第7話 訪問者

7 訪問者



《アークジウム開催まであと五日》


 まだ闘技大会まで何日もあるというのに、あらゆる大通りに商店がずらりと並んでいた。

 ヴロジミールが様々な大きさの箱を陳列していると、後ろから男が呼びかけた。

「珍しい武器のダミーはあるか?」無骨な男は言った。

 まだ開店準備はできていなかったが、ヴロジミールはうなずいた。「ええ、もちろんでございますよ」

「見せてくれ」

「──ただいま。少々お待ちを」老人はぶ厚い本を棚に置くと、ペラペラめくりはじめた。「珍しいというと、大陸以外のものでございますか?」

「ああ、そうだ」

 ヴロジミールはそのページを開いて見せた。「ユルシのもので、ククリという武器でございます」

 男はその絵を手に取り、吟味した。「いいものか?」

「ええ。わたくしのダミーは直接ユルシに足を運んで仕入れたものです。ジュードラはご存知でしょう」

 男は品定めするように老人を見た。「いくらだ?」

「五万グレッツでございます」

「五万? もう少し安くならんのか?」

「残念ながらこれ以上は……」老人は言った。「しかし、わたくしのダミーは他のものより質がいいですよ。切れ味もよく、持ちもいい。それにいまはアークジウムの特価でして、この価格で買えるのはいまだけですよ」

 男は一瞬顔をしかめたが、しぶしぶ腰に手を伸ばした。

 老人は袋に入った硬貨を受け取ると、それに意識を集中させた。硬貨が一瞬、粒子状に崩壊したことを確認すると、老人は言った。「たしかにいただきました」

 近ごろは帝国は財政難で、偽物の金が横行していた。本物はこうして崩壊するが、想像術で生成したインチキ硬貨なら崩壊しないのだ。他人の想像力がはたらくものは二重で想像術をかけることができないのだ。

