ヴァラク⑩

 ■


 出発は明朝、一の鐘で落ち合う約束をして解散。ラドゥは町長と話す事があるらしい。


「……というわけだヨルシカ。君も来るか?」ヨハンは彼女に尋ねる。


「…………うぅん……なあヨハン。何が起こっているか、私なりには理解出来ているつもりなんだけど……」


「だけど?」ヨハンは先を促す。


「ん……そうだな、曖昧な質問になってしまって申し訳ないが、率直に答えて欲しい。どれくらいやばいんだ?」


 これにはヨハンなりの考えがないわけでもない。


「少しだけ長くなるが聞いてくれるか?」

 ヨハンの確認に、うん、とヨルシカが頷いた。


 ■


 ヨハンはスゥーッと大きく息を吸い込んだ。

 それを見たヨルシカは内心身構える。

 短い付き合いながら、ヨハンという男の話の長さは尋常ならざるものがあると理解していたからだ。


「ラドゥはオルドの騎士だ。肩書きでは元騎士だが、ヨハンが言うのは地位としての騎士じゃない。精神性の話だ。騎士たる精神性とは何か。原則としては武勇に優れ、忠誠心に富み、謙虚であって女子供には献身的であれ、というものだ。しかし細かく見ていけば国ごとに違う。亡国オルドは忌憚のない言い方をさせてもらえば縄張り意識が非常に強い。オルドの騎士は君主に忠誠を誓うというよりは、その土地に忠誠を誓っている。ここはオルドの地ではないが、縄張り意識とは自分が根付く地への所有感情のことだ。ラドゥはこのヴァラクという街を第2の故郷と見做している……そう思って差し支えないだろう。でなければわざわざ手間のかかる軍事教練染みた真似を荒くれ者たちに仕込むものか。街周辺に脅威があるとしても、それがどのようなものかが分かっていない内にラドゥ傭兵団が出張ってきたというのも、彼の縄張り意識の発露だろう。オルド騎士の異名は知っているか? オルドの番犬だ。番犬は縄張りを侵されると荒れ狂う。そういう男が“脅威から逃げられないようなら手段を選ばずこれを排除しろ”という。“土地が死んでもいいから”と。これはよくよくの事だぞ。ヨルシカ、君は家族愛が強いか? ……そうか、なら君のそのかわいい弟の命と引き換えに家族全員の命が助かるかもしれないとしたらどうする? 怒るなよ、だがそういう事なんだ」


 要するに、とヨハンは息継ぎも兼ねて口を休めた。

「……要するに?」ヨルシカが促す。


 ヨハンは最後だけは短く纏めた。


「とてもやばい」


 ・

 ・

 ・


 もし参加するなら覚悟はしておけよ、という意味も兼ねてヨハンはヨルシカを散々脅しつけたが、結局ヨルシカは調査隊へ志願する事になった。


「君らが総出でかかってだめなら街も遅かれ早かれ駄目になるのだろうし、それからじゃ頑張っても意味はないからね。今参加して何か成果を出せば、報酬は期待できるんだろう?」


