第18話《三》赤絲再逅(えにし ふたたび)-4-

シュエン軍による世凰シーファン探索たんさくは、このところ、特にその熾烈しれつさを増していた。

 彼らの手によって、フェン家のこうだいやかた紅蓮ぐれんの炎の中に焼け落ち、見る影もない無残な廃墟はいきょと化したその姿を、焼土の上にさらすのみとなっている。

 そして、そこにたむろしていた四十名近くの若者たちも、大半たいはんは命を落とした。

 にもかかわらず、残り数名と、彼らの最大の標的であったフェン世凰シーファンは逃亡してしまったのである。

 イェン将軍に敗れて瀕死ひんしの重傷を負いながらも、なおつ脱出して行った彼の行方ゆくえを追って、シュエン軍は連日、ただひたすらに東奔西走とうほんせいそうした。

 ヤンティエユイは、内心、気が気ではなかった。

「何としても生きのびて、いつの日か、必ずや本懐ほんかいげて見せようぞ!!」

 そう言い放った時の、おぞましいほどに美しい世凰シーファンの瞳が、ぬぐい去ることの出来ぬ刻印となって彼の心にきざみつけられ、夜となく昼となく浮かび上がって来ては、ヤンを不安におとしいれた。

「よいか!?草の根分けても奴を探し出し、有無うむを言わせず、引っ捕らえて参れ!だが決して、すぐに殺してしまってはならぬぞ。必ずイェン将軍、並びにこのヤンティエユイの目の前に引き出した上で、処刑に及ぶのだ!!」

 彼は配下の者たちに向かって、再三再四、しつこく念を押した。見つけ次第に殺してなどしたのでは、自分の中にわだかまただならぬ不安が永久に払拭ふっしょくされぬような、そんな気がしたからである。

彼奴きゃつの死にざまを、しかとこの目で確かめぬうちは、枕を高うして寝られもせぬわ!〉

 彼の命令に従って、付近一帯の山野さんやを手分けしてくま無く探しまわったシュエン軍は、幾度となく山狩りまで行って世凰シーファン行方ゆくえを追い求めたが、ついにねずみの死体一つとして、見つけ出すことは出来なかった。

「何ということだ!そろいもそろった役立たずめがっ!!」

 ヤンは、どうしようもない怒りに、全身をふるわせて激昂げきこうした。

 しかしながら、イェン将軍の反応はといえば、彼とは明らかに、おもむきことにしていたのである。

「まあまあ。よいではないか、ヤン。何もそこまで、急勝せっかちることもあるまいに」

 例の底知れぬ落ち着き振りで、イェンは、憤懣ふんまんやるかたないヤンをたしなめた。

たとえ、生きて逃げおおせたとしたところで、あの深傷ふかで。そうそう遠くまで、ゆけるはずもなし。このあたり一帯、いささかなりとも奴にゆかりのある者どもを虱潰しらみつぶしに当たってゆけば、必ず、手掛てがかりはいて出るわさ」

 イェンはどこか、この状況を楽しんでいるふしさえあった。

手懸てがかりさえつかめば、こちらのもの。今の奴を捕らえるのは、赤児あかごの手をひねるよりも容易たやすいではないか?いかに翔琳しょうりん鳳凰ほうおうなどとやされようとも、空を飛ぶことまでは出来まいからの」

 そう言っておいて、後はひとりごとになった。

「しかし、じゃ。余りに容易たやすうに片付いてくれては、面白うない。何事にも、というものがうては、とんとつまらぬでのう・・・」

 イェンの言葉の裏にひそむ異様な思惑おもわくを、がらにもなく察知してしまったヤンは、何やら奇妙な戦慄せんりつ背筋せすじが寒くなった。

フェン家ゆかりの親族・知人はもとより、その使用人のはしばしに至るまで、シュエンきびしい探索たんさくは及んだ。

 中でも、他の親族とは行動を分かち、ひたすら世凰シーファンに誠意を尽くしてやまなかったリェンシェンチェン一族に対する詮議せんぎに至っては、まさに『過酷かこく』の一語いちごきわめた。

一度ならずも二度、三度とやかたに踏み込まれるそのたびに、ゆかチンタンというチンタンは、すべて土足で踏みにじられ、家具・調度のたぐいは、用をさぬまでに粉々こなごなに叩きこわされ、さらに天井や壁、そこら中至る所に槍を突き込まれて、穴だらけにされてしまった。