 ヴロジミールは上部だけがない箱を男の前に出した。男は箱の中の剣の質感、重み、装飾を確かめると、箱を返した。

 そして腕輪を外し、それを粒子状に崩壊させると、こんどはさきほどのダミーとまったく同じものを生成した。

 男はその剣を手慣れた様子で試し振りし、刃や柄に触れ、うなずいた。「案外悪くない。なかなかいい品だ」

「ありがとうございます。またお越しくださいまし」

 男が満足そうに去っていくと、三角頭巾をかぶった老人はへそまである髭をぼうっと撫でつけ、傭兵の背中を見送った。

「ヴロジミール、お前が羨ましいよ」やせ細った商人の男が言った。

「どうしてだね?」

「ここらではお前が一番有名だからさ。大陸一の目利きを持つ伝説の遍歴商人だってな。今日もおれの三倍は売り上げてるぜ」

「そうか」老人は言った。「伝説なんて、わしのような人間にはもったいないさ」

「それにしても、ずいぶん傭兵が増えたと思わないか?」

 たしかに、第三大通りの商人街には一般の客よりも傭兵たちが多かった。きっとどの商人街もそうなのだろう。

 するとヴロジミールの隣の太った商人が身を乗り出して言った。「戦争が近いらしい。いよいよ中央連合国は動いてるようだ」

「なに、戦争ならいつもやってるじゃないか」やせ細った男は言った。

「今回はどうも違うようだ」太った男は言った。「まぁ、貴族と関わりのある知り合いに聞いた話だがね」

「なるほど傭兵たちがうろつくわけだ」とやせた男。

 ヴロジミールはまた陳列をしはじめたが、何も答えなかった。

「なぁヴロジミール、あんたはどうするつもりなんだ?」やせた男はダミーの弩の手入れをしながら言った。

「何がだね」

「戦争がはじまったら、ずらかるのか?」

 老人は少し考えてから言った。「わしは……ここにいるさ」

「連合のやつらが攻めてきても、ここで商売を続けるってのか?」

「……そうだ」

 太った男はおかしそうに言った。「おれぁごめんだ。とっとと消えるぜ。命あっての商売だ。この身体と、この商売心があるから、金稼ぎができるんだ」

「違ぇねぇ。ヴロジミール、あんたもそうしたほうがいい」

 だが老人は返事をせずに箱の中身を手入れをするだけだった。

 ふたりの商人は顔を見合わせた。

「なぁ、あんた、なにを考えてるんだい?」やせた男は手入れの手を止めて言った。

 そしてヴロジミールもその手を止め、こんどはじっと固まって何かを考えはじめた。

「わしは、もううんざりなんだよ」

 やせ細った男は目を丸くした。「す、すまねぇな。何か悪いことを言っちまったかい?」

「いや……わしには……商売を続けていく理由がもうないんだよ」

 太った商人は驚いた。「おいおい、あのヴロジミールかが商売をおりるってのか?」

 するとヴロジミールのそばにあるビロードの布の盛りあがりが、もそもそと動きはじめた。布の端から、長い銀色の毛を持つ猫が出てくると、それはよたよたと、めんどくさそうに歩きだした。そしてヴロジミールの膝に乗ると、あくびをして丸くなった。

「わしには、何のためにこの仕事をしているのかわからなくなるときがある」老人は猫を撫でて言った。「そして想像術というものも、理解できん」

 二人の商人はまた顔を見合わせた。

 ヴロジミールは続けた。「想像術は大昔は人間の繁栄のために、未来のために使われてきたものだった。だがいまでは、武器を生成するだけのものになりさがってしまっている」

「武器だけじゃない。日用品もあるじゃないか」

「たしかにそうだが、生成が許可されている日用品など数が知れているじゃないか。国にとって不利益なものや、危険だと判断されたものは禁止されているし、何よりすべての想像術は記録され、重い税が課せられる」

「文句を言ったって仕方ないだろう? それが世の中ってもんさ」太った商人は言った。「いままでもそうやってやってきたんだ」

「わしが言いたいのは、想像術が本来の意味を見失ってしまっているということだ」

 やせ細った男は考えはじめると、ヴロジミールは続けた。「想像術というものは、もっと自由なもののはずだ。そして、わしらの知らないさらに多くの力を秘めているはずだ」

 太った商人はついに笑いだした。「まったくあんたときたら、夢みたいな話をするもんだなぁ」

「おれはヴロジミールが正しいと思うぜ」やせた男は真剣だった。「想像術ってたいそうな名前なのに、剣やフライパン、せいぜい攻城兵器ぐらいしか生成できないのはおかしな話だ。それにくだらない法律も、税金も、ほとんど戦争のために使われてるのは事実だ」

 やせた男までヴロジミールに同調すると、太った男はつまらなそうにしていた。「ヴロジミール、よく聞きな? 壮大な哲学を持ち出すのはいいがな、そんなことが理由で商売を投げ出すなんて、ちゃんちゃらおかしな話だぞ。ヴロジミール、いまのあんたはまるで干物にされたリスみてぇにしょぼくれて見えるぞ」

「商売はわしの命だ。だがいまではその意義がわからんのだよ」老人は言った。「若いころのような夢はもう……」

「ヴロジミール、あんた……」やせ細った男は深刻そうにヴロジミールを見た。




✱✱✱


 アラン・ルインは瑠璃の間の扉を開くと生真面目に手のひらにもう片方の手の先を合わせ、敬礼をした。今日はどうやら肩当てだけの身軽な硬革ボイルド・レザーにしたらしい。

 茶色く短い髪のハンサムな男は、皇子兄弟を城外の上流貴族専用の馬小屋まで案内した。

 アランは真珠のように光り輝く毛並みを持った細身の白馬に乗り、カナスは少年の身体に見合わないほどの大きくたくましい黒鹿毛に騎乗した。

 そして最後に馬番の少年が引き連れてきたのはみすぼらしい仔馬だった。パーシバルは手綱を渡されると、そそくさと受け取り、何ごともなかったかのように乗り込んだ。

 この仔馬の栗毛と白毛のでたらめなまだら模様は交配によるものではなく、色素異常によるものだった。

「陛下のお体に合うものはこれしかいなかったもので……」少年の代わりに、馬小屋の主の男が申し訳なさそうに言った。

 パーシバルは低い馬上から、できるだけ尊厳を保っているふりをして、大層にうなずいた。「かまわない。僕はこれで十分だ」

「失礼いたします……」

 ほんの数日前まで、模擬訓練なんてくだらないものは時間の無駄だと思っていた。しかし、ラングレンが現れてからその考えは大きく変わったのだ。皮肉なことに、あのラングレンがパーシバルの大切なものを思い出させ、こうして行動を起こさせている。