 とはヨルシカの言だ。


 ■


 翌朝。


 遅刻者もなく、全員がギルド前に集合していた。

 とはいえヨハンの隊とラドゥの隊のすべてが参加するわけではない。

 流石に多すぎるし、街の守りの問題もある。


 そこでラドゥは精鋭を連れての首狩り戦法を選択した。ラドゥ本人、カジャ、レイア、ジョシュア、ヨハン、ヨルシカ、カナタ、そして数名の傭兵達。


 カナタの戦闘能力は気の荒い猫以下だが、彼特有の異能はそれを補ってあまりある。

 向かう先はダッカドッカ隊が消息を絶ったと思われる南東部だ。


 カナタが嫌な予感がする方へ進んでいけばいい。


 爽やかなはずの朝焼けが、ヨハンの目にはなにやら血の色に見えた。


 ■


 ヨハン達は南東部へ向かいながら、自分たちがどのような脅威に立ち向かっているのかを考える。


 ヨルシカは不安そうな顔をしていたが、彼女は勇気を振り絞り、ヨハンの横に立って歩いていた。他の隊員たちも、表情は硬いが臆している様子はない。カナタ以外は。


「ら、ラドゥさん~…本当にこの依頼をこなせば借金を持ってくれるんですよね?」


 情けない声でラドゥに話しかけるカナタに、傭兵達の視線は冷たい…という事もなかった。

 “幸運男”カナタには、単に勘がいいという話では済まされないような逸話が山ほどあり、その全てが事実であることを傭兵達は皆知っていた。


「うむ。約を違えるつもりはない。安心して死地へ先導せよ」


 ラドゥがそういうと、カナタは泣きそうな様子で一同の先を歩いて行った。

 歩くたびにぽちゃ、ぽちゃという音が聞こえてきそうなほどにカナタはぽっちゃりで、ジョシュアなどは苛立たしそうにカナタの揺れる腹肉を見ている。


「ジョシュア、殺気を飛ばさないで。カナタはそういうのに敏感なんだからすぐ逃げちゃうわよ。彼は脚が遅いけど、もし逃げようとしたら絶対に追いつかないわ。よくわからないけれどそうなっているの。ジョシュアも知っているでしょ?」


 レイアが訳の分からない諫め方をする。

 しかしこれは事実である。

 もし本気でカナタがラドゥ達から逃れようとしたならば、都合よくどこかから魔獣がわいてきたり、追手の腹具合が悪くなったりして最終的には逃げられてしまうだろう。


「…そうなのかい?」


 そんな話を聞いていたヨルシカは、横で歩くヨハンに尋ねてみた。


 ヨハンは頷き、少し小首をかしげながらカナタの背を指さす。


「ああ…見てくれ、あの背を。無防備だろう?まるで屠殺寸前の子豚の背だ。あの背を見て俺は思うんだ。背後からナイフを投げても、カナタは一切気づいたりはしないだろう…ってね。ナイフはどうなると思う?…そう、刺さる…はずなんだ。だが俺にはどうにもナイフが刺さる気がしない。霊感がそう告げている。何かが彼を護っている…そんな気がしてならない。君はどうだ。剣士としての勘のままに答えてくれ。背後から彼に斬りかかったとして、そのまま始末できる自信があるかい?」


 ヨハンの言葉にヨルシカは一瞬その瞳の温度を零下にまでさげカナタを見つめた。

 だが…


「ん~…そうだね、ちょっとよくわからないな。しくじりそうな気がする」


 そう、ヨルシカもまたカナタを殺れる自信がなかった。


 なお、周囲の傭兵達はヨハンとヨルシカの酷い会話に少し引いていた。


 ■


 調査隊はちょっとした痕跡を見つけ、馬車を停めて調査を進めることにした。


 彼らが見つけたのは点在するどす黒い血の染みだった。砕けた爪や牙も散らばっており、魔狼によるものかもしれないと推測された。また、毛のようなものもパラパラと散っていたが、人間のものではなく、魔狼のものだろう。質感が違うからだ。


 しかし、彼らは疑問に思うことがあった。それは、なぜ人間の痕跡が全く見つからないのかということだった。


「サー・ラドゥ。人間の部品はなかったのですか?」ヨハンがラドゥに尋ねた。


「む……? ……部品……? ああ、うむ。そういったものはなかった」とラドゥは答えた。


「そうですか。食われたのかもしれませんが、それにしたって痕跡が血痕のみというのは少し考えづらいですね。血の痕跡があり、死体も死体の部品もない。ダッカドッカ氏の実力を鑑みるに、敗色濃厚、撤退も不可能となれば何かしらのサインくらいは残すでしょう」


