第13話 ほころび

13 ほころび

 


 帝国との国境沿いにそそり立つ果てしなく続く山脈の壁。竜門は神のごとく聳え立ち、中央連合国の十五万の大軍勢さえ見下ろしている。幾度となく外敵の侵入を阻んできた門の頂上は雲がかかり、鷹が優雅に飛んでいた。

 グラデンは丘の上から竜門を見据えた。これを突破せねば、陸路では帝都領土に踏み入ることすらできない。

 ジルコンベルグに潜入したように、この身一つならば西オスロンド程度なら訳ないことだ。しかし、今回はわけが違う。東オスロンド、つまり帝都領内へと足を踏み入れなければならないのだ。それにはあの関門の突破が必須で、さらにこの大軍を引き連れながら、ラングレンや皇子に接触し、最後には和平協定を結ばねばならない。不可能に近いことをやってのける必要があるのだ。

 いや、今回の戦いでそれをうまくいかせねば、中央連合国に未来はないだろう。

 ふたつの軍勢は規則正しい四角形に並び、時折黒い生き物のようにうねながら形を変えた。それぞれが獣のように鬨を上げ、しかし太鼓の音に合わせて規則正しく動いた。お互いが相手の裏を取るべく、陣形の量り合いをしているのだ。

 そしてある場所で軍勢はぴたりと歩みをやめ、睨み合った。

 グラデンは手綱を握る手が湿っているのを感じた。カナス皇子、パーシバル皇子が闘技大会で死なないことを祈るしかなかった。彼らが死んでしまえば、この計画は失敗に終わる。すべてが終わってしまうのだ。

 もし万が一ラングレンが皇帝になったとしても、彼には敵が多すぎる。和平協定は難航を極め、あげくには頓挫するはめになるだろう。親友だったが、そういった意味では、彼ほど信頼のおけない人物はいない。

 それぞれ異なる太鼓が山脈にこだますると、ダムが決壊するようにふたつの黒い濁流は引き合い、なだれ込んだ。

 霞がかる山脈の尾根、帝国の弓兵たちは指揮官の合図でいっせいに投石機の紐を切り落とした。山を切り崩した鋭い岩石は風を切り、中央連合国の軍勢に雨のごとく降り注いだ。

 ひとつの巨岩は三百名の歩兵を叩き潰し、さらに転がると百名の歩兵を蟻のように潰していった。

 それでも、歩兵を犠牲にしながら中央連合国は進んだ。およそ百名の兵士が用意された丸太に手をかざした。丸太はすぐに崩壊し、ひとつの巨大な塔を生成した。

 十数台の巨大な投石機がいっせいに生成された。それは車輪を軋ませながら前方へと繰り出した。そして指揮官の発射の合図とともに巨岩を発射した。

 巨岩のうちのいくつかは竜門の壁に衝突して砕けたが、いくつかは山脈の上の帝国兵を投石機ごと吹き飛ばした。岩壁が巨大な岩に削りとられた。

 中でもひときわ大きな塔は唸り声をあげ、ゆっくりと進んだ。厚さ十メートルにもおよぶ竜門を破壊するために設計され、およそ五百名の兵士によって生成された破城塔だった。

 大きな塔の背後から、こんどは小さい攻城塔が素早い動きで壁に向かっていた。山脈を登るための山岳部隊を乗せた攻城塔はすぐさま帝国の標的になり、壁に到着する前に多くが破壊された。

 テオグリムは馬に乗り、小高い丘の上で戦いを見下ろしていた。

「あの壁こそが長年我々を阻んできたものだ。憎き壁だ」テオグリムは馬と、自分の鎧を生成しながら言った。「だがいまは違う」テオグリムの金髪が風になびいた。「我々は団結し、今度こそ竜門を打ち破るのだ」

「おべんちゃらは戦いに勝ってから言うのだな」ロートレクは丘に悠々とたたずむテオグリムを見上げて言った。「我々にはもう後がなくなったぞ、テオグリム。お前の勝手な強行軍のせいで、すべてが狂ってしまった」