 そして幸運なことがあった。二人はアランに、ニコデモ・ジェン・ロンドヴェントを知っているかと尋ねると、アランはすぐに答えた。もちろんだと。ニコデモはアランの領地であり生まれ故郷でもあるジルコンベルグの錬金術師だと。幼い頃から交友があり、紹介すると言った。

 夜明け前の帝都の厩戸から三頭の馬が出る。ジルコンベルグまでは半日以上かかるが、足を運ぶ価値は大いにあった。

 アランいわくジルコンベルグには特別な訓練場があるようだった。アークジウム以外の闘技大会でも何度か優勝してきたアランには、その訓練場はなくてはならないものだった。どんな設備が揃っているのか尋ねると、見てからのお楽しみだと言った。

 急勾配でなおかつ入り組んだ細い路地を馬は進み、アランはふたりの少し前に馬を歩かせていた。

「灰燼文書の言葉は本当だと思う?」カナスは尋ねた。

 その騎士は少し考えにふけった。そしてまた少しだけ振り返った。「私はただ陛下に仕える騎士であって、神話についてはさっぱりです。それに灰燼文書の文言をさほど信じているわけではありません。ただ、灰燼文書に書かれているような不思議な力がこの世界にあってもおかしくはないとは思います」その騎士は続けた。「想像術の力だって、物理学者たちはいまだに議論を繰り返していますから。説明のつかない力が他にあってもおかしくはないでしょう」

「たしかにそうかもしれない」パーシバルはアランの甲冑を装備した広い背中に向けて言った。

「私はそこまで興味はありませんが、少なくとも祖父はそのようなことについての専門家で、熱心に研究していましたよ。灰燼文書やそれにまつわる神話についてをね。祖父は帝国では異端とされるような、錬金術や占星術などの大家でしたからね」

「“でした”ってことは……」パーシバルは言った。

「ええ、もう十年以上前に他界しています」

「それは残念だ」カナスは言った。「是非会って話してみたかったのに」

「殿下にそう言っていただけるだけで祖父はきっと喜んでいますよ。──ニコデモは祖父の弟子のひとりでした。しかし祖父が亡くなってからは、考古学をなりわいとしているようですが。彼は祖父の弟子の最後のひとりです」

 そういえば、ララは自分たちも連れていけとしばらくごねていた。もちろんカナスは了承しなかった。あくまでも特別訓練という名目でアランに連れ出してもらうのだから、皇族の子供たち全員で出かけると皇帝に疑われてしまうと。ラングレンは敵かもしれない。しかし、父である皇帝も信用すべきではないと。カナスは珍しくララに対して厳しく言い聞かせた。

 だが最後にカナスは余計なことを言ってしまった。お前が残らなければセシルの面倒は誰が見るのだ。その言葉にララは声を荒げた。お兄さまに命令されることではないと。

 カナスは口走った言葉を後悔した。ララは、お兄さまたちがセシルの面倒を見たことがたったの一度でもあったかと大声で叫び、憤慨した。そしてその矛先はパーシバルにも向けられた。

 妹はその後もしばらく怒り狂っていたが、仕方なかった。頭は切れるが、帝国に関わらせるには幼すぎるし、危険だ。妹たちにはしばらくおとなしくしてもらうしかない。

 正門─(いくつもある正門のうちで一番小さく、裏口のような門)を出ると、下り坂が広がっていた。この帝都はクレーター状になっていたため、帝都の外に出るのは一苦労だったが、正門を出てしまえばあとはしばらく下り坂だ。

 アークジウムのために荷台に山のように商品を積んだ商人が往来し、彼らは騎士階級であるアランすれ違うたびにご機嫌取りのような笑顔で会釈をした。アランだけに会釈をするのは、皇族の二人は深緑のローブを着てフードを目深に被っていたせいだった。きっと従者か何かと思っているのだろう。

