ヴァラク①

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 傭兵都市ヴァラクはその名の通り、傭兵業を主産業としている。

 各地から傭兵が集まり、周辺諸国へ戦力を提供。

 報酬などの条件交渉は傭兵ギルドが取り仕切っている。

 傭兵と冒険者は似ているが、前者は国家間の戦争にも積極的に干渉している点が後者との違いか。

 冒険者ギルドは中立を保ち、戦争に関係する依頼は受けない。ただし、これは人類間の戦争に限るが。

 もちろんヴァラクにも冒険者ギルドは存在し、傭兵と冒険者を兼業しているものもいる。


 そんなヴァラクへたどり着いたヨハンはやや心が浮き立つのを覚えた。

 なぜならこのヴァラクにはとある著名な傭兵団が居て、その団長と言うのがヨハンにとって…というより連盟の術師にとって特別な存在であったからだ。


「まあ、滞在していれば見える事もあるだろう。とりあえずは宿か」


 ヨハンはふらりと大通りを行き交う雑踏に混じる。


 ■


 ヨハンは手斧と血飛沫亭という宿屋を見つけた。

 物騒な名前だが、ヴァラクの民間施設は全て物騒な名称なので問題ない。

 例えばだが、この手斧と血飛沫亭の向かいには流血シチュー庵という飯屋がある。

 トマトシチューが売りなのだが、名称のセンスには普段殺伐としているヨハンも辟易するものがあった。


 首尾よく宿屋を見つけ、暫しの滞在料を支払うと、ヨハンは冒険者ギルドへと向かった。

 ロビーにはパラパラとまばらに冒険者たちがいる。

 余り盛況そうには見えないが、活気がないとかうらぶれているという感じではなかった。


 聞けば、ちょうど大きめの依頼があり皆それを受けて出払っているとのことだった。

 ヨハンは受付カウンターに座っている受付嬢にギルド移籍について伝えて手続きを済ませる。

 最近は短期間に立てつづけてギルドをうつっているので余計な事を聞かれるかとヨハンは少し懸念していたが、特に問題はなかった。


 ヨハンは依頼票が貼り付けてある大きな木製の掲示板を見上げた。

 そこには多くの依頼票があるのだが…


(討伐系ばかりか)


