ヴァラク②


 だがヨルシカの悩みは一瞬で解決した。

 悪い方へ、だが。


「あァ? なんだコイツ。お前も冒険者か?」


「ああ。最近ヴァラクへ来たばかりだ」


 吹き飛ばされた男の仲間と思しき一人がヨハンへ尋ね、ヨハンは頷いてそれを肯定した。

 すると男達の表情に侮蔑の気配がちらつく。


「なぜ傭兵をやらない? それとも両履きか?」


 両履きとは、傭兵と冒険者の二足の草鞋を取るものである。とはいえヴァラクに限らず、こういう形をとる者は珍しくはない。

 〇〇兼冒険者、のような。

 冒険者一本でやっていくというのはやはり不安定が過ぎるのだ。


「冒険者が性に合っているんだ」

 ヨハンはそれだけを答えるに留めた。


「つまり根性なしってことか?」

 男はそんなことをヨハンに言う。

 それを見ていたヨルシカは表情をやや青褪める。彼女とて修羅場の1つや2つは潜ってきた。その彼女の本能が警鐘をガンガンと鳴らしている。


「自分ではわからないな……それで支払ってくれるんだよな? ろくに口をつけないままこの有様だから腹が減ったんだ」


 いまや男達はヨルシカには目もくれずに、ヨハンの方をみてニヤニヤしていた。


「根性なしに金を払うと思ってるのか? どうしても金が欲しいなら力づくでやってみたらどうだ?」

 今度は吹き飛んできた男が、口元に笑みを浮かべながらヨハンにそう言ってきた。


「割りに合わないだろう、そんな事は……。俺は何か無理なことをいったか? 台無しにした飯に使った金を返してくれと言っているだけだろう」


 ヨハンは心底疑問であった。

 大金が絡む話でもなし、なぜこのようなイザコザへ発展してしまっているのか、彼にはわからなかったからだ。

 まあそれはヨハンが殺すだのなんだのとのたまったからというのもあるのだが、彼は性格が殺伐しているため自身の言動が敵意を誘発する者である事に気付いていない。


「お前そんなに金がないのか?確か術師だったな。貧乏術師殿、飯代にも事欠く様でかわいそうだなァおい!」


 男は木ジョッキについだ酒をもって、ツカツカとやってきて、それをヨハンの頭に注いだ。


「どうだ。銅貨50枚の酒だ。うまいだろ? これでいいか?」


 ヨハンは唇まで滴ってきた酒を舌で舐めとる。

 確かにこれまで飲んでいた酒より味がいいかもな、とヨハンは思うが同時に疑問が更に1つ。2つ。3つ。


 ――なぜ俺の頭に? 


 なぜ? 

 なぜ? 

 なぜ? 


 ヨハンは自問を続けるが、答えは得られない。

 なあ、とヨハンは男達に問いかけた。


「挑発しているんだよなきっと。でもわからん。なぜこんなことになっているのだろう。俺は完全な被害者じゃあないのか? なのになぜ一方的に被害をうけてそれを我慢しなければいけないのだろう。俺に落ち度があったということか? 吹き飛んできたお前をかわせなかったからいけないというのか? それとも俺が冒険者だからか? だが俺が冒険者ということでお前達になにか迷惑をかけただろうか。かけていないはずだ。俺はこの街にきたばかりだし、お前達とであったのも今日が初めてだ。なのに飯をぶちまけられ、挑発……侮辱され、我慢しろというのか? 本当に分からん、なぜこんな事になっているのか……。たかが銅貨26枚だ。はした金と言える。なのに、そんな事が理由で今俺はお前達を殺してやりたいとおもってる。なあ。剣を抜いてくれないか? お前達が先に剣を抜いて俺を殺そうとするなら、俺はお前達を殺していいということになるだろ?? 飯を台無しにされた、頭に酒をかけられた。これでお前達を殺すのは理由としては弱いんだ。過剰防衛になってしまう。それは駄目だ。物事には公平につりあっていなくてはならない。罪には正しき罰の総量というものが定められている。だから剣を抜いてくれ。抜いた瞬間、全員まとめて」


 ━━縊り殺してやる



 ヨハンは懐に手を差し入れ手帳を取り出し、ぱらりと頁を捲り、そこに押してある首吊り花の花弁を一枚千切りとった。



 ■


 ━━もはやこれまで! 