 小麦畑が広がるテリアンを過ぎ、またいくつか林を抜けると竜の十字路があった。そして山脈がうっすらと見えていた。

 聳え立つ山脈の壁はある一点だけ裂けていて、裂け目の両端にひと柱ずつ塔が聳えている。竜門は帝都を守る最終防衛地点だった。

 竜門の中は暗く、まるで洞窟のように肌寒かった。松明の明かりの中に一定間隔に兵士が立っていたが、アランが言うには兵士の数がいつもより多いそうだった。

 竜門を抜け、開けっぴろげの草原にある分かれ道を左に進み、ひと気のない寂れた農村を通過してしばらく経つと、ついにパーシバルは長旅での不満を漏らしはじめた。アランはカナスがパーシバルをなだめるものだと思ってしばらくはあしらっていたが、ついにカナスまでもがエールが飲みたいと言い出したので、ブリュコスの旅籠で休憩を取ることにした。

 三人はエールとじゃがいもと鶏肉のスープと堅パンを注文し、とりわけパーシバルはそれにがっついた。

 そして普段は真面目そうにしていれカナスでさえ、それらにかぶりつく様子を見るとアランは微笑んだ。

「こう見ると、カナス殿下もまだまだ子供ですな」

 カナスは鶏肉にかぶりつきながら言った。「おれを買いかぶりすぎなんだ」そしてもう片方の手で堅パンを噛みちぎった。「帝都の人間はみんなそうだ。おれを何だと思ってるんだ。“クロヴィッセの再来”だって? アホ臭い。ただのガキだよ」

 パーシバルはアランの笑顔を不審に思った。「アラン、僕らみたいにこんな食べ方をしてたら注意しなきゃいけないんじゃないの?」

 するとアランも乱暴に鶏肉を頬張り、エールをぐいと喉に流し込んだ。「旅籠なんて滅多に来る機会はないですからね。たまには羽目を外すのもよろしいでしょう。特に私はパーシバル皇子殿下と話す機会があまりないですから」

「アランはカナスばっかり重宝するんだから」パーシバルは嫌味を込めた。

「私は本当はパーシバル皇子とももっと話す時間を取りたいのですよ。しかしながら職務は職務ですので……」

「さっきのは冗談だよ。かまわないさ」パーシバルは少しだけ微笑んでみせた。「僕が誰とも関わろうとしないから」

「しかしあなたさまがこうして訓練を申し出たことは立派なことです。皇子としての自覚が生まれてきたのでしょう。パーシバル殿下のこれからの成長を見守るのが楽しみです」

 ラングレンの提言によって、家族を守るためにこうして訓練をするのだ。これは成長と呼べるのだろうか。

「おれもだよ」カナスはアランに続いた。「こいつはいつかきっと大物になる。そう信じてるんだ」

 カナスがあまりに唐突に言い出すのでパーシバルはどう答えていいのかわからなくなってしまった。いつもならそんな恥ずかしいことは言わないのに。

「エールを飲みすぎたんじゃないか?」パーシバルは言った。

「こいつはいつか大物になって、多くの人を救うんだ。おれにはわかる」

「そりゃどうも」パーシバルは自信のない様子で言った。

「想像術が使えなくとも、できることはある」カナスはエールを飲み干した。

 三人はあまりに話し込んだので、スープを飲み終えていたのも忘れていたほどだった。

 パーシバルはふと思った。アランは皇帝が蝶の杯を手に入れようと画策しているのを知っているのだろうか。そしてそれを利用して戦争を起こそうとしていることを知っているのだろうか。知っているから、僕らに手がかりを与えようとしてくれているのだろうか。

 この騎士は何を思っているんだろうか。硬革ボイルド・レザーにスープが飛ばないように注意深く口に運んでいた。アランは少々真面目すぎる節があるが、誠実な騎士だ。

 だがどうしても拭えなかった。もしもアランが皇帝の手先で、自分たちの動向を探ったり、何らかの工作をしているとしたら? 

