第13話《二》凶刃魔拳(じゅうりん)-1-

三十数名の若者たちのたむろするこうだいやかたが、突如として、ヤンティエユイひきいるシュエンの軍勢に踏み込まれたのは、ツイワンシウが彼のもとに泣きついて行った、ほんの数日後のことであった。

 世凰シーファンが、初めて仇敵きゅうてきの正体を知らされた夜からも、幾許いくばくへだててはいない。

 あの夜、真実を知った彼は、即座に、遠からぬ日の仇討あだうちを心に決め、朋友ともを巻き添えにすることを恐れて、彼らにすべて打ち明けた上、すみやかに屋敷を去るよう懇願こんがんした。

 しかし、事情を知った若者たちは、出て行くどころか、たちまちにして義侠ぎきょうしんき立てられ、断固だんこ、その申し出を拒否したのである。

世凰シーファン。いかに君の頼みでも、こればかりは、二つ返事で受け入れる訳にはゆかぬ。我々は確かに、君に対して恩義もあるが、それより何より、君という男そのものが好きなのだ。事情を知った今になって、はい、さようなら!などと去ってゆけると思うのか⁉ この上は、及ばずながら我々にも、是非ぜひとも力えをさせてほしい!」

 ヨンフールンの言葉にとなえる者は、誰もいなかった。世凰シーファンがさらに説得したところで、彼らはがんとして受け付けようとはせず、一人いちにんたりとも、屋敷をでようとする者はいない。

 そんなさなかの、急襲だったのだ。

広東カントン豪族・フェン世凰シーファンしゅうを語らい、おかみ謀反むほんくわだてたかどにより、る!尋常じんじょうばくにつけばよし、さもなくば、手向てむかい致したる罪にて、この場で討ち果たすものなり‼」

 多くの武装兵士を従えて、その先頭に立ち、大音声だいおんじょう下知げちふみを読み上げたのは、ヤンティエユイであった。

 彼らの後方では、イェン大剛ダーガンが、いつものように後手うしろでに腕を組み、ゆったりとした余裕よゆうを見せてたたずんでいる。

 世凰シーファンは、侮蔑ぶべつ憎悪ぞうおとの入り混じった切れ長のを、じっとヤンに注いだまま身じろぎもせず、無言で彼の口上こうじょうを聞いていたが、やがてその唇に、不敵な微笑えみを浮かべた。

ヤン殿。言うにこといて、ついにはそのような大義たいぎ名分めいぶんまででっち上げられたか⁉余りのこじつけに、御自身でもおもゆうはありませぬか?」

「‼」

早くもと頭に血がのぼったヤンに向かって彼はさらに続けた。

「どうやら、我が父と姉同様、この世凰シーファンにも生きていてほしくはないと見える・・みずからの手はよごさずして邪魔者じゃまものを始末せんとする卑劣ひれつきわまりない手口、臆面おくめんもなく再び使うとは、ヤンティエユイ、浅はかにも、語るに落ちたな‼」

「な、なにいっ‼」

 と心当たりを直撃されたヤンは、見る見る満面にしゅそそぎ、まさに赤鬼そのものの形相ぎょうそうていした。

〈なぜ、ばれたのだろう?まさか、ツイの奴めが裏切ったのでは⁉〉

 彼の胸中は、たちどころに、その疑念でき立った。

 そして世凰シーファンは、眉一つ動かすことなく、凛然りんぜんかんぶつ共に言い放ったのである。

「我がっくき仇敵きゅうてきヤンティエユイ、並びにイェンダーガンフェン世凰シーファンは、決してこの場では死なぬ。何としてでも生きのびて、いつの日にか、必ず本懐ほんかいげてみせようぞ‼」

 その絶世の美貌が、今や恐ろしいほどにえ渡り、炯炯けいけいと燃えさかる憤怒ふんぬの瞳でまともに見据みすえられたヤンティエユイの全身は、何とも得体えたいの知れぬ畏怖いふの念にからめ取られてあわしょうじ、さらにその上、くま無く総毛そうけ立った。毛穴という毛穴が開き切り、とめどなく流れ出す冷たい汗に少なからず狼狽ろうばいした彼は、みずからの心理状態を押し隠そうとしてことさら金切り声になりながら、ついにの命令をくだすに至ったのである。