 テオグリムはロートレクの隣に馬を寄せると、皮肉めいた笑みを浮かべ、ささやいた。「これも我が中央連合国団結と解放のためだ。ディン・エインは私に微笑んだのだ、ロートレク。お前ではなく、私にな」

 グラデンはロートレク王のそばにいた。テオグリムが狡猾王と呼ばれるのはその口ぶりからも察することができた。

「お前の判断が間違いでないことを祈るばかりだ」ロートレクは前を見据えたまま言った。

 テオグリムはロートレクの言葉を無視して言った。「ハーメン。オリアンナたちの船は?」

 伝令は跪いた。「ドレモアとルトランドの連合軍はヴェルランドの艦隊と合流し、三日前に帝都の南に向けて出航しました」

「よろしい」テオグリムは頷いた。「すべて順調だ」

 単純王エリックは乱暴につばを吐いた。「アークジウムとかいうお遊びの場でタイストを処刑してやる。それがいい。お似合いの死に場所だ」

 単純王エリックはテオグリムの強行軍に協力的な姿勢を見せていた。テオグリムが強行軍を秘密裏に侵攻させたとき、エリックは誰よりも早くテオグリムを支援した。テオグリム率いる、いわゆる強行派は、このエリックだけだった。日和見主義のエリックに王たちは嫌悪感を抱かざるをえなかった。グラデンもそれは同じだった。テオグリム同様、危険な王なのだ。

 そのとき、将軍が馬を急停止させ、言った。「二台の攻城塔が竜門に到達しました」

 テオグリムは軍勢の後方に視線を移した。薄いローブをまとった者たちがいた。

「山岳部隊も山を登りはじめた。そろそろ上級想像術師たちを前線に出してもよかろう」

「待て、何かおかしいぞ」とロートレク。

「何だ」テオグリムは不服そうに応えた。

「さっきから敵の上級想像術師を見かけておらぬ」

 テオグリムはチェスの駒のトークンで望遠鏡を生成して覗きこんだ。ギザギザとした霧の深い尾根をたどっめいくと、竜門の頂上に何かが見えた。竜門のふたつの塔の上にはそれぞれひとつずつ竜の頭を模した石像があるはずだった。しかしそれがないのだ。

 さらに目を凝らすと、本来竜の頭がある塔の頂上に、何かが群がっているのが見えた。それは、黒いローブをまとった上級想像術師たちだった。数百名もの上級想像術師たちは竜の頭の生成を解き、新たに何かを生成していた。

「竜の頭は想像箱だ……」老王ジルベルタは言った。

「驚くことでもない。この世に存在するすべては想像箱なのだから」幸運王と名高いルイスはつぶやいた。

 すべての王たちがうごめく粒子の雲を見据えていた。

「いますぐ前線の兵士を後退させる。グラデン、将軍に伝え──」ロートレクは言った。

「──だめだ!」テオグリムは声を荒げた。

 ロートレクは険しい表情でテオグリムを見た。

「そのまま進ませろ。問題ない」

 グラデンはテオグリムを見てから、ロートレクの顔色をうかがった。我が王は、ただうなずいた。

 グラデンにだけはそのうなずきの意図がわかった。王はこう言いたいのだ。“テオグリムの指令を前線に行き渡らせるな”。

 竜の頭で、巨大な竜巻が起こっていた。

「ロートレクの言うとおりだ。兵士を後退させねば。敵は何かしようとしている」厳格王ジグムントは巨大な馬に乗る巨大な図体を揺らした。

 竜の頭のあった場所に太陽を覆い隠すほどのバリスタが生成され、中央連合国の兵士に絶望の影を落とした。

 グラデンは将軍に伝えた。

「前線の兵士を後退させ、代わりに想像術師たちに盾を作らせろ。うんと大きな盾だ。そして前線の兵士を盾の後ろへ」

 将軍はうなずくと、伝令に声をかけた。伝令はふぐに馬を駆け、旗を振りかざし軍勢に合図を出した。

 だが命令が伝わるころには、巨大なバリスタには矢が装填されていた。

「なんのつもりだロートレク!」テオグリムは叫び、ロートレクを睨みつけた。

「お前の無謀な策のために兵士を死なせるわけにはいかん」ロートレクが馬で丘を登ると、テオグリムの馬が驚いた。テオグリムの嫌悪の視線を背中に感じたが、ロートレクはそのまま戦場を見下ろした。伝令から伝令へ、旗の合図が伝わっていく。

