第2話 楽園と地上
「ここがヨルの家だ」
ヨルの指差した物を見て、アポロは目を見開いた。
黄色のボディに大きなタイヤ。ソイツはかつて、アメリカという国で学校に子供たちを送迎する役割を担っていたロートル。その名もスクールバスだ。
厳重に人口の管理されたバベルではお目にかかれない代物である。もちろんこのオンボロはもう走れない。それでもヨルの家は、控えめに言って最高にクールだった。
「はいっていいよ」
アポロはヨルに続いてバスに乗り込んだ。
「ああ、えっと。お邪魔します」
バスの中は意外に広くて快適そうだった。
ヨルは前から2番めの座席の背もたれにコートをかける。アポロも続いて手近な座席にガスマスクをかけると、ヨルは丁寧に2番めの座席にそれを掛け直した。どうやらここが、この子のクローゼットらしい。
だとすると、ボロボロの毛布が畳まれているいちばん後ろの長い座席がベットだろうか。運転席には山ほど荷物が積まれている。
「いい家だね」
アポロが微笑みかけると、ヨルは嬉しそうにはにかみながら答えた。
「後ろから3番目の右端の下は、宝物が隠してあるから覗いちゃダメ」
隠しているなら教えちゃダメなんじゃと思ったけど、あんまり野暮なことは言いたくない。かわりにアポロはヨルに聞きたいことを矢継ぎ早に尋ねた。
あまりに夢中になっていて、時間が経つのも忘れてしまったくらいだ。それに気がついたのは、ヨルの頭が振り子のようにゆらゆらと揺れ始めたからだ。
気付けば外はとっぷりと日が暮れて、夜のひんやりとした空気が、窓のひび割れから流れ込んでいる。
「ごめんよ」
そっと告げて、アポロはヨルの体を抱えていちばん後ろの座席へと運ぶ。羽のように軽い体に毛布をかけて、アポロも前の座席に背をもたれて瞳を閉じた。
翌朝目を覚ますと、膝の上で小さな寝息を立てる頭が乗っていた。毛布はアポロの体にかけてある。起こしてしまわないようにと思ったけれど、ヨルは敏感に揺れを感じ取って目を開いた。
「おはようアポロ」
それから、2人の新生活が始まった。
ヨルとの地上での暮らしは、様々な新しい発見をアポロにもたらした。
最も大事なことは、やはり地上にはまだ植物を育てるだけの土壌がないことだろう。
海水だけでなく、洪水の影響で流れ出した化学物質で、大地は汚染されている。この問題の解決が、アポロの急務だ。
そしてやはりヨル以外の人間はいないこと。これは全く不思議なことだった。
ヨルはいったいどこから来て、どうやって生きてきたのか。塔に住んでいて、何らかの原因で地上に落ちてしまったのか。はたまた海を隔てたずっと遠いところから来たのか。
本人に聞いてみても、物心ついた時にはもう独りきりだったのでわからないという。
ただ、どうやって生き延びてきたのかは、一緒に生活をする中でわかってきた。食糧は魚か海鳥の卵がメイン。雨水を貯めて飲み水も確保している。ヨルはまったく逞しい奴だった。
不足しがちな栄養素は、意外なものが補っている。アポロの墜落したスクラップ置き場だ。
そこは塔の真下になっていて、塔から捨てられるゴミや不用品のコンテナが時折落ちてくるのだ。もちろんこれは塔の法律的には違法である。しかし限られた面積しかない塔では、ゴミの処理にもそれなりの金がかかる。それを嫌がった業者による不法投棄のようだ。
ヨルはそこから、賞味期限の過ぎた缶詰などを上手に見つけてくる。
ゴミ拾いの成果はそれだけではない。まだ使える機械や燃料、金属製品など、様々なものを拾ってくる。たとえば手回し式のラジオなんて骨董品も。
驚くべきことに、ここにも塔の電波は届いていて、ヨルはそれで言葉を覚えたという。それからヨルのお気に入りは他にもある。本だ。文字はあまり読めないが、それでも写真や図だけで、ヨルは実にたくさんのことを理解していた。
ただし、ゴミ拾いには危険も伴う。
空からの落下物が直撃すれば即死は免れない。その上危険な薬品や適切な処理のされていない投棄物のせいで、人体に害のあるガスや液体などがそこら中に立ち込めている。中にはガスマスクをしていても、近づいちゃいけない場所もあるらしい。
黄色いゴーストの格好はそのためだったのだ。
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