ヴァラク③


 翌朝、ヨハンは全身から漂う酒精の匂いに顔をしかめながら、それはそれは素晴らしい気分で目覚めた。


「法を犯さず、また、俺達が報復感情を抱かない手段で俺達を殺害しようというのなら、ダッカドッカの採った策は上策といわざるを得ない。傭兵も侮れないな、そう思いませんか?」


 宿屋の女将にヨハンが話しかける。

 女将は頭のおかしい人間を見る目でヨハンを見ながらも、黙って水の入った木盃を手渡してきた。


「ありがとう。…ああ、クソ、あの大男…ヴィリと相性が良さそうだな。アイツも酒が好きだった」


 ヨハンは礼を言いながら生ぬるい水を一気に飲み干す。


「…ヴィリ?」


 女将の短い問いに、ヨハンは空の木盃を返してから答えた。


「ええ、妹みたいなものです。血は繋がっていませんが」


 あら、と女将がこぼす。

 そこでようやく目の前の変な事を言う青年も、自分と同じ人間だという事に気づいたような様子だった。


「妹さんはお酒が強いんですね」


 ヨハンは頷き、その目に僅かに優しさと懐郷の念のようなものが宿る。家族を想う目つきだ、と女将は思い、“妹は元気かしら。今度エル・カーラまで行ってみようかしらね”などと考えた。


「離れてくらしているんですか?」


 女将のそんな質問に、ヨハンは何か妙な勘違いをされているなと思いつつも肯定した。


「ええ。まあ居場所も分からないんですが。最後に会った時はいつだったか…手頃な邪教徒を見つけたから始末してくる、とは言われたのですが。まあヴィリの事だから元気でやっているでしょう」


 ヨハンがそういうと、女将は“あ、やっぱり変な人だった”と思い生ぬるい視線をヨハンに注ぐのだった。


 ■


 ギルドに到着したヨハンは依頼掲示板を見た。

 やはり討伐、討伐、討伐である。さまざまなモンスターが記載されているが、中でも魔狼討伐依頼が特に目立っている。


 これは合同討伐形式のものだ。50名まで参加ができ、そこから小隊単位に分割。それを周辺の魔狼群へぶつけ、各個撃破するというものだ。報酬は出来高でその額は悪くはない。


 ──だが、魔狼か。高機動、高火力、連携も抜群だ


 ヨハンは迷う。小隊単位といっても、その中身はパーティの寄せ集めみたいなものだろう。1人きりで参加するものは少ないと思われる。そういう場でソロというのは、場合によっては囮のように扱われることもある…と、ヨハンの心は既に魔狼討伐を敬遠していた。


 他に何かないものかな、とヨハンが掲示板を精査すると、“火喰い蜥蜴の生態について”という実に平和な依頼を見つけた。


 火喰い蜥蜴はヴァラクの近くの荒野に生息する爬虫類だ。

 大人でも体長1メートルぐらいで、赤褐色の鱗に覆われている。

 火を食べて生活している…と言われているが、実際は違う。

 ただ鱗が赤っぽいだけだ。

 しかしなぜか火を食うと誤解されており、火喰い蜥蜴が火を食うか食わないかで論争が起きたこともある。


「どれ…なるほど。火喰い蜥蜴が実際に火を食う姿を確認してほしい…、か。そもそも火は食わないはずだから成功する見込みはないのだが、失敗したらしたでそれでも報酬は出る…これだな」


 ヨハンは依頼票を剥がそうとしたが、いやまてよ、と思いとどまった。荒野で活動するという事は、魔狼との遭遇もありうるという事だからだ。


「魔狼討伐を避け、火喰い蜥蜴の生態調査の依頼を受け。単独で荒野にノコノコ行った俺は、運悪く魔狼の群れと遭遇し、触媒をいくつか使ってこれを撃退する…という阿呆な未来が待っていると俺の霊感が告げている…どう思う?ヨルシカ」


 ヨハンはいきなり後ろを向いた。

 目をまん丸く見開いたヨルシカが立っている。


 ・

 ・

 ・


「…なるほどね、確かにそれは君らしくないと思うよヨハン。君は素行は悪いけど頭は悪くないように思えるんだ。良く依頼を受ける前に気づけたね、偉いっ」


 ヨルシカの賞賛をヨハンは黙殺するが、二人の関係は良好だ。

 先だってのダッカドッカ開催の飲み会で親しくなった…というほどでもないが、ヨハンもヨルシカも酒で潰された仲であるので、そのあたりの経験が二人の間にちょっとした気安さを生んでいた。


 ■


「なあヨハン。君がどうしても蜥蜴を眺める事が好きでたまらないというわけではないのなら、私と組んで魔狼討伐ツアーに参加してみないかい? 報酬は折半にしよう。もちろん触媒にかかる費用を差し引いた額を折半でいい。…これは笑わないで聞いてほしいのだけど、このヴァラクに来てからなんだかソワソワしちゃってさ。厭な事が起きる気がしてならないんだ。私は…うん、ちょっと特殊な生まれで、少し勘が働くんだよ」


 どこか不安そうなヨルシカに、ヨハンは頷いて言った。


「構わない」


 即答だ。


 いいのかい?と聞いてくるヨルシカにヨハンは再度頷く。


「君と組む分には問題なさそうだ。剣士と術師、バランスも良い。実力も問題はないだろう。銀等級の上澄みか、それ以上か…それに…」


 それに?とヨルシカが促すと、ヨハンはやや情けない表情を浮かべて苦々しく言った。


「互いのゲロを見た仲だ。同じ依頼を受けるくらい何だというんだ」


 ヨハンの言葉に、ヨルシカも“うん…”と元気なく頷いた。

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