 そればかりか、当主・シェンチェンをはじめとする家族・使用人、一人残らず、なぐるの手酷てひどい暴行を受けたのである。

 これらはすべてが、ツイワンシウ讒言ざんげんたんを発していた。

 シェンチェンおのれの意向に従わず、ひそかに世凰シーファンと通じていることをぎつけたツイは、とてつもなく彼を憎み、どうやらリェンが、自分の屋敷の奥深くに世凰シーファンかくまい、風にも当てぬよう手厚く看護しているらしい・・どど、ヤンき付けたのだった。

 その当然の結果として、リェン家は、斯様かような惨状を呈する破目におちいったのだ。

 老いの身のシェンチェンは、それがもとですっかり体をこわしてしまい、明日あすをも知れぬやまいとこしてしまったが、不幸はそれだけにはとどまらず、さらに容赦ようしゃの無い追い打ちが、彼らに襲いかかった。

『不届きにもフェン世凰シーファン謀反むほん加担かたんしたかどにより、云々うんぬん・・・』という内容の達し状が、ある日突然舞い込んでリェン家所有のかなりの領地・財産は、すべて没収ぼっしゅうされたのである。

 度重たびかさなるむごい仕打ちに、リェン家は悲嘆ひたんのどん底に突き落とされた。

 精根せいこん尽き果てたリェンシェンチェンは、最早もはやとこの上に起き上ることすら出来ぬ状態となり、リェン夫人は、実家からさえも見放された。

 目出度めでたく整っていた娘たちの縁組も、ことごとく破談のき目にい『謀反人むほんにんの一味』という公札を、門前に高々とかかげられたリェン家には、ついに、人の訪れも途絶(とだ)えた。

「これも皆、父上のせいですぞ!父上が、フェン世凰シーファンなどに肩入れされるゆえ、我らはこのような辛酸しんさんめねばならぬ破目はめおちいってしまったのです!!」

そんな状況の中、リェン家の三人の息子たちは、異口同音いくどうおんにこう言い捨て、病身の父や家族たちを置き去りにして、さっさと家を出て行った。

 残ったのは、ただ泣きさざめくしか能の無い女たちと、一番末の息子・シュンチェンだけである。

 臆病おくびょうでひ弱なシュンチェンは、兄たちのように家を捨てるだけのも無かったし、シェン王家の無法をね返し、ゆくゆくはリェン家を再興してやろう、などという気概きがい気骨きこつも、当然のごとく持ち合わせてはいなかった。

 結局のところ、彼が家に残った理由はただ一つ、見知らぬ世間に出て行って『世の荒波』というものにまれるのをいとったからに他ならず、家族の面倒を見る気など、さらさら無いに等しい。

 これぞ、裏なりのもやし!と、呼ぶにふさわしく、なよなよとどうしようもない、大人おとなしいだけが取りといえば取りの、そんな才子さいしはだの若者であった。

 シェンチェンは、我が息子たちのそろいもそろったその不作ぶりを、血涙けつるい流さんばかりになげき悲しんだが、今さらどうなるものでもない。

 彼はますます落胆らくたんし、急速に衰弱すいじゃくして行った。


 月は間断かんだん無く満ち欠けを繰り返し、日は流れ去って、いつしか初夏を迎えていた。

 フェン世凰シーファン行方ゆくえは、依然いぜんようとして知れず、ヤンティエユイを始めとするシュエン軍の焦燥しょうそうをよそに、何一つ、手かりのさえもつかめぬままであった。

 そのうち、誰言うとなく、こんな噂が立ち始めた。

・・二月ほど前、ファナン郡のはずれの寒村かんそんに、体中に傷を負った一人の若者が辿たどり着いた。親切な村人が引き取って介抱かいほうしたが、致命ちめい的な深傷ふかでに手のほどこしようもなく、日をずして落命してしまったので、村はずれの共同墓地にほうむってやった・・というのである。

〈奴か!?〉ヤンは、久々に色めき立った。

 ファナン郡といえば、九龍山・翔琳しょうりん寺の所在地。

 世凰シーファンとは、因縁いんねん浅からぬ土地柄ではあった。

 探索開始直後に翔琳しょうりん寺に押しかけて行ったシュエン軍が、こっぴどく門前払いを喰わされていただけに、もしも事実関係が明らかになれば、それに何かの理由をこじつけて焼き打ちでも行い、溜飲りゅういんを下げてやろうとたくらんだヤンは、さっそく、数名の役人をその地に派遣はけんし、真偽しんぎのほどを確かめさせることにした。

 役人たちは、村に到着するなり、すぐに糾明きゅうめいに取り掛かったのではあるが、何せこの村は老人ばかりで、さながら姥捨うばすやまの感があり、つい昨日きのうの出来事すらもおぼえていない者がほとんど、という始末。