 パーシバルは膨らみ続ける思考に見切りをつけると、エールを飲み干してごまかした。ラングレンの言葉を聞いてから、どうしても疑心暗鬼になってしまう。いったい誰が敵で、誰が味方なんだ……。

 旅籠を出ると三人はブリュコスの長い田舎道を通り、幾度となく林を抜けていった。アランとカナスは談笑している中でも、パーシバルだけは常に後ろや周りを気にしていた。

 どうしてこの二人は野盗や人食いがいそうな森でも平気でいられるのか、理解ができなかった。想像術の腕に自信があることほど、恵まれたことはない。

「そういえば、アランは西オスロンドまで行ったことがあるの?」カナスは騎士に質問した。

「いえ、残念ながら」

「おれたちはメイオンフルトまでしか行ったことがないんだ。一度でもいいから世界を旅してみたいよ」カナスは言った。

「私も若い頃は世界の果てまで行きたいと願ったものですが、私が行ったことがあるのはクォーゼまでです」

「クォーゼだって? 連合国じゃないか」パーシバルは驚いた。

「当時、私は特使でしたからね」アランは当然のごとく言った。「中央連合国はそれはもう美しい場所でしたよ。白銀の景色やまるで氷の巨人のような山脈がいくつもあって、彼らの崇拝するディン・エインの住む場所はここなのだと思いました」

「ディン・エインか」カナスは言った。「他の国の神を信じてるの?」

「さて、どうでしょうかね。でも、あの景色を見れば、彼らがディン・エインを信じる気持ちはわかります。……でもどうか、この話は誰にも言わないでくださいよ。私も異端審問などで命を落としたくはない」

「素晴らしい場所だったんだね」パーシバルは言った。

「景色は……ですがね」とアラン。

「その言い方じゃあ、あまりいい思い出はなさそうだね」

「せっかく出向いたのに、中央連合国の王たちは帝国の特使の謁見要請に応じませんでした。それどころか、私はクォーゼのオークモント城の門前で二時間待ちぼうけを食らった挙句、そのまま門前払いされたのです。まったくの侮辱でしたよ。二週間の旅路が無駄足に終わるところで、城がざわつきはじめました。後ろを振り返ると、とんでもない規模の神輿の行列が向こうからやってきたのです」

「ロートレク王か」カナスは聞いた。

「ええ。中央連合国の多くの王と会ってきましたが、そのほとんどが傷ついた狼のようにこちらを疑い、警戒していました。しかしロートレク王は異彩を放っておりました。常に冷静で、聡明で、思慮深い人物で、なんというか……変わったお方でしたよ。彼はルイス王に交渉して、門を開けさせました。ようやく私は中央連合国の王と対面することができました。ロートレク王は帝国とクォーゼとの諍いを仲裁するために、わざわざ足を運んだのです。帝国の一特使のために」

「やっぱりロートレク王は、普通とは違うみたいだ」パーシバルは言った。

 カナスは言った。「いまの現状を見るに、交渉はうまくいかなかったのか」

「……ええ、残念ながらその通りです。ロートレク王は中央連合国がある程度団結するまで待ってくれと言いました。分裂した状態で自分だけ和平を申し出ても他の王の顰蹙を買うだけだと。ですが数年後、中央連合国を必ず団結させるといいました。そしてそのときに、自分が諸王たちを説得すると。そしてロートレクは本当に約束を果たした」

 カナスは言った。「彼は英雄だ。帝国にとっての希望だ」

「はい。しかしテオグリムの裏切りによって彼の苦労は崩れ去りましたがね」アランは続けた。「穏健派のロートレクの敵はテオグリムだけではありません。帝国の十皇月や貴族たちも彼の敵です」

「なぜ?」パーシバルは尋ねた。

「戦争を終わらせたくない者もいるのですよ。いろいろな事情でね」

「大人ってのは愚かなもんだ」カナスは吐き捨てた。「金儲けのためなら世界が終わってもいいと思ってる」

「上流貴族や十皇月のように強大な権力を持った者たちは、我々のようにまっとうな考えを持っていない」

「でも十皇月は僕らの味方なんだよね」パーシバルはつぶやいた。「帝国を守るためにいるんだよね」

 アランは言葉を選んでいるのか、しばらく考え込んでから口を開いた。「……いまの帝国の政治は確実に腐敗しています。ゴルド家とソマロン家の権力は日に日に強まり、他の十皇月たちを取り込んでいます。権力が肥大化したゴルドとソマロンの確執も日に日に強くなっている。いまや帝国の大きな権力はメラリッサとデズモンドが掌握していてるようなもの。その影響は皇帝陛下や殿下方にもおよぶ勢いです」