「ええい、構わぬ!全員、皆殺みなごろしじゃ‼猫の子一匹たりとも、逃すではないぞ‼」

 たちまち、戦闘の幕は切って落とされた。

 明らかに、数と武器とにおいてまさシュエン軍に対して、世凰シーファンを始めとする若者たちも、それぞれが一角ひとかどの武芸者、そうやすやすと後れをとる筈もない。

 彼らは阿修羅あしゅらそのものと化し、我が身一つを武器に、勇猛ゆうもう果敢かかんに闘い続けた。剣と拳、槍と足技、そして入り乱れる怒号どごう―血は血を呼び、たけり狂う狂気を呼び、やがて死を呼んだ。

 しかし、いかに目覚めざましい奮戦ふんせんを見せたところで、所詮しょせんは多勢に無勢、次々と、塵子んかの如くに押し寄せて来る新手あらてのために、彼らの疲労は次第に、その影を濃くして行った。

 一旦いったん勢いにまれてしまえば、くずれ去るのは余りに早く、若い命は、見る見る散り急いでゆく。

 どうにか生き残ってはいても、全員が体のどこかに傷を負い、五体満足な者など一人もいなかった。

 このままでは全員玉砕ぎょくさい、まさに火を見るよりも明らかである。

世凰シーファン!」

 すぐ近くで闘っていたヨンフールンが、相手を倒すなり、け寄って来た。

「このままでは全滅ぜんめつするぞ!そろそろ血路けつろを開いて、落ちのびよう。特に君は大事な体だ、必ず生きろよ!生きて、時機じきを待て‼」

わかった!」

 世凰シーファンは答え、そしてびた。

「済まぬ‼とうとう君たちを、巻き添えにしてしまったな」

 その会話も、長剣を振りかざして斬りかかって来る敵のために、度々たびたび途切とぎれるのだ。二人はそれぞれ、あざやかな手並てなみで、邪魔者共をほうむり去った。

「そんなことは、言いっこなし!世凰シーファン、早く行け!命があったら、また会おうな‼」

 返り血を浴びた精悍せいかんな顔で、ニッと笑ったかと思うと、フールンは猛然と、敵のまっ只中ただなかめがけて飛び込んで行った。


追いすが幾多あまたの敵を倒しながらようや屋外おくがいのがれ、裏門に向かって駈け出そうとした世凰シーファン行手ゆくてをゆっくりと一人の男がさえぎった。

 シュエン朝将軍・イェン大剛ダーガン-。

久方ひさかた振りであったな,翔琳鳳凰殿。折角せっかくこうして再会できたものを、このイェンを差し置いて、一体何処いずこへゆかれるお積りじゃ?余りにではないか」

 その嗜虐しぎゃく的な視線をねっとりと世凰シーファンの全身にそそぎながら、イェンは落ち着き払った口調くちょうで言った。

「おぬし、しばらく見ぬに、また一段と美しゅうなったな。そのがおも、さぞや美しかろう。是非ぜひとも見たいものじゃ!」

 ふっと細めたおぞましいイェンの視線を毅然きぜんとしたまなざしでね返して、世凰シーファンはきっぱりと答えた。

「言った筈だ、イェン大剛ダーガン!私は決してここでは死なぬ‼」

「ほほっ、これはこれは!」

 イェン大形おおぎょうに目を丸くして見せつつ、せせら笑った。

「さすが、フェン美人!その名にたがわぬ可愛かわゆくちで、さてもまた、可愛かわゆいことをばさえずりおるものよのう。いっそ我が下に組み敷いて、思うさまことまでもさえずらせてみたきはやまやまなれど、生憎あいにくかるえにしには無いようじゃ・・・ならば宿命さだめおもむくまま、我が伏魔ふくまけんに花と散れ!」

 言いざま、目にも止まらぬ激烈な拳風けんぷうが、うなりを上げて世凰シーファンに襲いかかった。

 人呼んで、妖州ようしゅう伏魔ふくまけん

 その冷酷非情の殺人わざって、古来こらいより、果たして何百人、いや何千人の命を、ちりあくたの如くにほふり続けて来たことかー。

 もとより、稀代きだいつかい手たるイェン大剛ダーガンけんは、すで幾重いくえにも血塗ちぬられ、犠牲者たちの怨念おんねんをもおのかてとして吸収し尽くした結果、もはや妖気ようきさえびて、まさしく『魔拳』と呼ぶにふさわしい境地にまで達していたのである。

 その魔性のごうけんが、目の前の極上ごくじょうの獲物を引き裂く愉悦ゆえつに高らかに咆哮ほうこうし、今や、猛然と牙をく。

 執拗しつように、つ過激に、彼のすべての急所を狙って繰り出されて来るすさまじい攻撃とは対照的に、世凰シーファン梅花ばいか鳳凰ほうおうけん変幻へんげん自在じざい、しなやかに舞ってその切先きっさきかわしながら、見事な連続技で立ち向かった。

