第10話《五》奸慮背反(わるだくみ)-3-


 シャン西シー郡・ユェンロンにあるヤンティエユイの屋敷では、折しも彼の昇進を祝う盛大なうたげもよおされていた。

 例のイェン将軍を始めとするシュエン朝の重臣、貴族たちが顔をそろえる中、その末席まっせきには何と、世凰シーファン叔父おじツイワンシウの姿があった。

 シュエン朝に対し、決しておもねることをしなかった兄・ツェンテーの態度に、以前からひとかたならぬ反感をいだいていたツイは、ひそかに、シュエンの新興勢力の旗頭はたがしらたるヤンティエユイに接近したのである。

 言うまでもなく、あわよくば立身りっしん出世しゅっせを、と願う心積もりも多少あったにせよ、それよりももっとだいそれた野望を、この男ははぐくんでいた。

〈何としても、フェン家の実権を、我が手につかみ取りたい‼〉

 彼は虎視こし眈々たんたん機会チャンスうかがい続け、そのための強力な後楯うしろだてとなってくれそうな存在として、ヤン白羽しらはの矢を立てたのだった。

 ツイワンシウは、フェンツェンテーの弟ということにはなっているが、実は同い年である。

 妾腹しょうふくせいを受けたばっかりに、彼はツェンテーを兄としてたてまつり、自分は弟の地位に甘んじなければならなかった。

 その屈辱くつじょくは、生来せいらい人一倍に権勢けんせいよくの強いツイの人格を、いちじるしくゆがめてしまったのである。

 ツェンテーに対し、表向きは弟としての礼を尽くすと見せて、その実、彼は常にのろいの言葉を投げつけ、つばを吐きかけていたのだった。

〈今に見ておれよ!〉

 そして、ツェンテーシュエン朝にこころよく思われていないのをさいわい、有ること無いことヤンに吹き込み、あれやこれやで、極度にフェン家を憎悪ぞうおしているヤンあおり立てる一方、ことさら彼にへつらい、その走狗そうくともなって尽くして来た。

 かくなる努力の甲斐かいあってか、ここ最近、事態はようやく彼の望む方向へと動き始めたようである。

 ツイからツェンテーに関するありとあらゆる罵詈ばり雑言ぞうごんを吹き込まれ続けたヤンティエユイは、いやが上にもフェン家に対する憎しみを増幅ぞうふくさせ、さらにとんでもない話を自分ででっち上げて、イェン将軍への注進に及んだ。

 イェン将軍ともなるとさすがに、ヤンのヒステリックな私怨しえんによる事実の歪曲わいきょくを見抜いていたが、常日頃つねひごろからの不遜ふそんとも思えるフェン家の姿勢自体、シュエン朝にとって、大いに許しがたいものであることは事実だった。

 しかし、ただ姿勢云々うんぬんとの理由だけでフェン家に手出しをする愚行ぐこうなどは、断じてつつしまねばならぬ。

 下手へたにそんなことでもすれば、たちまカントン周辺の広い範囲に渡って反シュエンの気運が高まり、数多あまた豪族ごうぞく及び民衆どもが、こぞって決起するだろう。

 それが、ひいては天下てんか大乱たいらん火種ひだねとなり、ややもすれば、シュエン王家そのものの足許あしもとまでをもるがすことになりかねない。

 フェン家というただならぬ名門は、それほどまでに、隠然いんぜんたる力を秘めていたのだ。

 とはいえ、フェン家をこのままに放置しておくのも決して喜ばしいことではない、と、一方でイェン将軍は考えていた。

 折あらば、これを何とか再起不能なまでに打ちのめし、への見せしめとせねばなるまいが、さて、何かよい手段てだてはないものか―。

 丁度そこへ、何とも絶妙なタイミングでヤンティエユイが現われ、何だかだと彼に言いつけた上、フェン家をひそかに襲撃しゅうげきし、当主・ツェンテーを暗殺するという、願ってもない計略を持ちかけて来た。

 まさに渡りに船とばかりに、イェンはさっそく飛びついたが、もとより、表面上はあくまでも威厳いげんちた態度をくずさず、至極しごくおもむろに許可をくだした。

 同時にイェンは、ヤンの鼻先にを投げ与えることを、決して忘れなかった。ヤンが今なお執着しゅうちゃくしてやまぬフェン家の娘・香蘭シャンランを、彼はこともあろうに、として使ったのだ。

ヤンよ、その女それほどに欲しいなら、この際、どさくさにまぎれて奪い去ってしまえばよいではないか?混乱の最中さいちゅうに何が起きようと、いちいちおかみも、詮索せんさくはせぬわなあ⁉」