「注意を払うべきだな」カナスは言った。

「ええ、そうべきでしょう。戦争で私腹を肥やせばまた戦争が起きる。負の連鎖です」

「あれから和平交渉には行ったの?」パーシバルは言った。

「いいえ、数年前に一度訪問してからは、それっきりです。タイスト皇帝陛下がロートレク王への和平交渉を取り下げたので」

「和平交渉を取り下げた? 父さんはなんて馬鹿なんだ……」パーシバルは思わず憤慨した。「……ロートレク王との会談はこの帝国の未来そのものなのに」

「お気持ちはよくわかりますよ、殿下」アランは言った。「しかし、皇帝陛下にもお考えはあるのでしょう」

「アラン、本当はどう思ってるのか言ってみてよ」パーシバルは唐突に尋ねた。「真面目に話すんじゃなくて、本当のことをさ。父さんは間違ってると思うよね」

 騎士は考え、パーシバルとカナスはその言葉を待った。

「陛下の考えはオスロンド帝国の考えそのものなのです。間違いを犯すことは決してありません」

 するとカナスはつまらなそうに悪態をつき、パーシバルはため息をついた。

 パーシバルはふてくされたように言った。「……まったくカタブツな男だよ。人食いでももっと自分の意見を持ってるね」

「カタブツで結構。それに人食いは殿下が思うよりもずっと利口ですよ。そして私は皇帝陛下の剣なのです。皇帝陛下の意思が私の意思なのです」

「じゃあ死ねって言われたら死ぬの?」パーシバルはわざと馬鹿にした言い方をした。

 だがその騎士は背筋をいっときたりとも曲げずに言った。「はい。皇帝陛下がそうおっしゃるなら、私は喜んでこの命を捧げます」

 その言葉を聞いてパーシバルはついに諦めたようにため息をついた。アランの愚直さは厄介だ。きっとアランは皇帝の意向には絶対的に服従するだろう。

「なぁ、アラン」カナスが言い出した。「もしおれらが戦うことになったら……」

 アランはきっとそのことをずっと考えていたに違いない。彼はすぐに答えた。「雨の巫女のもと、手加減はいたしません」

「そんな……」パーシバルは顔を歪ませた。

 すると騎士は笑った。「なんて冗談ですよ。殿下方を守るべき騎士が、殿下方を殺してどうしますか」

「本当に……?」パーシバルはおそるおそる聞いた。

「私はあなた方を打ち負かすつもりではいます。ですが、命を取ろうなどとは思っていません」騎士は続けた。「アークジウムという舞台である以上ある程度の戦いは覚悟しておいてください。私とて十皇月やジルコンベルグ、〈フィユスの豹〉としての名誉がありますので。わざと負けたりなどはいたしませんよ」

「よかった……」パーシバルは安堵した。

「ただ……」

 二人の皇子はその言葉に反応した。

「私と組むマキシムは手加減を知らない男です。私よりも頭の硬い男ですから、注意が必要でしょう」

「もし本気で来るというなら、受けて立とうじゃないか」カナスは自信ありげに笑みを浮かべた。「マキシムとは戦ったことがなかったから、ちゃうどいい腕試しになる」

 すると騎士は笑った。「そのいきです。闘技大会に情けなど必要ない。でなければ、命を落としてしまう。それぐらいの覚悟が必要です」

「先が思いやられてきたよ……」パーシバルは頭を抱えた。

「アランはなぜまた出場しようと思ったの?」カナスは言った。「僕らみたいに強制的に出場させられるわけじゃないのに、十年前には優勝までしたのに、どうしてまた? 名誉のため? 金のため?」

 少年たちはその騎士の顔色をうかがった。

「おや、単刀直入に聞きますね」騎士はまた考えていた。「しかし……私にもわかりません」

「わからないだって?」パーシバルは聞き返した。

「私とって戦うことこそが尊厳を保つ唯一の方法なのかもしれませんね……」

「尊厳か」パーシバルは言った。「やっかいなものを持っちゃったね」

「本当に、自分でも理解ができませんよ」

 アランは僕らを殺すつもりなんだろうか。いや、皇帝がそうはさせないはずだ。まさか世継ぎを殺させるなんて……そんなことはありえない。

 林を抜けるとようやく城壁が姿をあらわした。城郭都市ジルコンベルグには清々しいほどの太陽の光が降り注いでいた。オレンジと赤が交互に彩られているのは軍旗だけではなく、城壁もだった。

