お日様と夜の植物図鑑

糺乃 樹来

プロローグ 楽園追放

 群衆の目にあるのは、非難と憎悪の炎だけだった。罵声とともに飛んできた礫が、額に当たって赤く染まる。それでもアポロは前を見続けた。


 木槌の鳴らす高い音が、騒乱の渦を鎮める。


「判決を下す。大罪人アポロを国外追放とする」


 それは事実上の死刑宣告だ。


 場内の熱気は最高点を記録する。建物を揺らすほどの罵倒と嘲笑を浴びながら、アポロは狂乱の坩堝を後にした。



 それからの日々はあっという間だった。無機質な白い牢獄で、ジッとその時を待つだけの日々。


 3日ほどで、追放用のポッドの準備が出来た。


 出発の日。最後に付き合う刑務官は、まだ若い赤毛の青年だった。


「俺たちを恨むか?」


 青年は沈黙に耐えかねたのか、廊下を進みながらアポロに尋ねてくる。その顔には侮蔑とも懇願とも取れるような、奇妙な笑みが浮かんでいた。


「仕方ないんだ。アンタはみんなを期待させすぎた」


 それは、アポロの望んだことではない。


「アンタはずっと期待に応え続けた。でも今度は失敗したんだ」


 百の成功を重ねても、一つの失敗は許されない。人生はドミノみたいなものだ。それはアポロにはひどく息苦しかった。


「同情はしてるよ。感謝も。だけどアンタだけは失敗しちゃいけなかった。だってそれは、誰にも成功できないってことだから」


 アポロは何も応えずに、ポッドに自分の足で乗り込んだ。


「すまない」


 ハッチの閉まる直前に、隙間から見えた青年の震える口元は、そう呟いた気がした。


「気に病まないで、ボクは必ず戻るから」


 だからアポロはその呟きに応えた。ハッチは完全に閉まってしまったので、その言葉が彼に届いたかは分からなかった。




 楕円形の白いポッドの中は、どちらかといえば小柄なアポロでも膝を折らなければならないほど、窮屈な空間だ。


 外を見られるような窓はない。それでも体にかかる重力で、ポッドが下へ下へと墜落しているのは感じる。


 思えばこのポッドを設計したのも自分だ。本来の用途は、地上の探索用だったのに。アポロは皮肉な状況に苦笑することしかできなかった。


 どれくらいの時間が経ったろう。計算通りなら、中空に投げ出されてから地上までは、それほどかからないはずだ。不意にアポロは機体の落下速度に違和感を感じた。おかしい。自分の組んだプログラムよりも、少しだけ早い。


「誰かがプログラムをいじった?」


 なんのために。アポロを追放ではなく確実に殺すためだろうか。この速度で地表に落下すれば、最悪ポッドは激突した瞬間にバラバラになる。


 それもいいのかもしれない。そんな考えが頭によぎった瞬間、重力とは別の衝撃がアポロを襲った。




 体が引きちぎれるかと思った。それくらい、経験したことのない痛みだった。おまけに随分息苦しい。


 それでもアポロは、周囲の状況を確認しようとあたりを見回した。ポッドはなんとか落下に耐えたが、歪んでしまってドアには隙間ができている。その隙間から、アポロの体は外に投げ出されたらしい。


 周囲にはスクラップが散乱している。


 よく見ると、ポッドは輸送用のコンテナを下敷きにしているらしい。逆にいえば、それがなければアポロ自身がスクラップになっていただろう。


 コンテナだけではない。周囲にはさまざまなゴミが散乱している。


「これが地上か」


 思った通り住み心地の良い場所ではないようだ。ひどい匂いだ。卵が腐ったような匂いや、薬品の匂い。かと思えばキツすぎる香水の匂いなどが混ざり合って、形容し難い臭気が立ち込めている。


 そのゴミ山の中に、奇妙なものが見えた。アポロはそれを見た瞬間、自分はすでに死んでしまったのかと思った。


 ゴーストだ。


 それも子供向けのアニメに出てくるような、手も足もない白いシーツを被っただけの幽霊。


 ただひとつアポロの記憶と違うのは、その幽霊が真っ黄色だったこと。幽霊はヒラヒラとゴミの山の間をすり抜けながら、アポロの方に近づいてくる。


 あの世の迎えが来たのかもしれない。さっきから目は霞み、呼吸もひどく苦しい。幽霊はもうアポロの目の前だ。アポロは覚悟を決めて顔を上げた。


 すぐ側で見るとそれは、黄色いレインコートを着た人間だった。黒い軍用ブーツに、緑がかったカーキ色の作業服。レインコートのフードをすっぽりとかぶっていて、その隙間から見える顔にはガスマスクが装着されている。


 おまけに幽霊はなぜか、ゴミが山ほど積まれたリアカーを引いていた。


「地獄の幽霊にしては、ずいぶんユニークだ」


 そう呟いて、アポロは意識を手放した。







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