 ヨハンがラドゥを見ると、ラドゥの目に僅かな疲れが滲んでいた。


「……そうだな……。奴は魔狼程度に遅れを取る男ではない」


 ラドゥの言葉に、ジョシュアとレイアは頷く。

 この麗しき双子はダッカドッカに拾われたのだ。

 彼はいわば二人の義理の父とも言える。

 特に剛剣を得意とするジョシュアなどは、ダッカドッカに師事もしていた。


 その時、カナタが会話に割り込んできた。

 その様子は恐慌の一歩手前といっても過言ではなく、よほどの恐怖を覚えている様だった。


「らららら!ラドゥさん…僕、あの森は…行きたくない、です…」


 カナタの指は森の入口を指している。

 つまり行くべき場所が明確になったということだ。


「ここでなにがあったにせよ、森で何が起こるかにせよ、ろくでもなさそうです」とヨハンが言うと、ラドゥが“全くだ”と苦笑して、すぐに表情を引き締める。


「カナタ、引き返して良い。ご苦労だった。報酬うは期待してかまわんぞ」


 ラドゥがカナタにそう声をかけると、それまでの歩行速度は何だったのだと思うほどの俊敏さでカナタは去っていった。


「あ、ああ、あ、…アレで俺より格が上だって、いうんだから、ひどい、話です」


 カジャがやるせない様子でボヤく。


「まぁそういうな、あの気質でここまでついてきてくれたのだ。それに、戦力としてはカナタほど無力な者もいないだろう」


 ラドゥがそういうと、一同は確かに、と頷いた。


 ■


 調査隊は森へ踏み込む。

 血痕が点々と地面にのこっており、それを追いながら慎重に進んでいた。周囲の木々が影を落とし、緊張感がただよっている。


「ひ、ひ、ひ、引きずるようなちちち血の痕。さささ誘い、です、ね」


 カジャがにやりと笑いながらラドゥに言った。

 彼はラドゥ傭兵団でも古株の紳士で、特技は舐めた態度を取った相手の背骨を引きずり出すことだ。


「分かりやすい誘い、挑発か。結構なことだ。勝手に侮ってくれるのならば、これほどやりやすいことはない」とラドゥが答える。

 彼の目を見れば、口ほどに楽観していないことは分かるが、それは皆承知の上だろう。しかし、彼の態度は他の傭兵たちに勇気を与えていた。


 目の前には、木立というにはやや密に過ぎる樹の群れが広がっていた。引きずった痕跡はその奥まで続いていた。


 調査隊は森の奥へ足を踏み入れていった。

 確かな業を有し、心はタフ。

 それがラドゥ傭兵団…なのだが、そんな彼らを絶句させる光景が眼前に広がる。


「戦闘痕だね」


 ヨルシカが乾いた声で言う。

 木々がなぎ倒されており、そこかしこに血がまき散らされている。

 さらには折れた剣、槍。

 衣服の切れ端、鎧の破片。


 だがそれらが勇壮なダッカドッカ傭兵団の表情を青ざめさせたわけではない。


「と、義父さん…」


 何かを見つけたレイアがふらふらと前方へ歩いていった。


「姉さん!」


 ジョシュアがそれを制しようと駆け寄る。

 だがそのジョシュアも“何か”に気づき、地面を凝視して動かない。


 ラドゥ達がレイアの方へいくと、その視線の先にあるものが落ちていることに気づいた。


「腕、か」


 ラドゥが呟く。

 太い指、太い手首、分厚い掌。

 腕にはラドゥ傭兵団の証が彫られている。


 その腕が誰のものであるかはラドゥには、レイアには、ジョシュアには、いや、ダッカドッカ傭兵団の者であるならば明らかだった。



 ラドゥの目が爛々と燃えている。

 ヨハンには彼の怒りが静かに燃え上がるのが感じられた。


 ・

 ・

 ・


 俺にも家族はいる。

 仮初だが家族は家族だ。

 だから彼らの気持ちが分からないでもない。

 ダッカドッカ程の戦士がむざむざ討たれたならば、討たれるだけの理由があったはずだ。


 あの時ラドゥは言っていた。

 “合流する予定だった”と。


 であるならば、ダッカドッカが残り、戦いを選んだのは…。


 俺はそういうモノには弱い。

 だから久々に殺る気が出てきた。

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