 五本の矢は門の下の軍勢や兵器に狙いを定めていた。ひとつひとつの矢が微調整され、最適な位置とタイミングを図っていた。

 こちらの想像術師たちは盾を生成しはじめていた。だがもうバリスタの弦は限界まで引き絞られていた。

「頼む……間に合ってくれ……」ロートレクはひとりごとのようにつぶやいた。

 金属が張り裂けるような音が大地に鳴り響くと、バリスタは柱のように太い矢を五方向に発射した。その瞬間、矢の先端が鉤爪のような刃となって広がり、あっという間に戦場に五本の裂け目ができた。

 巨大な矢はまだ未完成の盾を引き裂き、後ろに隠れた数万の兵士たちを粉々にしていた。

 だが、この程度で済んだのは不幸中の幸いだった。ロートレクの命令がなければ、残りの半数も塵となっていたことは間違いない。

 こちらの二台の攻城塔が真っ二つに引き裂かれていた。それはゆっくりと倒壊し、地面に打ちつけられると、粒子状に崩壊し、丸太の破片となった。矢が通った直線には兵士の砕け散った肉片が山のように重なり、散らばっていた。まるで巨人が五本の指で大地をひっかいたような傷跡は後陣の兵士たちを震撼させた。

 ロートレクは言った。「これで終わりではない。次が来る。早く盾を完成させるのだ」

 竜の頭の想像術師たちは次の矢を装填をしはじめていた。一本につき数十名がかりで生成し、人食いを使ってクランクを回していた。

 中央連合国の“盾”は大きな打撃を受けたものの、少しずつ形を取り戻しはじめた。

 “盾”は普通の攻城塔ではなかった。城壁のように横に長く、厚さ二メートルにもおよぶ鋼鉄の盾を前面に備えつけていた。あのバリスタの矢を防ぐことができる唯一の方法だった。中央連合の兵士たちが盾のうしろになだれ込み、みな来たる惨劇から身を隠した。

 二回目の矢が発射されると、まるで鋼を引き裂くような不快音が戦場をほとばしった。三本の矢は鋼鉄の盾に突き刺さり、もう二本は逃げ遅れた数千人の兵士たちを一瞬で粉々にした。また地表は大きく削られた。

 二万の中央連合兵が太鼓の音とともに盾を押した。五千人の勇敢な者たちが盾の全面に回り込み、馬で引っ張った。

 鋼鉄の盾は早歩きほどの速度でゆっくり進んでいった。それは文字通り敵を圧倒し、門の直前まで後退させた。

 ロートレクの合図で将軍が合図を出すと、戦場の旗が不規則に動いた。同時に盾が左右にぱっくりと開き、三連式の大砲が顔を出した。

「あんなものを生成してもきりがない。これではいたちごっこだぞ、ロートレク」テオグリムはロートレクの背後から言った。「盾など不要だ」

 ロートレクはテオグリムを無視して指揮官に命令を下した。「発射しろ」

 三連砲はとめどなく発射され、竜の頭の巨大なバリスタを破壊し、長弓兵たちをも木っ端微塵に吹き飛ばした。竜門上部は粉砕され、巨大な瓦礫が帝国兵たちの頭上に降り注いだ。

