨大な報酬というのは、彼らの目を眩ませてしまった。

 ダッカドッカ達といえど、一体どれほど冒険に時間を費やせばそれほどの財を成す事ができるだろうか?10年?20年?その間ずっと生きていられるのだろうか?


 否だった。

 彼の仲間たちもダッカドッカの決断に賛同した。


 冒険者であるダッカドッカは当時の仲間たちと共に竜殺しに挑み…そして多くの犠牲を払いながらもそれを成功させた。


 しかし払った犠牲は決して小さくはない。

 その犠牲の中に、当時の彼の恋人がいたのだ。


 悲しみに暮れるダッカドッカだが、依頼を放置することはしなかった。


 小貴族に氷竜グラノラの牙を納め、報酬を受け取ろうとした。しかし当の貴族が報酬を出し惜しんだ。一応の理由はある。激戦であったため、牙の状態があまりよくはなかった。

 基本的にこのような討伐部位は、損傷の度合で報酬が増減されることがままある。


 ダッカドッカも常ならばそのあたりの道理を理解したに違いない。


 だがその時のダッカドッカにとってそんな正論はクソの役にも立たない戯言だった。


 振るわれる暴力。


 レグナム西域帝国の大貴族を半殺しどころか、殺害一歩手前に追いやった彼は、当然のごとく捕縛された。


 確かにダッカドッカは強いが、最強ではない。

 帝国の依頼を受けた旧オルドの騎士、ラドゥがヴァラクで結成した傭兵団の精鋭を連れてダッカドッカを捕縛しにいったのだ。


 そして激戦が繰り広げられ……今に至る。


 旧オルドの騎士という肩書は帝国では特別な意味を持つ。それはラカニシュの一件に発するもので、帝国側としてもオルドの犠牲には多大な功があると判断している。


 ゆえに、ラドゥがダッカドッカの身柄を預かり、監督するという提案を大貴族自身は拒んだものの、その大貴族のさらに上が受け入れた。


 大きな力を持つ個人を身のうちに取り込み、首輪をつけておけるならば、それを担うのがオルドの騎士であるなら問題はないと考えた。

 大貴族のプライドなどは帝国上層部にとってはどうでもいい話なのだ。


 帝国は“人と魔が相争うであろう少し先の未来”を見据えて戦力を拡充しなければいけないと考えていたからだ。


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 魔狼の群れというのは本来はとても恐ろしい。

 冒険者たちがチームを組んで、合同で討伐に当たるべき存在だ。


 そんな群れをただの一人で半壊に追い込んだ今のダッカドッカは、かつて金等級冒険者だった頃の彼よりも強かったかもしれない。


 それでもダッカドッカの表情からは緊張…戦気が晴れない。

 その視線は森の奥に注がれていた。


「感じるなァ、気持ち悪い視線を。なるほど、あの犬ッコロどもを追っていたのは、あの足跡の主は……お前かァッ!!」


 ダッカドッカはそこまでいうと、大きく目を見開いて両の手に握った斧を振るった。


 一閃、二閃、三、四、五閃。

 瞬きほどの間に振るわれたそれが叩き切り落した“それ”は赤黒い色をした何かだった。


 女の腕の太さほどの赤黒い触手…先端が尖り、槍のようなそれがダッカドッカ達に襲いかかったのである。


 ダッカドッカはちらりと隊の他の者たちを見遣ったが、すぐに視線を前方に移した。


 奇襲めいた攻撃ではあったが皆対応したようだったからだ。ヘイザなどは片刃の長剣の柄に手を掛け、ぽつねんと佇んでいる。


 周囲には赤黒い肉片が散らばっていた。


「丁度いいッ!お前はここで殺す!兄貴の手を煩わせるまでもねぇッ!お前ら!陣形を組め!」


 ダッカドッカは指揮を飛ばし、森の奥から姿を見せるであろう“それ”を待ち受けた。


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