〈しっかり黙認もくにんしてやるゆえ、一刻も早うにかたをつけるがよい!〉

 イェンは巧妙に、ヤンの尻をひっぱたいてやった。

 そうとも知らずにまんまと乗せられたヤンティエユイが、浮き浮きと、小躍りしつつ帰って行ったあと、ゆったりと肘掛ひじかけ椅子に沈んだイェン将軍はひとちた。

「やれやれ、に目の色変えるやつはらの、気が知れぬわ!」

 名にしりゅうよう(男色家)たる者の本音ほんねで、嘲笑気味にそううそぶき、事がじょう首尾しゅびに終わったあかつきに、いかばかりか苦しみ悲嘆ひたんに暮れるであろう、美しい若者の、一見いっけんりゅうじょうにも似て一際ひときわなよやかでありながら、それでいて、したたかに強靭きょうじんしないを秘めたそのほそごしを思い浮かべて、一人ニンマリと、ほくそ笑んだ。

 何はともあれ、イェン将軍からフェン家襲撃しゅうげきの許可を取り付け、おまけにまでさずけられたヤンティエユイ意気いき揚々ようよう、さっそくツイワンシウを呼び出した。

「『この計略が成功したならば、見返りとして、必ずやフェン家の跡目あとめがせてやる』と、イェン将軍が太鼓判たいこばんを押して下さったぞ」

 ヤンティエユイは巧みに嘘をつき、ツイからフェン家のやかたの見取り図をせしめたのだった。

 無論、世間れしたツイは、ヤンの言葉をすべて信用した訳ではなかったのだが、当面の目の上のこぶツェンテーき者にしてくれるならば、それこそ好都合というもの、即座に彼に協力したのである。

 三者三様、三ツどもえとなり、それぞれが相手を利用し、又利用され、結局利害の一致を見た訳で、悪党同士が結び付くには、やはり『利害関係』というものが不可欠、何とも浅ましい限りではあった。

 かくて許すまじき陰謀いんぼうは、ヤン配下の暗殺集団によって実行に移され、見事成功したかに見えたが、ここに一つの大きな誤算がしょうじた。

 言わずと知れた、香蘭シャンラン自害じがいである。

 その報告を受けたヤンは半狂乱、烈火れっかの如くたけり狂って手下共を怒鳴どなりつけ、地団駄じだんだ踏んでくやしがったが、死んでしまったものは、もうどうしようもない。

 ともかくもツェンテーの暗殺が成功したことだけを、彼は喜ばなければならなかった。

 ツイツイで、これでようや永年ながねんの野望を達成できると有頂天になり、嫡子ちゃくし世凰シーファンというものがありながら、これを全く無視した形で、早々そうそうに手を打った。

 まずは親戚一同を煽動せんどうして、自分が手にけたも同然の兄とめいの葬儀を喪主もしゅとして取り仕切り、それが済むと、間髪入れずに親族会議を招集、そのまっ只中ただなかで、急遽きゅうきょ帰館きかんした世凰シーファンを散々にはずかしめた上、孤立させることに成功した。

 我ながらの上首尾じょうしゅびに、高らかな快哉かいさいを叫んだツイではあったが、果せるかな、待てど暮らせど『フェン家相続許可』の吉報きっぽうおとずれて来ない。

 ヤンに何度け合ったところで一向にらちも明かず、ツイは相当、頭に来ていた。

〈そろそろこのあたりで、強気に出ねばなるまい!〉

 そう心に決めて、彼は、招ばれもせぬのにヤン祝宴しゅくえんに押しかけて来たのだった。こうしてみると、どうも事態じたいは、ヤンツイ、それぞれの望む方向にばかり動いたとも思えず、とどのつまり、彼らのうちで一番得をしたと言えるのは、他ならぬイェン将軍だけだったのかも知れない・・・。

 さて、話を戻そう。

 うたげなかばを過ぎて自然に座は乱れ、客たちが、それぞれ好き勝手な振舞ふるまいを始めた頃を見計みはからって、ヤンは一人、庭へ出た。

 今夜はついつい酒量を過ごし、気づいた時には、すでいが体中に充満じゅうまんしていた。

 酩酊めいてい一歩手前、というところである。

 それで、夜風にでも吹かれていをまそう、と思ったのだ。涼しい風の吹き渡る中庭の松の根元に立って、この男のがらにも無く、月などをながめていると、背後はいごにヒタヒタと近づいて来る人の気配がした。