 盾はぴったりと城壁に密着すると、こんどは下の方がぱっくりと開いた。

 グラデンは戦場で馬を駆けた。その後ろにはロートレク有するモルズの騎兵団がおり、彼らはグラデンの動きにぴったりと息を合わせて続いた。

 破城槌は三千人がかりで引き上げられた。さらに五千人の歩兵たちが鎖を生成し、それを手伝った。

 グラデンと騎士たちは破城槌の引き上げを邪魔する帝国兵を排除していった。

 間違いなく中央連合国で史上最大規模の破城槌だった。八千人の兵士たちが破城槌に生成した鎖やロープを取りつけ、足や蹄を地面に食い込ませながら全力でそれを引っ張り続けた。

 グラデンが旗を生成し、不規則に振ると、太鼓が盾内部に鳴り響いた。

 鋼鉄の破城槌を締めつけていたすべての縄と鎖が外された。地底から這い上がってきた悪魔のような唸り声を上げ、破城槌はすべての力を解き放った。

 ゆっくりと、弧を描き、それは兵士たちの頭上を通り過ぎた。兵士たちは行く末を見守るしかなかった。

 破城槌が門と、山々に衝撃を与えた。とてつもない地響きがあらゆる兵士たちの足場を奪った。

 騎兵たちの馬は転げ落ちていった。そしてグラデンの馬もパニックを起こし、グラデンはもはや敵のものか味方のものかわからない死体の山に投げ飛ばされた。

 破城槌の最初の打撃が終わると、帝国兵たちは両側面から回りこみはじめた。彼らは必死だった。門が半分も砕け散ってしまっていたから。

 グラデンはこのまま押し進まんと、兵士たちを先導した。

 そのとき、多くの悲鳴が聞こえた。あれは敵ではなく、味方の悲鳴だ。側面から攻撃をする帝国兵はただものではないようだった。武装をしない兵士たち、つまり上級想像術師たちだ。

 帝国の想像術師たちは鎧を着用しない代わりに、黒いローブをはためかせ、あらゆる武器を生成し、連合兵を圧倒した。

 想像術師たちは盾に隠れる兵士を斬り込みながら軍勢の中を駆けめぐり、いともたやすく斬り殺していった。

 グラデンは兵士たちに撤退を命じ、中央連合側の想像術師たちを前線へと進ませた。だがグラデンの命令が行き渡るころには、破城槌は粒子となって崩壊してしまった。

「見たことか!」テオグリムはつばを飛ばして怒鳴った。「守りに徹してばかりいるから相手に隙を見せてしまうのだ! 私なら、いまごろとっくに門を突破しているぞ」

「いたずらに兵士を死なせるわけにはいかん」ロートレクは言った。

 指揮官がひざまずいた。「破城槌が破壊されました」

 テオグリムはロートレクに並んだ。「どうしたロートレク、お前の策を聞かせるのだ。この窮地を脱する策があるのだろう?」

 ロートレクは言った。「我々も戦場に出る」

「なに?」テオグリムは信じられないような表情をした。

 諸王の後ろには、五万の騎馬隊が待ち構えており、ロートレクの合図で鬨を上げた。

「テオグリム、臆したのか」ロートレクは言った。「強行軍ではなかったのか?」

 テオグリムは怒りを抑え、歯をかみしめた。

「強行軍ならば、兵士ばかり犠牲にするのではなく、お前が先頭に出て軍を率いてはどうだ?」

「……では誰が中枢を担うのだ」

「我々に中枢などない。我々は帝国の皇子のために進むのだ」

 テオグリムはロートレクを睨みつけたが、ロートレクは見向きもせずに馬を反転させ、丘に控える数万の軍勢に向けて剣を生成して掲げた。


──ディン・エインの加護あれ!


