第12話 兆し

12 兆し

 


 人生でこれほどまでに気分が高揚しているのははじめてだった。名家の貴族たちから賞賛の言葉が送られ、パーシバルは拍手に包まれるたびに微笑み、手をかざした。

 今回ばかりはカナスだけが賞賛されているのではなかった。パーシバルは貴族たちの前で微笑むことなどなかったが、この十三年の人生ではじめて、微笑みどころか、満面の笑みを浮かべた。

 皇帝の塔と祈りの塔を結ぶ橋は地上からは見上げるほど高く、様々な絵柄の垂れ旗が吊るされていた。“十字に鎖の巻きついた心臓”のソマロン家、“盾を持つ双子の騎士”のゴルド家、“大鷹”のルイン家、“大角の甲虫カブトムシ”のウィテカー家、“月と蜥蜴と剣”のクラグス家、“火あぶりにされる骸骨”のオーケンフェルド家、そして“金牙の黒豹”のオーギエム家。大家の垂れ旗の脇には小さな垂れ旗がいくつも吊るされていた。

 橋の真ん中に芝生が敷き詰められた丸い広場があり、五百名以上の貴族たちがテーブルに並べられた豪華な食事を楽しんでいた。

 貴族たちはそれぞれのテーブルで、金や銀、真鍮の杯に注がれたスパイス入りの葡萄酒、エール、白ワイン、スタウト、クリーク酒などを片手に、それぞれの輪で会話を楽しんだ。

 パーシバルは深く息を吸い、吐き出した。いい香りだ。

 こんがりと焼かれた林檎を咥えた豚の丸焼き、玉ねぎとレンズ豆のスープ、香草で包まれたニシン、羊肉のシチュー、燻製された柔らかい鶏肉のサンドイッチ、仔牛のステーキが豪華な器に盛られテーブルに並んだ。

 デザートにはミルクプディング、レモンケーキ、焼きリンゴの蜂蜜がけ、あらゆる国から取り寄せたフルーツが山のように並べられた。

 いい気分だ。パーシバルは思った。帝都ではじめての感覚だ。賞賛の声、自分のために並べられた料理の数々。最高だ。

 天蓋つきのひときわ大きなテーブルに兄弟はいた。

「パーシバル、あれはどうやったんだ」カナスが嬉しそうに尋ねた。

「どうやったって?」パーシバルも満足そうにミルクプディングを口にかきこみながら聞き返した。

「お前は想像術を使えないはずなのに、あの街の構造を変えた。あんなことができるなんて」

 パーシバルはあの奇妙な街のでたらめな階段や通路を思い出して頭痛がぶり返しそうになった。

「わからないけど……でもこれだけはわかる」パーシバルはスプーンを立てて言った。「幻想の王はきっといいやつだ。僕らの味方なんだ」

 カナスは呆れたように鼻で笑った。

「──ふざけたことを」そのとき横から嫌味のこもったダミ声がした。

 金髪の少年はパーシバルの座席に肘をかけ、さらりとした髪を首を使って横に流した。「出来損ないのくせに、うぬぼれるなよ」

「セス……」パーシバルは嫌悪の表情をした。

「祝辞にしてはずいぶんドスの利いた言い回しじゃないか」カナスは馬鹿にしたように鼻で笑った。

「そうやって笑っていられるのもいまのうちだぞ」セスはカナスに言葉を吐き捨てると、パーシバルに視線を移した。「お前は卑怯者だ。正々堂々と戦わなかった。自分の力を何ひとつ使わなかったんだ」

 パーシバルはあの緑色の目で睨まれると、どうしても強気ではいられなくなった。

「……勝ちは勝ちだ……」パーシバルは思いついた言葉を言った。

 するとセスはパーシバルのグラスを取ってワインを飲み干した。「どうやってあんな芸当ができたのかは知らんが……お前はズルをしたんだ。フリンギラと一度も武器を交えることなく、卑怯な手を使って殺したんだ。それに箱を一度も見つけられなかった」

「パースの言うとおり、勝ちは勝ちだ」カナスが言うと、セスはぎょろりと目を向けた。「アークジウムは命懸けの戦いだ。逃げ回ろうが、泣き叫ぼうが、関係ない。勝つことが重要なんだ」

 セスは目の下を痙攣させた。「怪物に囚われたとき、お前の弟はお前を見捨てて逃げた。観客全員がそれを見てた。いざとなったら逃げ出すような弟を持ててよかったな」

「パーシバルは自分の身を守ってただけだ」カナスは指の中でサイコロをもてあそんだ。「それにお前に他人のことが言えるのか?」

「なんだって?」セスは顔を歪めた。

「お前こそ弟をいじめて楽しんでるんじゃないのか」カナスは言った。「模擬試合のときも、無抵抗な弟を何度も殴りつけた。おれが止めに入るまで、お前は弟を気絶するまで殴りつけてたろう。お前こそ卑怯者だ」