 しかし悲しいかな、場数ばかずの違いは、おのずと格段の気迫きはくの違いともなって如何いかんともがたく、息もつかせぬ熾烈しれつさで、さながらかまいたち様相ようそうていし荒れ狂うイェンの殺人拳は、いつしか世凰シーファンを圧倒し始め、一歩、また一歩と、確実に彼を追い詰めて行ったのである。

 じりじりと後退あとずさ世凰シーファンの片足に、突然、何かが引っかかった。

《!!》

 ごく僅(わず)かに「気(き)」が乱れ、ほんの束(つか)の間(ま)、体のバランスが、微(かす)かに崩(くず)れた。

 その一瞬のすきいて「―っ!!」裂帛れっぱくの気合もろとも、イェンの剛拳が世凰シーファンの左胸目がけて炸裂さくれつした。

 これぞ『伏魔ふくま念誦ねんじゅ』!

間一髪かんいっぱつ、体をひねりざま後方に飛び退すさり、かろうじてその直撃はまぬがれたものの、左胸ならぬ、右胸に受けたダメージたるや、決して軽いものではなかった。

 皮膚ひふはおろか、さらにその奥の奥まで、ものの見事に突き破られた傷口は、パックリと、柘榴ざくろのように裂けてなめらかな細身を穿うがち、みるみるうちにあふれ出す淋漓りんりたる鮮血せんけつが、またたく間に、彼の白衣をあけ一色に染め抜いてゆく。

 それと同時に、急激な速さで体内をさかのぼって来た血塊けっかい口腔こうくうを満たし、真紅しんくの糸を引いて、くちびるからしたたった。

 世凰シーファンは、咄嗟とっさに呼吸を整え、これに対応した。ダメージを極力、最小限に押さえるためである。

 そうしておいて彼は、次なるイェンの攻撃を受けて立つべく、なおも身構えるのだった。

 痛痛しくも凄絶せいぜつなその有様ありさまを異様な輝きを一層増したイェンの目が凝視ぎょうしし続けていた。

「美しい‼」

 感に耐えぬ口調くちょうつぶやいた彼は、いともあらわな淫虐いんぎゃくみを、その表情にただよわせる。

「まだまだ甘いわ、フェン世凰シーファンイェン大剛ダーガンとしたことが手加減てかげん過ぎたとはいえ、伏魔の直撃、ようかわした。されど、おぬしは所詮しょせん、我が敵にはあらず!もはや、散りゆくがよい。二度と手加減てかげんはせぬぞ‼」

 だが、か彼は、すぐさま襲いかかろうとはせず、滾滾こんこんと血を流しながらも構えをくずさぬ世凰シーファンの全身にからみつかせた視線を、えてはなつ気配も見せない。

しやのう!・・・つくづくその身、と散らすには、余りにしゅうてならぬ逸品いっぴんよ。さりとて散らさずば、これまた、我が血のしずまるはずも無し・・と来ておる。はてさて、わしのこのさがにも困ったものよの」

 こう言いながら、イェンが余裕たっぷりに間合いを詰めようした刹那せつな、思いもよらぬ方角から、一本の手槍てやりが風を切って飛来ひらいした。

 逸早いちはやく身をかわしたイェンの肩先すれすれをかすめ、身をふるわせて大地に突き立ったその手槍がもたらした一瞬の空白が、まさに世凰シーファンを救った。

 瞬時に地面をった彼の体は、飛鳥の如く、背後のへいの屋根へと跳躍ちょうやくし、直後、白壁しらかべの向こう側に消えた。

おろか者めが!その体で、果たして何処どこまで逃げおおせるものやら・・・」

 イェンは冷ややかに言い捨てたのみで、いてあとを追おうとはしなかった。

〈だが、これでまた、後日ごじつに大いなる楽しみが残されたわ。いずれにせよおぬしは黒髪一筋ひとすじ先の先に至るまで、余すところなく、このイェンのもの・・・そうであろう⁉ また会おうぞ、翔琳鳳凰よ‼〉

 彼の面上めんじょうには新たなる陰湿いんしつみが、陽炎かげろうのゆらめきにも似て、ゆらゆらと立ち昇っている。

 そんな彼の脇を、すぐさま数名の手勢がり抜けてへいの外へと駈け出して行ったが、無論、世凰シーファンの姿はすでに無く、、ただ白壁の所どころに、よろめく体を支えたとおぼしき鮮血の手形がいくつか残されているだけであった。

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