 全く、らちも何もあかばこそ、詮議せんぎとやらは一向いっこうはかどらなかった。

 やっとのことで、少しはな耳の遠い老人を見つけ出し、頭痛がしそうなほどに割れ鐘のような声を、その耳許みみもと怒鳴どなり散らして問いただしたところ、確かに、そういう出来事があるにはあったが、若者を介抱かいほうして最後を看取ってやった村人というのが、これまた一人暮らしの老人で、つい半月ばかり前に死んでしまったと言う。

 今にもヒステリーを起こしそうなかんの虫を、苦心惨憺さんたんしてなだめすかしたあわれな役人たちは、他に手段てだても浮かばぬままに、若者の墓を掘り返して、せめて遺体なりとも持ち帰ろうと決心した。

 ところが・・・である。

 どう見ても半ボケぞろいとしか思えぬ老人たちの方が、彼らより、一枚も二枚も上手うわてだった。

 若者の様子から、ただならぬ事情を感じ取ったらしい老人は、後日ごじつの災厄を恐れる余り、その遺体を深夜、誰の手も借りずにひそかに埋葬まいそうしたようだ。

 無論、何の目印も残さなかったため、若者が葬られた場所を正確に知っている者は一人もいない。

 そればかりか次々と、ひょっとしたら先陣せんじん争いでもしているのではないかと思えるくらいの勢いで、毎日のように村人が死んで行くため、それらの墓がごちゃごちゃと入り乱れ、どれが誰のものやら、さっぱり解からない有様となっていた。

 いくら何でも、そこら中に盛り上がっている饅頭まんじゅうを一つ残らずあばき立てる訳にもゆかず、とどのつまり役人たちは『骨折り損のくたびれもうけ』を地で行った格好となり、心身共に疲労ひろう困憊こんぱい、全員がさおな顔をして、スゴスゴと引き上げて来た。

「えええいっ!この、この、こォの役立たずめらがっ!!何故、あたり構わず掘り返してはみなんだのじゃ!さては貴様ら、ろういといおったなっ!!」

 ヤンティエユイ思惑おもわくは見事にはずれ、翔琳しょうりん寺焼き打ちの目論見もくろみは、あっけなくついえ去った。彼は、腹立ちまぎれの見幕けんまくで役人たちを怒鳴どなりつけ、頭ごなしにありとあらゆる罵詈ばり雑言ぞうごんびせかけて、それこそ散々さんざん口汚くちぎたなののしり倒したが、どういうものか『もう一度行って来い!』とだけは言わずじまいであった。


世凰シーファンの傷は、その後、まずは順調に回復しつつあった。すでに、とこを離れて付近を散策さんさくすることも出来るまでになっている。

 しかし、右胸にくっきりと無惨むざん刻印こくいんきざむ傷跡は、時折り思いがけぬほどの痛みを彼にもたらしたし、ごくたまにではあったが、いまだに少量の吐血とけつを見ることもある。

 拳法の鍛錬たんれんを再開する状態にはとてもまだ至ってはいないにせよ、それでも彼の彼の体は、確実に快方へと向かっていた。

 それと並行する形で、ある大きな変化が、世凰シーファンの内部で起こりつつあった。

いつ頃からそうなったのか、彼自身にも定かではないのだが、ふと気づいた時には、彼の感性はひとりの女性に対していた鋭敏えいびんになり、彼女の一挙手一投足は勿論もちろん、その表情の微妙な変化にさえも、こまやかに反応するようになっていた。

パイメイミン――。

亡き姉・シャンラン以外に、彼を初めてき付けた女性ひとの名である。

〈何て、綺麗きれいなんだ!〉

〈あっ、可愛い!〉

 ・・・何気なにげない彼女の仕草しぐさ一つ一つに、何度、ひそかな溜息ためいきをついたことだろう?姉以外の女性には、ついぞ感じたこともなかった胸のときめきは、しかも姉に対するそれとはまた微妙にことなり、何やら訳の解らぬ息苦しさまでともなっている。

〈姉さま、何とかして下さい!世凰シーファンは、何が何だか、よく解らないのです。あなたが生前せいぜん話して下さったのは、このことだったのですか!?〉

 彼は途方とほうに暮れて、知らず知らず、姉に問いかけるのだった。

『そういうものなのよ、世凰シーファン!・・・』

 姉の声が、聞こえて来るようだ。

〈そうと言われたって!・・・一体、どうすればいいんです!?〉

 彼は自分自身に戸惑とまどい、もて余し、果てはあらがってみたりもしたが、結局、どうすることも出来ず、日がつにつれ、いや、一刻一秒ごとにと言っても過言ではないくらいに急速に、そして一途いちずに、彼の心はメイミンへと傾いて行った。

 そんなある日、世凰シーファンは全く思いがけない人物の、ひそやかなる訪問を受けたのである。


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