 ロートレクを筆頭に、すべての王たちが鎧や剣を生成しながら、馬に拍車をかけて丘を下った。テオグリムは躊躇していたが、もう引くことはできなかった。

 中央連合国の軍勢は鬨の声を上げて丘を下り駆けていった。地響きとともに五万の大軍が崩壊してゆく盾のうしろから流れこんだ。




✱✱✱


 パーシバルはただ真顔で、突っ立っていた。そしてそれを見下ろしていた。

 動物の死骸ような臭いが部屋に充満していた。

 ベッドの男は虚言を吐きながら、ときどき奇妙な動きをして、悶え苦しんでいた。死人のようにやせ細り、目や鼻、口から血の混じった膿を垂れ流し、ほとんど歯も抜け落ちていた。

 ベッドに寄り添うように座るカナスはこちらを見た。そしてパーシバルとラングレンがやって来たのを見るとすぐに、看護師を出ていかせた。

「僕らがやったんだ……」カナスは父の胸の上に手を置き、妙に悟ったような言いぶりした。「叔父上だけじゃなく、僕ら全員が……」

 ラングレンもパーシバルの横で同じように突っ立っていた。

 パーシバルは呆然とベッドに近づき、父親を見下ろしながら言った。「苦しまないんじゃなかったの?」

「多少の副作用は仕方ない。もうすぐ済む」ラングレンは腕を組んだ。「お前らが不安になるのはわかるが、これはやらなきゃならないことだった。平和のためにはこうするしかなかったんだ。誰のせいでもねぇ」

 しばらくの間、沈黙が流れた。

「こんな姿になってしまうなんて思ってもみなかった」パーシバルは言った。

「“七日間の夢”は痛みはない。まるで眠りにつくように死ねる唯一の薬だ」ラングレンは兄の哀れな姿を見ると言った。

 パーシバルは言った。「……ララとセシルには……」

「見せられるわけねぇだろ」カナスは言った。「……父親のこんな姿を見れば、きっとショックを受けてしまうからな」

 あらゆる感情が押し寄せては引いてを繰り返した。だがそれらのいくつかの感情が表に出ることはなかった。不思議なものだ。肉親が死にかけてるのに、こうも冷静でいられるものなのか。

「お前らの親父はよくやったよ」ラングレンがわざと神妙にしていることぐらいわかっていた。それはカナスもきっとわかっているだろう。「よくここまで頑張った」

 ラングレンは酔っ払いのようなフラフラとした歩みで、皇帝のベッドにどしんと腰を下ろした。「まぁ、あとはロートレクと和平を結ぶまでにおっ死んでくれたら万事解決だがな」

「よくそんなことを平気で……」パーシバルは眉間にしわを寄せ、叔父を見た。

「パース」カナスが諭し、首を横に振った。「よせ」

 ラングレンは参ったと言わんばかりに両手を挙げて眉をひそめた。「カナスの言うとおりだぞ。いちいちおれに喧嘩をふっかけるな」

 パーシバルはラングレンを睨みつけた。

「パーシバル、この間お前は言ったろう? おれを信じるって」

「アークジウムの間だけだ。あんた信頼したわけじゃない。これはただの取引だ」

「……あのなぁパーシバル、おれだってつらいんだ。そりゃあ、まぁ、仲が良かったと言えば嘘になるがな。これでも血を分けた兄弟だったんだぜ」

 ラングレンはため息をついてから言った。

「それにお前こそどうなんだ。父親が死にかけてるが……本当に悲しいのか? どうなんだ?」ラングレンは顎でパーシバルを指した。「皇帝はお前にどんな仕打ちをしてきた。お前をことごとく無視してきた挙句、命懸けの闘技大会まで出場させて……」