「なんだと? この……」セスはカナスに食ってかかろうとしたが、カナスが立ち上がると、後ろにのけぞった。

 カナスとセスは同じぐらいの身長、体格だったが、目に見えぬ何かがセスを圧倒していた。

「これ以上弟にちょっかいを出すなら、お前を殺してやる」

 セスは悔しそうに口を歪め、息を荒げた。「お前たちと戦うのが楽しみだよ」

 セスは密かに手に持っていた短剣を腰の鞘にしまい込んだ。

「おれたちと戦いたいなら、トーナメントを勝つことだ」カナスは言い切った。

 セスはしばらく歯を食いしばって悔しそうにしていたが、何かが吹っ切れたように笑った。「パーシバル、優しい母親がついていて心強いな」そして少年は背中を向け、貴族たちを押しのけながらどこかへ消えてしまった。

 カナスは文句を垂れながらどすんと席に座った。「まったく、馬鹿なやつだ。皇族に楯突くなんて」

「でも、セスの言うとおりだ」パーシバルは言った。「勝ちは勝ちって言ったけど、あれは僕の力じゃなかった……」

 するとカナスは弟の背中を強く叩いた。「まぁとりあえず一回戦目は終わったんだ。いまは素直に喜んで、パーティーを楽しもう。な?」

「……そうだよね……」パーシバルは微笑み返した。

 そしてまたしばらくしてから、パーシバルは言った。

「……そういえば、ララとセシルは?」

「セシルはまたいなくなったらしい」カナスは肩をすくめた。「ララはずっと探し回ってるみたいだけど」

「セシル、大丈夫なのかな?」

「ああ、きっとまたどこかに隠れてるのさ」

 パーシバルは会場を見渡した。豪勢な料理、自分の勝利を祝う貴族たち……。

「僕はうぬぼれてたのかもしれない」パーシバルは言った。

「セスに言われたことを気にしてるのか?」

「……いや、違うんだ」パーシバルは言葉を探した。「僕はずっと自分が不幸な人間だとばかり思ってた。ずっと。でも、本当は恵まれているのかもしれないって」

 カナスは黙って聞いていた。

「こうやってカナスもいて、ララも、セシルもいて、ロデリックや、アランだっている。ラングレンも……。こんなにたくさんの料理に囲まれて、人に囲まれて、大きくて綺麗な城に住んで……」パーシバルは続けた。「僕はこんなに恵まれた立場にいるのに、気づいてないだけなのかもしれない……」

 するとカナスは少しだけ笑った。





✱✱✱


 皇帝の塔の頂上から、すべてを見渡せた。帝都の防壁のはるか向こうに山脈と竜門がかすかに見える。いまごろはあのあたりで帝国軍とテオグリム率いる中央連合国軍が衝突しているのだろう。

「本当に狂ってるのはどっちだと思う」ラングレンは林檎を頬張り、種を吐き捨てた。

 メラリッサ・ゴルドは生成した椅子に白く細長い脚を見せつけるように組んで座っていた。ワインを口の中で転がし、飲みこんでから言った。「この帝都でまともな人間がいましょうか」

「まぁ、それは言えてるかもな」ラングレンは帝都の民衆たちを見下ろした。「目の前で戦争が起こってるのに、誰も興味がないんだ。おかしなやつらだ、まったく」

 メラリッサは鼻を鳴らし、ラングレンを見上げた。「皇帝には謁見を?」

「あれはおれのような人間に耳を貸さない。まぁ、最初から知ってたがな」

「ラングレン卿、あなたの強がりは昔から変わっていませんね」メラリッサは壁の向こうを見たまま笑った。「なにひとつ変わってない」

「それはお互いさまだ」

「ええ、そうですね」メラリッサは笑った。

「──何か言いたげだな」ラングレンは種を吐き出した。「言いたいことがあるならさっさと言ったらどうだ」

 メラリッサは少し考えてから言った。「ラングレン卿……逃げるならいまのうちですよ」

 男は目を落とし、一瞬考え込んでいるように見えたが、やはり冗談めかして笑った。「おれはどこへも逃げるつもりはない」

 メラリッサはまたワインを口に含み、ゆっくりともてあそんでから飲み込んだ。「あなたならそう答えると思いました」すると彼女は立ち上がり、椅子の生成を解き、指輪をはめると、歩きはじめた。そして彼女は振り返った。「ラングレン……」

 ラングレンは振り返らなかった。薄っすらとぼやける山脈を見据えたまま、彼女が消えるのを待っていた。

「なぁ、グラデン、おれはどうしたらいいんだ。もう、何もかもわからなくなっちまうよ」





 

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