 そう。依頼内容は討伐系が多い。というよりそれしかない。

 この討伐系の依頼で肉を産出しているというわけだ。魔獣の肉と言うのは加工の仕方に工夫が求められるが、十分食肉として通用する。

 ヴァラクの食糧事情はやや特殊で、交易と魔獣の肉で食料の大部分を賄っている。


 なお依頼は今の時期は個人で受けられるものは余りなく、合同討伐形式のものが多い。


 合同討伐。

 これはそれなりにまとまった数の冒険者を一気に輸送、魔物の群れかなにかをみつけたら狩猟をするという形のものだ。


 地脈の関係でヴァラクはすぐ魔獣が湧いてくる。この沸いてくるという表現の解釈には諸説あるのだが、まさに地の底から生えてくるといわんばかりに魔獣が湧いてくるのだ。

 ただ、これは常にそうだったわけではない。

 ここ10年ほどの話である。


 ヨハンはその話を聞いた時、何か嫌な予感のようなものを覚えた。

 彼の経験上、魔獣がわらわらと湧いてくるという状況は最終的にろくでもない事に直結するからだ。


 ともあれヴァラクの行政府もその状況を漫然と見ていたばかりではない。

 冒険者ギルドへ、そして傭兵ギルドへ、要するにヴァラクの軍事力のリソースを魔獣討伐へ注ぎ込み始めた。


 ヨハンはその辺りの事情を冒険者ギルドの日焼けした受付嬢から聞いて、明日辺りから仕事を始めようと決めた。


 到着してすぐ魔物狩りというのは彼をしてやや負担が過ぎる。


 ■


 ヨハンが街をうろつき、店を見分すること暫し。

 良さげな店をいくつかみつける。

 ヴァラクほどの規模の街となると、案内を生業とする者がいるものだ。


 例えばスラムの孤児などである。

 とはいえヴァラクはその辺は行政が手を入れているらしく、飢えた子供などは見当たらない。

 と言うのも、ヴァラクは傭兵都市であり、女であろうと男であろうと捨て子などはどこかしらの傭兵団が拾いあげ、戦力として鍛え上げてしまうからだ。


 まあこれはどうしても捨て駒だとか肉の壁だとかを連想してしまうものの、ヴァラクの上位…要するにレグナム西域帝国の国是としてそういった阿漕な真似は許可されていない。


 一昔前は非常に殺伐としたレグナム西域帝国であったが、今上帝サチコの代となってからは非道さはナリを潜めるようになった。


 今上帝サチコはまだ幼いが、宰相である帝国宰相ゲルラッハが佳く補佐しているのだろう。


 ■


 ヨハンは1つの立て看板に目を留めた。

 そこにはこうある。


≪魔狼肉大量入荷≫


 全く飾り気がないその文言の言わんとするところは明らかであった。


「魔狼肉か。癖も強いが俺は嫌いじゃないな。ここにするか」


 ヨハンは孤児の出であるので食には貪欲だが味にはうるさくはない。なんだったら道端に落ちた肉もぺんぺんとはたいて食える程である。


 更に言えば、生肉だってまあいけなくはない。

 以前、ヨハンがロイ達のパーティに所属していた時、森で猿の魔物に組み付かれた事があった。

 普段はそこまで接近を許すヨハンではないのだが、その時はガストンを庇ったのだ。


 組み付かれたヨハンと魔猿の戦いは一瞬で終わった。ヨハンが魔猿の首筋に食いつき、首元の肉を食い千切ったのである。


 モニュモニュと肉を咀嚼し、血飛沫と共にもだえ苦しむ魔猿の顔面へそれをふき掛け、手にした短刀で首を引き裂いた。

 そうして口の中に残った猿の肉を噛み、飲み下したのであった。


 その後ヨハンはガストンに盛大に説教を始め、冒険者たるものは魔物の肉だろうが貪り食えるほどに全身、内臓も含め鍛えねばならないと懇々と諭した。


 まあ話がずれたが、ヨハンはその程度には野蛮で好き嫌いがない正しい冒険者なのだった。

 それに、ヨハン自身肉は好きだ。

 魔狼の肉は独特の風味があるが、この風味をエールで胃の腑へ落とし込むというのがヨハンのお気に入りの食い方である。


 ・

 ・

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 その肉料理が今、ヨハンの足元にぶちまけられていた。エールも零れている。

 シュワシュワという炭酸の音が耳を擽る。

 ヨハンの耳にはそれは天に座すナントカとかいう神がこの有様の原因を凄惨にぶち殺す事を許可しているかの様な神託に聞こえていた。


(嗚呼。師よ。ルイゼ・シャルトル・フル・エボン。貴方はこんな時、俺に何をしろと教えてくれたのでしたか)


 ヨハンが心で師に問うと、心の中の師は薄い笑みを浮かべつつヨハンに答えた。


 ――購わせるか。あるいは殺しなさい。ただし、殺すに足る理由を相手に作らせた上で


 ■


「てめぇ! この野郎! 何しやがる!」

 ヨハンの足元に転がってきた男が立ち上がり店の奥に向かって凄む。


 男の仲間らしき者も2名。怒りの表情を浮かべている。

 ヨハンに向けてではない。

 それは彼の真正面、店の奥に佇む誰かに向かってへの怒りであった。


『ふふ、馴れ馴れしい野良犬を撫でてやっただけだ。撫でただけで吹き飛ぶとは、鍛え方が足りないんじゃないか?』


 その姿かたちが、というより雰囲気がまるで一本の鋭い刀剣の如くきりりと引き締まっていた。

 凛としているといえばいいのか、少なくともなよなよしい雰囲気は微塵も感じられない。

 ヨハンはその女性に柔軟でありながら、確実に敵を突き殺す突剣の意思を見た。


(が、鍛え方が足りているはずの貴様は何故周囲に配慮しない?)