「父さんは……」パーシバルは言葉を探した。だがいくつもの感情が言葉を生み出しては殺し、生み出しては殺した。そしてついには唇を動かすだけで、何も出てこなかった。

「自分が歯がゆいんだろう? よくわかるぜ。自分は冷たい人間みたいだって、そう思ったんだろう?」

 ラングレンのその言葉が心臓に突き刺さった。

 パーシバルは諦めたように脱力した。ラングレンに心を読まれていることが悔しかった。だが、実際にそうだった。父はラングレンにも、自分にも、冷たく接した。

「父さんの前だぞ。もうよさないか」カナスが涙をこらえていた。少なくともパーシバルにはそれがわかった。

 カナスは自分とは別の世界に住んでいる。常に皇帝のそばにいて、成果を出しては、褒められていた。特別だったから、ああやって涙が溢れ出るのだ。

「おれとお前は似た境遇だ。パーシバル」ラングレンは言った。「皇帝にさんざん苦しめられてきた。だがもうすぐ終わる」

「……くっそ……」パーシバルは吐き捨てた。


 しばらく沈黙が流れた。


 カナスは呆然と口を開いた。「……グラデンとロートレク王は無事に帝都までやって来れるんだろうか」

 ラングレンはグラデンの話になるといつも神妙な顔をした。「問題ない。きっとここにくる。ただしテオグリムが馬鹿なことをしたせいで、全面戦争は避けられんがな。わかってるなカナス、皇帝がおっ死ねば、お前は皇帝と同等の資格を得る。帝都にやってくるロートレクと和平協定を結ぶんだ。これですべての混乱は終わる。世界は“想像の歪み”から救われるんだ」

 パーシバルは考え込んだ。「でも父さんが生きてる間は油断できない。十皇月はいまほとんどの権力を持ってることになる。いまが一番危険なときだ」

「危険どころの話じゃない」カナスは言った。「殺されるかもしれない。おれたちみんな。十皇月にとって、僕らは必要ないんだから」

 ラングレンは得意げにほくそ笑んだ。「まぁ、アークジウムはやつらにとって都合がよかったろうな。お前らを正当な理由で殺せるんだからな。皇帝様々だよまったく。そうそれに、あのデズモンドはあのクソせがれのセスを使ってお前らを本気で殺しに来るぞ。特にカナス、お前は出場者全員から狙われる。ゴルドは敗退したが、メラリッサがこれから何をしでかすかわかったもんじゃない。噂によるとあいつは貴族たちと手を組んで軍隊を組織してるようだ」

「そんな噂はどこにでもある。昔からずっと」カナスは言った。

「……父さんは馬鹿だ。本当に、馬鹿だよ……」パーシバルは言った。「なんで父さんはアークジウムにすべてを賭けるようなことをしたんだ。僕たちがあの闘技大会で死ねば、帝国は乗っ取られるのに。あまりに無謀すぎるよ」

 カナスは言った。「きっと何か理由があるんだ。おれらが憎くてやったわけでも、ホワイトハースの王のように狂ってしまったわけでもなく、おれたちを出場させなければならない理由があったんだ」

 ラングレンはしかめ面で首を振った。「知りたくもねぇな」

 パーシバルはラングレンを見た。「理由があるんだろ?」

「なに?」とラングレン。

 ラングレンは甥の怒りのこもった顔を見ると、顔をそむけた。「なんだよパーシバル……じろじろ見られると照れくせぇだろ?」

 パーシバルは、拳を強く握りしめた。何も言葉は出てこなかったが、怒りと疑心がこみ上げてきた。

「決着がついたら、ぜんぶ話してもらう」パーシバルは言った。

 ラングレンは口を歪めた。「はぁ? お前いったい何のことを言ってんだよ」

 パーシバルは言った。「あんたにはぜんぶ話す責任がある」

 ラングレンは肩をすくめた。「……何を言ってんだよ。おれぁぜんぶ話してるじゃねぇか」

 パーシバルはラングレンの神妙な顔をいますぐ蹴り飛ばしてやりたくなったが、その怒りをなんとか抑えつけて冷静に言った。「……協力するのは、それまでだ」

 ラングレンはまたあの乱杭歯を見せびらかすようにして笑った。「まったくわけのわからねぇことを……」

 パーシバルはじっとラングレンの目を見た。そして、くるりとマントを翻して部屋を出ていった。

「あいつどうしちまったんだよ、反抗期みたいに怒りやがってよ。まぁ、おれにはいつもあんな調子だがな」ラングレンは言ったが、カナスは何も言わず、叔父を見つめていた。

「なんだよカナス、お前まで……」

 パーシバルは扉の外で立ち尽くしていた。すべてが終わったら、母を殺した理由を吐かせてやる。少年は拳を強く握りしめた。




 

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