 ヨルシカは察する。

 ヨハンが取り出した花、その花弁。

 術の触媒だろう。

 こんな場所で殺傷力のある術を起動させるなどイカれていると言う他はないが、事ここにいたってはプライドは捨てようと腹を据えた。


 ヨルシカは銭入れを取り出し青年に突き出した。小銭をかぞえている時間はない。

 馬鹿が何かやらかす前に行動しなければならないと彼女は考える。


 (あの馬鹿の分まで払いを持つのは癪だが、彼のいう全員まとめて、の全員の部分に私もはいっているのだろうから仕方あるまい)


 青年はきょとんとヨルシカの顔と袋をみつめている。


「すまないな、詫びが遅れてしまった。私も興奮していてな。銅貨26枚だったか? それ以上はいっているとおもう。被害を与えてしまった私がかぞえるのも信用できまい。君の手で気の済む額を取って行きなよ。ああ、これはまだ使っていない布だ。よければその頭も拭くといい」


 そういって新品の布切れを取り出し差し出すと、青年は、ヨハンはヨルシカに礼をいって頭を拭っていた。


 傭兵の男達はヨハンの異様に吞まれていたようだったが、我にかえったようでまたぞろ余計な事を言おうとその口を開きかける……だが、何かを口に出す前にその後頭部にジョッキが叩きつけられた。


 木製のジョッキは鈍い音と共に割れ、乾いた音をたてながら床に落ちる。

 男の後ろに、周囲の者と比べても一際大柄な男が立っていた。

 その両隣には黒髪の男女。


「げぇッ…ラドゥ傭兵団の…ダッカドッカだッ」


「左剣のジョシュアに右剣のレイアまでいやがる…討伐任務から帰ってきたのか…」


「そういえば奴等、ラドゥ傭兵団の新入りだったか…終わったな」


 周囲からざわめきが起こる。

 ヨハンは“ラドゥ”という言葉を聞いて、何かを得心したように頷いた。

 その名の持ち主には1度会ってみたかったからだ。


 だが、とりあえず殺意は収めてラドゥ傭兵団の者達に話を聞いてみようとヨハンが声をかけようとするが、その試みは失敗に終わる。


 なぜなら大男…ダッカドッカが怒りの大音声で不埒な男達を打ち据えたからである。


 ■


「誰かれ構わず噛みついてンじゃあねェ!!! てめェは野良犬か? あァ? 部下から報告をうけて飛んできたら何してやがる!!」


「いつも兄貴から言われてるよなァ!?」


 大男の蹴りが倒れた男の腹を蹴り上げる。

 ━━ガァッ……! ぐっ……う……


「ラドゥ傭兵団の!!!」

 呻く男の口元に蹴りがはいる。白いものが飛んだ。歯だ。

 ━━うぎっ! あ、ガ……歯、俺の……


「団員として恥ずかしくないように!! 常に紳士たれってよォ! 礼節と忠義を大切に!! 品行方正であれってよォ!」

 大男が男を踏みつける。何度も何度も踏みつける。

 ━━ぐっ……! ……っ……! …………


「なァ! 言ってるよなァ!? てめェの行いは紳士的なのか、アァ!?」

 大男はかがみ込み、男の髪の毛を掴んで床へたたきつけ始めた。

 …………


 先ほど狂気的な威容を見せていたヨハンもポカンと大男を見ている。



「ラドゥの兄貴の話を!! 聞いてなかったのかテメェ!! 紳士になれねェなら!! 死ね!! 死ね!!! 死ね!!!」


 大男の血走った目が他の2人にも向けられ、大きな拳が怯える男達の鼻っつらを叩き潰す。


「危害を加えていいのは敵だけだ!!! 敵は殺せ!! 奪え!! そして俺達の敵を決めるのはラドゥの兄貴だけだ!! だがてめぇらは!! 誰に断わって!! ラドゥの兄貴に泥を塗るンじゃねェ!!」