 振り返ってその気配の主を確認した途端とたんヤンはあからさまにいやな顔をした。

 ツイワンシウ愛想あいそ笑いを浮かべ、み手をしいしい立っている。

 んでやったおぼえもないのに、いつの間にか宴席にもぐり込んでいたツイは、ヤンにとって、文字通りの『招かれざる客』であった。

なまじ彼の魂胆こんたんが解っているだけに、ヤンはよけい彼をうとましく思い、憎みさえしたのである。

鬱陶うっとうしい奴!まるで蛞蝓なめくじじゃわ‼〉

 彼は蛞蝓なめくじが大嫌いだった。

 他のどの虫螻むしけらよりも、嫌いだった。

 そんなヤンの胸中知ってか知らずか、ツイ卑屈ひくつな態度でしばらく彼の顔色をうかがっていたが、やがてしびれを切らしたように言葉をつないだ。

「これはこれはヤン様、さてもこちらにおいででござりましたか。お姿が見えませぬので、いやはや、このツイめは、いたく気をみましたぞ」

 猫で声でと言いながら、、と肩を並べてきた。

「何の御用ですかな、ツイ殿」

 そっぽを向いたまま、ヤン面倒めんどうくさそうにたずねた。

 するとツイは、本当の蛞蝓なめくじのようにぬらぬらとしたこびを、体中から発散させながら歯の浮くようなお世辞せじで応えた。

ヤン様。本日はまことに御盛会ごせいかいにて、何よりでござります!」

「おぬし、わざわざそんなことを言いに参られたのか⁉」

 ヤンは心底腹が立って来て、すこぶるる不機嫌になった。

 せっかくのいい気分もぶちこわしにされ、彼は、ツイをその場に蹴倒けたおして、踏みにじってやりたい衝動しょうどうられていた。

 そうしたらどんなにか、胸がすっきりすることだろう。

 だがしかし、そんな彼の不興ふきょうなど、どこ吹く風。

「いやはや、これはヤン様も、お人の悪い。このツイめのお願いは、先刻せんこく御承知であらせられましょうに⁉例のことでございますよ、」 

ツイは思い入れたっぷりに、事もあろうに、横目で彼をにら真似まねまでした。

〈こいつ、オカマか⁉〉

 ヤンは思わず、ぞっと鳥肌を立てた。その結果、彼はますます不機嫌になり、つ意地悪くもなってゆく。

 そしてヤンは、空っとぼけた。

「はて、とは、一体何でござろうかな?」

「これはまた、手ひどいおたわむれを!いやはや、まったって、お人の悪いお方じゃ‼」

 崔はさかんに『いやはや』を連発しながら、ぺったりとヤンからみついて離れない。

フェンの一族はすべて、このツイの言うがまま思うがままにて、誰一人として、さからう者もおりませぬ。あとはただ、身共みどもフェン家の正式な後継者として認可して頂きさえすれば、万事目出度めでたく、一件落着でござりまするよ」

 しかし、ヤンはさらにそこ意地いじ悪く、ツイの気持をさかでした。

「ほほう、それはそれは・・しかしながらツイ殿、おぬし、一番大事な事を忘れておられぬかな?フェン家には、世凰シーファンというれっきとしたせがれがある。こちらは正真しょうしん正銘しょうめいフェン家の嫡流ちゃくりゅう彼奴きゃつめの始末は、どのようになされるお積りじゃ?」

世凰シーファンなど‼」

 ツイは、やにわ語調を変えて吐き捨てた。

「あのような小倅こせがれなど、何ほどのことがありましょうや⁉フェン家の嫡男ちゃくなんとは名ばかりの、まるで世間知らずの山猿息子・・なんら恐るるに足りませぬわ!つい先日も、このツイ弁舌べんぜつにぐうのも出ぬ有様・・あのようなものは、有無うむを言わせずていよく追い出してしまえば、万事解決・・」

「そう簡単に事が運べば、何の苦労もござるまいがの」

 ヤンはどこまでも、ツイさからった。

「『あれは若いが、なかなかの強者したたかもの・・うっかりあなどると、手痛いしっぺ返しを喰うやも知れぬ』とイェン将軍も大層たいそう気にかけておられましたぞ!」

 ことさら大袈裟おおげさおどしておいて、ヤンは、皮肉っぽい目でチラリと、ツイの反応を盗み見た。

「ま、まさか⁉・・・あのように青臭あおくさせがれめが・・・」

 あわてふためくツイを、ヤンは実に小気味よげに観察していた。

「はっはっは・・・ま、そうまで心配することもござるまいて。すべてはイェン将軍と、このヤンティエユイとに任せておかれればよろしい。おぬしはせいぜい、親族の中から裏切り者が出ぬよう、目を光らせておかれることですな!」

 言い捨てるなり、彼を見向きもせずに、さっさと屋敷の中に入って行こうとしたヤンに追いすがりり、ツイはとんでもないことを口走ってしまっていた。

「くれぐれも、よろしゅうお頼み申しますぞ、ヤン様!ツイワンシウ、そのために、実の兄とめい殺しの片棒までかついだのですからな‼それもこれも皆、そこもとを始めイェン将軍、ひいてはシュエン王家の御為おんためにて・・・」

「しっ!声が高い‼」

 恐ろしい形相ぎょうそうツイを黙らせたヤンは、そそくさと、足早に邸内へ消えた。

 胸中、急速に頭をもたげつつあったのは、彼にとっては虫螻むしけらにもおと悪党あくとうツイワンシウへの殺意である。

 かかるやりとりの一部いちぶ始終しじゅうを、折しも明かり届かぬ植え込みの暗がりに身をひそめ、委細いさいらさずその目で見、また、耳で聞いてしまった一人の人間がいた・・・。

                                             巻ノ一 翔琳しょうりん鳳凰ほうおう〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る