 ヨハンは首を傾げた。


『それと私の名前は野郎ではない。ヨルシカと呼べ』


 ヨルシカと名乗る剣士はツカツカと男へ近寄り、その股間を蹴り上げた。


「ぐぇっ……!!! ぐ、う……て、めぇ……」

「お前! どうなるかわかってるんだろうな!?」

「冒険者がデカい顔しやがって!」


 三人組がそろってキャンキャン吠えるも、麗人殿は動じていない様子。


 酒場の他の客は皆ヨルシカと男達を見つめていた。だがヨハンだけは俯いて零れた飯を見つめている。ローブの裾。酒がかかり、濡れていた。

 そこに怒りはない。悲しみも失望もない。

 疑問だけがあった。


(この三人組も、ヨルシカと名乗る女剣士もなぜ俺を無視するんだろう。すまない、だとか、この金で新しいものを頼んでくれ、とかないのか?だが興奮状態で俺に気付いていない可能性もある……ならばしっかり状況を、俺の気持ち、提案を伝えなければな。 気持ちは伝えてこそだ、黙っていて察してもらおうなんて都合がよすぎる。そうだ、伝えるのだ)


 ヨハンはヨルシカと男達の間に割って入り、正当な要求をした。


「なあ、取込み中すまない。初めまして、俺の名はヨハン。旅の術師だ。ところで見てくれ。俺の飯が床にぶちまけられてしまった。酒もだ。そこの男がぶつかってきたからこぼれてしまったんだ。だがそいつをふっとばしたのは彼女だろう? 個人的には両方悪いとおもう。食事代は銅貨26枚だ。とりあえずどちらかが支払ってくれないか? どちらも支払ってくれないとかなら双方に13枚ずつ支払ってもらうが。それもいやだというなら無理やり支払わせる。無理矢理だから恐らく諍いになるだろう。ひ弱な術師1人どうとでもなると思わないほうがいいぞ。俺は術師だが研究畑ではなく戦闘畑を佳く学んでいる。先日、依頼中に野盗が出たが、呪いで動けなくしたあと一人ずつ首を掻っ切った。正当な殺人なら忌避感を覚えないタイプなんだ。だから諍いが度を越し、武器を抜かれたら多分殺すと思う」


 ■


 ヨルシカは闖入者にぎょっとした。

 そしてしまった、と思った。

 そういう手合いだったか、と。


 状況はこうだ。

 傭兵の一人が、ヨルシカが冒険者だというのを見下してタカろうとしてきた。

 だからヨルシカはそれを拒否し、男がつかみかかってきたから跳ねのけた。

 吹き飛んだ先に店の客…ヨハンがいて、彼の食べていた料理が床へ落ちてしまった。


 ヨルシカもどちらかといえば短気であるせいか、男達の無礼にカッとなってしまい、ヨハンへの対応が遅れてしまったのだ。


 ヨハンの言う事が脅しではない事は、ヨルシカならば目を見れば分かる。

 彼女はこう見えて手練だ。

 ヨハンの目には感情がこもっていなかった。

 ただ事実だけを言っている目だ。


 たかが銅貨払いの料理で、ともヨルシカは思うが、ヨハンにとっては額などどうでもいい事なのだろう事は彼女にも分かる。


(接し方を間違えると危険だ。たかが銅貨26枚だ。私が全部支払ってもいい。というかそうしたい。彼は理由があれば人を殺しても良いと思ってる。人を殺しても仕方がない、ではなくて、良いと思ってるのだ。だから理由を作らせたくない。だが、このまま私が全て支払うと傭兵は頭に乗って私を舐めるだろう。コイツ1人に舐められる分には我慢できるかもしれないが、組みしやすしと思われたらとことんまで絡まれる。弱みにとことんつけこむ。仕事柄なのだろうな、傭兵とはそういう連中なのだ。だからこの傭兵が13枚の銅貨を支払ってくれればいいのだが……そうすれば私も支払い、丸く収まる。幾ら私でもこんな小銭で命までは賭けたくはない……)


 ヨルシカは悩みに悩んだ。

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