第1話 出会い

 次に意識を取り戻したとき、アポロは視界の狭さに視力をやられたのだと思った。仕方がない。四肢がもげていないだけでも奇跡だ。


 だけど自分の眼球に触ろうとして、それがガスマスクをしているせいだと気がついた。どうやらポッドの次はリアカーに乗って運ばれたらしい。


 積まれていたゴミはひとつも無くなっていて、かわりに傍には黄色のレインコートを着た子供が倒れている。


 どうやらガスマスクをアポロに譲って、ここまで駆けてきたらしい。マスクの下の素顔は、まだあどけない子供のものだった。


「幽霊の正体見たり、枯れ尾花。これはジャパンの言葉だったかな」


 アポロは子供が目を覚ますまで、その場でじっと待った。聞きたいことが山ほどある。


 地上に人間が生きている。それはとんでもない奇跡なのだから。




 人類が慣れ親しんだ地面に別れを告げたのは、世界を襲った大洪水が原因だ。


 地球温暖化のせいだとか、巨大隕石が海に落ちたせいだとか。学者達はいまだに山のような論文と学説を発表し続けているけど、確かなことは2つだけ。


 7日7晩地球のすべての場所で雨が降り続く異常気象が発生して、地上のほとんどが海水に浸されてしまったということ。そして、そのせいで地上が人間の住める場所では無くなってしまったということ。


 だから仕方なく、生き延びた人々は塔の上に住んでいる。


 塔の名はバベル。不毛な大地から離れて、緻密な統制をされた人類最後の楽園だ。


 だけどその楽園も、今や窮地に立たされている。食料問題だ。作物は特殊な培養液に根を浸して生産されるのだが、いよいよそれが足りなくなった。


 だから政府は再び大地を使った植物の栽培を目指した。そのプロジェクトは人類の存亡をかけたもので、アポロはその責任者だった。


 そしてプロジェクトの中止とともに、アポロは楽園を追われた。


 だけどアポロは諦めてはいない。諦めは、すなわち人類の死なのだから。


「ボクは必ず、植物を蘇らせる。そしてバベルに帰るんだ」



 それから20分ほどで、その子は目を覚ました。黒い瞳をぱちぱちと瞬いてから、満面の笑みを浮かべる。


「おひさまの色は生きているのか」


 ずいぶん難解な言語だ。だけど視線がアポロの金色の髪に固定されているところを見ると、おひさまの色とはアポロのことを指しているらしい。


「ボクがおひさまなら、君は夜の色だな」


 あまりにストレートな呼びかけがおかしくて、アポロも命の恩人の流儀に従ってみる。その子の髪や瞳の色が真っ黒な色だったからだ。アジア系はもうほとんど残っていないはずだから、それはとても珍しい色だった。


 アポロは腰をかがめてその子に右手を差し出した。


「ボクの名前はアポロだ。君の名前を聞いてもいかな」


「名前?」


 黒い瞳の子供はキョトンとした後、急にその場で飛び跳ね出した。


「アポロ、名前。ヨル、名前だ」


 息を弾ませて、ヨルはそう答えた。どうやらアポロは、意図せずこの子の名付け親になってしまったらしい。


 何から尋ねようか。アポロの頭の中に、さまざまな疑問が渦巻く。いったいどうやってこの不毛の大地で生きてこれたのか。他にも人はいるのか。地上は息を吹き返したのか。


 悩んでいる間に、ヨルはさっさと歩き始めてしまう。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。君には聞きたいことがたくさんあるんだ」


 アポロが慌てて追いかけると、小さな手が差し出される。


「家に帰る」


 アポロは仕方なく、ヨルに手を引かれて歩き始めた。そういえば、誰かと手を繋ぐのは初めてだ。


 それがふたりの奇妙な共同生活の始まりだった。

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