 振るわれる拳、蹴り上げられる脚。


 男達がぴくりともしなくなり、それでもダッカドッカは振り上げた足を勢いよく倒れた男の腹へ叩き込もうとした。


「そこまでです、義父さん…じゃない、副団長。死んでしまいます」


 ダッカドッカの振り下ろした足の下に黒い鞘が当てられている。

 差し出しているのは黒髪の女性であった。

 いつのまにかダッカドッカの横に佇んでいたのはラドゥ傭兵団、切り込み隊長の右剣のレイアである。

 勢いよく振り下ろされた足の勢いを、片手で差し出した鞘で完全に吸収した。

 これは術によるものではなく、剣の技術によるものだ。

 右剣のレイアの剣術は技巧の極みにある。


 彼女に一刀両断にされた野盗がその体を半分にしながらも、自身の死に気付かずそのまま歩こうとしたという話はヴァラクでは有名だ。

 その野盗は体が半分になっているため歩行は侭ならず、そのまま崩れ落ち、その時初めて彼は自身の死に気付いたという。


「…レイアッ!だがよう!こいつらは!」


 ダッカドッカが表情を歪ませるが、レイアは黙って顔を振った。

 “否”である。


「ジョシュアァ!なんとか言ってくれ!俺ぁ、こいつらを鍛えあげなきゃなんねぇんだ…」


 ダッカドッカが黒髪長髪の青年に泣きつくが、青年もまた首を横にふった。


「僕は姉さんの味方だよ、副団長。知ってるでしょう?」


 右剣のレイアの剣が技の極みであるなら、その双子の弟である左剣のジョシュアの剣は力の極みといえる。

 身体強化の術に長けるジョシュアはその出力を身体全体ではなく、身体の一部位に集中させるという技術を得意としていた。

 そんな彼の振るう剛剣の出力は、比喩抜きに建築物を真っ二つにする程である。


 まあその2人を同時に相手にして、なおも完勝するのがダッカドッカという男であるのだが、彼はどうにもこの双子には弱い。


 と言うのも、ヴァラクに捨てられていた双子の赤子を育て上げ、可愛がってきたのはダッカドッカだからである。

 妻と子を流行り病で一気になくし、生きる気力すらもなくしかけていた彼に捨て双子の養育を任せたラドゥは何かを見通していたのだろうか?


 ともあれダッカドッカの再起は叶い、双子は彼の教育、指導の元強力極まる剣士へと育った。


 ちなみに彼の所属するラドゥ傭兵団はヴァラクでもかなり大きい規模の傭兵団である。

 団長のラドゥは亡国の元騎士であった。


 オルド王国。

 いまはすでにないその国では、騎士道精神の十全な体現者を紳士と呼んだそうだ。


 いずれにしても彼らは常備軍顔負けの練度を誇り、周辺諸国で戦争となれば真っ先に声がかかるような連中だ。


 やがてダッカドッカは荒い息をはきながらヨルシカ達の方を向いた。

 血まみれの拳。革鎧にも赤黒いものが飛び散っている。

 思わずヨルシカは身構えてしまったが、ダッカドッカは凄い勢いで頭を下げた。

 レイアとジョシュアもぺこりと頭を下げる。


「すまねェ!! うちの若いモンが迷惑を掛けた……やつら最近入団した連中でよォ……まだ教育が足りてなかったみてェだ。この後しっかりケジメを入れておくからよ、ここは預けてくれねぇか? そこの兄さんもよ、おっかねえ気配を出していたが、なんとかここは俺の顔を立ててくれねえか?」


 大男は懐に手をいれ、銭入れから何か取り出すと、ヨルシカ達の前でその大きな手を開いた。その手のひらには銀貨が10枚のっている。


「これで詫びになるかわからねェが、おさめてくれねェか?」


 ヨハンとヨルシカは目が合い、お互い何の合図もしていないのになんとなく気持ちを共有した。


 ヨハンは頷き、その銀貨をうけとると一枚ずつ数えて5枚を私に差し出してくる。


「受取ってくれ。ヨルシカだったか? あなたも彼らに迷惑をかけられていただろう。この金はその分の詫び金だ。俺の分は十分受取ったから問題ない」


 状況の激変に気疲れしたヨルシカは特に何を言うこともなくそれを受取り、手にもっていた自分の銭入れも懐へ仕舞う。


 それを見ていたダッカドッカは、近くにいた彼の部下らしきものに倒れている三人組を運び出すように指示をした。そして再びヨルシカのほうを向くと自己紹介を始めた。


「俺はダッカドッカだ。ラドゥ傭兵団の副団長をやっている」


「私はレイアと言います。ラドゥ傭兵団の切り込み隊長です」


「僕はジョシュア。姉さんの弟だ」


 1人自己紹介がおかしい者がいるが、ヨルシカとヨハンは取り合わず、自分達も名を告げた。


「私はヨルシカ。冒険者だ。アシャラ都市国家同盟から来た」


 ヨルシカはちらりヨハンを見る。

 ヨハンはヨルシカへ視線を返し、口を開いた。


「ヨハン。連盟の術師。旅をしながら冒険者をしている。ウルビス、イスカと移動をしてきた」


「おお、そうか! アシャラもイスカも行った事があるぜ!ウルビスは行った事がないけどな! ヴァラクも良い街だ。それにしても旅か、旅人ってェのはなかなかいいな! ラドゥの兄貴も諸国を遊歴したそうだ。俺も引退したらあちこちまわってみてもいいかもなァ!」


「ラドゥか。それは俺の知っている男でいいのかな? 重い波のラドゥ。北方の雄、オルド王国の騎士だ。オルドはもうないが、各地に散ったオルド王国の元騎士達はみな精鋭だったという」


 ヨルシカもラドゥの名は知っていた。

 というより西域、あるいは東域に散っていった旧オルドの騎士達は皆各所で勇名を轟かせている。


「む!? 兄貴をしっているのか? そうだ! そのラドゥで間違いない!」


「連盟の術師なら皆知っているだろうな。死人穢しの大罪人、『パワーリッチ』ラカニシュを殺したのは彼とその隊だ。ラカニシュは連盟の恥晒し。連盟は当時彼にどういった恩賞で報いるべきかと紛糾していたよ」


 それを聞いたダッカドッカはご機嫌よろしく、マスターに酒を頼むとヨハン達に勧めた。

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