 門の前に構える衛兵たちはこちらに気がつくと、鎧を生成しながらやってきた。「止まれ。通行証を」

 もちろんのごとくその胸当ても派手なオレンジと赤の二色で染まっていた。

 すると真っ先に前へ躍り出た隊長らしき男が、目を丸くした。「これは……閣下……」

 アランが何も言わずに頷くと、衛兵たちは慌てて引き下がり、敬礼した。

「失礼いたしました! お通りください!」

 しかし、パーシバルはなぜか急に背筋が寒くなるのを感じた。だが振り返ってもそこにあるのは草原と、ブナの林だけ。

 なんだ。いまの悪寒は──。

「お連れさまもどうぞお進みください。ようこそ、ジルコンベルグへ」

 衛兵の声で、ようやくアランとカナスが城内へ入ったことに気がついた。パーシバルは馬を早がけにさせながら、二人に馬を寄せた。


 そこは大きな闘技場だった。ただし、オスロウィンの闘技場よりもずっと小さく、さらに古びて半分ほど倒壊していた。

 半分崩壊した入場門をくぐると、殺風景な砂地が姿をあらわした。

「こんなところでやるの?」パーシバルは言った。「何もないよ」

 アランはおもむろに弩弓クロスボウを生成し、闘技場の観覧席のある場所へ撃ち放った。

 すると闘技場は激しい振動とともに姿を変えていった。床からいくつも柱がせり出し、落とし穴や坂道、バリケード、回転する棒、湖には足場が現れ、いくつもの障害物が地面から出現した。

「すごい……」

「普通の闘技大会とアークジウムの違いはご存知ですか?」騎士は何事もなかったかのように言った。

 パーシバルは目を丸くし、口をあんぐりさせたまま、固まっていた。

 カナスはまるで歴史的な遺物でも見るかのように闘技場を見回して観察していた。「普通の闘技大会はただの戦いだ。でも、アークジウムは特別なルールで行われる。想像箱の所持は禁止で、現地調達。想像箱は闘技場のステージに隠されてる。想像箱にも強力なものやそうでないものがあって、より貴重なもは壊れにくく、より強力な武器を生成できる」

「そうです。そのためアークジウムでは想像術の実力だけでなく、運も試される。そしてチームワークも」アランは呆然とするパーシバルの耳元で言った。「パーシバル皇子が活躍することもできるのです」

「こんなの猿じゃなきゃ無理だよ」パーシバルはすでに弱腰だった。「人を殺すための機械ばかりだ……」

「ただ今回のアークジウムは、十年前のものとは違って、なんらかの力が作用する可能性がある。灰燼文書の一節が真実で、幻想の王の力が働くならね」

 二人は顔を見合わせた。

 アランは続けた。「出場者は誰もそれを予期できない。実力の差はあれど、その点では平等といえるでしょう。今日の訓練では、本番で物怖じしないように、恐怖と向き合う練習をしてもらいます」

「そんなのもっと無理だよ」パーシバルは顔をしかめた。「絶対死ぬよ!」

「叔父上の前ではあんなに強気なのに、あのプライドはどこへ行ったんだよ」カナスはパーシバルの背中を叩いた。「大丈夫だ。お前ならうまくやれる」

 アランは一本の柱を指差した。てっぺんから鎖がぶら下がっており、柱の頂点には化粧箱のような箱があった。「さぁ、あの柱に登ってください」

 パーシバルはカナスが行くのを待った。

「パース、アランはお前に言ってるんだ」

 パーシバルはまさか、という表情でカナスを見た。そして、アランに向けて唖然とした顔をした。

「冗談でしょ? 僕にあれを登れって?」

「さぁ、アークジウムまではもう幾日も残っていない。ここにあるすべての障害物をこなすまでは帰ることは許しませんよ」







 

 

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